7.彰仁の姉の話
「つーなー!! ひーなーこー!! どーこー!!」
初等部から帰って着替えを済ませたら、まずは二人を探すのが俺の日課だ。
近所の小学校に通う綱と、女学園に通う姫奈子は俺より早く家に帰ってくることが多い。
そして、姫奈子は制服から着替える前に綱に会いに行ってしまうのだ。毎回毎回、怒られるのにそれでも直そうとしない我儘な姫奈子はズルいやつだ。
そう。姫奈子はいつだってズルい。俺よりいつも贔屓される。
習い事だってバイオリンよりピアノが良かった。だけど「姫奈子もやっているから」ってバイオリンに決められた。
二人でわけなさいって何かをもらう時だって、受け取るのは姫奈子の方だ。姉だからという、先に生まれたからってだけで、なんでも姫奈子が一番だ。
今も一番に綱に会う。
ズルい。
「つーなー!! ひーなーこー!! どーこー!!」
もう一度声を張り上げる。
二人が目配せしながら現れる。きっと二人で遊んでた。それを俺には秘密なんだ。
ズルい!!
「綱、宿題やろう!」
俺は綱の手を引いた。綱は優しく微笑んだ。姫奈子はムッと顔をしかめる。
「姫奈子は先に着替えろよな!」
綱を独り占めするべく姫奈子を突き放す。
「彰仁、ズルい!」
「ズルくない! 着替えてない姫奈子が悪い」
俺は綱の手を引いてダイニングへ引っ張っていく。ダイニングテーブルは俺たちの勉強机だ。ダイニングでは時間が許す限りお母様が俺たちの宿題を見てくれる。テーブルのお誕生席にはお母様。お母様の対角に綱と二人向かい合って宿題を片付ける。
姫奈子も着替えてやってきて、当然のように綱の隣にノートを広げた。いつもは俺の隣だったくせに。
「ズルいぞ! 姫奈子! 綱の隣なんて!」
思わず抗議をすれば、姫奈子はフフンと笑った。
「だって空いてたもん!」
「姫奈子は俺の隣だろ!」
「別に決まってないでしょ!」
「姫奈子ばっかりズルい、俺だって綱の隣がいい!」
「だーめ! 綱は私の! 私が一番に見つけたんだもん! お父様が私のために生駒に頼んでくれたんだもん!」
綱の腕を取りアカンベーをする姫奈子と、困ったようにオロオロする綱。そのくせ、ちょっと嬉しそうで、悔しくて悔しくて仕方がない。
するとお母様が溜息をつきながら立ち上がった。
「二人とも、綱くんを困らせたらダメよ。綱くん、姫奈子と席を交換してくれる? そして、彰仁はこっち」
お母様は綱の隣の席を引いた。姫奈子、綱、俺の順で横並びになる。
確かにこれなら俺も綱の隣だ。
「うん!」
大満足で隣に座れば、お母様は俺の正面に席を移動させ呆れたように小さく呟いた。
「まったくあっくんはねーねーがとられるのが嫌なのかしら?」
「そんなんじゃない! 兄弟なら姫奈子じゃなくて綱が良かった!」
そうふくれっ面すればお母様はおかしそうに笑った。
・・・
高等部一年になった春。俺、白山彰仁は少し疲れていた。新学期は何かと面倒なことが多いものだ。
芙蓉会であることから、クラス委員を任されて職員室にプリントをまとめて届けに来たところだ。そのせいか、ふと子供の頃の嫌なことを思い出した。
「失礼します」
ドアを開けて担任の席を見れば、職員室の中に姫奈子がいた。
「ゲ」
思わず呟けば、耳ざとく姫奈子が振り返る。
俺を見つけて満面の笑みで名前を呼んで駆け寄ってくる。
「あ、彰仁!」
先生たちの目が集まって恥ずかしい。
思わずシッシと手で払う。こっちへ来るなというジェスチャーだが、姫奈子は完全に無視をする。
「なにしてんだよ。呼び出しか?」
「まっさか、お姉さまはねベストですのよ? 執行部のお仕事です」
姫奈子はそう言ってこれ見よがしに制服のジャケットを開け、中の派手なベストを見せつける。
