3 謁見
楓の両親は楓が生まれてすぐ事故で亡くなった。だから楓にとって家族といえば、姉の橘姫以外には祖母である領主しかいない。しかし領主は橘一族を束ねる大巫女だ。一年のうち会うのは正月ぐらいで、交わす言葉も一言二言にすぎない。
その領主に向かって、楓がこれほど長い話をしたのは初めてのことだった。
もっとも、家族との会話というよりは、領主への報告といった感じだったが。領主の威圧感のある視線に楓は緊張し、舌がうまく回らなかった。なんとか経緯を話し終えたときには、喉がからからになっていた。
「なるほどな」
楓は、着慣れない巫女の服に包まれて、領主の視線に上目遣いで応じた。数秒ほどして、領主の視線から逃れるように周囲を見た。左右の壁ぎわには大叔父である領主の弟を始め、橘一族の重鎮が顔をそろえていた。領主の視線もさることながら、周囲から降り注ぐ重鎮たちの視線は、こういう雰囲気に慣れていない楓を疲れさせた。
(な、なんなのよー)
楓はできることなら今すぐ逃げ出したかった。
怒られるようなことをしただろうかと考え……思い当る節は多々あったが、領主や一族の重鎮に怒られるほどスゴイことをしたとは、楓には思えなかった。それに皆の表情は、楓を非難しているというよりは、何か重大な決断が下されるのを待っているようだった。
「楓」
長い沈黙を破って、領主が口を開いた。
「どうやら、お前にも真実を伝えねばならぬ時がきたようだな」
「真実?」
「しかし、真実を語る前に、ひとつ教えておかねばならぬことがある。古い古い、昔のことだ。我ら橘一族の由来、かつてこの地で何があったのか。心して聞きなさい」
領主はひとつ咳払いをし、次のような昔話を語り始めた。
◇ ◇ ◇
それは、およそ千年前のことだった。
山奥の一豪族に過ぎなかった橘一族の先祖のもとに、一人の男がやってきた。年の頃は十五、六、強い意志を秘めた瞳を持つ好青年だったという。
ただしその男は、大人の手のひらに乗るほどの大きさでしかない、小人族の男だった。
その男は橘一族に仕官を願い出た。領主はどう対応すべきか困り果てたが、一人娘の橘姫が彼のことをいたく気に入り、姫の遊び相手として雇われることになった。
しかし、男は姫の遊び相手で終わるような男ではなかった。ずば抜けた洞察力、的確な判断力、豊富な知識に度胸と決断力、何よりも一度決めたことは最後までやり抜く意志の強さをもっていた。
男は目覚ましい功績を上げ、いつしか領主の片腕として遇されるまでになった。
男の活躍で日増しに国力をつけ強大になっていった一族だが、領主は男の助言に従い、無用な争いを避け、同盟という形で近隣諸国との絆を深めた。民は平和のうちに繁栄し、豊かな暮らしを満喫していた。
ところが、平和は突如破られた。
鬼が大軍で侵攻してきたのだ。鬼の総大将は、豊かな国土と美しく成長した橘姫を渡すよう要求した。領主はこれを拒否、ここに人と鬼の一大合戦が始まった。
しかし、鬼はもとはといえば神、圧倒的な力の差に、人は為す術もなく蹴散らされた。
国土は荒廃し、町は鬼の軍に包囲された。勝ち目はないと判断した領主は、苦悩の末、国と姫を差し出すことを決意した。
それを止めたのが、小人族の男だった。
男は選りすぐりの兵とともに鬼の軍を急襲、激戦の末、鬼の総大将を討ち取った。総大将を失った鬼の軍は浮き足立った。男は知略の限りを尽くして軍を指揮し、ついに人は鬼の軍団を退け、平和を取り戻した。
その後、男は鬼が落としていった鬼の秘宝「打出の小槌」の力で人間となり、橘姫と結婚した。やがて領主の座を継いだ男は橘姫とともにこの地の繁栄の礎を築き、千年の平和をもたらしたのであった。
◇ ◇ ◇
「……」
困惑。
それが、領主の話が終わったときの、楓の正直な気持ちだった。言葉に困り楓は隣の姉を見たが、姉は正面を向いたまま楓を見ようともしなかった。仕方がないので周囲を見回したが、皆が皆、真面目な顔で黙っていた。
「あのー、それって、ひょっとして……一寸法師のお話?」
「うむ」
領主にうなずかれて、楓はますます困惑した。一寸法師のお話は小さい頃からよく聞かされていた。知らないほうが珍しい、有名なおとぎ話だ。
「一寸法師は強い霊力を持っていた。その血を引くゆえ、我が一族は霊力を持つようになったそうだ。橘の名が代々の領主に受け継がれるようになったのも、そのときからと言われておる」
「それじゃ私は、一寸法師の子孫?」
「信じられぬ、という顔をしておるな」
「その、なんと申しましょうか……」
楓は困ったように頭をかいた。
