9.嘘は苦手なはずなのに(氷川くん視点)
女子を家に招待するには理由が必要なのだと最近教えられた。今まで、女子を家に呼ぶなどと考えたことはなかったため、うっかりしていた。
晏司などは勝手に来るし、男友達は学院で声をかければすむ。同じ感覚で何度か姫奈子さんに「家に来ても良い」言ってみたのだが、曖昧に笑われて一度として本気にされたことはない。
不思議に思って、「友人の話」として淡島先輩に相談してみた。淡島先輩と沼田先輩はよく家を行き来しているからだ。どうしたら二人のようにできるのかと尋ねれば、「僕らは恋人同士だからね」と笑う姿が少しだけ自慢げに見えたのは被害妄想か。
曰く、一人で異性の家に遊びに行くというのは、しつけの厳しい家でははばかられる。恋人と誤解されやすいからだという。恋人でもないのに声をかけられても、社交辞令だと思われるだけだろうとのことだった。
言われて考える。仲良くなりたいから家に誘っているのに、恋人にならないと家に呼べないとは難しい。一体どうやって仲良くなれば良いのだろう。今までは祖母のお見舞いという口実もあったが、それも失った。学院内で話しかけても、晏司や生駒の邪魔が入る。もっと二人きりで話したい。そういう時間が無ければ、仲良くなどなれないだろう。
思わず黙ってしまう俺に、淡島先輩が静かに微笑んだ。
「和親、簡単なことなんだよ。お相手のご両親も納得する理由を作れば良いんだよ。お菓子を選んでほしいとか、渡したいものがあるだとか。そしてご両親も納得する理由で招待すれば良いだけだ。和親なら断られないよ。・・・・・・ああ、友人の話だったっけ?」
そして今日は姫奈子さんが家にやってくる。
ホワイトデーのお返しを姫奈子さんに発注したのだ。
淡島先輩に相談してから、なんだか気恥ずかしくなってしまった。確かに姫奈子さんは特別だ。不用意に何度も声をかけたことで、姫奈子さんも俺の気持ちに気がついているだろうか。
いや、気がついてほしいのだが、気がついた上で来るというのなら、それは、期待して良いのだろうか?
いやいや、今日は打ち合わせで、下心はないのだ。しかし、打ち合わせを口実に呼び出しているのだから、これは。
これは嘘なのか?
自分の行動に少しだけ後ろめたさを感じる。嘘はあまり好きではない。
客間ではなくリビングに席を用意する。
来客は客間に通すのが常で、これは氷川家では珍しいことだ。晏司や淡島先輩など限られた人しかリビングには通さない。
しかし、今回は母がそうしろと言った。人目のあるところの方が、女の子は安心するからだそうで、そういう言い方をされてしまうと、人目がなければどういうことなのかと考えて、・・・・・・考えなければ良かったとため息をついた。
ドキドキとしてそわそわとして、いつもは確認したことのない生けられた花など見る。リビングに飾られた絵画などを見回して、姫奈子さんの好みに合うだろうかと不安になる。
飾られた家族写真。祖母の写真もそこにある。
小さい頃の自分の写真がとても恥ずかしく思えたが、今更隠すなどできない。周囲に不審がられるだろう。
服装はおかしくないだろうか? 彼女はどんな私服だろうか? 飲み物は抜かりないか。温度は? 湿度は?
ウロウロとリビングの中を歩き周り、窓の外を眺める。
ちょうど彼女がついたところで、車周りがバタバタとしている。ニコニコと彼女は、気さくにメイドにも話しかけている。
ああ、今手渡したのは彼女の店のお菓子だろうか。メイドが大げさに驚いて見せている。
とても機嫌が良さそうで、招待して正解だった。きっと姫奈子さんは喜んでいる。
また来たいと思われるようにしなくてはいけない。失敗はできないのだ。
姫奈子さんがリビングに通される。そこからふわりと明るくなって、室温が上がったような気がする。なぜか彼女が近づくと体の中からポカポカする。
「華子様が好きそうなお菓子を見つけたので、持ってきました。とっても美味しいの!」
先ほどメイドに渡したのは、家への手土産ではなかったのか。
だからあんなにメイドが驚いていたのだ。
「あ、華子様もいらっしゃるのね! お写真にあげても良いかしら?」
そう言って、祖母の写真の前に手土産を自分で持ってく。マナーからは外れた振る舞いが、家族のようで嬉しく思う。
ほどなくして、姫奈子さんがホワイトデーのプレゼントについて説明を始めた。
缶の見本のパンフレットをめくる指先。それを一生懸命説明する唇にみとれ、話など右から左へ抜けていく。説明に白熱して紅潮する頬。
かわいい。
綺麗にそろえられた清潔な爪。親指の第一関節に白い傷跡。
聞いて良いのか? 失礼なのか?
