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8.八坂晏司とひーちゃんの話(マネージャー視点)


 八坂晏司のメイク姿を隣に座ってマジマジと観察している女の子がいる。彼女の名前は白山姫奈子。

 以前、水谷千代子との雑誌撮影で使われた飲食店のご令嬢だ。晏司の同級生である。今日も彼女の父の経営する店で、スタッフ役として協力してくれることになっていた。


 私は八坂晏司のマネージャー。晏司からは『マネくん』と呼ばれている。晏司の父親との関係で、八坂家の二人をデビュー当時から面倒を見ていた。姉のエレナは海外進出を選んだため、現在は晏司の専属マネージャーだ。


 プロ意識が高い晏司は、同級生を撮影に関わらせることはもちろん、舞台裏を見せるなどとんでもない。それなのに、彼女を度々こうやって撮影に混ぜる。

 八坂晏司に色目を使わないところが、プライドの高い水谷千代子に気に入られ、たまに指名されているのだ。撮影に協力的なのに加えて、白山系列の店が流行っているということもあり、雑誌社としても助かるというのが本音だろう。


 モブ役の彼女はメイク中の晏司の横にちょこんと座り、ちゃっかり男性ヘアメイクスタッフにメイクのアドバイスなんかを受けている。

 絶世の美男子を差し置いてスタッフと盛り上がる彼女は面白い子だ。 


「晏司くんは元がいいからパックとかで整えるのが中心ね。メイクで作りこまないようにしてるのよ」


 晏司の顔にパウダーをはたきながら、ヘアメイクが説明する。

 白山姫奈子は不躾なほど真剣な目で八坂晏司の顔を見ていた。


「それで丁寧に睫毛をあげて、今日は照明が暗そうだからハイライトすこし、あとお遊びで睫毛にグリッターしちゃう?」


 晏司の睫毛が太陽の光を集めたようにキラキラと光る。

 メイクの手技を見ながら、彼女は感嘆する。


「やっぱり八坂くんは綺麗よねぇ」


 うっとりするような声に、珍しく晏司が頬を染めた。

 幼いころからモデルとして活躍する彼は、容姿に対する賛辞くらいで顔を変えたりしないのに。


「元が悪い人はどうしたらいいんですか?」


 頬を染めた晏司をほったらかしにして、彼女はメイクさんに食いついている。


「あらぁぁ。ひーちゃんは元がいいじゃなーい。ちゃーんと肌を整えて、そうねぇ、じゃ、ちょっと目を瞑って?」


 水谷千代子が「ひーちゃん」と話題にするから、スタッフ周りで彼女は「ひーちゃん」と呼ばれている。私も同じくひーちゃんと呼ぶ。

 お姉系の話し方をするヘアメイクに言われるがままに、ひーちゃんは目をつむる。

 晏司は少しだけ嫌な顔をした。

 長い付き合いの私だけがわかる、そんな些細な表情の変化だ。プロ意識が高い晏司が、仕事相手にこういう顔を見せることは極めてまれなのだ。


「ビューラーするの?」


 晏司が問う。


「いいえ。マスカラで睫毛を下げようかと思って。下がった睫毛にグリッターで泣いてるみたいになるの、いつも笑顔の子の涙顔ってギャップがあっていいじゃない?」

「僕にやらせて?」

「ひーちゃんは瞳がグレーだからシルバーがいいかしら?」


 ヘアメイクから、晏司がマスカラを受け取る。

 晏司が彼女の顎に触れ、上を向かせマスカラでそっと睫毛を梳かす。

 壊れ物でも触れるように真剣な面持ちの晏司と、信頼しきったひーちゃんが幼い。

 その姿があまりに美しく息を飲む。周囲が一瞬無音になった。

 

 パシャリ、シャッター音が響いて、ハッと我に返る。


「できたよ、姫奈ちゃん」


 晏司の声に瞼をあげて、手鏡を覗き込む女の子。

 同じ鏡に映りこむ晏司の顔を押しやって、ムーっと顔をしかめている。


「八坂くんはおんなじ鏡に入んないで!」

「姫奈ちゃん酷い!」

「だって、私がブサイクに見えちゃうもの!」

「そんなことないよ。すっごく可愛い」


 とろけるような笑顔を見せる晏司は、カメラのシャッター音に気が付いていないのか。

 晏司はモデルとしてのイメージを損なわせたくないために、撮影時のオフショットですらオフショットのモデルを自分自身で演じてみせている節がある。高いプロ意識がそうさせる。しかし、その演技が今は削げ落ちている。

 逆に顔を作らない自然な晏司に、皆が魅せられる。



「撮影入りまーす!」


 スタッフの声に晏司が立ち上がる。

 水谷千代子の準備が終わったのだ。

 

 今日の水谷千代子と晏司の親子コーデは、今日は幼馴染の女の子親子と会食で、少しドレスアップしている設定らしい。白山系列の高級イタリアンで撮影だ。


 ひーちゃんがテーブルセッティングを手伝って、給仕役を務める。


 ガタガタと撮影隊が動き出す。撮影が始まった。




 

