ライラさん、窓から逃げたんだって。
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「お、おい。あれ、“黒鉄”のアッシュじゃねぇか?」
「アイツならなんとかなるかも……」
「いや、無理だろう。相手はあの“鉄槌”だぞ?」
「誰か早く憲兵を呼んで来いよ」
アッシュがバルドゥーグを呼び止めた事で、周囲の魔物達が騒ぎ始めた。
彼等としてもバルドゥーグの非道を見過ごしたい訳では無く、ただその圧倒的な暴力に怯えていただけだったのだ。
バルドゥーグはにわかに騒がしくなった周囲を見渡すと、アッシュに向き直った。
「……随分……人気があるな。ガキ。どうやって死にたい?」
気怠るそうにそう言ったバルドゥーグ。
しかしその口ぶりからは、自らの行動を邪魔された事への怒り等は感じられない。
ただ、それが当たり前なのだと確信している様な口ぶりだった。
その様子を見たアッシュは、全身が泡立つのを感じた。
(コイツ……クソ強ぇ……!!)
アッシュはトカゲと師弟関係になった時、EXスキルの“真実の絆”を獲得している。
いくつかの複合効果がある“真実の絆”だが、その中には“ノーマルスキル3枠の共有化”と言う非常に強力な効果があり、アッシュはそこに“視線察知”を選択していた。
視線察知はスキルレベル以外にも、数値にはならない習熟度が重要となるスキルなのだが、使い慣れれば視線の数や方向、視線を向けて来る対象の強さ等がある程度分かる様になって来る。
トカゲは“練習の為”とか言いながら起きてる間中ずっと視線察知を使用しているのだが、流石にアッシュはそこまでする気にはなれず、習熟度もそこまで高くは無い。
しかし、それでも。
それでもバルドゥーグから向けられる視線からは、圧倒的なプレッシャーを感じる。
それこそ、擬人化した状態の師匠と同じ程のプレッシャーを。
そしてその事からアッシュは確信していた。バルドゥーグが自身よりも格上であると。
「……何を黙ってる。……どうやって死にたいのか聞いてるだろう?」
再び気怠るそうに口を開いたバルドゥーグ。
アッシュは自身を奮い立たせる為に叫んだ。
「テメェが死ねッッッ!!丸ブタがッッッ!!」
叫ぶと同時にアッシュが駆け出す。
確かにバルドゥーグは格上だが、あの図体で自分よりも早く動けるとは思えない。
(速攻で接近して、金●ブチ抜いてやる!)
そう考えたアッシュだったが、次の瞬間、彼の目に信じられないものが映った。
(──は?)
それは魔物だった。
苦痛と恐怖に顔を歪め、天井すれすれの位置からアッシュを見ている蜥蜴人のメス。
“そんな訳が無い。そんな事をする奴が居る訳が無い。”
アッシュの持つ“常識”が、ほんの一瞬だけ判断を鈍らせた。
バルドゥーグは、蜥蜴人のメスを振り上げたのだ。
「〜〜ックソッッッ!!」
悪態を吐くと、アッシュは蜥蜴人を受け止めるべく構える。
無論、アッシュはそれを躱す事も出来るが、そうすれば彼女がどうなるかは容易く想像出来る。
「キャアァァッッッ!!」
「ぐぅっ!?」
絶叫と共に叩き付けられた蜥蜴人。
彼女を傷付け無い様に防御系スキルを一切使用せずに受け止めたアッシュは、かなりのダメージを受けてしまった。
しかしそれでは終わらない。バルドゥーグは掴んだ彼女の手を離さず、再び持ち上げた。
「あぁ……!痛い……いた……助けてぇ……!!」
苦痛に顔を歪めて助けを懇願する蜥蜴人。
バルドゥーグはその様子を見て、初めて表情を変えた。しかしそれは自らの過ちを恥じる様な物ではない。
「……良い声で鳴く。……やっぱり女を壊すのは……面白い」
──それは、底冷えする様な笑みだった。
「……その人を……離せ!丸ブタがッ……!」
アッシュはどうにか立ち上がり、バルドゥーグにそう言い放つ。
しかしバルドゥーグは歪んだ笑みのまま答えた。
「……お前は……少し強そうだからな……。丸腰じゃ危ないだろう?」
「イヤァァァァッッッ!?」
再び振り上げられる蜥蜴人。
しかし今度はアッシュを狙ってはおらず、バルドゥーグの右手側にあるテーブルを目掛けて振り上げられていた。
テーブルの上には空いた食器やグラス等が有り、そのまま彼女が叩き付けられればどうなるかは言うまでもない。
「ッッッ!」
再び彼女を受け止めるアッシュ。
そのままテーブル毎叩き潰されたアッシュは、背中から熱いものを感じた。
割れた食器が突き刺さったのだ。
「……チッ。……気を失ったか。……こうなるとつまらないんだよな」
バルドゥーグはそう言うと、意識を無くした蜥蜴人を投げ捨てる。
そして倒れたアッシュに馬乗りになった。
「……どうだ?……小さな勇者君。これから嬲り殺される気分は?」
嗜虐的な笑みでそう告げるバルドゥーグ。
“壊れたオモチャの代わりにお前で遊ぶ”
口にしなくとも、アッシュにはその意思がはっきりと伝わって来た。
「……ケッ!さ、最高の気分だぜ……!テメェは絶対に“俺の師匠がブチ殺す”。覚悟しておくんだな」
そう言って返したアッシュだが、実はこの“俺の師匠がブチ殺す”はトカゲと予め決めていた非常事態の合図だった。
自分の手に負えない時、遠距離会話でトカゲにそう伝える様に言われていたのだ。
トカゲが一人で飲みに行くと言っていたバーとこの酒場は遠距離会話の範囲内にある。
自分でどうにか出来ないのは悔しくて仕方ないが、しかしコイツを放置する訳にはいかない。
そう思っていたアッシュだが──
(……師匠!?どうして返事してくれない!?師匠ッッ!?)