問われる質問に適当に相づちをする。
お返しなんて言い訳で、内容なんて何でも良い。姫奈子さんの用意する菓子が美味しくなかった試しはない。
姫奈子さんがテーブルの上にチョコレートを広げた。味見用なのだという。たくさんあって驚いた。どれも俺には同じに見える。その中から好きなものを選んで良いと言われて戸惑った。
好きなものとは難しい。正しいもの、良いものを選んできた。好きなものを選んで、間違うことが少し怖い。
「俺の好きなもの」
思わずつぶやけば、姫奈子さんは怪訝な顔をして小首をかしげる。
「嫌いでしたか?」
「いいや!! 嫌いなわけない!」
姫奈子さんを嫌いなわけがない。思わず反射で否定した。
「では、どの味が特に好きですか?」
そうだ、聞かれたのはチョコレート。気まずくなってうつむいた。ちょっと気まずい空気が流れる。
どうすれば良いのだろう。つまらないとは思われたくない。
恐る恐る彼女を見れば、何でも無いことのように笑う。
「では、氷川くんの好きなもの、チョコレートじゃなくてもいいです。好きなものを教えてください。そうしたら、それを参考に私が何個か選びます」
「好きなもの?」
「ええ、飲み物とか果物とか、花でもいいです。好きなもの。チーズケーキが好きでしたよね?」
姫奈子さんにそう問われ、少し戸惑う。
姫奈子さんが俺の選ぶものを覚えていてくれた。それがとても嬉しいのだが、選んだ理由は「好き」ではなくて「面倒だから」だとは言い出しにくかった。
食べ物が好きな彼女が聞けば軽蔑されるかもしれない。
「……ああ」
嘘は苦手なはずなのに、小さな嘘で取り繕う。今の時間を壊したくない。
「そうしたら、これはチーズケーキ味です」
きっとこのチョコレートは好きになる。
そうして、ふたりで迷いながら話し合って決めていく。そんな経験はあまりなく夢中になった。
ようやくすべてが決まったら、どうでも良かったはずのホワイトデーのお返し選びに三時間もたっていた。まるで一瞬だったのに、楽しい時間は過ぎるのが早い。
悩む時間も迷う時間も無駄だと思っていた。正解はいつでも決まっていると思っていたから、その最短を歩みたかった。だけど姫奈子さんというと、最短の道などどうでも良いような気がしてくる。
気がつけばリビングには夕日が差し込んでいた。時計を見る姫奈子さん。もうこれ以上は引き留められないだろう。来たくないと思われてしまったら意味が無いのだから。
名取惜しい気持ちに蓋をする。
「うん。姫奈子さんが言った通りだ」
「なにがです?」
「好きな人を知るのは楽しい」
俺の気持ちに気づいてほしい。
そう思いつつあえて口に出してみる。
驚いたように俺を見た姫奈子さんは、不思議そうに小首をかしげた。
その姿に迂闊だったと思い直す。
きちんと思いを伝えるべきだ。気づいてほしいなどと、男らしくないではないか。
慌てて平然を装って、唇をぐっと噛む。顔が熱いが姫奈子さんに赤く見えているだろうか。
一度、大きな瞳を瞬いて、姫奈子さんは何事もないように笑った。
その姿もかわいいな。
「そうですね、では、商品が出来上がったらお届けに上がります」
全く気がつかない様子の彼女に、ホっとしつつガッカリする。
彼女はチョコレートを片付けて、俺の家を後にした。
リビングに残されたのは、チョコレートの香りと彼女の気配。
嘘が苦手なはずなのに、積み重なる小さな嘘。
後ろめたさを抱えつつ、いつかきっとすべてを伝えるからと、それもまた言い訳だろうか。
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188.高等部一年 ホワイトデーの打ち合わせ
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の氷川くん視点です。