6.うーちゃんとひなちゃんの話
「詩歌、早くおいでなさい!」
キリリとしたおばあ様の声が飛ぶ。今日は、氷川の大奥様、華子様の病室へお見舞いの日だ。
毎月3日はとあるマダム向け雑誌の発売日で、この日は姫奈ちゃんが華子様の病室へ雑誌を届けに来るのだ。水谷千代子と八坂くんの親子デートコーデが目玉の雑誌である。
「毎月ひーちゃんが持ってくるの。なんなら蝶子にも見せてあげてもいいわよ」
華子様がツンと言えば。
「仕方がないから行ってあげるわ」
と祖母が答えた。
大奥様も祖母ももちろん自分で買えるのに、まるで気が付かないふりをして、病室女子会を楽しむ言い訳にしているのだ。
なんて、可愛い二人なの。
そう思って笑ってしまう。厳しい祖母を可愛いだなんて思う日が来るとは思わなかった。
これも姫奈ちゃんのおかげだ。
誰もが恐れる財界の華と蝶。
二人の不仲は有名で、誰もがそれを遠巻きに見ていた。誰だって彼女たちの逆鱗に触れたくはないのだ。実の娘、息子でさえ。
しかし、氷川くんのお姉さま和佳子さまと、私の名前詩歌が少し似ているのは、二人の仲が良かった頃の名残なのだ。私の五歳の七五三写真など、まるで氷川くんがお内裏様で私がお雛様のように二人で並んで撮ってある。
孫にそんなことをさせるほど仲の良かった二人なのに、ある日を境に決別した。そして、その理由を頑なに彼女たちは話さなかった。
それなのに姫奈ちゃんが言った。
「うーちゃんのおばあ様に氷川くんのおばあ様と会っていただきたいの」
「でも、祖母は断ると思うわ」
「だからね、氷川くんのおばあ様に会うことは秘密にして欲しいの」
まるで悪戯でもしかけるように姫奈ちゃんが笑って、ちょっとビックリした。二人を強引に合わせでもしたら、どんな嵐が起るかわからない。笑い事ではすまないと心配すれば、姫奈ちゃんは悪く笑う。
「私は切り札を持ってるのよ!」
こういう姫奈ちゃんのドヤ顔が好き。
可愛いなって思ってしまう。失敗してもいいから、応援したいと思ってしまう。きっと私が断ったら、姫奈ちゃんは一人でやってしまうだろう。私がいれば少しはフォローできるかもしれない。
姫奈ちゃんと一緒だったら、おばあ様に怒られるのも怖くない。そう思ってしまった。
そうやって、姫奈ちゃんの経営する白山茶房に祖母を無理やり連れ込んで、氷川の大奥様に対面させれば、本当に二人は仲直りしてしまったのだ。
最近こまめに病室へ向かう祖母を見て思う。どちらかが亡くなる前に、仲直りができて良かったと。
きっとずっと二人は仲直りしたかったに違いない。ただ高いプライドと強情な性格が邪魔をして素直になれなかっただけなのだ。
病室に入りいそいそと花を生ける祖母。お気に入りの花器まで家から持ってきて、また来る気が満々だ。
広い病室のソファーには、姫奈ちゃんの用意したスイーツと雑誌。私は姫奈ちゃんの隣に座る。華子様の隣は祖母と決まっているから。
祖母が華子様の隣に座れば、姫奈ちゃんが雑誌を広げる。キャーキャーとはしゃぐ二人に、私たちは顔を見合わせて笑う。
「やっぱり水谷千代子は何を着ても綺麗ねぇ」
「晏司くんもだんだん大人っぽくなって」
「ねぇ気が付いたんだけど、晏司くんのおばあ様って、実質、水谷千代子の母みたいなものじゃない?」
「やだ、華子、それいいわ! やっぱり目の付け所が違うわ! あなた」
二人で女学生のようにもり上がる。
「蝶子は良いじゃない、詩歌ちゃんがいるのだし」
「晏司くんと詩歌? あら、案外良いかしら?」
「いいじゃない。ウチは男しか残ってないし」
「でも、晏司くんはそもそも華子の孫みたいなものじゃない」
「まぁ、そうね? だったら私、すでに水谷千代子の母ってこと?」
そんなことを言い、二人はカラカラと笑う。
恐ろしい会話だから聞こえないふりをして、姫奈ちゃんの持ってきたスイーツに視線を送る。
二人のノリだけで将来が決まりそうなのは今に始まったことではない。
以前は疑問にも思わなかったけれど、勝手に決められるのはちょっと嫌。最近はそう思えるようになった。
「今日のスイーツはなあに?」
「今日のは特別! 話題の香港カフェのお持ち帰りなの。初めて見た時、うーちゃんみたいって思ったのよ。だから今日は絶対コレって決めてたの!」
待ってましたとばかりに笑顔になる姫奈ちゃん。
瓶に入った杏仁豆腐に、桃の花びらの入ったジュレがピンクでとても可愛らしい。
こんなかわいいスイーツを見て、私を思い出してくれるなんて嬉しい。そして、そういうことを当たり前に言えてしまうところが人タラシなのだ。私だったら、「つまらないものですが」と無難に言ってしまうから。
間違えない方法は知っている。マナーは叩き込まれてきた。でも、それが最適だとは限らない。姫奈ちゃんを見ていると気付かされる。
好きなものを好きと言える。自分の好きを堂々と紹介する姫奈ちゃんを見て、私もそうなれたらと思う。私の好きな花の話、姫奈ちゃんに話してもいいかしら?
