表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

10/14

10.バレンタインもらえなかった生駒の話(275話ぐらい)


「生駒さん、もらってください。あと、こちらは社長へお渡しください。企画部からです!」


 今日何個目かわからない義理チョコを受け取って、社長室へと向かう。


 本日はバレンタインデーである。

 朝から社内はウキウキとした雰囲気だ。私の元にも義理チョコが続々と集まってくる。食品企業だけあって、食べ物系イベントは市場調査も兼ね会社全体で盛り上がるのだ。


 社長室では、第二秘書と一緒になって義理チョコを整理する。

 開封し中を確認したあとは、給湯室へ置き自由に食べてもらうのが我が社の流儀だ。

 みんな承知の上なので、自分が食べたいお菓子を本気で選んでくる。そのため、もらって嬉しいお菓子が集まり参考になる。


「今年の傾向は海外有名ブランドですね」

「希少性が高いもの購買意欲がわきますから」


 第二秘書が笑う。


「そういえば、天使ちゃんは何か準備していました? 女子高生のブームって何なんでしょう?」


 第二秘書が屈託なく聞いてきて、旦那様と私の手が思わず止まる。「天使ちゃん」とは、姫奈子お嬢様のことだ。


 お嬢様が中等部に入ってから旦那様は仕事の進め方を変えられた。自身がたたき上げで職人気質の旦那様は、どうしても仕事の前線に立ちたがり、勤務時間も長いのだ。

 上司が帰らなければ、部下は帰りにくい。そのせいで部下は仕事が休みにくく、自然と長時間労働が蔓延する職場になっていた。


 しかし、お嬢様が旦那様に甘え、学校行事に引きずり出してくれたおかげで、有休も取りやすく定時で帰りやすくなったのだ。その上、社長の口から子供の様子を質問され、まともに答えられないと「育児に参加しろ」と窘めるほどになっていた。


 お嬢様が白山茶房を継がれてからは、仕事上の相談はきちんと時間内にアポを取り、会社で打ち合わせるようになった。公私を別とするお嬢様のあり方に、旦那様も考えることがあったのだろう。仕事の仕方を少しずつ変えられた。


 旦那様も、将来的なお嬢様の活躍を見越してか、社内の産休育休体制に力を入れ始め、女性の活躍しやすい企業として名前が挙がるようになったのだ。


 そんな社内環境改善の立て役者、姫奈子お嬢様がオフィスに初めて現れたとき、社内が騒然となったことを覚えている。

 いかつく男らしい旦那様から想像のできない愛らしさに、驚いた社員が多かったのだ。そもそも、旦那様が照れ隠しで「姫奈子のわがままに付き合って」とことある度にいうから、どんなにいかついわがままお嬢様かと思われていたらしい。

 あどけなく気さくなお嬢様が溌剌と挨拶をしてまわったせいで、その愛くるしさで「天使ちゃん」と呼ばれるようになったのだ。

 

 実際、お嬢様のおかげで、有休消化率も良くなり会社の雰囲気も良くなったので、まさに天使なのである。

 


 白山家の離れから出た私たちは、当然ながら食事は別となり、今年のバレンタインは多分ご相伴に与れないだろう。


 ただ、心優しいお嬢様なら、用意してくださっているのではないかと密かに期待をしているが、おくびに出すことはできない。


「最近は『ザ・本命!!』みたいな重いのより、友達同士で楽しむ感じなんですよね?」


 第二秘書の問いに、チラリと息子の顔がよぎる。

 何も答えられず困っていれば、第二秘書は笑った。


「あ、今年は秘密にされちゃいました? 天使ちゃんももう高三ですもんね。秘密もだんだん増えてきますよね」

「そんなことは!」


 私が思わず反論すれば、第二秘書がチラリと私を見る。


「生駒さんも残念なのはわかりますけど、生駒さんなんて天使ちゃんから見れば、よそのおじさんなんだから」


 ケラケラと笑いながら言われてよろめいた。

 頭の中で、ガーンガーンガーンと大きな文字が反響している。


「……よその……おじさん」

「そうですよ。今まで素直に相手してくれてたのが奇跡なんですよ? やっぱり天使ちゃんは天使ですよね」


 お嬢様が天使なのには反論はない。けれど。


 ぐっと心を立て直す。


「よそのおじさんかもしれませんが、お嬢様と私の間には親子に負けない強い絆がありますから」


 余裕を装い答えれば、旦那様から睨まれた。


「生駒さーん、社長が怒ってますよ」

「申し訳ございません」


 さっと旦那様に頭を下げる。


「もう生駒は嫌われてるかもしれないぞ」


 旦那様が口の中でモゴモゴとつぶやいた。


 大丈夫。昔、お嬢様にプロポーズされたのだ!

