6 追っ手
ドンッ、と下から突き上げるような揺れで、楓は目を覚ました。
重いまぶたをこすりながら起き上がると、千早が険しい目をして楓を見ていた。
千早が再び地面を蹴った。早く起きろ、と言っているようだった。
「どうしたの、千早……」
「お嬢さんの馬かね」
思いがけず声が聞こえ、楓は飛び上がるほど驚いた。小屋の入口を見ると、齢七十ほどの好々爺が、困ったような顔をして立っていた。
「やれやれ、よかった。お嬢さん、この馬にどいてくれるよう、頼んでくれぬか」
「あの、あなたは?」
「それは儂が聞きたいのう。お嬢さん、ここは儂の小屋じゃよ」
「あ、ごめんなさい」
楓は慌てて布団を飛び出すと、身繕いもそこそこに土間に降りた。
ところが、楓が土間に降りたとたん、千早はうなり声をあげて好々爺をにらみつけた。歯をむき出しにして、今にも飛びかからんばかりの形相だった。
「千早、やめなさい」
楓は慌てて千早に駆け寄り、なだめた。しかし千早はますます敵意をむき出しにして好々爺をにらみつけると、楓をかばうように前に出た。
「やれやれ、おっかない馬じゃ」
「すいません。こら、千早! いい加減にしなさい!」
楓が止めようと手綱を引くと、千早は楓をにらみつけた。楓はその迫力に気圧され、思わず後退りしてしまった。
「おやおや、主人も突き飛ばしかねない目をしているのう」
「す、すいません」
「鞍を下ろしてもらえなかったから、疲れて苛立っているのではないかね?」
「え?」
「どんなに強い馬でも、休むときは鞍を下ろしてやらんとな」
「は、はあ……」
そういえば、と楓は千早の背中を見た。千早に乗せられた鞍はたいそう立派で、楓一人では持ち上げることもできそうになかった。それに昨日は邪鬼の群れと戦い、長い距離を全速力で走り続けている。いくら千早が大きな馬でも、相当疲れているだろう。
「どれ、下ろしてやろうか」
「あ、はい」
好々爺が、千早の鞍に手を伸ばした。
その瞬間、千早は猛烈な勢いで好々爺に飛びかかった。
楓はあっと声を上げたが、そのときには千早は好々爺に頭突きをくらわせていた。
「千早!」
だが好々爺は、千早の突進をまともにくらい突き飛ばされたにもかかわらず、倒れることなく平然としていた。千早は素早く楓の側に駆け戻ると、乗れと言う目で楓を見つめ、厳しい視線を好々爺に向けた。
「ホッホッホッ、さすがは橘一族が神馬とした馬よ。だまされぬか」
好々爺がニタリと笑った。その笑いに、楓は背筋が凍った。好々爺の笑みは、姉の橘が邪鬼と呼んだ、あの鬼の笑みにそっくりだった。
轟音とともに小屋の四方の壁が破られた。
邪鬼だった。
正面の、好々爺に化けた邪鬼とともに、楓と千早を取り囲みニタリと笑う。その笑みを見て、楓は足がすくんで動けなくなった。
千早は、雄叫びをあげると、襲いかかろうとした邪鬼を牽制しながら、立ちすくむ楓を蹴飛ばした。
「きゃっ!」
よろめいて倒れた楓のすぐ上を、好々爺が投げた手裏剣が通り過ぎた。千早は丸太のような足で右から襲いかかってきた邪鬼を蹴り飛ばすと、立ち上がった楓に早く乗るよう促した。
楓は手綱をつかみ、なんとか千早によじ登った。
同時に、千早は猛然と駆け出した。
「逃がすなあ!」
好々爺の顔が割れ、邪鬼の顔となった。千早は、立ちふさがった邪鬼にひるみもせず、むしろ速度をあげて邪鬼に体当たりをくらわせた。
邪鬼が弾き飛ばされた。好々爺に化けていた邪鬼が、斧を手に追いかけてきたが、全速力で駆ける千早に追い付けるはずもなく、あっという間に姿は見えなくなった。
「千早……」
楓はこみあげてくる恐怖に震えが止まらず、泣きながら千早にしがみついた。
「ごめんね……そうだよね、まだここは敵がいる場所なんだよね」
「わかればいい」
千早はそんな感じで鼻を鳴らした。その頼もしさに楓はほっとし、千早に抱きついて目を閉じた。
「でも、敵って……誰なの?」