五壁都市フィウーメ
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“フィウーメ・バトゥミ自由都市国家連邦”
魔大陸メガラニカ・インゴグニカ中西部に位置する国家だ。
港湾都市バトゥミと、五壁都市フィウーメを中心とした都市国家の集まりで、バトゥミから始まり、フィウーメを経由して大陸東部へと続く交易路に沿う形で国土が形成されている。
客観的に見ても、かなり広大な国土を有する国家なのだが、実際に行政が機能しているのは点在する都市国家のみであり、他の国土は放置されているに等しい。
まぁ、魔物やらダンジョンやら魔域やらで、まともに統治しようと思えば尋常じゃない程の労力と資金が必要となるだろうから、それも当たり前の事だとは思うが。
そして、そんな国家の中でも最も富と物資が集まるとされるのがこの都市。
“五壁都市フィウーメ”だ。
大規模ダンジョンを中心にして作られた国家で、その周囲を囲う様に五つの壁が形成されており、魔物達はその壁と壁の間で暮らしている。
壁から壁の距離は、最内周で5キロ程なのだが、外周に向かうにつれて段々とその距離は広くなって行き、最外周では15キロ程にもなるそうだ。
これは街の人口増加に伴って外壁を拡張した結果であり、現在も六番目の外壁を建築中なのだとか。なんとも景気の良い話である。
……そして今、そんなフィウーメの正門前で呆然と立ち尽くしている一匹の魔物が居る。
私の弟子、ゴブリンハイエリートのアッシュだ。
「……おい。アッシュ、さっさと行くぞ」
「……」
「おい……」
「……」
全然反応が無い。余程ショックだったのか。
まぁ、正門は確かに私も見た事が無い程巨大だ。外壁に関しても30mくらいの高さはあるし、田舎者のアッシュには凄まじいインパクトだったかも知れない。
仕方ない、そこまで急ぐ必要も無いだろう。そう思い直した私はソッとアッシュにコブラツイストを掛けた。
「痛ぇぇっ!!な、何をすんだよ師匠!!離せ!!離せよ!!分かったから!!」
「……仕方のない奴だ。暫くソッとしておいてやるか……」
私は更に力を込める。
「ソッとしてねぇ!セリフが合ってねぇ!!何だこの技!?クソイテェッ!ちょ!頼むから離してッッ!!」
「田舎者には余程この光景が新鮮なのだろう。私はそのまま数分間ソッとしておいた」
「モノローグ調に言ってるけどおいてねぇだろ!?ギブ!!ギブアップだッッ!!待って!!関節おかしくなっちまうッッ!!」
仕方ない。
私がアッシュを離してやると、彼は関節を確認していく。
「ハァ……ハァ……マジで関節イクかと思った……」
「私の事を無視するからだ。次はアルゼンチンバックブリーカー決めるぞ」
「聞いた事無い技だけど、響きだけでヤバいのが分かるな……」
当たり前だ。今の私のアルゼンチンバックブリーカーはロデリック・ストロング並だぞ。
あれから一週間が経ち、私達は宣言通りフィウーメまで来ていた。
私が黒竜の森を離れると言った時はやはり諸々の反対があったが、差し迫る食料事情と、賢猿の脅威に対する備えの為には必要な事であり、どうにか納得させる事が出来た。
無論、「留守中に賢猿が攻めて来たらどうするつもりだ!」と言う意見もあったが、食料の再計算が必要になった経緯を盾にして押し切ったのだ。