 少しくらい注意したくらいで、お嬢様と私の絆が壊れることはない。

 指導だ。忠告だ。賢いお嬢様なら本当はわかっているはずなのだ。

 ただ、今は素直になれない、そう、反抗期、反抗期だからであって、少し時間をおいて冷静になれば、何が正しいのかわかるはず。


 一日の仕事を終え、白山邸に旦那様を送り届ける。

 白山家を出てからは、会社の仕事を終えてから白山邸に戻り、執事の仕事をこなし、社宅へ帰るのがルーチンだ。


 社宅へ帰る準備をしていると、お嬢様が両手いっぱいにプレゼントを持ってやってきた。

 

「はい生駒! これ、綱に渡してちょうだい!」

「何ですか?」

「今日はバレンタインよ? 学院で預かってきたの、綱の分。綱は学院でほんとーに人気なんだから!!」


 顔だけは笑っているが目は笑っていない。わかりやすいお嬢様はきっと心を痛めておいでだ。


「……お嬢様にこんなことをさせるとは、綱守のやつを叱っておきます」

「生駒がいけないのよ、登校させないから私が預かるはめになるんでしょ?」

 

 お嬢様はそう言って私の手にプレゼントを押しつけた。


「あの、お嬢様……」


 ……この中に、私宛のお嬢様が作ったチョコレートはあるんですよね?


 とは無論聞けまい。


「なぁに?」

「その、」

「?」

「……お嬢様の作ったものもここに?」


 恐る恐る聞いてみる。

 お嬢様は不機嫌そうに私を見た。


「何言ってるの? 反対したのは生駒じゃない! あげませんよーだ!!」

「っ!」

「いじわるな生駒にもチョコレートなんかあげないわよ?」


 お嬢様は挑発するようなつり上がった大きな瞳で、上目遣いで私を睨んで、口元だけうっすら笑った。


 その表情にハッとする。そこには三歳の天使はいない。もう、十八になろうとする小悪魔が降臨していた。


「ではごきげんよう。第一秘書・・・・()()()()


 言葉を失う私を見て、お嬢様は機嫌よさげにきびすを返した。

 ちょっとだけスキップをしているお嬢様の後ろ姿に、傷つきながらも愛おしいが勝ってしまうのだ。

 私で憂さ晴らしをして少しでも気が晴れるなら、いじわるぐらい喜んで受ける。


 天使なお嬢様には最高の伴侶と、最高の人生を歩んでほしい。

 いくらお嬢様が好いてくれようとも、綱守ではダメなのだ。


 せめて、八坂様、いやダメだ。女性関係で気苦労が絶えないのはわかりきっている。現に友人と言うだけで、お嬢様は嫌がらせを受けたのだ。恋人となったらどんな苦労をするかわからない。


 修吾様なら彰仁様とも仲が良く、島津家の次男だ。あわよくば婿にと望めないこともない。だが、スポーツ選手など安定しない。海外暮らしも多いだろうし、お嬢様は苦労する。やっぱりダメだ。


 やはりここは氷川様か。文武両道でご立派な方だ。しかし、あの方は家とお嬢様を選ぶとき、迷いなく家を取るだろう。それが正しい判断だが、そんな人にはお嬢様は任せられない。苦労することが目に見えている。


 ……綱守は……。

 きっとお嬢様を第一に考えるだろう。いや、考えていないからこういうことになったのだ。お嬢様を第一に考えてさえいてくれれば、お嬢様を悲しませることはなかった。

 あの子が不相応な思いさえ抱かなければ、ずっとお嬢様の側にいることはできたのだ。私と旦那様のように、伴侶より長い時間を過ごせたのに。

 綱守にはお嬢様が必要だ。それはわかる。でもお嬢様に綱守は必要ない。代わりならいくらでもいる。親に反対されて諦める程度の想いなら、早く忘れた方がお互いのためだ。


 はぁ、とついたため息は白い。



 冷たく光った銀色のドアノブに手をかける。まだ慣れない、新しい住まい。


 ここは白山家と違って少しだけ温度が低い気がする。離れより幾分広くなった社宅。今から夕食を作るのはおっくうだ。

 何のレトルトがあったかと思い返しつつ、レトルトなら食べなくても良いかとも思う。

 社宅へやってきてからは、食事が餌になっているのがわかる。生きるために仕方なく食べる。何を食べても同じだ。

 育ち盛りの綱守には、好きなものをデリバリーして食べるようにお金はおいてある。受験で大切な時期だ。家事で時間を潰すこともない。


 珍しく家から良い匂いがする。綱守は何を頼んだのだろう。これなら少し食べたいな、一口くらい分けてくれるだろうか。


「ただいま」

「おかえり」


 いつも通りの声にホッとする。

 あんなことがあっても綱守は変わらない。泣き言も言わなければ、言い訳もしなかった。淡々と謝って、淡々とすべきことをこなしている。多くの禁止事項でさえ、一切反抗せずに無表情で受け入れた。

