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12.バレンタインの綱の話(42話綱視点)


 白山家のキッチンから甘い香りが漂ってくる。

 入り口のドアにはお嬢様の字で『立入禁止!!』と書いてある。

 彰仁様とふたりでその前を通り過ぎれば、その先の廊下で父とすれ違った。

 キョロキョロと視線の定まらない様子に、彰仁様は怪訝な顔をする。


「どうした? 生駒」

「いえ、……あの、彰仁様はキッチンに入られましたか?」

「まさか。用事ないし。バカ姫奈子が占領してるからな、迷惑ならあんな張り紙無視していいぞ」


 彰仁様が素っ気なく言えば、父はブンブンと手を振った。


「そういうわけではなく。何をされてるのかなぁ~、と」


 白々しい父に、彰仁様はキョトンとする。


「バレンタインだろ? 誰かに手作り菓子でもやるんだろ」


 サラリと彰仁様が答え、父はサアっと顔を青くする。


「バレンタイン……」

「時期的にそうだろ?」


 さも当然というように彰仁様は答える。


「そういえば、綱、チョコレート、ふたりで買いに行ってなかったか?」

「はい。買ったのは友チョコと自分用と仰っていましたが」

「ふーん、だったら今作ってるのは本命か」


 彰仁様は関心なさそうにそう言って、父は半泣きな顔をした。


「……本命……」

「迷惑だよな、手作り菓子とか。知らないやつのなんか怖くて食えねーっつーの」


 彰仁様は落ち込む父を横目に歩きだした。


「っていうか、綱。『無駄になる』ってアイツに教えてやれよ」

「それは私からは無理です。それに無駄にならないかもしれないじゃないですか」


 彰仁様の言葉に私は苦笑いする。


「えー! 姫奈子だぞ? 無理だろ? それとも綱は相手が誰か知ってるのか?」


 彰仁様はサラリと聞いてくる。

 私ならお嬢様のことを何でも知っているのが当然というように。


「知ってるわけないですよ。そんな個人的な話」


 残念ながらそうではない。

 なんだか胸がチクリとしたが、その痛みには目をそらす。


「だって、ふたりで買い物とか、ズリーよ」


 ちょっとだけホッペを膨らませ、拗ねているのが可愛らしい。


「今度は彰仁様の進級準備をふたりで買いにいきましょうか」

「うん!」


 そんな些細なことに全力で頷く彰仁様は、やっぱりお嬢様に似ている。

 喜びを隠そうともしないふたりを見ていると、とても幸せな気分になるのだ。




 そして、数日後。バレンタイン当日の夕食時。

 変な緊張感が、父と旦那様の間に流れている。


 お嬢様はお嬢様でなんだか今日はぼーっとしている。

 ポロポロとご飯をこぼし、食欲もない様子だ。父でなくても心配になる。


 放課後、少し目を離した隙に、八坂晏司と肩を並べて二人きり、教室のベランダで話し込んでいた。あそこで何かあったのか。勘ぐりたくもなってしまう。八坂晏司は最近お嬢様にやたらちょっかいを出してくるのだ。


 女子校育ちのお嬢様にとって、初の男友達の八坂晏司。しかし、彼は有名モデルで女友達も当然多く、ふるまいがスマートだ。男性に免疫のないお嬢様が、好意を持たれていると勘違いしてもおかしくない。


 まさかと思う。

 一緒に買いに行ったチョコレートは全て友チョコだと言っていた。

 本命には手作りチョコレートを用意したのだろうか。

  

 キンと冷えた教室のベランダで、らしくもない顔をした八坂晏司と、穏やかに笑うお嬢様の姿が脳裏によみがえった。

 澄んだ空気の中で、儚げな雰囲気のふたりの姿に、クラスメイトの誰も声をかけられずにいたのだ。

 一目見た瞬間に、ゾッとした。駆け寄って、乱暴に窓を開け、その空気を壊した。


 あまりにも、お似合いで。

 

 熱い味噌汁をかき込んで、その風景を忘れたい。

 お麩からしみ出す味噌汁が、やけに喉にしみる。


 そういえば、帰り際も少しおかしかった。

 変に他の子を薦めるようなことを言っていなかったか。

 それは、私が邪魔になったから、だとしたら。


 

 夕食を食べ終わり席を立つ。いつもと違ってそうそうに部屋へ戻るお嬢様。その背中を見送って、父が私に耳打ちをする。


「お嬢様の様子がおかしい」


 私は静かに頷いた。


「様子を見てきてくれないか」


 気まずそうに頼む父親に渋々という顔を向けて、私はお嬢様の部屋を目指した。

 大義名分ができたことで、少しだけ気が大きくなる。


 ノックをすれば慌てたお嬢様の声が返ってくる。その声が怪しくて、思わず強引に部屋に入った。

 部屋の中には甘い香り。お嬢様は背中に何かを隠している。


 今までは何でも話してくれていた。友達も、好きなものも。でも、だけど。お嬢様が秘密を作った。


 わけもわからず、不愉快になる。

  

