6 水蓮の記憶
ポポと水蓮は、楓を追って東へと走った。だが、その行く手をさえぎるように、雪が激しく降り始めた。
「急げ水蓮! 足跡が消えちまう!」
「わかってる!」
水蓮は肩で息をしながら、全速力で走り出した。雪の冷たさに水蓮の足はしびれ、そのうち感覚がなくなってしまったが、その程度のことで音を上げている時ではない。
町の東にある丘のふもとに着いたとき、雪は水蓮のくるぶしまでになっていた。もはや楓の足跡は雪の下、どちらへ行ったかもわからない。
水蓮は、ここまでかとあきらめかけた。
「なんの、ポポロサーチ!」
そのとき、ポポが立ち上がった。ポポの体が赤く光り、その光は爆発するような勢いで視界をさえぎる雪を貫いた。
「水蓮、左ナナメ前!」
「え?」
「池の向こうに小さな社がある! そっちから楓の気配がする!」
「あなたって、なんでもできるのね」
「英雄だからな!」
水蓮はすぐさま駆け出した。ポポが言う通り、凍りついた池のほとりに小さな社があった。その社の裏手に楓のものと思われる足跡があった。足跡は、社の裏手にある登山道へと続いていた。
「ポポ、入ってて」
「え、おい!」
水蓮は頭の上のポポを胸元にねじ込んだ。それから再び走り出すと、軽やかな足取りで山道を登り始めた。
「ふがふが!」
「やん。あんまり動かないでよ」
「ぷはっ! なんだよ水蓮、ビックリするじゃねえか! あー、窒息するかと思った」
「ボウヤには刺激が強過ぎる?」
「な、なんだと!」
ポポはかっとなって水蓮の胸元から出ようとした。しかし水蓮はポポの頭を押さえ、再び胸元に押し込んだ。
「いいからそこで体を温めなさい」
水蓮の言葉に、ポポは表情を引き締めた。
「……いるのか?」
「ええ。うじゃうじゃいるわよ」
頭上で何かが動く気配がした。水蓮は素早く琵琶を構えると、バチで激しくかき鳴らした。
ベベン。
琵琶の音が響くと同時に、十数人の邪鬼が襲いかかってきた。水蓮は右へ左へと軽やかに邪鬼の攻撃をかわした。
「水蓮、オイラも出るぞ!」
「あなたには本命が残っているでしょ。力を温存しなさい」
水蓮は再び琵琶をかき鳴らした。琵琶の音は邪鬼を包み、その力を減殺する。
しかし、決定的な打撃を与えることはできなかった。邪鬼は力を失い膝をついたものの、琵琶の音が遠ざかるとすぐに力を回復した。
「んもう」
追いかけてくる邪鬼を見て、水蓮は口をとがらせた。
「何が足りないのかしら、この琵琶」
水蓮は逃げに徹した。邪鬼がこれだけいるということは、この先に楓と鬼がいるということだ。まずは楓の元に駆けつけるのが先決だ。
細い山道を登りきると、広くなだらかな坂となった。しかしそこには数百の邪鬼がひしめきあい、ポポと水蓮を待ちかまえていた。
水蓮は琵琶をつま弾くと、軽やかな身のこなしで宙を舞った。琵琶の音がかろうじて水蓮の身を守ったが、四方八方から繰り出される邪鬼の攻撃はよけるだけで精一杯だ。とても反撃できる余裕はなかった。
「水蓮、こんなに囲まれてちゃムリだ!」
「気が散るから黙ってて!」
水蓮とて無茶なのはわかっていた。しかし頂上にいる鬼は、数百の邪鬼を束ねても足元にも及ばない、そんな相手だ。ここでポポが力を使い果たすわけにはいかないのだ。
紙一重のきわどい攻防が続いた。水蓮は全神経を張りつめて、ひたすら邪鬼の攻撃をよけ続けた。そして隙を見ては琵琶を鳴らして包囲網を崩すと、じわりじわりと頂上へ向かって進み続けた。
「アブねえ!」
邪鬼の攻撃をかわして着地したとき、雪に隠れていた岩の上に足が乗った。姿勢を崩した水蓮に三方から同時に攻撃が繰り出された。目の前に迫る邪鬼の剣を見て、さすがの水蓮も血の気が引いた。
パリンッ。
そのとき、水蓮の中で何かが壊れる音がした。
