9 過去〜姫の身代わり
鬼の使者は、人に降伏するよう伝えた。そして降伏の証として、領土と橘姫を差し出すよう迫った。
絶句した王たちに向かって、鬼の使者は冷たい笑いを浮かべた。人で言えばまだ十五、六という若い鬼だ。人への侮蔑を隠そうともせず、口調はきわめて尊大だった。その態度に降伏しても助かりはしないと感じ、王たちは覚悟を決めた。
「このままでは滅ぼされてしまうわ」
そう感じた橘姫は、やむなく小人族に協力を求める案を打ち明け、鬼との交渉を引き延ばすよう求めた。王たちは最後の望みを橘姫に託した。橘姫は一寸法師と禅高をともに、その日のうちに旅立った。
旅は困難の連続だった。
ようやくのことで小人族の村にたどり着いたのは、出発から一カ月半後だった。しかし小人族は橘姫と禅高が村に入ることを許さず、交渉を始めるまでに虚しく十日が過ぎた。ようやく交渉を始めても、小人族はなかなか首を縦に振らない。粘り強い交渉と命がけの説得でようやく協力を得られた橘姫が国に戻ったのは、予定よりも二カ月も遅れた、冬の始めだった。
帰ってきた橘姫が見たのは、破壊し尽くされた故郷だった。やっとのことで人里離れた山城を探し当てた橘姫は、一体何が起こったのかを知り言葉を失った。
町を破壊したのは、たった一人の鬼だった。
交渉をのらりくらりと延ばしてきた王たちだが、二カ月をすぎるとそれも限界となり、やむなく王の要求を受け入れると返答した。鬼は、すぐに橘姫に会わせるよう要求した。王たちは言を左右にして断ったが、ついには脅迫となった鬼の要求に応じざるを得ず、身代わりを立ててその場をしのぐことにした。
しかし近隣諸国で噂になるほどの美女である橘姫の身代わりなど、そうそういるものではなかった。王たちは必死で身代わりとなる女性を捜した。そして一人だけ、橘姫の身代わりにふさわしい女性を見つけた。
禅高の妻だった。
女の子を出産したばかりの彼女は、産後の肥立ちがあまりよくなく、寝たり起きたりの生活をしていた。しかし領主の求めに応じ、橘姫の身代わりとして鬼に会うことを承諾した。
「夫は橘姫の従者です。妻たる私がこの話を断ったとあっては、夫に恥をかかせます」
彼女は、反対する父に、毅然とした口調でそう言った。
そして、鬼との対面日。
化粧で顔色を隠し、美しく着飾った彼女は、誰が見ても一国の姫にふさわしい気品と美しさを感じさせた。これならば身代わりと思われることもあるまいと、王たちは考えた。
しかし使者としてやってきた鬼は、小さな鈴を一振りしただけで橘姫ではないこと見抜いた。鬼が鈴をもう一振りすると、禅高の妻はその場に倒れ、二度と目を覚ますことはなかった。
「見くびられたものよ」
鬼は激することなく、静かに笑った。
「和平の道、お前たちの手で閉ざされた。滅びの時までせいぜいあがくがいい」
町が壊滅するのに一日とかからなかった。いかなる力か、鬼が鈴を振るだけで人は命を落とし、かすり傷ひとつつけることができなかった。瞬く間に全滅した軍を見て、王や民は町を見捨て、我先にと逃げだした。
「この山城にいるのが、最後の生き残りだ」
話を終えた領主は、大きく息をついた。鬼に付けられた傷が元で、領主は床を離れることができなかった。もはや助かる見込みがないことは、誰の目にも明らかだった。
「私以外の王は全て死んだ。橘、ここにいる者の命と人の命運は、お前が握っていると心得よ」
「……はい、お父様」
「禅高」
領主は固い表情で控えていた禅高を呼んだ。禅高はちらと顔を上げ領主を見たものの、口を真一文字に結んだままだった。
「お前に一目会うまではと、今日まで生き恥をさらしてきた」
領主は近くへ来るよう、禅高に命じた。しかし禅高は動かなかった。三度呼ばれ、一寸法師が促し、ようやくのことで禅高は領主の前に出た。
「私を殴れ」
禅高は何も答えず、微動だにしなかった。領主はもう一度同じことを言ったが、やはり禅高は動かなかった。
「……許せ。私が……」
「俺の命は」
禅高は領主の言葉を遮った
「姫に預けた。あいつもそうだった。この生き方に、俺は一片の悔いもねえ。あいつもきっと、後悔なんかしていねえ。俺もあいつも幸せだ。悔いのねえ人生が送れたんだから」
言葉の途中から禅高の頬には涙が流れていた。領主も橘姫も一寸法師も、かける言葉が見つからず黙っているしかなかった。
長い沈黙のあと、領主は咳ととも横になった。
「禅高」
「はい」
「橘を……娘を、頼む」
領主は静かに目を閉じた。
そして、二度と目覚めることはなかった。