トカゲから返事がなかった。
非常連絡の時は、例えイタズラだろうと絶対に返していたトカゲから、全く反応が返って来なかったのだ。
理由は分からない。しかしトカゲにも不測の事態が起きている可能性がある。
そう考えた直後、アッシュの顔にバルドゥーグの拳が叩き付けられた。
「グバッ!?」
強烈な痛みと共に、顔から血が飛び散る。
「……お、壊れないか。良いな、お前。これならどうだ?これならどうだ?これなら、これなら、これならこれならこれならこれならこれならこれならこれならこれならこれならこれならこれならこれならこれならこれならこれならこれならこれならこれならこれならこれならこれならこれならこれならこれならこれならこれならこれならこれならこれならこれならこれならこれならこれならこれならこれならこれならこれならこれなら」
何度も何度も振り抜かれるバルドゥーグの拳。
先程と違い防御スキルもステータス補正もフルにかけているが、しかしそれでも地力が上回るバルドゥーグの攻撃を防ぎ切る事は出来ない。
(ク……ソ……ッ!……これは……ヤバい……!?)
朦朧とした意識の中で、アッシュは死を覚悟した。
しかしその時──
「そこまでよッッッ!!」
その惨状を止めるべく、一人の魔物が声を上げたのだ。
その声と同時にバルドゥーグの拳が止まり、アッシュは声がした方向を見る。
そこに居たのは、冒険者であろう武装した複数の魔物を引き連れた、美人で有名な受付嬢。
そう、ライラだ。
「……もうこの建物全体も包囲しているわ。大人しく投降なさい。“鉄槌のバルドゥーグ”。貴方は……。いえ、貴方達はフィウーメから追放処分を受けている筈よ。何故ここに居るの?」
(……ライラ……!?……いつの間に?一体どうやって?)
そんな疑問が浮かんだアッシュだったが、自分達が座っていた席の横の窓が大きく開かれている事に気付いた。
恐らくあそこから抜け出してギルドに駆け込んだのだろう。
周囲を冒険者で囲まれたバルドゥーグだが、しかしそれを気にした様子を見せず、ライラの事を舐める様に視線を動かした。
「……とんでもない上玉だな。……お前は今から俺の女だ」
「何を寝惚けた事を言ってるの?貴方は今からブタ箱の世話になるの。メス豚でも相手になさい」
高飛車にそう言ったライラ。何故か何人かの蜥蜴人が頬を染めている。
しかし、それを聞いたバルドゥーグは醜悪な笑みを浮かべた。
「……クックック。良いな、お前。本当に良い。お前は絶対に俺の女だ。……まぁ、リーダーからは大人しくする様に言われている。今は暴れないでいてやるよ」
「だとしたら手遅れじゃない?貴方は十分に暴れたわ。皆さん!連行して下さい!」
「「「ハッ!!」」」
そうしてバルドゥーグは、冒険者達に引き連れられ、その場から離れて行った。
それを見届けた後、ライラはアッシュに近付き声を掛けた。
「……アッシュくん。大丈夫?」
「……ああ。何とかな……」
そう言ったアッシュだが、その実軽傷と言える様な状態では無い。
蜥蜴人を庇った事もそうだが、バルドゥーグの拳はアッシュを完全に殺すつもりで放たれたものだった。
全身が軋み、呼気には血の匂いが混じる。
本来ならこのまま倒れていたい程だが、それでも強がったのは、自分以外の二人の怪我を優先して見て貰う為だった。
アッシュは気を抜くと倒れそうになる自分を奮い立たせ、ライラに質問する。
「……なぁライラ、アイツは一体何者なんだ?あんなヤバい奴は初めて見たぜ……」
「……彼の名は“鉄槌のバルドゥーグ”。さっきも言ったけど凄腕の冒険者よ。そして……」
ライラはそこで言い溜め、アッシュの顔を見る。
「Sランク冒険者チーム。“黒豹”のサブリーダーよ」
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