派手なベストは生徒会執行部の証。選ばれたものしか着ることができないものだ。
「バナナ姫の弟か?」
「そうなんです。弟の彰仁です。良い子なので、よろしくお願いします」
姫奈子は、姉ぶった顔で生活指導の先生に頭を下げる。
頭が痛い。
「確かに彰仁くんはよくやってくれてるよ」
「自慢の弟なんです!」
先生の言葉に、満足げに笑う姫奈子。面映ゆいからやめてくれ。職員室でなければ抗議の一つもしたが、この状況では何も言えない。
俺は失礼しますと先生に頭を下げて、自分の担任を目指す。
職員室でバナナと定着している俺の姉、白山姫奈子はこの学院のトラブルメーカーだ。
そのせいで俺は入学当初から「白山姫奈子の弟」として注目されがちなのである。これが最近の疲れの原因だ。
姉弟ではあるが、俺はいたって平均的で一般的で模範的で常識的なのに、同一視されるのは迷惑である。
しかし、訴えたところでしかたがない。俺は毎回曖昧に笑ってやり過ごす。
「彰仁はバナナ姫によく似て優秀だからね」
担任に言われて肩をすくめる。お世辞にしたら酷すぎる。
「姉と俺が似てますか?」
思わず尋ねれば、周りがフフと小さく笑った。
どういう意味だ!!
疲れ切った教室で、日誌を書く。
今日は珍しく修吾が来ていて、俺が日誌を書き終わるのを向かいの席から眺めている。
「もー、職員室疲れる」
思わず修吾に愚痴る。
「どうした?」
「たまたま姫奈子がいた。それで先生たちにまで絡まれた」
「ああ、姫奈子先輩人気者だからね」
修吾が少し曇った顔で笑う。疲れているのだろうか。今日は一日つまらなそうだった。ツアーの合間に学院にくる、修吾はマジですごい奴だ。
「人気者ぉ? あれが?」
「彰仁だけだよ、そんなこと言ってるの」
修吾が言えば周りに男どもが集まってきた。
「そーだ、そーだ、美神四天王の一人じゃん」
クラスメイトの一人がそう言って思わず噴き出す。
「なんか強そうだな。姫奈子、『しかし四天王のうち最弱』とかいわれてそー。ヌンチャク振り回すイメージか?」
「バカにするなよ? 美麗の浅間先輩、知性の葛城先輩、癒しの沼田先輩、バナナの姫先輩」
「やっぱ落ちか」
ゲラゲラ笑ってみせる。
なんだか素直に話が聞けない。だって、俺の方が姫奈子を知ってる。他人から教わるまでもないのだ。それなのに先生も友達も、自分の方が知ってるとばかりに俺に報告してくるのがちょっとイラつく。
「なー実際、姫先輩ってうちでどうなの?」
「姫奈子が姫とか信じらんねー」
「私服とかどんな感じ? 大人っぽい? 可愛い系?」
「フツーだよ、フツー」
「普通ってなんだよ。じゃあさ、パンツ系、スカート系?」
「ああ? スカートが多いけど。そんなの知ってどうす」
「やーっぱ、スカートか! らしいよなー! いいよなー!」
俺の言葉を遮り盛り上がるクラスメイト。俺はそれを聞きながら鼻白む。修吾もきっと呆れている。さっきから言葉を発せず聞いているだけだ。
まったく、姫奈子の何が良いんだか。
あんなのガサツで無神経なただの食いしん坊だ。浅間先輩たちと一緒にされては失礼に当たる。
「なー、今日、帰り彰仁んち行っていい?」
「はぁ? 良いけど姫奈子はいないかもしれないぞ」
「なんで?」
「執行部の仕事で職員室来てたから」
「ベストだもんなぁ」
うっとりと妄想するクラスメイトに思わず肩をすくめれば、つまらなそうな修吾と目が合った。
な? やっぱ修吾にはわかるだろ? 姫奈子なんて見たっておもしろくもなんともない。
「なー、彰仁、姫先輩って、氷川先輩と八坂先輩のどっちと付き合ってんの?」
「なにいってんだ。あんなガサツ女、芙蓉のツートップに相手されるわけないだろ?」
「でも、仲良さげだよな」
