親父は辛いよ。
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フィウーメを出て直ぐの街道を、一人の蜥蜴人が歩く。
その身を皮の軽装鎧で包み、腰には短刀と鎧貫きと呼ばれる刺突武器を忍ばせ、背中には大剣を背負っている。
見る者が見れば、それ等全てが魔法道具である事は理解出来る。そんな品物を揃える彼が、相当な強者であることは疑う余地も無いだろう。
彼の名はバドー。生粋の冒険者だ。
バドーがリーダーを務める冒険者チーム、“スケイルノイズ”は“ダンジョン組”だ。
“ダンジョン組”とは文字通りダンジョンの攻略を主とする冒険者の事で、ダンジョン内で得た物品の売買を生業としている。
幾つかの例外を除き、ダンジョンは基本的に望む物に応じて難易度と長さが変動し、そこで手に入る品物は食料から魔法の武器までと様々だ。
ダンジョン毎にも傾向があるらしく、報酬と難易度との乖離が有る場合も多い。
あるダンジョンでは一階層で手に入る物が、あるダンジョンでは十階層進まなければ手に入らない等だ。
報酬自体もギャンブル性が有り、理想的な品物も出れば、全く使い物にならない物も出たりする。
しかし、強力な魔法道具等が手に入った時のリターンは大きく、時にはそれを売るだけで一生分の稼ぎが得られる場合すらある。
──もっとも、それ程のアイテムなら大半の冒険者は売らずに自ら使うのだが。
そんな訳で、ギルドから“ダンジョン免許証”と呼ばれる許可証を発行された冒険者達はこぞってダンジョンに潜るのだった。
そんなダンジョン組の冒険者達の中で、スケイルノイズはその一風変わったスタイルで名が知られていた。
“委託攻略”と呼ばれるダンジョンの代理攻略である。
これは依頼者から要望を聞き、一定の階層まで進む間に出た品物全てを依頼者に渡す替わりに代価を得るというものだ。
魔大陸メガラニカ・インゴグニカは多種多様な生態系と魔域、ダンジョンを内包しているが、街に住む魔物達はその実ほとんど命のやり取りをしない。
そんな事をしなくとも、整備された都市なら死の危険も少なく生活していく事が出来るからだ。
しかし魔物の本能に刻まれた“強さ”への欲求は強く、金と暇を持て余した富裕層にはこの委託攻略は非常にウケた。
スケイルノイズ達が攻略する階層は彼等が無理無く進める範囲に限定されてはいるが、しかしそれでも高位の冒険者である彼等が攻略する階層にハズレは少ない。更に時折難易度に見合わない程の強力な魔法道具が出る事もあり、依頼は後を絶たなかった。
無論、二匹目のドジョウを狙う冒険者達も現れたが、しかし獲得したアイテムを巡ったトラブルが多く起きてしまい、やがては廃れていった。
そんな中でスケイルノイズが今日まで委託攻略を続けていけたのは、契約を守る事へのプロ意識と、“記録石”と呼ばれる映像記録を残す事が出来る魔法道具で、依頼者に攻略の全てを開示していたおかげだろう。
元々はスケイルノイズも自分達の為だけにダンジョンの攻略していた。
敵を殺し、位階を高め、アイテムを獲得する。
そんな凶暴な魔物の本能を満たすのに、ダンジョンは打って付けの環境だったのだ。
しかし加齢や結婚等を機にそんな情熱も薄れ、メンバーで話し合ってこの“安定した冒険を売る”と言う商売を始めた。
若い頃は命の限り挑み続けると思っていたが、そんな事よりも我が家へ帰る事の方が余程価値があると気付いたのだ。
バドー自身も結婚し家庭を持っている。
今は全員巣立っているが、4男1女を設け幸せに暮らして来た。
特に長女にして末の子であるライラは目に入れても痛くない程可愛く、独り立ちした今でも何かと口を出してしまう。
まさか自分が親にされて鬱陶しかった事を自分がする様になるとは若い頃の彼には想像も出来なかっただろう。
しかし今、そんなライラの事を思い出したバドーは顔をしかめた。
無論、彼女自身に対して怒りを覚えた訳では無く、彼女が仕事で対応した一人の蜥蜴人を想起してしまったからだ。
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「……チッ!」
思わず舌打ちするバドー。
しかし男の蜥蜴人なら、ギルドに入って来たあの蜥蜴人を見たら舌打ちの一つでも出るだろう。
美しく光沢のある黒い鱗。強く太い足。流れる様な洗練された尻尾に、女性的でありつつも男の魅力を失わない整った顔立ち。
それは、まるで出来過ぎた彫像が動き出した様に理想的な容姿の蜥蜴人だった。
