ツマミとビール。
ーーーーーー
「こ、これは……!!」
私は目の前の光景に思わず息を飲んだ。
恐らくは草食恐竜の肉であろう、巨大なロースト肉が食卓の中心で肉汁を溢れさせている。
そして、その周囲を取り囲む様に焼き立てのパン、骨の付いた燻製肉、一口大に切り分けられた色取り取りの野菜が並べられ、バターや粒マスタードの瓶が添えられている。
久しく食べた覚えの無い文明的な食事を前に、私の胃袋は歓喜の声を上げ始めた。
「はっはっは!準備万全みたいだな!どうだ?凄えだろ。俺もこの飯に胃袋を掴まれた口でな。コイツが無けりゃあ娘達も生まれなかったかも知れない」
そう言って頷くモーガン。
しかしその言葉を否定する様に、香辛料の効いたソースの器を持って来た細君が口を挟んだ。
「……どの口が言ってるのかしら?泣きながら“俺と結婚してくれなけりゃ死ぬ!!”って言ってたのは誰だっけ?」
「ば、馬鹿やろう!!アレはちょっと酔ってたからで……」
「あらそう?じゃあ素面だった時の話をした方が良いの?」
「あぁッ!分かった!降参だ!!やめてくれ!!」
「分かれば良いのよ……分かればね」
「ぶっははは!尻に敷かれてんじゃねぇかモーガンのおっちゃん!」
そう言って笑うアッシュ。だがお前の好きなステラも絶対に旦那を尻に敷くタイプだぞ。
因みに細君の名はアテナで、娘さんの名はキスティと言うらしく、今はこの家で三人で暮らしている。
キスティの上にもう一人娘さんが居るが、今はバトゥミの冒険者ギルドで受け付け嬢をしているそうで、余り会えないのだそうだ。
「……さっきはごめんなさい。事情もちゃんと聞かずに追い出そうとしちゃって……」
そう言って私達に頭を下げたのはキスティだ。
彼女は先程からずっと此方の様子を伺っていたが、どうやら謝罪するタイミングを見計らっていた様だ。まぁ、あのトロールのボボの様な輩が頻繁に来るのなら気持ちは分からなくもないが、しかし何かあってからでは遅い。
……彼女には釘を刺しておくか。
「別に構いませんよ。気持ちは分かりますから。……ですが、ああいった対応は控えた方が良いと思います。ボボもそうでしたが、激昂して貴女に危害を加える輩も居るかも知れません。出来れば可能な限り穏便に済ませた方が良い。貴女が傷つけば、悲しむのはご両親ですよ?」
「……はい。ごめんなさい……」
私達もそうだったが、きっとこれまでの客達も大人しく引き下がっていたのだろう。
これを機に改めてくれたら良いのだが。
「……私からもお詫びさせて。私も何度かこの子の態度を窘めて来たんだけど、この子は昔から頭に血が登っちゃうと周りが見えなくなるみたいで……。本当にごめんなさい」
そう言うとアテナも私達に頭を下げた。
「いえ、良いのですよ。先程も言いましたが責めるつもりではありませんから。こちらこそ差し出がましい事を言ってすいませんでした」
そう言って私も頭を下げる。この件はこれで手打ちだろう。
「おいおい、せっかくの飯の前で何やってんだ。冷める前に食わねぇと」
「そうだぜ?別に良いじゃんか。無事だったんだし」
二人の言葉を聞いたアテナは頭を押さえる。私もアッシュの態度には思うところがあるが、彼等の言う事には一理ある。
……正直、早く食べたい。
私のそんな様子を察したのか、アテナは大きくため息を吐くと、私達にこう告げた。
「そうね……どうぞ、召し上がれ」
その言葉を聞いたモーガンが、満面の笑みで大きめのパンへと手を伸ばす。
そして二つに裂くと、野菜や肉をこれでもかと言う程に詰め込み、頬張る。
「ほは、おまへはもくへよ!」
多少下品なモーガンの言葉に促され、アッシュも同じ様にしてパンを頬張った。
私も負けじとパンへと具材を挟む。
トマト、何かは分からない葉物野菜、スライスした玉ねぎ。そしてやはりメインはあのロースト肉。
巨大な肉塊に突き立てられたナイフで肉を切り分け、私の口に収まるギリギリのサイズまで肉を挟み、そして頬張る。
「……!」
美味い……!!
