6 神の卵
北の山の霊力と同化した楓は、時間の流れから切り離された。
千年かけて作られた結界を、何時間も、何日も、何年もかけて紐解いていく。まるで卵の薄皮を丁寧にむいていくような、根気のいる作業だった。しかも結界は幾重にも張られており、解いても解いても結界は残っていた。
これほどにまでしなければ封じられないのが、鬼の力。それを思うと、北の山へ迫る鬼のことが気になった。
だが、焦って手元を狂わせると、結界はすぐに元に戻ってしまう。楓は、いつ果てるともなく続く単調な作業を、一生分の根気と忍耐力を費やして、確実にこなしていった。
作業を始めてから何年経ったのか、もはやわからなくなった。そうなってから、さらに長い時間をかけて、結界を解き続けた。
解いて、解いて、ひたすら解いて、もう自分が誰だったのか、何でそんなことをしているのかわからなくなり、それでもただひたすら結界を解き続けて。
楓は、ついに結界の中心にたどり着いた。
ストン、と結界の中心に落ちた楓は、ゆっくりと目を開いた。
体の感覚は、十六年近く慣れ親しんできたものに戻っていた。意識が次第にはっきりし、ゆっくりと全身を見回して、見た目も慣れ親しんだもののままだと知り、安心した。
しかし楓はホッとする間もなく、目の前の光景を見て息を飲んだ。
闇の中に、光を放つ楓の木があった。
見たこともない巨大な楓の木には、真っ赤に染まった無数の葉がついていた。葉は風もないのに揺れており、揺れるたびにさらに濃い赤色に染まっていく。楓が見る限り、紅葉していない葉は一枚もなかった。
楓は恐る恐る木に近づいた。近づいて、改めてその大きさに息を飲んだ。幹の太さは大人が十人手をつないでも届かないほどあり、見上げれば先端が見えないほど高かった。
「この木……脈打ってるみたい……」
木は一定の間隔で脈打ち、紅葉を深めていく。楓は恐る恐る手を伸ばし、幹に触れた。幹は予想に反して柔らかく、まるで人肌のように温かかった。
そのとき、木がひときわ大きく脈打った。楓は慌てて手を離そうとしたが、どうしたことか手は幹に吸い付いて離れなかった。
「きゃっ!」
ザァァ、と葉擦れの音が響き渡り、数万の楓の葉が一斉に散り始めた。楓はあっという間に葉に埋もれてしまったが、どこからともなく吹いてきた風が葉を吹き飛ばした。飛ばされた葉は北の山を包む霊力に飲み込まれ、闇の中に消えていった。
やがて、すべての葉が散り、霊力に飲み込まれた。そのときになってやっと、楓はあの木が何だったのかを知った。
「橘の証」が教えてくれた。あの木は、鬼の邪気を吸い続け、その葉に蓄えた。そして全ての邪気を吸い終えたとき、北の山を包む霊力がその葉を飲み込み、邪気を消し去ってしまうように仕組まれていたのだ。
葉が散り裸となった木はまだ立っていた。楓は幹から手を離そうとした。
すると楓が手を当てていたところから幹に亀裂が入った。亀裂は押し広げられ、さらに大きくなり、ついに木は二つに割れ、轟音とともに倒れた。
木の中から、大人の拳ほどの大きさはある、真珠色に輝く光の玉が現れた。光の玉は楓の手に吸い付いていた。楓は手を引き寄せ、その光の玉を見つめた。
「これが……神の卵……」
伝わってくる巨大な力に、楓は戦慄を覚えた。北の山を包む霊力と一体となるという経験がなければ、楓は神の卵が放つ圧倒的な力に意識を奪われていただろう。一寸法師は、神の卵は人の手には負えぬと言っていたが、まさにそうだと楓は思った。
「これを、天に返すのね」
楓自身がもつ霊力に「天へ帰れ」という意志を込めて神の卵に送れば、神の卵は自らの力で天に帰るはずだった。
しかしそこで、楓ははたと困った。
これまで楓は霊力を使う方法を学んでこなかった。だから、どうやって神の卵に意志を込めた霊力を送ればいいのか、見当もつかなかった。北の山の霊力から分離したため、楓の霊力だけでは「橘の証」を守る封印は突破できない。とはいえ、まさかここで眠るわけにはいかなかった。
「ありゃ、まいったな……どうしよう?」
楓は頭をかいたが、名案が浮かぶはずもない。
「柳様に聞くしかないか」
急がなくちゃ、と楓は思った。鬼は目と鼻の先まで近づいている。あまりぐずぐずしていては、鬼がここまで来てしまうだろう。
楓がそう考え、踵を返そうとしたとき。
雷が、闇を切り裂いた。