 今では、まるで初めから何もなかったかのように生活をしている。


「お嬢様から預かった」


 たくさんのプレゼントを綱守に押しつける。


「ありがとう」


 まったく無表情で答える姿はちっとも有り難がっていない。

 お嬢様が作ったお菓子はあんなに美味しそうに食べるのに、甘いものは好きではないのか。


「おまえ、甘いもの苦手だったか?」

「そんなこともないよ」

「その割に喜ばないんだな」

「そう?」


 関心なさそうに答え、これまた関心なさそうにテーブルの脇に置く。


 ああ、お嬢様のものだったから、あんなに喜んでいたんだな。


 目の奥がチリリと痛い。眼精疲労だということにしよう。


 ふと不安が沸き起こる。


「……まさか、おまえ、お嬢様からもらったのか?」

「今日は登校日じゃないから会ってない」

「そうか、そうだよな」

「父さんは?」


 無表情なまま息子が問う。

 私が無言になれば、息子はそれが答えだと了解したようで、小さく鼻から笑いを漏らして、隠すように背を向けた。


 ……。今のは何だ? 同情されたのか?


「夕飯いまから?」


 綱守は背を向けたままだ。


「ああ」

「ちょうど今作ったから一緒に食べる?」

「作ったのか? そんなことしなくても良いんだぞ?」

「息抜きだよ。それにたいしたものは作ってない」


 炊きたての白いご飯に、具だくさんのお味噌汁。焼いた肉にタレをかけただけの焼き肉。卵焼きにはネギがいっぱい入っていて、美味そうだ。


 いただきますと手を合わせ、お味噌汁に手をつける。


 ああ、これは懐かしい。ホッとする。白山家の味に近い。

 温かさが体にしみる。心になにかが満ちてくる。一口食べて、腹が減っていたことに気がついた。この味に飢えていた。


「おまえ、これ」

「白山フーズのだしパックは、再現率優秀だね」

「だしパック……」


 ボケッとして綱守を見た。相変わらず、表情がない。


「『お味噌汁だけで良いからちゃんと食べなさい』だって」

「お嬢様が?」


 綱守はこくりと頷いて、お椀に口をつけた。


 そして一口味わうと、無表情だったその頬が柔らかく綻んだ。


 ああ、そうだ。この子はずっと、そういう顔を隠してた。お嬢様に会うまでずっと、私の前では良い子であろうと子供らしい顔を隠していた。

 お嬢様に出会ってやっと取り戻した表情を、今は私が奪っている。


 お嬢様はこんな風に、いともたやすく綱守を変えてしまう。料理に興味の無かった子が、お嬢様の一言で、味噌汁だって作るのだ。


 だが。

 でも。

 しかし。


 貧しい家に生まれ進学を諦めていた私を、書生にと引き上げて大学まで行かせてくれたのは大旦那様だ。そして、旦那様の右腕として育ててもらい、充実した生活とやりがいを与えてくれた。

 旦那様と奥様は、綱守を我が子のように目をかけてくれる。母のいない寂しさは白山家が埋めてくれた。綱守がまっすぐ育ったのは、ひとえに白山家のおかげだ。

 こんなに恩義のある方々を裏切るわけにはいかない。


 なんとしてもお嬢様には誰よりも幸せに。

 かわいそうだが綱守には諦めてもらうしかない。

 

 ズズッと味噌汁をすすって、炊きたてのご飯をかき込む。「負けまい」と名付けられたお米は、お嬢様のお気に入りだ。

 ネギの入った卵焼きは、妻がよく作ったものだった。綱守が思い出して自分で作ったのだろうか。白山家の卵焼きは甘いことの方が多い。


「うまい」


 卵焼きを口にして、なぜか鼻声になった声。


「なに? 鼻声だけど風邪?」

「外が寒かっただけだよ」

「カリンシロップないんだから、気をつけてよ」


 お嬢様の作ったカリンシロップは、あまり美味しくないけれど、なぜか効くのだ。でも今は頼れない。

 大事なときに頼れる場所を奪った父を、この子は憎むだろうか。

 

「そうだな……わるかった」


 あの一瞬を見逃してやれなかった時点で、父であることを捨てたのだから。

 一緒におまえの側に立ち、戦うことを選べなかった。


 小さい声での謝罪の意味は今は伝えるわけにはいかない。


 けれど。

 おまえにだって幸せになってほしいと願っているのだ。


 そんな私には目も向けず綱守も小さく呟いた。


「こっちこそ、ゴメン」


 無表情で呟かれた言葉に、私は小さく笑ってしまった。


 ああ、この子は嘘つきだ。悪いなんて思ってない。


 諦める気などない息子に、父は少しだけ安堵した。

 




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