「八坂先輩の校内マネージャーってだけ」
日誌を書きながら適当に答える。
「でも、八坂先輩のマネージャーなんてちょっと心配」
修吾が口を開いたから顔をあげた。クラスでは珍しい温度の低い声だ。
クラスメイトも修吾を見る。
「俺もスポンサーになってもらってるからわかるけど、姫奈子先輩って、面倒見が良すぎなんだよね。いろいろ背負って疲れちゃわないかなって」
修吾はニコリと笑った。
その笑顔はいつもの修吾で、ホッと息をつく。自分だって忙しいのに姫奈子の心配までしてくれる。やっぱり修吾はスゲーやつ。
「修吾は優しいよな。姫奈子はゴ……タフだから心配ない」
思わずゴリラと言いそうになって口をつぐむ。島津家兄弟の前でゴリラは禁句だ。
以前、光毅さんの前で思わず口を滑らせて、光毅さんからやんわり叱られたのだ。
「やーっぱ、姫先輩最高じゃん! 高校生でスポンサーとか、マネージャーとか、そういうのしながらベストだぜ?」
「あーはいはい、勝手に夢見てろ、本人知ればがっかりするだけだ」
パタンと日誌を閉じる。
「なー、マジで行っていい?」
「だから、いなくてもいいなら別にいいよ」
そういうことで家へ連れて行くことになった。
・・・
クラスメイトをつれて家へ帰る。
やっぱり姫奈子は帰ってなくてホッとする。
ゲームルームでゲームして、しばらくたって解散となる。
丁度クラスメイトをつれて庭に出れば、姫奈子が綱と帰ってきたところだった。
「あ! 修吾くん来てたのね!」
目ざとく修吾を見つけて駆け寄る姫奈子。
「忙しいのに学院にも来てるの? 凄いわ!」
「はい、姫奈子先輩に会いたくて。でも学年が違うと会えないものですね」
外向きの笑顔で修吾が笑う。今日はなんだか笑顔が硬い。
「調子はどう?」
「最近ちょっと元気がなくて、姫奈子先輩、力をわけてくれませんか?」
「お安い御用だわ!」
修吾が右手を差し出せば、姫奈子は元気に頷いて両手でその手を包み込んだ。
そして、うんうんと念を送る。
たったそれだけで、曇った修吾の顔が晴れていく。みるみる元気になっていく。
「修吾、姫先輩と仲いいんだ」
うらやむようなクラスメイトの声に、修吾がはにかんで笑う。
照れたような、嬉しそうな、それでいてちょっと勝ち誇ったような修吾に気が付いて目を逸らした。
薄々は気づいてる。きっと修吾にとって姫奈子は少し特別な女の子だ。それでもまだ認めたくない。
姫奈子はズルい。修吾を見つけたのは俺の方が先なのに。
子供の頃を思い出す。姫奈子ばっかりズルいのだ。
「どうしました?」
綱に声をかけられてハッとして顔をあげる。
綱が俺の頭に手をのせ、軽く撫でる。
そこから温かい何かが満ちてくる。
クラスメイトが羨望の目で見るのがわかる。綱は下級生男子から憧れの先輩だからだ。
やっぱり、兄弟なら姫奈子じゃなくて綱が良かった。
「べっつに?」
「そうですか?」
綱とのやり取りを姫奈子が目ざとく見つけて、眉をピクリと動かすのがわかる。綱が俺をかまうのが許せないのはいつものことだ。
嫉妬を自分に向けられて満足するなんておかしいだろうか。
姫奈子に対するモヤモヤが嘘のように消えていく。
「綱先輩! 昨日の続きやろうぜ!」
言えば、綱が笑って頷く。
姫奈子が悔しそうに俺を睨んだ。
俺は優越感に浸った顔で、姫奈子をフフンと笑い飛ばした。
「彰仁!!」
修吾の張りのある声。
「今日は家に呼んでくれてありがとう!」
満面の笑みの修吾。
今日の最後にそれが見れたから良かったかなと思う。
クラスメイトも口々にお礼を言って笑顔で手を振った。
満足げな友人たちを送り出し、ちょっとだけ、ちょっとだけ、思う。
姫奈子が姉でも良かったかもしれないな。