ブツリと千切れる葉物野菜の快音。咀嚼する度に広がるロースト肉の肉汁の旨味。トマトの酸味が味をまとめ、玉ねぎがアクセントを加える。まるで、口の中に天国が現れた様だ。
「うめぇぇ!!なんだこりゃ!?こんなの森じゃあ一度も食った事ねぇ!!」
アッシュはそう叫びながら次々と料理を口に運ぶ。
私も夢中でローストサンドを食べた。
「はっはっは!随分と気に入ったみてぇだな?アテナ!アレも持って来てくれ!」
「はいはい」
そう言われたアテナが持って来たのは、短冊状に切られた繊維質の肉と卵で、その薫香から燻製である事が分かる。
しかし嗅ぎ慣れない匂いだ。何の肉だ……?
私が訝しげに見ていると、同じ物を出されたモーガンが繊維質の肉に卵を落として混ぜた。
「コイツはこうやって食うんだ。ほれ、やってみろ」
私は言われた様に卵を落とし、そして口に運ぶ。
……これは……!!
先ず口に広がったのは苦味だ。しかしこれは不快なものでは無く、例えるならサザエのワタの様な、複雑なこくを感じさせる苦味。しかも落とされた卵のまろやかさがその苦味を包み、何とも言えない旨味に変えていた。
そしてそこから咀嚼すると、次に来たのは燻製肉の独特の食感と塩味、香辛料のスパイシーな香り。
味、食感、香り。その何れもが人間だった頃にも味わった事が無いものだった。
間違い無く美味い。だがこれは──
「どうだ?美味いだろ。そいつぁ、“歩き蕈”の横隔膜を一週間程塩漬けにした後、燻製にしたもんだ。アレは他の部位は不味くて食えたもんじゃねぇが、その横隔膜だけはこうしてやると絶品なんだ」
「はい。生まれて初めて食べましたが、確かに絶品です。……しかし塩味が強いので無性に渇きますね」
そう。初めは卵の水気のおかげで気にならないが、咀嚼を続けると強めの塩味に喉が渇いてくるのだ。
……惜しい……!ここにアレが在れば……!!
私がそんな風に内心唸っていると、モーガンはニヤリと笑みを浮かべた。
「アテナ!」
「あー、もう!分かってる!少しは自分で動きなさいよね!」
ぶちぶち言いながらも、モーガンの言葉に従うアテナ。
そうして彼女が持って来たそれに、私は思わず喉を鳴らす。
汗をかくジョッキ。溢れそうになる泡。なみなみと注がれた琥珀色の液体。
「こ、これは……!?」
「“ビール”だ……。泥水で作った安酒じゃねぇ。ヴォルフールのホワイト。さぁ、やってくれ……」
そう、それはまごう事なきビール。“ヴォルフールのホワイト”とは、恐らく蔵と銘柄だろう。それ自体は聞いた事が無いが、この世界に来て最も焦がれたかも知れない物の一つが目の前に有った。
私はジョッキへと手を伸ばす。恐らくは魔法で冷やされたであろう、持ち手の冷たさが心地良い。そして、そのまま一気にビールを煽った。
「……!!」
火照った身体の熱を奪いながら、琥珀色の液体が喉を降る。
私は思わず息を止めた。意地汚い話だが、呼気からアルコールが逃げるのを嫌ってしまったのだ。
やがて、ジョッキが空になるまで飲み干した私は久しぶりの息を吐く。
「〜〜ップハ〜ッ!!」
「良いな!イケる口じゃねぇか!」
そう言って笑うモーガン。アッシュはさっきからずっと苦々しい顏でビールを口にしているが、正直可哀想だ。こんな美味いものを楽しめないなんて。
