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11.好きなのはミルクセーキ(中二年79話ぐらい 綱視点 )

『79.天文部の観測会』 https://ncode.syosetu.com/n9239ex/79/

くらいの綱視点です。


 風邪を引いた。


 昨日の夜から気持ち鼻声で、今日は少しだけ気だるい。明日は土曜でお休みだから、夕食は辞退して休日はゆっくり休むとお嬢様に告げてきた。幸い父と旦那様は出張中で、迷惑をかけることもない。


 自室の木目の天井には目に見える模様があって、来たばかりの頃は怖かった。そんな些細なことを思い出し、一人でベッドに入り目をつむる。本邸はいつだって賑やかだから、離れの静かさが余計に際立つのだ。

 それがいつもならホッとするのに、今夜は少しだけ心細かった。きっと風邪気味なせいで、人恋しくなったのだろう。白山家に来る前は、病弱な母と仕事命の父の元、もっと心細い夜は経験していたはずなのに。



 カタカタとキッチンから音がする。

 カーテンから漏れる薄い光が、朝が来たのだと告げた。甘い香りが漂ってきて、不審に思う。父は帰ってこないはず。


「綱、寝てる?」


 香りよりもっと甘い声。その声で、目なんてしっかり覚めてしまった。それでも、私はずるいから。


「……いま、起きました」


 気だるげにそう答え、鼻声ではなくなってしまった自分の声に少しだけガッカリする。


「あのね、ミルクセーキ作ったの。飲めるかしら?」


 恐る恐る伺いながらドアを開ける姫奈。顔は逆光でよく見えないが、マスクをしていることだけはかろうじてわかった。


「いただきたいです」


 起き上がりもせずベットの中から答えるのは、表情を布団で隠すため。

 思ってない人がいて思わず口元が緩んでしまう。


「! 持ってくるわね!」


 姫奈の表情は見えなくても、声だけで喜んでいるのがわかる。

 それだけで嬉しくなる。口元が隠れていて良かった。絶対おかしな口をしている。


 甘い香りのするカップを二つ、トレーに乗せて姫奈が部屋に入ってきた。

 電気もつけずに入ってくるのは、風邪気味の私のための配慮なのか。

 カーテンから漏れる光だけを頼りに、男のベッドの脇に平気で腰掛ける女の子。

 サイドテーブルに置かれたカップの湯気が二筋光っている。ミルクセーキの甘い香りが部屋中に満ちてくる。


「起きられる?」


 尋ねながら、額に乗った温かい手。


「うーん? 熱? あるのかしら? 私の手が温かくてよくわかんないわ」


 姫奈は自分の額に手を当てて、熱を測ってみたもののどうやらわからないらしい。

 グッと顔を近づけて、額で計ろうとするから慌ててその顔を押し返す。


「酷い! 顔! 大事にしてよ! 一応お嬢様なんですからね!」


 不平を漏らす姫奈だけど、酷いのはどちらだ。


 こんな薄暗い部屋で、二人きり、ベッドの上で顔を近づけて。

 どうやったって間違わないと思い込んでいなければできないはずだ。それとも、間違いが起きたってかまわないという覚悟があるのか。


「風邪をうつしたら困ります」

「マスクしてるもん!」


 エヘンとドヤ顔を決める姫奈に、間違いなんて想像もしてないとわかりきる。男としてみられていない。最初からわかっている。


 少しだけ期待して、そんな自分が滑稽で、自分にむけた失望が、姫奈に矛先をむけてしまうのだ。

 簡単に触れないで。入り込んでしまわないで。手放せなくなってしまうから。

 ドロドロとした感情を姫奈のせいにしたくない。


 距離感が変な姫奈に、追い詰められる前に体を起こすことにした。


「起き上がるので離れてください」


 いえば素直に顔を引く姫奈に、友情以外は感じない。

 わかっていても傷つくのだ。

 思わず小さくため息をついた。


「はいどうぞ」


 手渡されたのは厚手のマグカップに入ったミルクセーキ。

 両手で包んで、フウフウと静かに冷ます。甘い香りが漂って、突然感じる空腹感。小さくおなかの虫が主張して、私と姫奈は顔を見合わせて笑った。


「いただきます」


 小さくいえば、「どうぞ」と答える。


「ミルクセーキならね、飲めると思ったの。卵と牛乳だしね、滋養があるし」

「はい」


 説明に頷けば、横目でチラチラとこちらを見る。


「?」


 不思議に思って姫奈を見れば、恥ずかしそうにうつむいた。


 その仕草に驚いて、心拍数が急に上がる。熱なんてなかったはずなのに、顔が熱くなっていそうで、ばれたくないから慌ててカップを唇につけた。喉を下るミルクセーキが音を立てて、それがなんだかとても気まずい。