気がつくと、水蓮はあの鉄扇を手にしていた。そして、地面ぎりぎりのところで鋭い回転を見せると、信じられない身軽さで姿勢を立て直した。同時に琵琶を空中に放り投げ、軽やかな一回転とともに鉄扇を邪鬼に叩きつけた。
キィンッ、と鋭い音とともに、衝撃波が生まれた。
水蓮が、落ちてきた琵琶を再び手にしたとき、数十人の邪鬼がまとめて倒れていた。鉄扇を叩き込まれた邪鬼は、それきり起きあがろうとしなかった。
「な、なんだあ?」
「あらら?」
ポポはもちろん、当の水蓮も何が起きたのかと首を傾げた。
なぜだか知らないが、水蓮は体が妙に軽かった。なんだかずっともやがかかったままだった頭の中も、急に晴れていくような気がした。
不意に、水蓮は今朝の夢を思い出した。
自分がなぜこの世界に来たのか、自分の本当の力がどんなものなのか、その記憶は土壇場になるまで封じる。水蓮はそう言われ、あの男の術を受けた。
今、その術が壊れようとしているのではないだろうか。
「いけるわ、ポポ」
水蓮は琵琶をかき鳴らし、頂上に向かって駆け出した。まるでそよ風のような軽やかな身のこなしで、もはや邪鬼では水蓮の動きをとらえることはできなかった。
「どうした水蓮。すげえぞ!」
「思い出してきたの」
水蓮はあっというまに邪鬼を振り切った。水蓮の記憶を封じる力が急速に弱まっていた。それと比例して、水蓮の全身に力がみなぎり始めた。
頂上ですさまじい鬼の力が生じた。続いて轟音が響き、頂上に見えていた岩らしきものが消えてなくなった。
「ポポ、見える?」
「待ってろ!」
ポポは水蓮の胸元から出ると、頭の上に駆け上った。
「見えた! 楓がいる。ヤベエ、鬼もいやがる! 急げ!」
「んもう!」
走り出そうとした水蓮だが、舌打ちして急停止すると横っ飛びに転がった。間髪入れず四方から矢が飛んできた。もう一瞬遅かったら、まともに矢をくらっていただろう。
「まだいたの? シツコイ人って大嫌い」
再び矢が空気を切り裂く音が響いた。水蓮は転がって矢をよけると、すぐに立ち上がって体勢を整えた。
行く手に立ちふさがった邪鬼は十人だった。しかしその十人は明らかに他の邪鬼と違った。そう簡単には頂上へ行かせてくれそうもなく、しかも手には矢を持っている。この十人に手こずれば、背後から数百の鬼が追いついてくるだろう。
「あと少しなのに……」
「楓! ヤベエ!」
再び頂上で爆発が生じた。ポポが目を凝らしてみると、鬼が楓をつかみあげていた。
「ちくしょう、万事窮すか!」
「珍しいわね、ポポが弱音を吐くなんて」
水蓮は全神経を集中し、頂上にいる鬼との距離を測った。
「なんとか……届くかな。ポポ、あなただけ先に行って」
「どうやって?」
「うふふ。知りたい?」
水蓮は艶やかに笑うと、懐から水晶玉を取り出した。
「え、お、おい、ちょっと……」
水蓮は、その水晶玉にポポを縛り付けると、琵琶の首の部分を手で持ち、構えた。
「こうやってね、確か……」
「ち、ちょっと待て、水蓮! お前何する気だ!」
水蓮が、ポポを縛り付けた水晶玉を高く放り投げた。そして、右手で持った琵琶で、その水晶玉を鋭く打った。
「高速……サーブッ!」
「どわーっ!」
水蓮が鋭く琵琶を振り抜くと、ポポを縛りつけた水晶玉は勢いよく飛んだ。邪鬼が水晶玉を取ろうと手を伸ばしたが、水晶玉が宿す橘の霊力に手を弾かれた。
「うん、大成功!」
いきなり邪鬼が襲いかかってきた。
トン。
水蓮は慌てることなく体をひねり、優雅な動作で琵琶をかき鳴らした。
「あ!」
それは、えもいわれぬ美しい響きだった。
その音が響いた途端、邪鬼は力を失い、倒れた。これまでとは比較にならない、強い力だった。
「そうか……そうだったわ、思い出した!」
水蓮は表情を輝かせた。
追いついた邪鬼が水蓮を囲んだ。その数およそ五百。しかし水蓮は動じなかった。邪鬼をぐるりと見回すと、楽しそうな、それでいて艶やかな笑みを浮かべた。
「さーて、さくさくっと片づけますか!」