領主の顔を見れば、冗談を言っているわけではないということはよくわかった。しかし、これまでおとぎ話の世界の住人だと思っていた一寸法師が実在し、しかも自分の祖先だと言われれば、楓ならずとも頭をかくしかないだろう。
「さて、本題はこれからなのだが……」
領主の顔色が変わった。
同時に橘姫が立ち上がり、部屋の入口に馳せ参じた一人の兵へ視線を向けた。
「申し上げます! 正体不明の集団が町を取り囲み、攻撃する気配を見せております!」
よほど急いで来たのだろう、兵は息を切らせながら叫ぶように報告した。居並ぶ重鎮のうち、半数が無言のまま席を立ち駈け出すと、残り半数が指示を仰がんと領主に向き直った。
「鬼め、こちらが気づいたと悟ったか」
「鬼?」
「そうよ、楓」
楓のつぶやきに、橘姫の凛とした声が答えた。
「かつて一寸法師が全知全霊を傾けて退けた鬼の末裔。それが今、この町を攻撃しようとしているの。神の卵を狙ってね」
「神の……卵?」
これまたおとぎ話に出てきそうな言葉だった。楓は説明を求めて領主を見上げたが、領主は楓に一顧だにくれず、一族の重鎮たちに次々と指示を出した。
「全軍、戦闘体制。巫女もすべて出せ。橘、楓を千早のところへ連れていけ」
「わかりました」
領主の指示に残りの重鎮たちも席を立った。楓も姉に促されて席を立つと、数名の兵に守られて本館を後にした。
「いいこと、楓。あなたはこれから北の山に向かいなさい。向こうで柳様が待っていらっしゃるわ」
北の山とは、橘一族が聖地として管理している場所で、徒歩ならおよそ一ヵ月の距離にある霊峰だ。その麓には、巫女が修業の総仕上げを行なう社がいくつも建っている。それらの社を管理する総責任者が、領主の兄である柳だ。
「お姉様、一体……」
「詳しい話をしている暇はないわ」
楓は、本館からすぐのところにある馬小屋に連れて行かれた。馬小屋の中には一頭の黒馬がいた。
「これが千早。橘の名を継いだ者のみが乗ることを許される神馬よ。これに乗って北の山に向かいなさい」
「お、大きい……」
千早は楓の倍以上の身長だった。近づいてきた橘姫と楓に一瞥をくれると、挨拶代わりか、ドン、と地面と蹴った。
千早の蹴りと同時に、ときの声が町に響いた。
「始まったわ」
橘姫は兵に向かってうなずいた。兵は素早く動き、千早に鞍を乗せ、旅に必要なものを積み込んだ。
「楓。手を」
橘姫はそう言って手を差し出した。楓は戸惑いつつ橘の手を握った。
橘は目を閉じ、小さな声で何かをつぶやいた。
ふわり、と橘姫と楓を包む空気が動いた。すると橘姫の手を通して、何かが楓の中に流れこんだ。楓は驚いたが、それほど嫌な感じではなかった。
「お姉様、今の……」
「姫様。準備終わりました」
荷物を積み終えた兵が、橘姫にそう告げた。橘姫はうなずくと、目を開いて楓の手を放した。
「楓、千早に乗りなさい」
「お姉様は?」
「私はここに残ります。あなた一人で行くのです」
「ち、ちょっと待ってお姉様。私、何が何だか……」
「時間がないわ。包囲されてしまう前に町を出るのよ」
橘姫は懐から手紙を取り出すと、楓の胸元に押し込んだ。
「詳しいことは柳様が教えてくださるわ。向こうへ着いたらこの手紙を柳様に渡しなさい。いいわね?」
そのとき、壁を破って侵入者が現われた。
千早が勢い良く頭を上げ、侵入者をにらみつけた。
千早の視線の先にいたそれを見て、楓は息を飲んだ。それは紛れもなく鬼だった。頭には一本の角、大柄で筋肉質の体で、手には斧を持っていた。
「邪鬼! もうこんなところまで……」
橘の声に、邪鬼はニタリと笑った。その笑いに、楓は腰が抜けそうになった。
いきなり千早が飛んだ。
千早は一瞬で鬼との間合いを縮めると、雄叫びを上げ邪鬼に飛びかかった。丸太のような千早の足が、邪鬼に襲いかかる。邪鬼は逃げる暇もなく千早に踏み潰された。
「早く!」
橘姫の指示を受けて、兵は、呆然としている楓を千早に押し上げた。巫女の服では鞍にまたがることができず、楓は横乗りで、千早の首にしがみつくような姿勢になった。
「開けて!」
馬小屋の扉が開かれた。そこには今まさに馬小屋に突入しようとしている邪鬼がたむろしていた。
「きゃっ!」
千早は小屋から躍り出た。楓は危うく落馬しそうになり、慌てて手綱を手繰り寄せた。
「落ちても知らぬぞ」
千早はそう言わんばかりに鼻を鳴らし、地面を蹴った。その行く手を阻もうと邪鬼が動いたが、千早は雄叫びとともに邪鬼を蹴散らした。
「お姉様!」
「楓! 必ず北の山へ行くのよ!」
橘姫の叫びを背中に受けつつ、楓と千早は混乱の中へと飛び出していった。