5.二筋の煙
姫奈子目線。
書いたけれど本編に入れられなかった話。
今日はお墓参りに来た。華子様の命日なのだ。家の車で霊園まで送ってもらい、一人で華子様の元へ向かう。
氷川家のお墓は古くて大きい。その中に比較的新しい墓石が立っていた。新しい卒塔婆に立派な胡蝶蘭が供えられ、静かに白檀の香りが漂っている。きっとここが華子様の眠る場所だ。大旦那様と同じところで眠っているのだろう。
私は華子様が好きだった桃のジュースの香りのお線香を供えた。入院中は糖分が多すぎて沢山は飲めなかったから、今なら好きなだけ飲めるはず、そう思った。
手を合わせ、心の中で華子様を思う。大旦那様には会えただろうか。きちんと好きだと伝えられたのだろうか。同じ蓮の上で楽しく暮らしているだろうか。
背中から乾いた靴音がして振り返れば氷川くんがいた。驚いたような、なんとも言えない顔をして私を見る。
慌てて立ち上がり、墓石の前を開ける。氷川くんも跪き、ゆっくりと手を合わせた。まるで華子様と語らうように、じっくりと時間をかけて。
そうやってやっと、立ち上がり私を見た。
「……来てくれたのか」
いつもとは違った弱々しい声。
「はい」
「桃の香りだ」
「ええ、華子様が好きだったから」
二人で真っ直ぐに空へと昇っていく二筋の煙を見る。天国まで届いて欲しい。そう願う。華子様は、私にとってかけがえのない人だった。
「ありがとう」
「……」
胸が詰まって何も言えない。
「聞いていいか」
「はい」
「なぜ、ここまで良くしてくれるんだ」
「?」
問いの意味が分からず、氷川くんを見つめれば、目をそらされた。
「とても無礼な……頼みだったと、思う。一度祖母に挨拶してくれるだけでありがたかった。孫の俺ですら近寄りがたい病室だったんだ。それなのに、こんな亡くなってまで……」
氷川くんは氷川くんなりに、あの文化祭前の日のことを気にしていたのだ。
「華子様が好きでした」
「あの、我儘な人を?」
「とても可愛くてらっしゃいましたよ」
「あの人を可愛いだなんて……」
氷川くんは呆けたように呟いた。
「音楽室のことは私も怒りすぎでした。どうかしてたんです。もう忘れてください。すべて無かったことにしましょう?」
「嫌だ!!」
氷川くんが声をあげて、私の腕を掴んだ。
「氷川くん?」
「あの日は俺にとって大切なことを気づかせてくれた日だ。絶対に忘れられない」
「……氷川くん」
「俺にあんなことを言うのは君だけだ。君しかいない」
「確かにそうですね」
思い出して笑える。とんだ無礼者である。
「すべて無かったことにしよう、だなんて言わないでくれ。今までのことを無かったことにしないでくれ」
氷川くんの腕が小さく震えている。縋ろうとしているような目。
私はその手を腕からはがし、そっと包み込んだ。
「ごめんなさい。言葉が悪かったですね。私も華子様と氷川くんと過ごした日々は大切な思い出です。……ただ、音楽室の件は私も言い過ぎたと思っているので、今になれば恥ずかしくて。ただそれだけの意味です」
氷川くんの手を離せば、氷川くんは自分の拳をグッと握りこんだ。弱々しかった瞳の色が、王者の光を灯す。
そうだ、この目が好きだった。誰にも脅かされない力。この人の側にいれば自分も無敵だと勘違いしていた。でも今は違うと知っている。
この人の力はこの人の努力のたまもの。私が横から掠めて良いものではない。そして、この人も同じ人間、傷つくこともある。
「姫奈子さん。これからも、俺が間違えたら教えて欲しいんだ」
「滅多にないと思いますけど」
思わず笑う。
「そんなことはない。迷ってばかりだ。だが俺を正す人は少ない。祖母も逝ってしまった」
華子様を失って、この人も揺らいでいるのだ。私たちは同じ喪失を抱えて生きていく。
「わかりました。でも、私の方が間違えそうですよ?」
「いい。君が間違ったら俺が正す」
その言葉が氷川くんらしくて可笑しかった。きっと前世の彼も彼なりに、私を正そうと努力していてくれたのだ。
「お手柔らかにお願いしますね」
笑えば、氷川くんは満面の笑みで頷いた。
二人で駐車場まで並んで歩く。冷え冷えとした石畳の上に、並ぶ短い影が二つ。並んで歩けるようになったんだなぁ、なんて少し不思議に思った。