蜥蜴人は娘の前に立ち話しかけた。
仕事柄いつも笑顔を貼り付けている娘だったが、奴のその顔を見て言葉を失っていた。
まぁ、男である自分ですら息を飲む程の容姿だ。それも無理からぬことだろう。
……しかし正直言って、バドーはこの時点でかなり嫌な予感がしていた。
入って来てから注視していた為に見逃さなかったが、奴が入って直ぐに受付けに居たライラに視線を送っていたのだ。
ライラは親の欲目を抜きにしてもかなりの美人だ。
ライラに一目惚れしたローゼンクイーン商会の跡取りが求婚しに来た事もあるし、連邦の評議員が是非息子の嫁にと言って来た事もある。
だがバドーはそれを許さなかった。連中が気に入らなかったのもあるが、ライラに結婚はまだ早過ぎるからだ。
ライラ自身も彼等に興味が無かったらしく、親子間での問題も起きなかった。
──しかし今回はその時とは違ったのだ。
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「ハッ!?は、はい!すいません!彼氏は居ません!!と、とと、登録ですね!?」
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「!?」
聞こえて来た娘の言葉に、一瞬頭が白くなった。
あろう事か、ライラが“彼氏は居ない”と宣言したのだ。
奴の言葉は遠目から見ていたバドーには聞こえなかったが、奴がライラに粉をかけたのは間違いない。
でなければプロ意識が高く聡明で美しく優しいライラが、こんな事を言う訳が無いのだから。
その後も続くライラと奴の会話。
正直言って内容が気になって仕方が無かったが、しかしライラとは職場では絶対に親子関係を持ち出さないと約束していた。
それが守れないなら絶縁だと言われていたバドーはその場で耐えるしかなかった。
ようやく奴がライラの下を離れた時、バドーは追い掛ける様に奴の下に近付いた。
奴は幾つかの依頼書を見比べながら、何かを考える様な素振りを見せている。
白々しい。バドーはそう思った。
恐らく、依頼書を手にして再びライラの下に行き粉をかけるつもりなのだろう。
しかしそんな事をさせる訳にはいかない。ライラにも、この男が本当は情け無い男なのだと教えてやる必要がある。
そんな風に考えていたバドーだが、その時チャンスが訪れた。
奴が一枚の依頼書に手を伸ばしたのだ。
素早く奴の腕を振り払い、その依頼書を横取りする。
「へぇ?剣角鹿の討伐依頼か。お前らみたいなカスには無理な依頼だな」
そう言って嫌味な笑みを浮かべつつ、睨みつけるバドー。
バドーの体格は蜥蜴人の中でもかなり大きい方だ。それに、歴戦の冒険者でもある彼は相応の傷もあり、並みの男なら横に立つだけで怯えてしまう。
今までライラに寄って来た悪い虫達も、これだけで逃げ出していた。この顔だけの男もこれで退くだろう。バドーはそう思っていた。
しかし──
「……その依頼書は私が取ろうとしていたものだ。返して貰えるか?」
奴はそう言って再び手を伸ばして来たのだ。
これにはバドーも内心驚いた。
例え強がりだろうとも、奴よりも明らかに強者である自分を前に平然と切り返して来たのだから。
しかしこれで退くつもりは無い。ここで退けば、奴の毒牙が可愛い娘へと近付いてしまう。
バドーは更に脅しをかけた。
「聞こえなかったのか?お嬢ちゃん。お前らみたいなカスには無理な依頼だと言ったんだ。その綺麗なツラをぐちゃぐちゃにされたく無いならさっさと失せろ」
「……ほう?」
軽く首を捻る蜥蜴人。
二度目の脅しにも奴は怯えた素振りを見せないが、その理由は分かる。
奴が首を捻るとほぼ同時に、奴の従者らしきゴブリンが手斧へと手を伸ばしていたのだ。
恐らく何かあれば後ろに控えるゴブリンに斬りかからせるつもりなのだろう。
しかしそれを見落とす程自分は未熟では無い。
切り掛かって来た瞬間、ゴブリンの右腕を捻り上げそのまま殴り付ける。ギルド内でのゴタゴタは問題になるかも知れないが、少なくとも素手の自分に武器で切り掛かって来るなら、正当な防衛理由になる筈だ。そしてそのまま奴を──
「……坊や。ダメじゃないか、イタズラなんかして。お母さんは何処だい?」
「なっ……!?」
バドーが次の動きを考えていた時、蜥蜴人から不意にそんな言葉が放たれた。
周囲からドッと笑いが起きた事で、バドーはようやく何を言われたのか理解出来た。
奴はあろう事か自分の事を“坊や”呼ばわりしたのだ。
