第99話 カムート会議
「まずは珠のお肌を磨きましょう! いざ!」
明日香が腕を組んで、ジェイを浴室に連れて行こうとする。
その腕を包み込むやわらかさに、流されてはいけないとなんとか耐える。
「それなら明日香達だけで……!」
「いやいや、ボクが背中流すよ」
しかし、すぐさまモニカが反対側の腕を取って追撃してきた。
こちらも明日香程ではないがなかなかのものだ。ジェイはそれを堪能つつも、心なしか明日香よりもやわらかく感じられるお腹周りについては触れなかった。
「って、そうじゃなくて! 俺は卒業するまで正式な後継者じゃないんだから!」
ハッと我に返るジェイ。
セルツ連合王国では、華族学園を卒業していなければ、華族家を継ぐ事ができない。
だから卒業までは婚約者といっても節度のある態度で臨むというのは間違いではない。
しかし現実というものは、そう理屈通りだけでは済まないものなのだ。
そもそも卒業できるかどうかで家の浮沈が決まりかねないとなると、学園としても早々落ちこぼれを出す訳にはいかない。
補習でもなんでもして、なんとか卒業できるレベルまで引き上げようとする。
それでもどうしようもない例というのは存在するが、確率としては極めて低いだろう。
「在学中に子供ができる確率の方が高いんじゃないかしら?」
エラが身も蓋も無い事を言った。
そちらの確率も決して高くはない事は明記しておく。
「次代の跡継ぎと一緒に故郷の凱旋って、結構喜ばれるらしいわ」
実のところそれは、不名誉な事ではないのだ。
家を保つ事が第一である華族ならではの価値観といえるだろう。
「でも、推奨はされてないよな?」
ただし、名誉な事という訳でもない。
家同士の婚姻という面が存在する以上、卒業して後継者の資格を得てから結婚というのが本来の筋なのだから。
つまりは「できたら仕方ないし、ちゃんと対応するけど、控えてね」という事である。
更に言ってしまうと、和平反対派に対抗するために子供を作るという部分が、ジェイは引っ掛かっていた。
ジェイナス=昴=アーマガルト。
三人の婚約者に囲まれて暮らしながらも、卒業までは筋目を通そうと考える程度に優等生であり、政略のために子供を作る事に眉をひそめる程度にロマンチストであった。
ならば明日香がリアリストかと言われると、そうでもない。
「大丈夫です! 子はかすがいです!」
「国同士をつなげるのは、かすがいには荷が重いんじゃないか!?」
単に彼女は、そこまで考えが及んでいないだけである。
ジェイが三人に引きずられて浴室に連れ込まれている頃、内都のカムート城謁見の間には冷泉宰相を始めとするそうそうたる面子が集まっていた。
先年まで戦をしていた隣国から隠密部隊が送り込まれた。しかも、全国から華族子女が集まる島に潜入された。
事が事だけに朝まで待てず、集まれる者だけが慌ただしく集まったのだ。
謁見の間には十三人の姿がある。皆、宮中伯クラスの者達だ。
中でも特に重苦しい空気を発しているのは、礼服の上からでも分かる鍛え上げられた体躯を誇る長身の男。片目を隠す長い髪の間から猛禽類のような鋭い目が覗いている。
その近寄りがたい雰囲気に周りの者達も遠巻きにしており、周囲に人の姿は無い。
その男は、武者大路宮中伯。冷泉が政の頂点だとすれば、こちらは武の頂点。東西南北の騎士団の更に上に立つ、内都を守る『極天騎士団』の団長その人である。
今回の件はいわば騎士団の失策。極天騎士団長である彼が責任を問われる事は無いだろうが、王国が幕府に出し抜かれたという事実に、怒りの炎を燃え上がらせていた。
冷泉はその辺りを意に介さないが、政と武のトップが下手に接近すると、勘ぐられる元だと距離を取っていた。
「国王陛下、御出座であります!」
係官がそう宣言すると、騒めきが一瞬にして静まり返った。
大きな扉を開いて謁見の間に入ってくる三人。冷泉、武者大路を始めとする宮中伯達が深々と頭を下げてそれを出迎える。
一際小さな一人が玉座に、二人が左右に侍る。
玉座に深く腰掛けるのは、まだあどけない顔立ちの子供だ。時間が時間だけに、座った途端にうとうとし始めている。
この少年こそが若くして亡くなった父の跡を継いだ、少年王アルフィルクである。
アルフィルクが、今にも舟を漕ぎ始めそうなのを指摘する者はいない。
それどころか左に控えていた騎士が、侍女に用意された毛布を恭しく掛けた。その姿はまるで子を見る親のようで、美しい容貌もあってまるで一枚の絵画のようだ。
その細身の優男の名は愛染宮中伯。王族の居住区を守る『春草騎士団』の団長だ。
春草騎士団は、その名の通り極天騎士団を始めとする他の騎士団とは別系統となる。
言うなれば王家直属の護衛なのだが、そもそも城内まで攻め込まれた事などセルツの歴史上一度も無く、城の外に出れば他の騎士団も護衛に就く。
そのため春草騎士団が直接剣を振るう事はほとんど無く、実力よりも容姿の良さが求められるお飾りの騎士団と揶揄する者もいる。
まるで騎士ではなく侍女のような姿に、苦虫を噛み潰したかのような顔になっている者も幾人かいるようだ。
その様子を一瞥し、右の女性が一歩前に出る。
彼女はバルラ太后、先代王の正妃であった女性だ。長い黒髪を結い上げ、ドレス姿だが豪華という程ではない。
エリート然としており、眉間にしわを寄せて堅物そうな雰囲気を漂わせていた。
バルラは謁見の間に集まった十三人を見渡し、小さくため息をつく。
「時間を考えれば、よく集まった方か。皆の者、よく来てくれた。大儀である」
まるで自分が女王かのような振る舞いだが、それについて何か言う者はいない。
先代王亡き後のセルツ王宮は、バルラがアルフィルクを後見するという形で、実質彼女を中心にして回っていた。彼女にはそれだけの能力があったのだ。
バルラはチラリと冷泉に視線を向ける。
「さて……状況は聞いていると思うが、皆を呼び集めている間に新しい情報が入った。まずはそれを伝えよう……冷泉!」
冷泉が前に出て、廷臣たちも真剣な面持ちで聞く態勢に入った。急な招集にも関わらず駆け付けただけあって、彼等は現状に正しく危機感を抱いている。
謁見の間には、しばし冷泉の声だけが響くのだった。
今回のタイトルの元ネタは『清須会議』ですが、歴史上の出来事そのものではなく同タイトルの映画の方をイメージしていました。