3 禁域へ
雲が晴れ、月の光が周囲を照らし始めた。
「何者か!」
神様に祈る暇もなく、楓たちは見張りの巫女に見つかった。楓はどうしていいかわからずまごついたが、ポポと水蓮は底抜けに明るく元気な声で答えた。
「水蓮でーす!」
「ポポロビッチ=バン=ピロスキーだ!」
まさか即答で名乗るとは思わなかったのだろう、見張りの巫女は目を点にして、にこやかに笑っているポポと水蓮を見た。
「それ急げ!」
その隙をついて、水蓮は楓の手を取り、走り出した。
北の山は、かつて一寸法師が鬼の死体を封じた地だ。うかつに登れば、荒れ狂う鬼の力とそれを浄化しようとする霊力に飲み込まれ、命はない。そのため結界の周囲には高い塀が作られ、唯一の入口は丈夫な門で閉ざされていた。警備も厳重で、侵入者には容赦なく矢が放たれる。過去に何度も橘の屋敷の警備を突破した楓だが、ここの警備は別格で、気付かれずに突破できるものではなかった。
「うひょー、きたきたぁ!」
ポポが振り返り、楽しそうな口調で叫んだ。警備をすり抜け門へ向かう楓たちを追って、数え切れないほどのたいまつが続々と集まってきていた。
楓たちはようやくのことで門にたどり着いたが、さすがに作りが頑丈で、鍵も壊せそうになかった。
「楓!」
取り囲む無数のたいまつが二つに割れ、一人の男が現れた。領主の兄で、この山を管理する総責任者の柳だった。歳はもう七十になるが、背の高い、堂々たる体躯の持ち主だった。
「そこで何をしているのだ!」
「北の山に登ります」
「ならぬ。私が言ったことを忘れたか!」
「覚えています。でも、私だけ逃げるなんてイヤです!」
「バカ者が! 人を滅ぼすつもりか!」
柳がぎょろりと目をむいた。さすがに領主の兄だけあって、ひとにらみで楓は身がすくんだ。しかしここで負けてはいられない。楓は、全身の勇気を振り絞って、柳に真っ直ぐな視線を返した。
「神の卵を鬼の手から守り、天に返す。それが橘の使命だと聞きました」
「……いかにも」
「柳様。私、橘です。神の卵を天に返す使命を持って生まれた、橘の姫です! 私にその力があるのなら、私は鬼と戦って、お姉様を守ります!」
楓の言葉を聞いて、柳はポポと水蓮に鋭い視線を送った。
「お前たちが楓をあおったのか?」
「あおってなんかいませんわ」
水蓮は艶やかに笑った。
「まあ、止めてもいませんけどね。私もポポも鬼を探してます。神の卵を手に入れたら、向こうからやって来てくれるもの。協力は積極的にさせていただいてますわ」
「何のために鬼を探す?」
「そりゃあもちろん、倒すのさ!」
ポポはどーんと胸を叩いた。
「鬼を倒せるとでも言うのか、小人族の青年よ」
「あったりめえさ。なんてったってオイラは、小人族第二の英雄だからな!」
闇の向こうから放たれた矢を、水蓮は琵琶のばちでたたき落とした。巫女は次の矢をつがえたが、柳がそれを止めた。
「ポポーロ!」
ポポが鋭く叫んだ。赤い光が生まれ、ポポと水蓮を包む。
「では、失礼いたします」
「ポポロジャーンプ!」
ポポは水蓮の体を操ると、楓を抱えて飛び上がり、門を飛び越えた。
「ごめんなさい、柳様! 私、お姉様が死ぬなんてイヤなの!」
塀の向こうに消える寸前、楓はそう叫び頭を下げた。
柳は立ちつくしたまま、しばらくの間塀を見上げていた。
「是非もない」
柳は大きく息をついた。こうなるのではないかという思いは、楓に会った瞬間から柳の心に浮かんでいた。
「顔ばかりか、性格まで母親そっくりだ。そうは思わぬか、小夜」
「ええ、本当に」
柳のすぐ後ろに控えていた、四十ほどの巫女がうなずいた。彼女は楓の母親の親友だった巫女だ。
「十六年前もこんな感じでしたね。あの方は、周りが止めるのを振り切って、鬼を倒すために行ってしまった」
この子は死なせたくないの。この子が元気に育ってくれるのなら、私は死んでもかまわないわ。
楓の母親はそう言って、鬼との戦いに赴いた。勝ち目はないと、誰もが思っていた。しかし楓の母親は、生まれたばかりの娘を守るため、命と引き替えに鬼を退けた。
大切な人を守りたい。その思いは鬼すら退ける強い力となった。そして今、楓は母と同じ思いを抱いて、神の卵のもとへ向かった。
しかし柳は不安だった。楓の母親は娘を守るために命を失った。捨て身の思いは強い力を生むと同時に、返す刀でその者自身の命を奪う。楓が母と同じ思いを抱き、母と同じ運命をたどるとすれば、柳には耐えられることではなかった。
「小夜。向こうへ行ける巫女は何人いる?」
霊力を持つ巫女の中でも、特別な訓練を積んだ巫女でなければ進むことすらできない。塀の向こうはそういう世界だった。
「私も含めて九名です」
「九名か。ではその者たちをすべて集めて、急ぎ楓を……」
「柳様!」
社から一人の巫女が息せき切って走ってきた。巫女は柳の前にひざまずくと、真っ青な顔で柳に告げた。
「北の山、第一の結界が破られました。第二の結界が破られるのも時間の問題です!」
「結界が?」
柳の表情が曇った。千年をかけて強化し続けてきた結界は、今では砦のすぐ近くにある吊り橋まで広がっている。この結界は人を拒みはしない。拒むのは、鬼とその力を受けて甦った邪鬼だけだ。
「邪鬼……ではあるまい」
北の山を守る結界は、やがて生まれる神の卵を守る結界だ。その強さは、町を守る結界の比ではない。邪鬼が第一、第二の結界を立て続けに破るなど不可能だった。
「ついに鬼が動いたか」
柳は唇を噛んだ。楓が山を登り始めた以上、これから北の山を守る結界は徐々に解除されていく。それこそが、橘姫に与えられた力であり、役目だった。
「楓が全ての結界を解き、神の卵を天に返すまでおよそ一日……守りきれるか?」
「守らねばなりません」
「そうだな」
小夜の言葉に、柳はうなずいた。もはや、迷っている暇はない。
「小夜、お前を行かせるわけにはいかなくなったな」
「そのようですね」
「全員戦闘準備! 楓が神の卵を天に返すまで、何としてもふもとで鬼をくい止める! 急げ!」




