青い空と緑の大地
始めは呆然としていた水蓮だが、やがて泣き笑いの顔になった。
頭の中が真っ白になり、気がついたときには走り出していた。
「禅高!」
「よう、水蓮」
禅高は、飛びついてきた水蓮をしっかりと抱きしめた。
「迷惑かけたな」
「ううん……ううん、そんなことないよ」
夢みたいだ、と水蓮は思った。もう二度と会えないと思っていた。それなのにこうしてまた抱きしめてもらえるなんて、水蓮はうれしさの余り大声で泣き出してしまった。
「禅高、私ね、私ね……鬼を倒したよ。禅高の仇、取ったよ」
「ああ……ありがとう。これで俺も、ようやく眠れるよ」
水蓮は静かに禅高を見上げた。いつも厳しい顔をしていた禅高が、とても穏やかな笑顔を浮かべていた。
それを見て水蓮は、禅高に会えるのはこれが最後なんだ、と感じた。
不思議と悲しみは感じなかった。むしろ、そうでなくてはならないという思いが強かった。
「怒っているか?」
長い口付けのあと、禅高は水蓮にそう尋ねた。
「どうして私が怒るの?」
「お前は、二度と元の世界に戻れないかも知れないんだぜ」
「なんだ、そんなこと。気にしてないよ」
水蓮は微笑を浮かべ、首を振った。
「あなたの世界に来られたんだもの。あなたが命をかけて守った世界を、私も守れたんだもの。この世界に骨を埋めることになっても、ちっとも後悔しないよ」
「水蓮……」
水蓮は、はるか彼方に優しい光を見た。そこが禅高の行くべき場所だった。その光の前で三人が禅高を待っていた。
一寸法師、橘姫、そして禅高の妻だった。
「ねえ、あの人が、あなたの奥さん?」
「ん? ああ、そうだ」
「ふーん。きれいな人だね」
水蓮の視線に気づき、禅高の妻は頭を下げた。水蓮も軽く会釈を返した。
「うふふ、こんな風に抱きついてたら、怒られちゃうね」
水蓮はいたずらっ子のように笑い、禅高から離れた。
「水蓮……それじゃ俺はもう行くな」
「うん」
自分でも驚くほど冷静に、水蓮は禅高を見送った。一歩、また一歩と現世から遠ざかっていく禅高。その背中を見ながら、水蓮はこれまでの半生を振り返った。
歌と舞いの力を不気味がられ、親にすら疎まれて、十歳にもならぬ身で遊里へ売り飛ばされた。
売られてからも、水蓮の力は不気味がられた。あちらの館、こちらの館と居を転々とするうちに、町の外れにある小汚い館に落ち着いた。客の品は悪く、刃傷沙汰など毎日だった。身も心もぼろぼろになりながら、行くあてのない水蓮はそこで暮らすしかなかった。
そこに禅高が現れ、水蓮の暮らしは変わり始めた。
禅高は酒を飲むでもなく、水蓮を抱くでもなく、毎日やって来ては水蓮の歌と舞いを楽しんだ。いつしか水蓮も禅高が来るのを楽しみにするようになり、すさんでいた心が少しずつ慰められた。
そんなある日、禅高は水蓮に言った。
「水蓮。俺は、君の歌と舞いを探していた」
天を泣かせ大地を震わせる、水蓮の歌と舞い。それは人々が言うような鬼の力ではなかった。それこそ禅高が千年かけて探し続けた、鬼を倒す力だった。
「禅高、私はね、あなたのあの言葉を聞いて、初めて生きたのよ」
あの一言が、水蓮の人生の始まりだった。あれから半年も経たないうちに、水蓮はこの世界に来た。この世界にこそ、水蓮の居場所があったのだ。
「だから、心配しないでね。私は後悔なんかしないから。これから死ぬまで、毎日楽しく生きていくから」
待っていた三人に迎えられた禅高は、もう一度水蓮を振り返ると、水蓮に向かって左手の親指を立てた。
「さよなら、禅高」
「お達者で」
一寸法師の声が聞こえた。続いて橘姫と禅高の妻が、水蓮に向かって一礼した。
水蓮は艶やかに笑い、手を振った。
四人は、笑いながら光の中に消えていった。
◇ ◇ ◇
目を覚ますと、ポポが心配そうに水蓮の顔をのぞき込んでいた。
「女の寝顔のぞくなんて、趣味悪いわよ」
「いきなり泣き出すから、びっくりしたんじゃねえか」
「ごめんごめん。夢、見てたの。ちょっと悲しい夢」
水蓮は、あれ、と首を傾げた。涙を拭うといつもの笑顔に戻り、ポポの頭を小突いた。
「わ、なんだよ!」
「あんたしばらく見ないうちに、いい面構えになってきたわねえ」
「は?」
ポポは一瞬惚けたが、艶やかに笑った水蓮を見て、みるみる顔をほころばせた。
「おめえ、目が見えるのか!」
「うん。なんか、治ったみたい」
「うひょー、こいつはスゲエぜ!」
ポポは、さっそくお祝いの歌と踊りを披露してくれた。相変わらず滑稽で楽しい、小人族の踊りだった。
お祝いが終わると、ポポと水蓮は出発した。
追うことも追われることもない、気ままでのんびりとした旅。誰に気兼ねすることもない、のたれ死にと背中合わせの自由。それが、今の水蓮には心地よかった。
まもなく分かれ道に出た。
「さて、どちらに行こうかしら」
「西に行こうぜ、西!」
「西? 何かあるの?」
「ああ! 都があるんだ。鬼とのオトシマエもつけたしな、いよいよオイラのサクセスストーリーを始めるときが来たぜ!」
ポポのサクセスストーリー。それは、ポポがいかにしてビッグな小人になっていくかを伝える、波瀾万丈、奇想天外、涙あり笑いありスリルありの壮大な物語だという。
「ま、黙ってオイラについてきなって。二つとない人生を送らせてやるぜ。もちろん結末は、ハッピーエンドさ!」
「すでに十分、二つとない人生だけどね」
まあいいか、と水蓮は笑った。どうせ行くあてなどない。やらねばならぬこともない。ならばポポがビッグな小人とやらになる様を、間近で見るのも一興だ。
「いいわよ。行きましょうか、都へ!」
「おう! 行こうぜ!」
水蓮は琵琶を構えて軽快な旋律を奏でた。するとそれに合わせてポポが歌い、手拍子を交えて踊り出す。
水蓮は笑った。この先どうなるかわからない。しかし、ポポと一緒なら退屈することはない。きっと、毎日楽しく過ごせるだろう。
それで十分だ。人生は、楽しんだ者が勝ちなのだ。
「さあ、ぱーっといきましょうか!」
「いやっほーっ!」
二人は西へと歩き出した。
行く手には、青い空と緑の大地が、どこまでも続いていた。