姫奈ちゃんが知らない世界を教えてくれる。新しいドアがまた一つ開く。
蕩けるジュレと杏仁豆腐をすくってみる。杏仁の香りと桃のジュレが混ざって、喉を幸せで満たしていく。
「美味しいわ!」
「ね? 美味しいでしょ?」
姫奈ちゃんがドヤ顔で笑って、私も笑う。
「特に桃のジュレが素敵ね。私、桃の花って好きなの」
「知らなかったわ! どこが好き?」
「色んな種類があってね……」
私が桃花の話をすれば姫奈ちゃんは興味津々で聞いてくれる。そのことに安心して、胸が弾んだ。
私たちは私たちで、祖母たちは祖母たちで思い思いに時を過ごす。病室が病室でなくなる瞬間、祖母も私も浅間ではなくただの女の子だ。
・・・
姫奈ちゃんを初めて見たのは、初等部の終わり。氷川くんが初めて主催する子供だけのひな祭りパーティーの席だった。
おばあ様にはきつく言い聞かされてきた。
― 詩歌、間違っても今日だけは粗相はなりません。浅間家の娘として恥ずかしくないように。氷川に弱みなどもってのほかです ―
浅間家の娘として、祖母が言うのは理解している。私の家は華道の家元で、人目にさらされることが多い。祖母や母は師として間違いのないことを求められる。私もいずれそうならなければならないと自覚してはいるけれど、今日は初めての子どもだけのパーティーなのだ。上手くやれる自信などない。
それなのに、祖母は完璧を求めた。突然仲の悪くなってしまった氷川の大奥様と私の祖母。そのせいか、氷川くんに張り合うようなことを言う。
息苦しいわ。
着物のせいかもしれない。子供だけのこの席で、着物姿は私一人。みんな、着物が似合うと言ってくれるけれど、私はドレスが着てみたかった。
でも、祖母が選ぶものはいつだって正しい。相手と場所と季節をわきまえた、完璧な着物だ。それより自分好みのドレスを着る理由など私には説明できない。
春というにはまだ早く、冬というには遅すぎる少し寂し気なガーデンを、花のごとく彩る女の子たち。
桃色、紅梅、海棠色、若菜、白緑、菫色。まるで春霞のかかる里山のようなドレスの風景に、ふわりと紋黄蝶が舞い降りた。
あ、菜の花色。そう言えば、黄色が春を連れてくるっておばあ様が言ってたわ。
よくよく見ればドレスの裾はレモンの輪切りで、橘の代わりなのだろう。氷川家のパーティーでこんな自由な格好は、浅間の家では許されない。きちんと橘で誂えろ、そう叱られるだろう。
誰かしら。
自分の記憶を探ってみる。同じくらいの家柄の女の子は知っているつもりだった。幼いころから習っている、お茶やお花、日舞などの習い事で、何かと顔を合わせるものだから。
だけど、彼女の顔は見たことがない。
― 知らない人は信用してはいけません。馴染みのない方だけには粗相はなりませんよ。何が起こるかわかりませんからね ―
祖母の注意を思い出だす。彼女への失敗だけは許されない。近づくのはやめておこう、そう思う。
「浅間さん、話しかけた方がいいんじゃない?」
そこへ一人の女の子が言い出した。
「あの方、お一人で可哀そうよ」
そう思うのなら自分で話しかければいいのに。
「でも、私、まったく存じ上げなくて……」
「ここにいる皆さんそうよ。こんな時、浅間さんに声をかけていただけたら嬉しいんじゃないかしら?」
「そうよ、女子の代表として」
女子の代表になった覚えはない。ただ芙蓉会にいるだけでそういう役回りは多い。
言っていることは理解できる。祖母にも母にも言われてきた。パーティーの席で壁の花を作らないように、浅間家としてあなたが周りに目を配りなさいと。
でも、知らない人は怖いのでしょう? 信用してはいけないのでしょう?
