9 小人と琵琶法師
「ちょぉっと待ったあ!」
もうだめだ、と思ったその時。
楓の頭上から、威勢のいい青年の声が聞こえた。楓が驚いて見上げると、杉の木の上に、小さな人影が見えた。
「か弱い乙女をよってたかっていたぶるたあ許せねえ。天に代わってこのオイラが、お前たちに鉄槌を下してやるぜ!」
とおっ、という声とともに、人影が落ちてきた。人影は、空中で鋭く三回転すると、楓の目の前に見事に着地した。
目の前に現れた「彼」を見て、楓は大きく目を見開いた。
金髪碧眼やや吊り目。頭にはねじりはちまきを巻き、桜色のはっぴを身にまとっていた。まるで、今から祭りにでも出かけるような格好だった。いや、そんなことはささいなことだ。重要なのは「彼」が、楓の手のひらに乗る程度の大きさだということだ。
「こ……小人?」
「耳の穴かっぽじってよーく聞け!」
驚く楓をよそに、小人の青年は邪鬼に向かってふんぞり返った。
「我こそは、小人族の英雄ゲルンハルト=ビル=エフタナルの再来といわれる男。人呼んで小人族第二の英雄、ポポロビッチ=バン=ピロスキーだあ!」
「人呼んで、ねえ」
ベン。
何かの弦楽器の音が低く響き、笑いを含んだ艶やかな声が聞こえた。
楓は我が目を疑った。いつのまにか、見たことのない弦楽器を持った女性が、千早の背中に乗っていた。長い黒髪を流れるままにし、落ち着いた黄色の着物に深緑の袴姿。姉とは違う、だが姉に勝るとも劣らない美しい女性で、どこか不思議な雰囲気をまとっていた。
「自称でしょ、ポポ。物事は正確にね」
その女性は艶やかに笑うと、手に持っていた弦楽器を鳴らした。
ベン、と低い音が響く。
しかしその音を聞いて、女性は眉をひそめ、小さなため息をついた。
「なかなかうまくいかないわねえ。これじゃ鬼の鈴に勝てないかしら?」
「のんびり琵琶の調節してる場合じゃねえだろ、水蓮!」
「慌てない、慌てない」
邪鬼に囲まれているというのに、水蓮はどこか楽しそうに笑った。ベン、と再び楽器をかき鳴らすと、水蓮は艶やかな笑みで楓に呼びかけた。
「馬上から失礼。橘一族の姫君とお見受けいたします」
「は、はい」
水蓮に問われて、楓は思わずうなずいてしまった。そんな楓に、千早があきれた表情を浮かべた。これがもし楓の命を狙う者だったら、楓の人生はここで終わっていただろう。
「私は水蓮、その小人はポポ」
「ポポロビッチ=バン=ピロスキーだっての!」
「よろしくお願いしますね」
水蓮と名乗った女性は、小人の抗議をさらりと聞き流し、言葉を続けた。
「我ら両名、橘一族のお力を借り、鬼を倒すため、まかりこしました。邪鬼に追われ危ういご様子。ご加勢いたします」
リィィーン。
再び鈴の音が聞こえた。邪鬼の目がにごった光を増し、楓をにらみつけた。
「あらあら、せっかちな方が、ポポの他にもいるようね」
ベベン。
水蓮が琵琶をかき鳴らした。すると邪鬼の目に宿る光が弱くなった。
「お、きいてるぜ、水蓮」
「鬼が遠いからね。ポポ、さっさと脱出しましょ」
「おうさ」
ポポは水蓮に威勢良く答えると、楓を見上げ親指を立てた。
「あとはオイラに任せて、大船に乗った気持ちでいな!」
「は、はあ……」
「でもって、ちょっと体貸してくれな!」
「は?」
ポポは楓の体を駆け上った。そして楓の頭の上に立つと、両手を交差させ、大きく回して叫んだ。
「ポポーロ!」
ポポの体が赤く輝き出した。ポポはさらに腕を回し、最後に両腕を空に突き上げるような格好になった。
「フュージョーン!」
「えっ……ええっ!」
楓は思わず叫んだ。ポポが叫んだ瞬間、体の自由がきかなくなり、体が勝手に動き出したのだ。
「ポポロジャーンプ!」
楓の体が宙を待った。およそ常識では考えられない跳躍で、楓は身長の何倍もある岩の上に跳び乗った。そしてさらに大きく飛び、軽々と邪鬼の包囲網を突破した。
楓は、くるりと宙で回転し、見事に千早の背に飛び乗った。逃がすまいと、邪鬼は慌てて千早を囲んだ。
「お見事、ポポ」
「かるいかるい!」
「でもその掛け声、なんとかならないの?」
「なんでだよ。かっこいいじゃねえか」
「美的センス、もう少し磨きなさいね」
水蓮は肩をすくめ、楓に向き直った。
「さて、お姫さま」
水蓮は戸惑っている楓の耳元で囁いた。
「我ら両名のこと、信じますか、信じませんか?」
楓は黙って水蓮を見上げた。探るような楓の視線に、水蓮は、うふ、と艶やかに笑った。
「なんだか楽しそうですね」
「人生は、楽しんだ者が勝ちですわ。それが例え、鬼との戦いでも」
「……あなたは、今何が起こっているのか、知っているの?」
「おおよそは」
楓は千早を見た。千早は突然現われたポポと水蓮に対し、警戒している様子はなかった。
「じゃ、後で教えてね」
「かしこまりました、お姫さま」
水蓮は琵琶をかき鳴らした。
「ポポ、行くわよ!」
「うっしゃ! ポポロビッチ、バリアー!」
ポポの体から発する光が大きくなり、楓たちを包んだ。すかさず千早は大地を蹴り、風のように駆けた。邪鬼が立ちふさがったが、ポポが作ったバリアに触れたとたん、一筋の光となって消えた。
「へへん、邪鬼ごときがオイラのバリアを破れるもんか!」
楓たちは邪鬼の包囲を突破し、竹薮を抜けると、全速力で夜の中に駆け去った。