別種の魔物ならともかく、同種の蜥蜴人同士なら年齢を見分ける事は出来る。
奴はどう見ても14、5歳くらいの成人したての若造だ。そんな奴が明らかに壮年期に入っている自分の事を坊や呼ばわりするのは、分かりやすい程の侮辱だった。
「……テメェ。死にてぇのか……」
先程のゴブリンは囮で、この侮辱こそが本命だった様だ。
軽くのして終わらせてやるつもりだったが、腕の二、三本は覚悟して貰おう。
「なんだ。随分と幼稚な真似をするから子供かと思ったのだが、違ったか。しかし何を言っている?特に命の危機を感じないがな?」
「……流石に笑えねぇな……!」
前言撤回、手加減無しだ。
そう思い蜥蜴人へと手を伸ばすバドーだったが──
「騒ぎを起こされては困ります!とっ……バドーさん!彼は新人なんですよ!?Aランクの冒険者である貴方が大人気ない!“免許”を凍結しますよ!?」
「うっ……!?」
ライラの言葉に我に返ったバドー。
「べ、別にライラの仕事を邪魔するつもりはねぇよ。ギルド内での荒事のペナルティだって受けたかねぇしな」
我ながら苦しい言い訳だが、しかし事実としてまだ手は出していない。
それに、手は出さなくとも奴に釘を刺す方法はある。
「……ただ、これは先輩から後輩への忠告だ。あまり調子に乗った真似はしない方が良い。冒険者なんてのはいつ死ぬか分からないんだからな。特に粋がった若い奴ほど、な」
「どのやり取りを見て“調子に乗った真似”と言っているのか分からないが、その割には長生きしてるな?お前の言った条件なら真っ先にお前の方が死にそうだが」
そう言って挑発して来る蜥蜴人だったが、それを無視してバドーはスキルを発動させた。
“威圧”
発動させると、前方5メートルに居る任意の相手に一瞬だけ“恐慌”と“硬直”の状態異常をかけるスキルだ。
効果時間は短く、そして自分よりも位階が二つ以上上の相手には効かないが、一瞬が勝負の決め手となる事も多いダンジョンではかなりの信頼度を誇る。
それに、こういった場面ではかなりドスが効く。一瞬だけとは言え、相手に恐怖を与えるのは心を折るのに極めて効果的だからだ。
しかし──
「……!」
バドーは内心驚愕した。
目の前の蜥蜴人が、身動ぎ一つしなかったからだ。
考えられる理由は二つ。
奴の位階が自分の二つ以上上なのか、それとも耐え切ったかだ。
しかし当然奴の位階が二つ以上上とは考えられない為、必然的に耐え切ったということになる。
“威圧”の効果は傍目には分かり辛い。恐慌も硬直もじっとしてる分には発動したか判断出来ない為だ。
しかしだからと言って自分に起きた異常に身動ぎ一つしないなんて、相当な胆力が必要だ。
腹立たしいが、この胆力だけは認める他ない。
……しかしこれで終わりでは無い。
「チッ!……キモだけは座ってるみたいだな。オイ!ライラ!この依頼はこの俺が引き受けるぞッッ!!」
「待って下さい!その依頼はDランクへの依頼ですし、先にトカゲさんが引き受けようとしていた依頼です!それにバドーさん達“スケイルノイズ”のパーティは今休養中でしょう!?」
そう言ってライラが嗜めるが、しかし正当な理由は上げられる。
「だから言っただろ?“この俺が引き受ける”ってな。確かにこの依頼はDランクの依頼だが、“恒常依頼”だ。パーティメンバーが居ない俺がソロで受けるなら問題無い筈だ」
「……!」
基本的に冒険者は自分のランクよりも下の依頼を受ける事は余り望ましく無いとされている。
熟練の冒険者が全ての仕事をこなしてしまえば、後進が育たない為だ。
しかし依頼者に緊急を要する場合や、今回の様な恒常依頼に関してはその限りでは無い。
「……それに、どちらが先に依頼書を取ったかはお前も見ていただろう?こういう時はどちらが優先された?」
「……先に依頼書を手にした者です……」
これもまた冒険者の常。横取りされる様な隙を見せる方が悪いのだ。
蜥蜴人は呆然とこちらを見ている。
いや、言うべき言葉が見つからないのだろう。
──この勝負、誰が見ても自分の勝ちだ。
「良いか若造。そのキモの座り具合だけは認めてやるが、冒険者は“頭”と“腕っ節”も要るんだよ!分かったら大人しくしてるんだな!ライラ!手続きを頼むぞ!二、三日で終わらせてやる!」
こうしてバドーはギルドを後にした。
しかし彼は気付いていなかった。なんかこう、色々と勘違いしている事に──
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