信用はせずに、表向きは親切に振る舞え、そういうことだわかっている。でも、そうは言っても知らない子なのだ。
ため息を押し殺し、曖昧に笑う。
どうやって話のきっかけを掴んだらいいのだろう。相手が着物を着ていれば着物の話でも、花の席で一緒なら花の話でもできる。でも、今日はどちらでもない。彼女の習い事も、来歴も、名前すら知らないのだ。
「ほら、行かれてしまうわ」
トンと押されてふら付いて、噂の彼女の背中に当たる。バシャリと水の零れる音。
振り向けば噂の彼女の顔にはジュースがかかり、菜の花色は無残に汚された。
ヒュっと心臓が縮こまる。
やってしまった。
あれだけ、粗相をするなと言われてきたのに。何が起こるかわからないと、あの祖母が言ったのに。
どんな罵倒が待っているのか。それとも泣かせてしまうだろうか。大事なパーティーの序盤で、こんなひどい目に会ったら悪意を疑われても仕方がない。
大失態だ。浅間として許されない。
「すみません。大丈夫ですか?」
慌てて謝罪し、出来る限りのことを尽くす。彼女は一瞬呆然として、大丈夫ですと答え、帰るつもりだと言った。
今帰るだなんて、優しい嘘だ。私のために言ってくれるの?
慌てて彼女を押しとどめ、持っていた着物を着てもらうことにした。その中で聞いてみれば、彼女、白山姫奈子は桜庭女子から中等部に入学してくるのだという。
この子が噂の子だったのね。お嬢様学校筆頭の桜庭から氷川くんか八坂くんへの玉の輿狙いで転入してくるという噂の子。私と氷川くんの仲を誤解したクラスメイトが、「気を付けて」と忠告してくれた。そもそも、私と氷川くんはそんな仲ではないし、気を付けるも何もないのだけれど。
でも、そんな風には見えない。あいさつの後は食べ物に一直線で、氷川くんにも八坂くんにも興味はなさそうだった。
多分、桜庭に対するやっかみが少し混ざった噂なのだろう。桜庭女学園は、女子校らしい清楚なワンピースの制服で芙蓉の女の子も憧れるのだ。口さがない人たちが、彼女にするなら芙蓉でも結婚するなら桜庭、なんて言うので、やっかんでしまう気持ちもわかる。
着物を着つけられながら、表情が明るくなっていく彼女にホッとする。着ることがないのだと戸惑いながらも、口の端は上がりキラキラと目が光る。
私の着物が、彼女の顔を明るくする。彼女がどんどん綺麗になる。着物も着てみたかったのだという彼女の言葉で、着物姿もまんざらではないと思えた。
ドレスは当然似合うけれど、着物もとっても似合っている。
リーダー格を押し付けようとする誰かより、背中を押した誰かより、私の粗相を許してくれたこの子と仲良くなりたいな。
知らない子は怖いって本当なのかしら? おばあ様はいつも正しいけれど、おばあ様の知らないことだって、本当はあるのでは?