 ある夏の日。

 晏司が言ったのだ。


「大黒商会の仕事は今後一切受けない。今ある仕事も解消して」


 初めて仕事に関する我儘を口にした晏司の顔は今までにない厳しいものだった。

 突然のことに戸惑う事務所に彼は言った。


「事務所として無理なら、僕がやめる。違約金は全て一括で僕が払うよ」


 ゾッとするように微笑んで、彼の覚悟を思い知る。

 そして、彼がただのモデルではないことにそこにいる全てのスタッフが理解した。

 彼はモデルでなくても生きていける。

 しかし、事務所は彼がいなくては困るのだ。


 どうやら、晏司の友達のひーちゃんが嫌がらせを受けたらしい。

 ひーちゃんは以前から繰り返し話題に上り、何度か撮影でお世話になったこともある。晏司に対して純粋な友情で接する数少ない人間だ。


 嫌がらせをしている人物が同級生でもあり、モデルを務める海外ブランドの正規代理店の親会社の娘でもあったことから、穏便に済ませようと思ったのだろう。晏司はギリギリまで事務所に相談しなかった。

 しかし、晏司の我慢も限界だったのだろう。

 事務所に、企業とモデルのどちらを取るのか迫ったのだ。


 それから慌てて事務所では彼の要求をすべて飲んだ。

 八坂晏司だから事務所も動いた。一社を断る被害より、晏司を失う損失の方がはるかに大きかったのだから。

 そして、晏司がモデルを下りたことにより売り上げは激減。件の代理店は、ライセンス契約を失った。



 


 中等部に進学してからの彼は、モデルであることに少し疲れていた。それは私も気が付いていた。

 いつかモデルを辞めたいと言い出すのではないかと、愁いを帯びた横顔を見ながら心配はしていたのだ。


 伸び悩む時期ではある。子供の頃のように、ただ可愛いだけでは仕事が取れなくなってくる。八坂晏司のキッズモデルとしての評価は非常に高い。しかし、キッズモデルを脱却し始めてきた晏司の評価はまだ未知数だ。


 ベルニーニのアポロ。まるで天使。命を吹き込まれた彫刻。


 今の晏司を形容する言葉だ。たぐいまれなる美貌に、恵まれたスタイル。服を引き立てるポージングと表情に、感情的にならないプロ意識。それらはキッズモデルとしては稀有な才能で、重宝されてきた。


 しかし、晏司の演技は歌舞伎や能を見ているような感じがするのだ。悲しいと言ったら悲しいと見えるポーズを、嬉しいと言ったら嬉しいと見えるポーズをとる。

 美しすぎる弊害というのだろうか。悪いわけではないのだが、日本のティーン向け雑誌のファンが求めているのはきっと違う。美しく遠い天使ではなく、隣の彼が自分に向ける表情が見たいのだから。

 表現力の勉強としてメソッド演技法の指導も受けてはいるが、ピンと来ていないようだ。仕方がないのかもしれない。晏司はまだ年若く、基盤になる経験が少ない。しかも、子供の頃から特殊な環境に置かれ、友人関係は極めて狭い。

 特に恋の機微などは感じ取れなくても仕方がないのだ。


 それに思春期特有の迷いもある時期だ。進学を含め将来について、真剣に考える時期でもある。愁いの理由をそう思い込み、学院内でのトラブルに気が付けなかったのだ。


 そんなときに支えてくれたのが、その姫奈ちゃんだったと晏司は言った。


「姫奈ちゃんがいるから学校に行けるんだ」


 俯いて呟く晏司は、思い出し笑いでもするかのように唇が笑っていて、なんとなく幸せなのだろうな、そう思わせるものだった。

 スタッフもこの笑顔を失わせるわけにはいかないと思ったのだ。






「晏司くん、ちょっとこっちに目線ください」


 晏司がそれに答えて視線を送る。


「もう少し、……うんと、幼馴染を愛しむような表情ってできる?」


 こういったリクエストの場合、晏司と制作チームで齟齬が起こることがある。 


 美しい。でも、もう一息情緒が欲しい。惜しい、そう思ってしまうのだ。

   