「……ぃ?」


 聞き取れないほどの小さな声で、姫奈が私に問いかける。視線は自分のマグカップを見たままで、私に問われたのかもあやふやだった。

 薄暗い部屋に一筋の光。ただのほこりがチラチラ光る。


「なにかいいましたか?」


 問い返せば、姫奈は慌てて自分のカップに口づけた。

 勘違いだったのか、私も黙ってカップに口づける。ゴクリとまた喉が鳴って、嫌に音が響くと忌ま忌ましく思った。


「……あ、の、ぉぃし?」


 今度はやっと聞き取れた言葉に、思わず瞬きをした。


「ええ、美味しいです」


 当たり前のことを問われ、当たり前の返事をすれば、姫奈はばっと私の顔を見た。今まで見たこともないほど、喜びにあふれた笑顔で面食らう。


「ほんと?」

「とても、……とても美味しいです」


 頷きつつ答えれば、ニヘラとだらしない顔の姫奈。気取った学校では見せない顔、そんなことに独占欲が満足する。


「ちょこっとだけお塩入れたの、あと蜂蜜と。ほら、汗掻くかなって、それに喉も痛いかなって」

「はい」

「カリンは苦手みたいだったし」


 姫奈なりに考えてくれたことが嬉しくて、しみじみとマグカップを見つめた。残り少なくなったミルクセーキがユラユラと揺れている。


「でも、本当は苦手だった? ……甘いのあんまり好きじゃない?」


 飲む手を止めた私を見て、姫奈は小さく首をかしげる。


「いいえ、飲んだらなくなってしまうので」


 思わず素直に口から出た言葉に、らしくないと自分で驚いた。

 それを聞いて姫奈が笑う。揶揄われると身構える。

 いつでも二人の関係は、いままでずっとそうだったから。私が彼女を注意するのは当たり前で、褒めるなんてめったになかった。だから、そんなことがあれば、彼女は照れて揶揄って、私も気まずく混ぜっ返した。


「やだ、簡単だもの、いつでも作ってあげるから飲んじゃって!」


 姫奈の言葉に思わず瞬く。


「いつでも作ってくれるんですか?」

「? うん、いつでも作ってあげるわよ?」


 いつでも作れる距離にいるという意味を、この人はわかっていない。


「風邪じゃなくても?」

「風邪じゃなくても! 私もミルクセーキ好きだもん」


 カップに口をつけながら、姫奈はフフフと笑った。


「それで、食欲があるなら、違うもの食べる? おかゆでいい?」

「あるんですか?」

「今作るわよ。おじゃこ入れる? 梅干しは?」

「姫奈が作るなら、きっと何でも美味しいです」


 もう一度素直に答える。食べ物のことだったら、なぜか素直に話せるし、姫奈も素直に聞いてくれると知ったのだ。


 きっと好きだということも、今だったら。


 ギュッとカップを握り絞め、残りのミルクセーキを飲み干した。


「好きです」


 姫奈はキョトンとして私を見た。意味がわからないという顔に、ちょっとだけ安心する。


「これ、美味しかったです」


 空になったカップを手渡せば、姫奈は合点がいったように笑った。


「綱もミルクセーキ好きなのね」


 当たり前のように、「も」という人に瞳の奥がチラチラと痛む。

 姫奈はもう一度ニヘラと笑ってベッドから立ち上がった。


「じゃ、おかゆ、作ってくるから。期待して待っててね」


 ちょっとドヤ顔で言ってから、いそいそと部屋から出て行く。

 パタンとドアが閉められて、思わずホッと息をつけば、すぐさまドアが開かれて、隙間から姫奈がヒョッコリとのぞき込んできた。


「また声かけるから、それまでちゃーんと寝てるのよ!」


 母のように言いつけて、もう一度ドアを閉じる。

 それが少しくすぐったくて、ベッドの上で立てた膝に頭を乗せ、クスクスと思わず笑う。


 風邪なんてもう治ってしまったけれど、もう少しこのままで。だって姫奈が楽しそうだから。


 姫奈に責任転嫁して、仮病を続ける言い訳をした。





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