私の知らない世界が彼女の向こうに見える。
こんな風に思ったのは初めてかもしれない。
目の前に一つドアが見えた気がした。
そのドアを開くよう、らしくもなく彼女に手を伸ばしてみる。
彼女はオズオズと、私の手を取った。
ドアが開く。
仲良くなりたい希望をのせ、あえて名前を呼んでみれば、驚いたように瞬く大きな瞳は綺麗なグレー。まだ少し硬い笑顔が返されて、それには拒絶を感じなかった。
やっぱり黄色が春を連れてくるのね。
新しい春が始まった。
・・・
「九島くんの話、聞いたわよ」
明香ちゃんが冷やかすように言った。明香ちゃんと紫ちゃん、姫奈ちゃんと私でちょっとした芙蓉会のカフェでお茶会である。
姫奈ちゃんは、ギクリと顔を青くして窺うように明香ちゃんを見た。
「……え? どういう話になってるか聞いていい?」
「遠泳で九島くんが告白したけど、白山さんが振ったらしいって」
何でもない事のように明香ちゃんが言えば、姫奈ちゃんが困ったような顔をする。
「それって、彼女さんは……」
「知ってるわよ? それを見て告白したって言ってたわ」
「……な! なんですって! 彼女さんにバレないようにって……私の心労はいったい……」
「傷心につけこんじゃった、って」
「そんなテクニックあるの!? なんなのよ! ずーるーいー!!」
姫奈ちゃんがジタバタしている。
「それで、あの日、変だったのね?」
遠泳大会の翌朝のゴミ拾い、姫奈ちゃんと九島くんが何だかギクシャクしていたのだ。
「あ、うん。二人の仲に水差したくなかったし、彼女さんも知ったら気分悪いだろうし……でも、なに? 全部杞憂だったわけ? バカバカしい! 勝手に幸せになりなさいよ!」
姫奈ちゃんはプンスコ怒っている。明香ちゃんはおかしそうに笑って、紫ちゃんは困ったように笑った。
「彼女さんが、感謝してるって言ってたわよ」
「……えー……。なんだか良くわからないけど……まぁいいわ。九島くんと付き合う気はなかったから」
「彼氏欲しいんじゃなかったの? もしかしたらって彼女さんハラハラしてたみたいよ?」
明香ちゃんが意地悪に聞いて、ウっと姫奈ちゃんが言葉を詰まらせる。
「まぁ、……欲しいし欲しかったけど……」
「誰でもいいわけじゃ……ないです」
「さすが、ゆかちゃん! そう、それよ! そういうことよ!」
紫ちゃんが代弁するように答えて、姫奈ちゃんがキラキラした目で紫ちゃんを見た。
「今頃気が付いたの?」
明香ちゃんが笑って突っ込めば、姫奈ちゃんはむくれる。
「さやちゃんだって誰でもよさげなこと言ってたくせに。選挙終わってから決めるとか、大学で結婚するとか、相手無視もいいところじゃない!!」
「あら、いやね。私は誰でもいいわけじゃないのよ。戦友が欲しいの」
姫奈ちゃんの前では明香ちゃんでさえ口が軽くなってしまっている。自分のことはあまり話さない明香ちゃんが、恋愛観を語るなんて本当に珍しいのだ。
「……戦友……。どこの戦に行く気なのよー!」
「恋愛は戦いです」
姫奈ちゃんの突っ込みに、紫ちゃんが斜め上から答えて、明香ちゃんが笑って、私も笑う。
「うーちゃん! 笑ってないで! この二人の戦を止めて!!」
姫奈ちゃんに、うーちゃんと呼ばれるたび、くすぐったい気持ちになる。
― 初等部に入るにあたってこれからは愛称は止めましょう ―
そんな教えに従って、みんな苗字か名前にさんをつける呼び方になるのだけれど、姫奈ちゃんが現れて変わった。
綱、綱と幼馴染を中等部でも愛称で呼び、姫奈と呼ばれる。それがとっても特別で、見ていれば愛称で呼びたくなってしまう。
気がつけば、明香さんもさやちゃんで、あまり話したことのなかった紫さんでさえゆかちゃんだ。
姫奈ちゃんに手を引かれて、また違う扉を潜ったみたい。なんだか不思議。
「二人が戦士なら、姫奈ちゃんはキューピッドよね」
私が言えば、紫ちゃんも明香ちゃんもコクリと頷いた。
「私がキューピッド?」
「九島くんと彼女もなんだかんだ幸せそうよね」
「風雅くんと姉も仲いいです」
明香ちゃんと紫ちゃんの答えに、姫奈ちゃんがまんざらでもない顔をする。
「そう、そうなのよ。私、実はね? 桜庭の子と芙蓉の子、何人かくっつけてるのよ? すごいでしょ?」
大きな声でフフンとのけ反る姫奈ちゃん。
