10 異なるお話
ポポと水蓮は、楓を千早に乗せ、次の小屋へ急いだ。真っ青な顔をしている楓を気遣い、千早はゆっくりとした歩みで進んだため、小屋に着いたのは真夜中だった。
楓が目を覚ましたのは翌日のお昼近くだった。起きあがることはできたが体が重く、その日は大事をとって休むことになった。
昼過ぎから雨が降り出した。
楓は、これまで黙っていた夢のことをポポと水蓮に話すことにした。なぜか話さない方がいいと感じていたのだが、夢は核心部分に近づいているようだ。これからのことを考えると、二人に夢の内容を話し、何か知っているか聞いておく方が良いと思えた。
「ふーん」
楓の話を聞いて、ポポも水蓮も考え込んだ。
「私が知っている一寸法師のお話とは、ずいぶん違うわねえ」
「水蓮さんが知っているのは、どんな話?」
「子供ができない夫婦が、観音様にお参りして、小さな子供を授けてもらうの」
「観音様?」
聞きなれな言葉に、楓は首を傾げた。ああそうか、と水蓮は笑い、「私の世界の神様よ」と説明してくれた。
「だけど、小人じゃどうしようもないって疎まれて、家を出ていくのよ」
家を出た一寸法師は、都へ行き、大臣の家に仕えた。
大臣には美しい娘がいて、一寸法師はその娘に一目ぼれしてしまう。なんとか姫を妻にしようと考えた挙げ句、一寸法師は姫が寝ている隙にその口元に米粒をつけて、姫が食べたと騒いだ。
姫の行為をはしたないと怒った大臣は、姫を屋敷から追放した。一寸法師は姫とともに屋敷を出て、行く当てもなくさまよい、鬼が住む島にたどり着いた。鬼は姫を我が物にしようとしたが、一寸法師が返り討ちにし、財宝を置いて逃げてしまった。
その財宝の中に、打ち出の小槌と呼ばれる秘宝があった。一寸法師は打ち出の小槌の力で大きくなると、財宝を持って都に帰り、姫と暮らし始めた。やがて天皇の耳に一寸法師の噂が届き、めでたく出世した。一寸法師は親を呼び寄せ、以後は幸せに暮らしたという。
「なんだよそりゃ。ひでえ話だな」
水蓮の話が終わると、ポポは猛然と抗議した。
「ゲルンハルト様は、そんなサギ師じゃねえぞ! 訂正しろ!」
「私に言われても。それじゃポポ、あんたが知ってる話はどうなの?」
「そりゃあもちろん、知勇兼ね備えた大英雄さ! 鬼に攻められて滅亡寸前だった人間を救うため、小人族の強者を率いて戦ったという話は、聞いてるだけでワクワクしてくる、世界一の歴史大河ドラマさ!」
「ずいぶん違うのねえ」
水蓮は頬に指を当てて考えた。
「私の話ではサギ師、ポポの話では英雄か」
「私は先祖だし……」
「そういえば」
水蓮は、おや、と首を傾げた。
「禅高、て何者なの? 私が知ってるお話には出てこないけど」
「わかんない。おばあ様も、その人のことは言ってないし」
「禅高ってのは、ゲルンハルト様の戦友だった男だぜ」
「あら、ポポが知ってるお話には出てくるの?」
「お話の最初に、ちょびっとだけどな。ゲルンハルト様は信用できると、人間の王に推挙する武人だよ」
「それじゃ重要人物じゃないのね」
「ああ。そうなんだけど……」
ポポは眉間にしわを寄せた。
「そういや、長老様が言ってたなあ。禅高についての伝承は、故意に消されたような跡がある、て」
「消された? どうして?」
「さあ? 長老様が色々研究してたけど、今となっちゃわかんねえや」
翌日、楓たちは日の出とともに小屋を出て、北へ向かって走り出した。雨上がりの空気は心地よく、千早の足取りも軽快そのものだった。
お昼を過ぎた頃、千早は最後の上り坂を駆け上り、静かに立ち止まった。
「うひゃー、こりゃ最高だぜ!」
「絶景ねえ」
「すごーい……」
雲一つない青空を背景に、天まで届くかと思われる巨大な山がそびえ立っていた。頂上に積もる万年雪が空の青の中で映えている。まるで空色の画用紙に描かれた、一幅の絵のようだった。
町を出て十日目。楓はようやく、橘一族の聖地、北の山に到着した。
◇ ◇ ◇
並々と注がれた酒の表面に、北の山の社へ入る楓たちが映っていた。
「やれやれ、着いてしまったか」
言葉とは裏腹に、その口調はどこか楽しげだった。杯は、微笑をたたえた口元に運ばれ、一息で空となった。
「さて、どうしたものか」
鬼は笑った。
鬼、と言っても、その痕跡は口を開いたときにわずかに見える牙ぐらいしかない。色白で細面の顔立ちはどこぞの国の貴族と言っても通用するだろう。髪は、漆黒の闇のように黒く、腰の近くまで伸びていた。白い着流し姿で、やや太めの紫の腰紐には、小さな鈴が一つぶら下がっていた。
鬼の顔を見れば、楓や橘姫はあっと声を上げただろう。それは楓が見た、正体不明の警備兵の顔だった。
鬼が差し出した杯に、隣に座る美少女が酒を注いだ。美しく着飾ってはいるがその目には意志の光がなく、まるで人形のように無表情だった。
「のう、葵。さすがにあの山は、邪鬼では落とせぬだろうな」
鬼はまた一息で酒を飲み干すと、葵を抱き寄せその唇を吸った。葵は虚ろな目で鬼の口づけを受け、鬼の腕の中で崩れ落ちた。
「お前といい、橘姫といい、美しいな。かつて人間を妻にと望んだ、御大将の気持ちもわかるような気がするぞ」
鬼は腰紐の鈴を手に取った。
リィィーン。
不気味に済んだ鈴の音が響いた。鈴の音を聞いた邪鬼がどこからともなく集まり始め、鬼の前にひれ伏した。
邪鬼が集まり終わると、葵も静かに立ち上がり、鬼の前にひれ伏した。
「葵、お前は邪鬼とともに、一足先に町へ行け。私が戻るまで、攻撃はせぬように」
鬼が杯を差し出すと、葵は鬼の前に出て杯を押し頂いた。鬼は葵に渡した杯に酒を注いだ。葵はさらに深く頭を下げたのち、ゆっくりと杯を干した。
「お前を軍団の長に命じよう。最後の戦いでは、我が右腕として働いてもらうぞ」
鬼は悦に入った表情で笑うと、葵が返した杯に手酌で酒を注ぎ、あおった。
「私は北の山へ行ってくる。まあ、一日もあれば終わるだろう」
リィィーン。
鬼が再び鈴を鳴らすと葵が立ち上がった。邪鬼もまた立ち上がり、葵を先頭に隊列を組んだ。隊列はやがて大軍となり、無言のまま橘の町を目指して進軍を開始した。
「さて、元気な小娘に挨拶でもしてくるか」
鬼は再び鈴を振った。そして鈴の音とともに、鬼もまた消えてしまった。




