お茶。
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バドーが依頼地に着いたのは、結局翌朝だった。
当然ながら外で一夜を過ごす事となった訳だが、そもそもバドーも含め全ての冒険者は下積みを経験しており、野営に不備は無い。寧ろ、こういった場合に対応出来る様にランク制が導入されている訳なのだが。
本来ならそれ程急いで来る必要も無かったのだが、しかしバドーはフィウーメに残したライラの事が心配で一刻も早く仕事を終わらせたかった。
冷静になって考えれば、あの蜥蜴人が剣角鹿の討伐依頼を受けず、そのままライラに手を出そうとする可能性もあったのだ。
無論、公衆の面前でああもこき下ろしてやったのだから、多少なりとも意地があるなら依頼を受けるとは思う。しかし、言い切れない。
頭に血が上って冷静さを失っていた自分を殴りたくなる。いっそ仕事を放棄して帰ってしまいたいとも思った。
しかし一度受けた依頼を放棄するのはバドーの矜持が許さない。
結局、早く仕事を終わらせて帰るしかないという結論に行き着き、バドーは深いため息を吐いた。
「……はぁ……」
「ど、どうされました?バドーさん」
バドーに声を掛けたのはローブの村の村長であるコボルトだ。
ローブの村は依頼先の村で、大規模な農耕地を有する村の一つ。
周辺に同様の規模の村が二つ程有り、共にフィウーメへと農産物の供給を担っている。
無論、この村々だけでフィウーメを賄える訳では無く、フィウーメの食料の大半は交易によって得たものなのだが。
「……なんでもねぇよ」
「ひっ、す、すいません……」
不機嫌さを隠さずにそう答えるバドー。
バドーが不機嫌なのはあの憎き蜥蜴人の事もあるが、この村長に対しての苛立ちもあった。
このコボルトは、始めバドーが村を訪れた時には適当に森を歩きまわるだけで良いと言った。
そうすれば被害は減るのだからと。
しかしバドーがAランクの冒険者で、本当に討伐する為に来たと分かると、慌てて着いて来たのだ。
ハッキリ言って、かなり仕事の邪魔だった。
しかも時折何かに怯える様な素振りで辺りをキョロキョロと見回している。
それにバドーに向ける視線も、何処と無く申し訳なさを漂わせていた。
バドーは生粋の冒険者だ。14で家を飛び出してから、ずっとその道で生きて来た。だからこそ分かる。
──彼には何か隠し事があると。
「……こ、ここです……」
そう言ってコボルトが指差したのは、麦畑の一画だ。
輪作を行なっている為いくつかの区画はまだらになっているが、それでも中々の広さの麦畑だった。
しかし彼が指差した先は他の輪作区画と違い、まるで虫食いの様に麦畑が欠けていた。
一度被害が出た場所が見たいと言い、彼に案内させたのだ。
「……」
「ね、ね?見ても何も分からないでしょう?ただ、食い荒らされてるだけですよ。後は適当に森を歩いて頂ければそれで構いません。それで依頼達成書を出させて頂きますから……」
「ここだけか?」
「え?」
「剣角鹿に食われたのはここだけか?」
「は、はい……」
「……」
バドーは無言で視線を移す。そこには森へと続く林道があり、バドーはゆっくりとそこに向かい歩き出した。
ただ歩く訳では無く、足元に注視しながら歩き、そして林道に着いてからは足元と腰の高さに視線を動かしながら歩いた。
「……おい、依頼書には“剣角鹿が増え過ぎて獣害が増えた”と書いてあったが、それは本当か?」
「は、はい。その筈です。剣角鹿は大人しい魔物ですから、そうでもないと村の近くに寄ったりはしません……」
「……そうか。わかった。確かにそうだな。無駄に手間をかけさせて悪かった。お前の言う通り、適当に森を散策してから帰らさせて貰う。本当にそれで達成書をくれるんだな?」
「!は、はい!!勿論ですよ!それで十分です!!」
「……じゃあ、本当にそうさせて貰う。俺も少しばかり早く帰りたいからな。悪いんだが、先に戻って達成書を用意しといてくれるか?」
「わかりました!お早くお戻り下さい!」
それだけ言うと、彼は足早に去って行った。バドーの言葉を信じたのもあるが、恐らく一刻も早く森から離れたかったのだろう。
バドーは彼が居なくなるのを確認すると、足早に林道を進み始めた。
「……チッ!ユニークネームドか。直ぐには帰れそうにないな……」
バドーはそう言うと、再び大きなため息をついた。
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「……にしても師匠はスゲェよなぁ……」
アッシュが不意にそう呟いた。
あの後一旦モーガン宅に帰って一晩明かし、朝になってから準備を済ませて依頼地に来た。
私としては本来の姿に戻ってもあまり人目に付かない夜の方が早く移動出来るのだが、アッシュがそれを嫌った為だ。
走って着いて来いと言った時のアッシュの絶望的な顔は中々見ものだったが、流石に仕事の前に疲れさせるのも問題があると考え直し、こうしてゆっくりと現地に向かったのだ。
「……凄いって何の事だ?」
「バドーとか言う奴の“威圧”をいなしてたじゃねぇか。それに、その後の考え方だよ。俺はユニークネームドが居るなんて思い付きもしなかったから……」
……“威圧”?