 しかし今日は違った。


 晏司はひーちゃんをちらりと見てから、瞼を閉じて一息つく。

 そして、瞼をあげカメラを見た瞬間の目は色が違った。


 まるで、カメラの向こうにひーちゃんがいるような。

 手を伸ばせる近さに綻ぶ口元と、でもそこに少しの迷いを感じる瞳。子供のように素直に愛情表現していいのかと戸惑いながら、隠しきれない想いがあふれ出る。

 子供から大人に変わろうとする、微妙な幼馴染の関係性がにじみ出る。



 連写されるシャッターの音に、晏司は角度を変えて笑った。

 指先でもてあそぶスプーン。かき回されるレモンの入ったソーダが子供っぽい。


 思わず胸を押さえる。私にも、こんな時代があったんだと、記憶を引きずり出させる晏司の表情。


 ピリリと撮影隊の空気が変わったのがわかった。

 晏司が変えた。

 そして晏司にこの顔を教えたのは、あの子なのだ。




「ひーなーちゃん!」


 撮影が終わって、開口一番がこれだ。

 隣で佇む水谷千代子もあきれ顔だ。

 さっきから、秋波を送り続けている相手役の女性モデルはきっぱりと無視をして、晏司が駆け寄っていく。


「ねぇねぇ、ここのメニュー見せてくれない?」


 晏司の問いに満面の笑みで答えるひーちゃん。


「おススメってどれかな?」

「本場を知ってる八坂くんのお口に合うと良いんですけど」

「今度一緒にランチに来たいな」

「いいですよ。みんなを誘ってみますね!」


 晏司の誘いを華麗にスルーする女の子の様子に機材を片付けるスタッフが小さく吹いた。

 カメラマンは二人の様子を懸命に収めている。

 撮らずにはいられないのだろう。仕事では見せない晏司の姿が眩しいのだ。


「晏司くん、映画は興味ないんですかね」


 雑誌の担当に問われる。


「どうでしょう?」

「良いと思うんですよねー。見たいですよね。最近の彼、一皮むけたっていうか、いいですよね。前はお人形さんみたいだったのに、こう、雰囲気出てきたっていうか。内面の表現力が付いたっていうか。高校生になって大人の色気なんですかね」


 瞳の奥をハートにして見つめる担当の気持ちもわかる。大画面で動く晏司を私も見たいと思う。

 晏司は周りの声など聞こえないようで、ひーちゃんとのしばしの休息を楽しんでいる。


「そーじゃなくて! 二人でご飯行こうよ!」

「嫌ですよ、週刊誌にでも撮られたら面倒なことになりますもん」


 ウンザリしたような顔で即答するひーちゃんに、こらえきれずにカメラマンが笑う。


「マネージャーさんも言ってやってください! モデルはイメージが大切ですよって! モデルの自覚持ってくださいって!」


 言われるまでもなく晏司はわかり切っているとは思うのだが。


「そんなこと言って、知らないよ?」


 そっけないひーちゃんに、晏司が反撃態勢に入ったのがわかる。

 彼女はキョトンとした顔で晏司を見た。


 スゥと目を細めて、そっと彼女の耳元に唇を寄せる。

 何を言ったのか聞こえないが、ひーちゃんはバッと顔を真っ赤にして、飛びのくようにして晏司から距離を取った。

 そして指でバリアを作り晏司に向ける。


「悪魔! 悪魔だわ!! 『晏司くん』モデル、私の前では禁止! これ以上近寄らないで!!」


 彼女の様子に水谷千代子も晏司もお腹を抱えて笑い出した。


「もー! そうやって意地悪! マネージャーさん、この人何とかしてください!」

 

 プンプンと怒る彼女を見て微笑む。


「いつも晏司がご迷惑をおかけしてすみません。今度お詫びに食事でもご馳走しますね」


 言えば晏司が血相を変えて抗議する。


「マネくん、ちょーっとズルいんじゃない?」

「もちろん、晏司も一緒にね。ひーちゃんも二人じゃなきゃいいんでしょう?」


 二人は顔を見合わせて、笑って頷いた。


 うん。可愛いな?


 カメラマンがやってきて、撮った写真を二人に見せる。


「わー! 姫奈ちゃん可愛いね! 印刷してもらえます?」

「もちろん。フォトブックにして渡すよ」


 カメラマンが請け負えば、ひーちゃんが慌てる。


「私のは消してくださいね?」

「駄目だよ、演技の練習に使うから」

「演技の練習?」


 晏司の言葉に真面目な顔をして聞き返すひーちゃん。


「そう、演技の方法でね、自分の過去の経験を思い出して演技に活かす方法があるんだよ。僕はまだ若いからいろいろ経験不足でしょ? だから、こういうの資料として反芻したいんだよね」

「反芻?」

「うん、これなんかさ、どう?」

「すっごく楽しそうですね」

「そうそう、このすっごく楽しい顔してるイメージを忘れないようにってこと……ダメ? 姫奈ちゃんが嫌なら消してもらうけど」


 ションボリと子犬のような潤んだ瞳を晏司から向けられて、ひーちゃんは小さく笑う。


「それなら仕方がないですね。良いお仕事してください。みんなの王子様」


 ひーちゃんが悪戯っぽく笑って、晏司がキュンと胸を高鳴らせたのがわかった。


「今……、今を取りたかった……」


 カメラマンががっくりと肩を落として、晏司とひーちゃんが笑う。


「大丈夫、今の気持ちは忘れないから」


 晏司が穏やかに笑うから、私はそっと瞼を押さえた。





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