まぁ、連中には言えないが天使からは“結構な時間がある”と教えられている為、こんな大胆な行動が取れた訳だが。
そしてフィウーメに行く事が決まったのだが、そこで人選に困る事があった。
本来なら連れて来たかった自警団長が固辞したのだ。
彼は元々連邦に所属する都市国家の一つ、“闘技都市エルバ”にあるダンジョンから自然発生した魔物なのだが、エルバのコロシアム運営者達に捉えられて長らくそのまま戦奴として暮らしていたらしい。
そしてどうにか自由の身を勝ち取りノートの村に来た訳なのだが、当然ながら街に関しては我々の中で最も詳しく、それを当てにしていたのだ。
しかし同行を頼むと、
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「……申し訳ありません。自分は脱走して逃げて来たのです。その時に連邦の権力者にかなりの大損をさせてて、もし見つかれば少々厄介な事に……」
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と、断わられたのだ。
何をやらかしたのかは気になる所だが、まぁ事実なのだろう。
仕方なく同行させる事は諦めたのだが、代わりに伝は無いかと尋ねた所、当時世話になっていた鍛治師がフィウーメで暮らしているらしく、紹介状を用意してくれた。
そして、その鍛治師と面識があるアッシュも同行する事になったのだ。
「……にしても……」
アッシュはそう言うとキョロキョロと周囲を見回す。辺りは魔物達でごった返している。
「めちゃくちゃ凄い数の魔物が居るな……俺こんなにいっぱい魔物が居るの初めて見た……」
「鍛治師と面識があるんじゃ無かったのか?」
「いや、あるけどノートの村で会ったんだよ。俺が街に来たのはこれが初めてだから、ここまでいっぱい魔物が居るとは思わなかった……。でも師匠は全然驚いたりしないのな……」
「……話に聞いていた通りだろう。何故驚く必要がある」
「それもそうなんだけど、生まれて初めて街に来たんだ。普通はもっと驚くだろ。まぁ、師匠は普通じゃないけど」
どういう意味だ。
まぁ、正直多少は驚いている。しかし現代日本の通勤ラッシュに揉まれていた私としては魔物の数で驚く事は無い。私が驚いたのは、魔物達のその多種多様な外見と荷車を引く魔物の姿だ。
周囲を見渡せば豚面、蜥蜴、青鬼、兎、様々な姿の魔物達が歩いている。変わり種で言えば二足歩行のタコとかも居る。
そして荷車を引く魔物も多種多様だ。
馬や偶蹄類の他にも、大型の爬虫類や馬鹿でかいカブト虫。私の前段階であるラプター系の魔物なんかも居たりする。
黒竜の森でも色々な魔物を見たが、ここまで多様な魔物を同時に見たのは初めてだった。
もう少し余裕があればこの往来を見るのも楽しいのだろうが、しかし余り遊んでいる訳にも行かない。
「……まぁ見物は一先ずこのくらいにして、さっさとその鍛治師の所に連れて行ってくれ。人の流れに合わせて歩いてはいるが、余り進み過ぎても困るだろう」
「……え?」
「“え?”じゃないだろ。私はその鍛治師と面識は無いし、居場所も知らないんだ。お前が案内しないでどうする。誰の代わりにお前を連れて来たと思うんだ」
私がそう言うと、アッシュは汗を流しながら視線を泳がし始めた。
……ほう?