「なにか隠し事がありますね?」


 思わずカマをかけてみれば、お嬢様はわかりやすく慌てた。


「……そ、そんなことないもん!」


 目を見ないで答える様子で嘘だとハッキリわかってしまう。

 

「八坂晏司、ですか?」


 自分でも驚くほど恐ろしいほど低い声がでていた。

 お嬢様はおびえたように後ずさる。

 それがわかっていても、止められない。


「またなにか言われたとか?」


 拒絶されたならまだいい。受け入れられたなら?


 お嬢様の幸せを願うなら、拒絶を望んではいけないと気がついて、いっそう深くなる眉間の皺。


 私は何を。


 その先は考えない。言葉にしない。してはいけない。


「今日はさすがにそんな元気なかったみたいよ? それにいつもの悪口は別に本気じゃないと思うけど」


 八坂晏司を庇うようなお嬢様にイライラが止まらない。


「じゃあ、なんですか? その背中に隠しているものは?」

「へ?」


 強引に背中に回って隠していたものを暴く。

 そして、それを見て拍子抜けをした。


「……なんですか? これは」


 そこにあったのは、ラッピングされた小さな袋。きっと渡しそびれたのだ。

 そのことに安心してしまう自分がいた。


「お父様と生駒と……本当は綱と彰仁にバレンタインのクッキーを焼いたのよ」


 お嬢様は不機嫌そうに答えた。


「何で隠すんですか」


 思わず理由を尋ねる。

 本当に私に用意したなら、隠さずくれれば良かっただけだ。


「だって、彰仁も綱もいっぱいチョコレート貰ってたし、甘いものばっかりで困るって言ってたし、……あげても迷惑かなって思って。でも、生駒にあげるのにどうやって渡そうかなって考えてて、綱にあげないのに生駒にだけあげるのとか意地悪だと思われてもヤダなって思ってたのよ!」


 矢継ぎ早に答えるお嬢様に嘘は感じられなくて、思わず吹き出してしまう。


「だってそれ、お屋敷のキッチンでこの間作っていたやつでしょう? みんな知ってますよ。今更隠せると思ったんですか?」

「みんな知ってた?」


 呆然とするお嬢様。


 逆になぜバレないと思ったのか。


「ええ。誰にあげるのかと旦那様も心配していたご様子で」 

「ええ~! そうなの?」

「彰仁さまも喜ばれると思いますよ」

「そうかしら? 甘いものばっかりで迷惑じゃない?」

「こういうのは中身じゃないんです。気持ちですから」


 そう自分で答えておかしくなる。さっき学園でお嬢様に言われた言葉だ。


「じゃあ、綱、これあげる。生駒にも渡しておいてくれる?」

「わかりました。ありがとうございます。父も喜ぶと思います」


 素直にお礼の言葉がでて、そんなことが少しおかしい。


 学園でもらった高級なチョコレートは気が重かった。

 張り付けた笑顔で定型文の返事を渋々答える繰り返し。無難に目立たぬようにと、気張り詰めていて今日は一日息苦しかった。


 それなのに、こんなに嬉しいものなんだ。

 

「じゃあ、彰仁にも渡してくる!」


 お嬢様が部屋から飛び出していき、私は部屋のドアを閉め、父の元に戻る。

 そうして預かったバレンタインのプレゼントを父に渡した。

 父は思いきり破顔する。


「たぶんそうだと思ったんだ。渡せなかったなんて、お嬢様は可愛らしい」


 とってつけたようにそう言って、プレゼントを写真に納めてから、いそいそとラッピングを解く。

 中から出てきたのは、黒と白のチェック柄と渦巻き模様のクッキーだ。それまで父は写真に撮り、仏壇に少し上げてから、母の写真に手を合わせ、しみじみと父が言う。


「お嬢様はどんどん大人になられていくんだなぁ」


 大事そうにクッキーを口に運ぶ父。


「ただのクッキーに大げさだよ」


 そう答えて、父のクッキーを一枚失敬し、乱暴に口にほうりこむ。グルグルの渦巻き模様は、まるで今の自分みたいだ。

 サクサクと音を立てて簡単に壊れてしまう。絡みつくようなバターの香りが胸いっぱい広がる。何かが溢れてしまいそうになり、口を塞ぐようにして指に付いたグラニュー糖を舌でなめ取る。


「……おいしい」


 言葉にできない思いの代わりに、思わずそう呟けば、父はニヤニヤと笑い、「当たり前だろう」となぜか自慢するように言った。





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