アッシュの言葉の後者は分かったが、前者は心当たりが無い。
後者は後で説明してやるとして、前者の事が気になる。
「“威圧”は効いてない。……と、言うかその口ぶりだとひょっとして何かのスキルだったのか?」
「え!?気付いてなかったのか!?……親父から聞いた事があるんだけど、“威圧”って言うのは対象に“恐慌”と“硬直”を一瞬だけ与えるスキルなんだって。でもじっとしてる分には傍目からは分からないらしいから、俺はてっきり耐えたのかと思ってた」
……それで受付嬢が驚いていた訳か。
「そんなスキルも有るのか……。しかし正直なんで効かなかったのかは私自身さっぱり分からない。発動した事すら気づかなかったからな……」
「それはそれでスゲェけどなぁ」
そう言って軽く笑うアッシュ。威圧が効かなかったのは、恐らくなんらかの発動条件を満たせなかった為なのだろうが、しかし判断材料が少な過ぎて何も言えない。便利そうで欲しいスキルだが、この話はこれで終わりだ。
「……ユニークネームドが居ると気付けたのは、最初にグレイベアのマーキングを見ていたからだ。順番が逆なら私でも気付かなかったかも知れない」
「……と、言うと?」
「ライラが言っていただろう?剣角鹿は大人しいと。だからグレイベアのマーキングを見ていた私は違和感を持ったんだ。数年前から被害が出ているのに、大人しいと評価されている。しかし実際には凶暴な側面がある。なら、少なくともこの数年間はその凶暴さを隠していた事になるだろう?」
「……確かに」
「大人しいフリをするメリットもある。大人しくしていれば、勝手に村の住民が栄養豊富な餌を作ってくれるんだからな。後は隙を突いて田畑を食い荒らせば良い。……そこまで考えれる魔物なら、寧ろユニークネームドじゃない可能性の方が低いとは思わないか?」
「成る程!」
アッシュはそう言って頻りに頷いた。まぁ、私の様にユニークネームドでは無くとも知性に富んだ魔物の可能性もあるが、どの道草食系の魔物なのはほぼ間違いない。
でなければ農作物以外の被害も出ている筈だろうし。
「お、見えて来たぜ師匠!」
そう言ったアッシュの視線の先には、ノートの村よりもかなり大きな村があった。
あれが今回の依頼先であるホルト村だろう。
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「ようこそおいでくださいました。私がこの村の村長です……」
そう言って頭を下げたのは、年嵩のコボルトだった。
私達が村に着いて直ぐ、一匹のコボルトが駆け寄って来て要件を聞いて来た。
私が剣角鹿の討伐に来た冒険者だと名乗ると、何故か慌てた素ぶりを見せてこうして村長の家に案内されたのだ。
……正直言って、面食らっている。
普通なら、たかだか冒険者をわざわざ村長が相手をする様な事態とは思えない。
数年前から恒常的に問題になっている以上、そのやり取りも相応に慣れている筈だし、下の者に任せている筈だ。
にもかかわらずこうして村長の家に案内されたのは、何か不測の事態が起きたと考えるのが妥当だ。
「……ど、どうぞ……」
そう言って、一匹のコボルトがお茶を出して来た。
私達は促されるままにお茶をすする。
程よい苦味と渋みがあり、日本茶に似た味がする。しかしなんだろうか?少しだけ違う風味もある。なんか、少し前にも口にした事がある様な……。
私がそんな事を考えていると、コボルトの村長が徐に口を開いた。
「冒険者殿。実は、この度の依頼なのですが、キャンセルをさせて頂きたいと思っています」
「「!?」」
突然の申し出に驚愕する私達。
村長はその様子を見ると、更に続けた。
「無論、この度の依頼に関しては達成書を出させていただきたいと思っています。こうして御足労願った訳ですし。しかし剣角鹿の討伐は不要になったのです」
「……と、言いますと?」
「実は昨日、この近隣の村々の自警団で大規模な狩を行いましてな。それで見事に剣角鹿を大量に間引く事が出来たのです。ですので、これ以上の討伐は不要だと判断しました」
「……成る程」
──嘘だな。
お茶を出したコボルトもそうだが、村長も私達がお茶を飲むのを申し訳無さそうに注視していた。
それで思い出したのだが、このお茶に入っていたのは、私が特製の毒液を作り出すのに使用した毒草の一種だ。
しかし毒の効果がどのくらいのものかは分からないが、村の為に来た冒険者に毒を盛るなんてのは普通に考えて有り得ない。村長にとってなんのメリットも無いのだから。
なら、誰にとってメリットがある話なのか──
「……」
私は少し考えをまとめる。向こうは私達に毒が効かない事を知らないから、お茶を飲んだことで油断しているだろう。
ここは取り敢えず話に乗っておく事にした。
「……お話の意図は分かりました。しかし、我々としても子供の使いとして来た訳ではありません。もし良ければ討伐が成功したと言う証拠を見せてはいただけませんか?」
「……勿論です。どうぞこちらへ来て下さい」
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