表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/48

2 橘姫

 物悲しい琵琶の音で、楓は目を覚ました。すでに日は沈み、月が空高く昇っていた。


 「起きたの、楓?」


 軒先に出て琵琶をつま弾いていた水蓮が、振り向きもせず言った。


 「こっちに来たら?」


 楓は黙って立ち上がると、水蓮のそばに行き腰を下ろした。


 「月……きれいだね」

 「そうみたいね。明日は満月だそうよ」

 「んあ? 楓?」


 水蓮の肩でうたた寝していたポポが、寝ぼけた顔で起きあがった。楓が微笑むと、ポポは力強く親指を立てたが、すぐにまた眠ってしまった。


 「ポポ、疲れてるんだね」

 「大活躍だったからね」


 楓は抱えた膝に頭を乗せて、水蓮の琵琶の音に耳を傾けた。ゆらり、ゆらりと揺れながら、むせぶように響く琵琶の音に、楓はいつの間にか涙を流していた。


 「それで、どうするか決めたの?」


 長い曲を弾き終え、水蓮は楓に笑いかけた。

 楓は黙って首を振った。


 「色んなことがいっぺんに起こって……私もう、わけがわかんない」


 初めて聞いた橘一族の由来と使命、邪鬼の襲撃、北の山への出発、不思議な夢に、ポポと水蓮との出会い。何よりも衝撃だったのは、姉とは血が繋がってらず、自分こそが次期領主、橘姫だということだった。

 姉から託された手紙は、柳宛ではなく、楓宛の手紙だった。

 姉は淡々とした文章で自分が何者かを綴り、楓に逃げるよう告げていた。


 「鬼の力は、橘一族が総力を挙げても太刀打ちできるかどうかわかりません。楓様、あなたはお逃げください。逃げて橘の血を残すようにとの、領主様のご命令です。私たちは何としてもこの地に鬼を封じ、神の卵を守り抜きます……」


 最初から楓は逃がされる予定だった。だからこれまで楓には何も知らされなかった。手紙を読み終えた楓に、柳は明日にでもここを出発するよう命じた。 有無を言わせぬ柳の迫力に、楓は何も言い返せなかった。


 「お姉様、私のこと……楓様……て、書いてたの」

 「そう」


 大好きな姉から、他人行儀に様付けで呼ばれる、それが何より楓にはつらかった。

 水蓮は再び琵琶をつま弾いた。さきほどの物悲しい旋律ではなく、慰め、励ますような優しい旋律だった。楓は目を閉じて、琵琶の音に聞き入った。


 「夢……また見たの」


 月が南天したとき、楓は呟くように言った。


 「禅高は、鬼を倒して英雄になったけど、ちっとも嬉しそうじゃなかった。いつも豪快に笑っていたのに、ほとんど笑わなくなって、ぼんやりしてることが多くなったの」


 橘姫は色々と励ましたが、禅高の気は晴れなかった。鬼はいなくなった。国には平和が戻った。しかし妻を殺した鬼は取り逃がし、何よりも妻が生き返ることはなかった。

 月を見るたびに禅高は泣いた。禅高の妻は、月を見ながら歌うのが好きだった。歌うのはいつも童謡だった。禅高は小さな息子を膝に抱いて、妻の歌を聴くのが大好きだった。

 あの日々は、もう戻らない。

 禅高は生まれて初めて後悔をした。なぜもっと早く戻ってこなかったのだろう、この身に代えても鬼から守ったのに。そう考えるたびに禅高は涙を流し、己の不甲斐なさを悔やんだ。


 「大切な人を守ることができたはずなのに、できなかった……それって……つらいよね」


 いつの間にか琵琶の音はやんでいた。楓が目を開くと、水蓮と目を覚ましたポポが、真っ直ぐに楓を見ていた。


 「私のお父さんとお母さんね、私が生まれてすぐに、私を守るために鬼と戦って死んだんだって……柳様が教えてくれた」

 「知ってる」


 ポポは、楓の言葉にうなずいた。


 「オイラの両親も、その戦いに行って死んだ。橘に生まれた、神の卵を天に返すことができる、たった一人の姫を守るために戦った。長老様がそう教えてくれた」

 「……私も、大切な人を守りたい」


 楓は決意を込めた口調で言った。


 「お父さんとお母さんみたいに。禅高みたいに、後悔したくない」

 「それが、あなたの決断ね?」

 「うん」


 楓は力強くうなずいた。楓の目に、もう迷いはなかった。


 「よっしゃ、わかった!」


 ポポがねじりはちまきを締め直した。水蓮は艶やかに笑い、琵琶を盛大にかき鳴らした。


 「では、参りましょう。僭越ながら、私とポポが姫をお守りいたしますわ」


   ◇   ◇   ◇


 その頃、砦近くの吊り橋の上を、一つの影が悠々と歩いていた。


 「ここは変わらぬな」


 鬼は鬼は吊り橋の中央で立ち止まり、感慨深げに周囲を見た。十六年ほど前、神の卵を天に返す役目を持って、一人の赤ん坊が生まれた。鬼は赤ん坊を手に入れようと、単身北の山に赴いた。

 しかし、鬼は目的を果たせなかった。鬼の動きを察知していた赤ん坊の両親は、幾重にも張られた結界の中で出産し、そのまま結界にとどまり続けた。鬼はその力で結界を破ることに成功したが、そこでほとんどの力を使ってしまった。

 赤ん坊の両親は、生まれたばかりの赤ん坊を守るため、捨て身で鬼に挑んだ。その戦いぶりに手こずっているうちに小人族の戦士も駆けつけた。

 一瞬の隙をつかれ、鬼は重傷を負った。鬼はやむなく退き、次の機会を待つことにした。その後、風の噂で赤ん坊の両親が死んだことを知ったが、鬼は計を練り、慌てずにじっくりと事を進めた。十一年後、まずは目障りな小人族を滅ぼし、それから五年かけて、じわじわと橘一族の力をそいできた。


 「こたびは、十六年前のようにはいかぬぞ」


 鬼は鈴を手に取り、鳴らした。


 リィィーン。


 不気味に澄んだ音が響くと、北の山に張られた橘一族の結界がひび割れた。

 鬼は、破れた結界を悠々とくぐった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