その音量はいけないわ。ほらそこにきっと来る。
油断をすると姫奈ちゃんの頭には八坂くんが乗っかりやすい。そうすればほら、もれなく生駒くんと氷川くんも集まってきた。
「聞いたよ。合コンしたんだってね」
ニコニコ笑っているけれど、八坂くんの声は低くて、女の子みんなで顔を見合わせ苦笑いだ。八坂くんの不機嫌顔は怖くてきれいなのだ。見ている分には目の保養、明香ちゃんはそう笑う。
「合コンじゃないです! 進学カンファ!」
姫奈ちゃんが思いっきり否定する。
「し、進学カンファとは……芙蓉に進学しないのか」
「そういう名目の合コンですよ」
氷川くんが問えば、生駒くんが面倒くさそうに答える。
「ご、合コン!?」
「だから、進学カンファですって!」
氷川くんが驚いたように目を剥いた。姫奈ちゃんが慌てて訂正する。
「でも、知らない方は怖くない?」
紫ちゃんが心配そうに尋ねる。私もすこし怖いと思う。
「でも、桜庭の子は私知ってる子だし、男の子は芙蓉だったから知らないわけじゃないわ」
「その前に花桐ともしたって聞いたけど?」
八坂くんがフフフと笑う。
「花桐!?」
氷川くんがさらに驚く。
でもそれって聞き捨てならない。だって私も聞いてない。
「そんなの本当に怖くないの?」
思わず姫奈ちゃんに尋ねてしまう。
姫奈ちゃんはキョトンと私を見た。
「確かにちょっと嫌なこともあったけど、知らない人と話すといろいろ勉強になるわよ? 新しいことをしてみてわかることもあるし。プラマイでいえばプラスだったかしら? それで今、男子のカフェメニュー勉強してるの。あと確信したのよ!! 桜庭の方がモテるわ! 絶対そう!!」
姫奈ちゃんが力説する。
知らない人と話すと勉強になる。嫌なことがあってもプラスがあればそれでいい。そうか、そういう見方もある。もう一つドアが開く。
「桜庭だからモテるわけではないと思いますよ」
ボソリ、生駒くんが毒を吐けば、姫奈ちゃんは唇を尖らせる。
「いーもん! わかってるもん! 私はどうせ桜庭でもモテませんー」
姫奈ちゃんが拗ねれば生駒くんがため息をついて、八坂くんが笑って、氷川くんは「そんなことないぞ」とフォローする。
姫奈ちゃん全然わかってないわ。生駒くんは、芙蓉でも十分人気のあなたのことを心配してるのだと思うけど。
「今度は僕も呼んでよー」
「事務所に怒られますよ! それに八坂くんが来たら八坂くんの独り勝ちでしょ? 男子が可哀そうです」
「やっぱりただの合コンじゃん」
八坂くんの突っ込みに言葉を失う姫奈ちゃん。ため息をつきながら生駒くんが、姫奈ちゃんの頭の上の八坂くんを引き剥がす。
「生駒は行ったんでしょ? ずーるーいー」
「ズルくないですよ。面倒くさいです」
「僕もしてみたい、姫奈ちゃんと青春してみたいー、モデルだからできないとか可哀そうだと思わない?」
八坂くんは嘘泣きでシクシクしてみせ、姫奈ちゃんが呆れたようにため息をついた。
そして姫奈ちゃんはおもむろに立ち上がると、椅子をがたがたと運び出し、私と紫ちゃんの間と、紫ちゃんと明香ちゃんの間にに新しい椅子を無理やり詰め込む。生駒くんはちゃっかりと手伝うふりで自分の椅子を姫奈ちゃんと空白の席の間につけた。
「はい、空いてる席に座ってください。今から合コンを始めます!」
学級委員長のように宣言する姫奈ちゃん。
二人は黙って空いてる席に座る。八坂くんはグッタリと机に体を投げ出した。
「これ絶対違うでしょ? これじゃいつも通りじゃない?」
その言葉にみんなで笑う。
いつも通りだけど、姫奈ちゃんと出会う前とは絶対に違う。
姫奈ちゃんが新しい風を運んでくる。知らないことを見せてくれる。外はそんなに怖くないと、姫奈ちゃんを見てると思う。
祖母の後ろは安全で、だけど狭くて息苦しい。厳しい教えは私を守るためなのだと、もちろん重々知っている。
カーテン越しの室内なら愛情込めて水を注いでくれる人がいる。安全で枯れる心配はないだろう。それでも、外の風を望むのは我儘なのだろうか。
青虫も怖いけど、蝶々にも触れたいの。
知らない世界は怖いだけじゃない。そう姫奈ちゃんが教えてくれたから。
私も花をもって新しい世界にチャレンジしたい。そう思って、心のドアノブに手をかけた。
フォロワーさん300人記念アンケートのお話です。