第131話 お風呂のアンビバレンツ
その日の晩、エラ、明日香、モニカ、そしてポーラは、『愛の鐘』亭の大浴場で入浴中だった。
しかし、その場の空気はくつろげるものではなかった。
エラは伏し目がちで物憂げにため息をついており、ポーラはその向かいで厳しい目を向けている。堂々たる双子島が湯面に浮かんでいた。
明日香とモニカは少し離れた場所で、肩を寄せ合いながら様子をうかがっていた。二人とも大きい方なので、エラは割とアウェーである。
「……感心しませんね」
先に口を開いたのはポーラ。
「分かっています……」
対するエラは、ますます沈み込む。自覚はあるようだ。
実は先程、ジェイから一緒にお風呂に入ろうと誘われた。彼なりにこの夏の間に夫婦としてステップアップしようと考えての事だ。
昼間のビーチで水着姿の婚約者達を見て思う所があったのも否定できないが。
しかし、エラはそれは応えず、逃げるように大浴場に駆け込んでしまった。
そんな反応をされてはジェイとしても追い掛ける事ができず、明日香とモニカに後を頼んで今に至るのである。
「その、ごめんなさいね。私の事は気にしなくていいから、二人だけで……」
エラが二人に謝った。力無い笑顔で。
「き、気にしなくて……」
「いいって言われても……」
顔を見合わせるモニカと明日香。
この三人はそれぞれの立場と事情があってジェイの婚約者となった訳だが、いわゆる「序列」というものは決まっていない。
そもそも三人との縁談自体が、元々は国境の『アーマガルトの守護者』を巡って王国と幕府が綱引きをしているようなもの。そもそも序列を強制できる者がいないのだ。
ジェイが極力波風を立てないにしてきたおかげもあって、三人もお互いに仲良くしたいと考えている。
「いや、そういう訳にもいきませんよ。エラ姉さん」
慌て気味に応えるモニカ。振った手で湯飛沫が飛ぶ。
それだけにエラを差し置いてとは考えられなかった。明日香も、モニカとエラの顔を交互に見てコクコクと頷いている。
「でも、どうしていいか分からなくて……」
「えぇ……もしかして、イヤなんですか? ジェイの事」
「そ、そんな事ないわ!」
少し不機嫌そうなモニカに、今度はエラが慌てて否定した。
三人の中でモニカは、一番政略的な意味が薄い。元々シルバーバーグ商会は昴家の御用商人の立場であり、改めて関係を結ぶ必要性が薄いからだ。
幼馴染で元々ジェイの事を想っている彼女は、二人が彼の事をどう想っているかを気にする一面を持っていた。
「ちょっ!? ケンカはダメですよっ!!」
ざばーっと割って入る明日香。そのまま勢いあまってスッ転び、湯舟に沈む。
彼女は皆仲良くがモットーだ。二人がどう考えているかは気にせず、巻き込んで我が道を行きたいタイプとも言う。
「大丈夫だって、ケンカしてる訳じゃないから!」
「そうよ、明日香ちゃん」
モニカとエラ、二人で明日香を助け起こした。
しかし、そのままお互いに無言の状態に突入してしまう。
その原因となっているエラは、三人の中で一番政略結婚を意識していた。
三ヶ月程だが一緒に暮らしてきて、ジェイへの好意は育まれている。しかし、同じぐらいに家の事も考えてしまう。
こればかりは性分であり、そうせざるを得ない立場の問題でもあった。
ふと目線を上げると、モニカと明日香が心配そうにエラを見ていた。
エラも彼女達の事は妹のように思っている。メアリーも二人ぐらい素直ならばと思ってしまった事があるのは否定しない。
「ホントに、これは私の都合だから、二人は……」
それだけにエラは、自分の抱える問題に付き合わせていいものかと考えている。
「だから、そもそも何が問題なんです?」
対するモニカは、そこが分からない。
「……そうね。ちゃんと説明しないといけないわね」
エラはまたため息をついてから、話し始める。
「要するにね……冷泉家の後継者問題なのよ」
「冷泉家の後継者って……エラ姉さんのお父様では?」
明日香が首を傾げながら尋ねる。
「ええ、問題なのはその次よ」
「次って、エラ姉さんは昴家に嫁ぐから……あ」
そこまで言ったところでモニカは気付いた。冷泉家の残っている候補がメアリーしかいない事に。
「……そう、メアリーよ。でもね、もうひとつの可能性もあるの」
「えっ? 他に兄弟いるんですか?」
「親戚の方ですか?」
二人の言葉に、エラは首を横に振る。
「…………私の子よ」