「最高に美味いです……!渇きが一気に癒えました!」
「はっはっは!もう一杯行くか?」
「ええ!是非!」
再び注がれる琥珀色。私はまたも一息で飲み干した。
「ップハ〜ッ!」
再び空になるジョッキを呆れた表情で見るアテナ。モーガンも同じ様に注がれたジョッキを空にしていた。
「……この歩き蕈の燻製は、ビールに良く合うだろ?口に入れて直ぐだと卵の水気に邪魔されちまうが、噛み続けてからビールと一緒に流し込むと、これ以上無いくらいに美味い。まぁ、説明は要らねぇみたいだがな」
「はい!」
私は言われた様に再び燻製肉とビールを煽った。
「……駄目だ。この燻製肉はまだ食えるけど、この“びーる”って奴は俺には合わねぇ。なんかフラフラする」
そう言ってジョッキを置いたのはアッシュだ。やはり奴の口には合わなかったらしく、生野菜で口直しをしている。モーガンはその置かれたジョッキを手に取って一気に煽った。
「っぷは!……なんだ、お前下戸な所までナナシに似たのか。まぁ、男前は親父に似てて良かったが、似なくて良い所まで似ちまったな」
「そう言えばモーガン殿は自警団長とどういったご関係なのですか?」
私はそう言ってモーガンに向き直る。自警団長とモーガンが相応に深い付き合いなのは見てて分かるが、具体的な関係までは分からない。
しかし私の質問にモーガンは不機嫌そうな顔を浮かべた。
「……おい!もうその喋り方は止めろ!もうちょっと砕けた話し方は出来ねぇのか!」
上げられた大きな声に私は思わずビクつく。
「し、しかし御世話になっている身としてはその様な真似は……」
「俺が良いっつってんだから良いんだよ!大体てめぇはキスティにまで敬語を使ってんじゃねぇか!良い大人がオシメも取れねぇ様なガキに敬語使ってんじゃねぇ!むず痒いったらありゃしねぇ!」
そう言って憤慨するモーガン。私は視線をキスティに移すが、彼女もモーガンに同意しているのか、頷くだけだった。
私が少し戸惑っていると、アテナが小声で話しかけて来た。
「……あの人の言う通りにしてあげて。貴方の喋り方はなんて言うか、丁寧だけど距離を感じちゃうの。あの人は貴方の飲みっぷりが気に入ったみたいで、そんな人に距離を置かれてるのが嫌なのよ」
そう言って笑うアテナ。
……成る程。これはモーガンが“結婚してくれなけりゃ死ぬ”と言ったのも頷ける。
私は腹を決めて口を開いた。
「……分かった。そうさせて貰う。ついでなんだが、話を聞く前にもう一杯貰えるか?」
私がそう言うと、モーガンは嬉しそうに笑った。
ーーーーーー
「取り逃がしただと!?」
彼は激昂し、そして手に持っていたグラスを目の前で跪く部下の顔面へと投げ付けた。
溢れたワインと部下の血が絨毯を濡らして行くが、彼にはそれを気にする余裕は無い。
彼はその憤りを机へとぶつけ、そしてそれでも収まらなかったのか葉巻へと手を伸ばす。
シュッと何かが擦れる音と共にオレンジ色の光が瞬き、彼の姿が照らされる。
爪の伸びた指。鱗の生えた四肢。尖った口先。そして何よりも特徴的だったのは、その背に背負った甲羅。
彼は血を流し蹲る部下に吐き捨てる様に言った。
「……もういい。貴様等には任せて置けん。“黒豹”を呼べ……」
ーーーーーー