8 包囲
一度は姿を消した邪鬼が、再び町を包囲した。
そう伝えられた椿は、化粧で顔色の悪さを隠すと、支度を整え領主の元へ向かった。領主の館には、すでに橘一族の主立った者が集まっていた。
椿は言われるままに領主の前に座り、平伏した。
「顔をお上げ、椿」
「はい」
「二日前、北の山の結界が消滅した」
「はい、存じております」
「鬼だと思うか?」
「いいえ」
椿は迷うことなくそう答えた。
「いくら鬼でも、あれだけの結界を一日のうちに消滅させることは不可能と考えます」
「そうか」
領主の表情は変わらなかった。椿同様、この事態は想定していたのだろう。
「やはりあの子は、北の山を登ったか」
椿は無言だった。想定していたとはいえ、冷静ではいられなかった。楓が北の山へ登り結界を解いたということは、鬼も北の山を登ることが可能になったということだ。楓のことが心配で、椿はこの二日間ろくに眠っていなかった。
「いずれにせよ、鬼が次に攻撃するのはこの町だ。数日のうちに動きがあるだろう。臨戦態勢を取れ。いよいよ決戦だ」
「はっ」
椿を除く全員が、一礼とともに領主の館を後にした。
「椿、どうした?」
立ち去らぬ椿に、領主は言葉をかけた。椿はこらえきれなくなり、大粒の涙をこぼした。
「楓は……楓は無事でしょうか……」
「心配いらぬ。楓は、霊力を育てる代わりに、生き抜く力を育ててきた。きっと、鬼の手を逃れて無事でおる」
「はい……」
「さあ、我らは我らで、なすべきことをしよう。鬼は必ずここに封じるのだ」
椿は一礼し、涙を拭いながら立ち去った。
「のう椿、お前には感謝しているよ」
椿が立ち去ると、領主は表情を和らげて呟いた。他人には決して見せることのない、祖母としての表情だった。
「私はこの通り、一族を束ねる大巫女。あの子に家族のぬくもりを与えてやれる立場ではない。お前がいてくれねば、楓は家族のぬくもりを知らぬまま育ったことだろうて」
領主は己の業を呪った。橘の使命は果たさねばならない。しかしその結果、橘の血が絶えてしまうのは一族の頭として見過ごすことができなかった。
それゆえ、孤児であった一人の少女を引き取り、楓の姉として育てた。少女には橘一族にも匹敵する霊力が備わっていた。領主は来るべき鬼との決戦にはその少女を当て、ただ一人の孫は逃がすことにした。
「楓が知れば、顔を真っ赤にして怒るであろうな」
楓は二歳のとき、初めて椿に会った。一族の重鎮に見守られておどおどしていた楓だが、椿を見たとたん笑顔になり、一目散に椿の元へ駆け寄った。
「おねーさま?」
楓の舌足らずの言葉に、椿は固い表情でうなずいた。すると楓は心の底から嬉しそうな顔をした。その笑顔に椿の表情もほぐれ、優しい笑顔で楓に笑いかけた。
二人の笑顔を見た瞬間、領主は自分がとんでもない間違いを犯したと悟った。しかし事態はすでに動き始めていた。もう、後戻りはできなかったのだ。
「椿、許せとは言わぬ。鬼を倒すためには私もまた、鬼にならねばならぬのだ」