「冷泉家と昴家の子、アリですねっ!」
「えっ? あ、なるほど。親戚引っ張ってくるのと同じか」
意外にも明日香の方が理解が早かった。
『アーマガルトの守護者』を生んだ領主華族の雄、昴家。その血を継ぐ子が内都華族の重鎮である冷泉家の跡取りとなる。確かに、下手な親戚を連れて来るより良いだろう。
「別に悪い事じゃ……って、あ~……」
理解が追い着いたモニカだが、そこで別の事に気付いた。
そう、エラの言う問題、その原因が何であるかを。
「エラ、あなたは妹のためにジェイの誘いを断ったのですね」
ここで、黙って見守っていたポーラが口を開いた。
エラは、神妙な面持ちでコクリと頷く。
これはモニカと明日香は理解できなかったようで、再び顔を見合わせる。
「二人をセルツに連れ帰った後、宰相がどういう処分を下すか……そこが分からないのでしょう」
「夏休み終わるまでに帰るんでしょ? そんな影響は……」
「先への期待という意味では有りますよ」
エラとジェイの関係が進んでいれば、孫の期待度が上がるという意味で。
「……そっか、エラ姉さんが嫁ぐなら跡取りはメアリーさんだけど」
「孫が期待できるなら……」
メアリーは不要と判断される恐れがあるという事だ。
エラは姉としてメアリーを助けてやりたいが、どうすればいいかがわからない。それが先ほどのジェイへの行動になって現れたのだ。
「これで分かったでしょ? ホントに私の個人的な問題だから、二人は気にしないでいいのよ?」
「そういう話聞いちゃうとねぇ……エラ姉さん、別の責任の取り方考えてない?」
「ソ、ソンナコトナイワヨ?」
「目線、こっち向けて」
エラはそっぽを向いたままだ。
「そうですね。ジェイは大事にするつもりは無いようですが、冷泉家としては昴家への謝罪を何もしないという訳にはいかないでしょう」
そのポーラの言葉に、エラは一瞬肩を震わせる。
対外的なけじめという意味もあるので、彼女の意見は正しい。
実際、ジェイの判断次第ではアーマガルトが幕府に寝返る可能性もあったのだ。彼女の言葉は大袈裟でもなんでもない。
「責任を取って冷泉家はこの縁談から手を引き、エラには婚約破棄させる……というのも対外的なけじめの付け方として考えられますね」
そうする事で「冷泉家は既に罰を受けた」という事になる。対外的な罰は自分が引き受け、その分メアリーへの処罰を軽くできないかという苦肉の策だ。
実はエラの中には、いざとなればメアリーとケイをこっそり逃がし、全て自分が責任を負うという選択肢も浮かんでいた。
「やっぱり……それ、私達だけ関係進んでたらまずくない? ほら、エラ姉さんだけ関係進んでないなら婚約破棄でもいいよね、みたいな……」
モニカがジト目でエラを見るが、彼女は頑なに視線を合わせようとしない。
「せっぷくっ!! 責任取って切腹ですか!?」
「そこまではやらないわよ!?」
明日香の勘違いに、エラも流石に振り返ってツッコんだ。
「どうにかならないんですか?」
「判断するのはお爺様だから……」
「そこを何とかできませんか? こう、婚約破棄しちゃだめ~って思わせるみたいな」
これからも皆と仲良くしていきたいと考えている明日香は必死だ。
それにはポーラが「できますよ」と答える。
「ジェイとエラ……二人の関係が進んでいれば、婚約破棄させる事はかえって不興を買うと判断されるでしょう」
「えっ、それって……」
「ジェイがやろうとしていた事ですよ」
つまり、ジェイはジェイで婚約者であるエラを守ろうとしていたのだ。
「それは分かってたけど、どうすればいいか分からなかったのよぉ~……」
そう言ってエラは、バシャッとお湯に顔を突っ込んだ。
「あちゃ~……」
モニカが天を仰いだ。
「ど、どうしましょう、モニカ!」
「どうしましょうって……」
ここまで話を聞いてしまうと、自分達だけでジェイとの関係を進めるという選択肢を、二人は選ぶ事ができない。
この件に関してポーラは、説明はするが答えは自分で出せというスタンスなので、助言も期待できない。
三人で考えるが、全てを丸く収められるような都合の良い答えは出てこない。結局そのままのぼせてしまい、ポーラによって運び出されるのだった。
今回のタイトルの元ネタは、ことわざの「彼方立てれば此方が立たぬ」です。
色々いじっている内にこうなりました。
「元ネタ」と言うより「スタート地点」と言った方が正確かもしれません。