「……私はお前に“自警団長に鍛治師の居場所を確認しておけ”と言ったよな?まさか聞いてないのか?」
「……いや!聞いたよ!?聞いてたけどその……」
「……忘れたのか?」
「テヘぺろ」
私はアッシュにアルゼンチンバックブリーカーを決めた。
「ギャァッ!?痛いッ!!ちょ!待って!!人の邪魔になるだろ!?」
「そうだなぁ……少なくとも私の邪魔はしてくれたな。このままへし折るか?」
「グギャァアッッ!!ま、待って下さい!!お願いします!!思い出しますから!」
「……チッ!」
私はアッシュを放り投げる。地面に転がった奴は、背骨を押さえながら立ち上がった。
「ハァ……ハァ……死ぬかと思った」
「……奇遇だな。私も殺そうかと思った」
私は目頭を押さえながらそう言った。
馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、まさかこんな簡単な仕事をポカするとは思わなかった。
しかしまぁ、それを確認しなかったのは私だし、これ以上責めた所でアッシュが思い出すとも限らない。それに思い出した場所が正確なのかも当てにはならない。
そう思い直した私は小銭袋を取り出して周囲の露店に目をやる。
すると、野菜や果物が並ぶ屋台で元気に客引きをする蜥蜴人が目に入った。
私は頭を捻るアッシュに一声かけると、そちらへと向かう。
「すいません。林檎を3つ程いただけますか?」
「あいよ!毎度あり……ッ!?」
そこまで言い掛けて蜥蜴人は動きを止めた。声から察するに、年増のメスの蜥蜴人なのだが、何故か私を凝視して瞬き一つしなくなった。
「……すいません、林檎を三つ程いただきたいのですが……」
「あ、あ、あいよ!!ちょ、ちょっと待っておくれ!!」
私の言葉に慌てて林檎をカゴに入れ始める蜥蜴人。しかし量がおかしい。8個くらい入っている。
「……えっと、頼んだのは三つだったのですが……」
「あ、あぁ、そうだったね!いや、それはサービスしとくよ!」
そう言って身なりを整える蜥蜴人。
なんだ……?何故こんなに慌てている?
今の私は一応服を着ている。簡単なレザーアーマーと、それに合わせた肌着と外套だ。
これは旅する魔物が良くする格好らしく、少なくとも服装に驚いた訳では無い筈だ。しかし彼女の慌てぶりは間違いなく私を見てから始まった。
私はイマイチ理由が掴めないでいたが、林檎の代金を支払うとようやく落ち着いたのか彼女が話し掛けて来た。
「……にしてもアンタ、とんでもない男前だねぇ……。あたしゃ子供の頃に聞かされた“黒鉄の竜王”が絵本から飛び出して来たのかと思ったよ」
……成る程。どうやら私の容姿は蜥蜴人の基準では相当な美形で、彼女はそれに驚いていた様だ。
異性に慌てられる程の美貌と言えば聞こえも良いが……正直全く嬉しく無い。私は別に蜥蜴人では無いし、雌の蜥蜴人なんて守備範囲外も良いとこだ。
まぁ、そもそも妹達以外の守備範囲は無い訳だが。
とは言え使える物は使うべきだな……。
私は取り敢えず気になった事を聞いてみた。
「すいませんが、“黒鉄の竜王”とはなんですか?聞いた事が無くて……」
「なんだ、知らないのかい?ここいら一帯に伝わる御伽噺さ。深き森を統べ、大陸を統一したと言われる古の竜王。黒く光沢のある鱗をした蜥蜴人に化けて、悪い人間共を倒して魔物達を助けていく……。まぁ、ありがちな英雄譚だけど、私も小さな頃には憧れてたのさ。“こんな素敵な王様が迎えに来てくれないか”ってね……」
成る程……。黒南風はこの御伽噺から私に“黒鉄”なんて字名を付けたのかも知れないな。
「ま、結局迎えに来たのは酒飲みの馬鹿亭主なんだけどね!私がもう少し若けりゃアンタみたいな男前は放っとかなかったよ!」
「お姉さんはまだまだお若いですよ?今から頑張ってみませんか?」
「アッハッハ!口も達者じゃないのさ!!さぞかし女を泣かしてるんだろうねぇ?」
「……まぁ、つい一週間程前に泣かしましたね。余り良い気分ではありませんでしたが」
「ほどほどにしときなよ!見てくれだけの薄っぺらな男してたら、本当に好きな娘にフラれちまうよ!」
そう言うと彼女はベチベチと私の肩を叩く。無礼と言えば無礼な振る舞いだが、不思議と心地良くすらある。これは彼女の人徳と言うものだろう。
もう少し話をしてたいが、しかし日が暮れる前には鍛治師に接触していたい。
私は本題を切り出す事にした。
「……ところでお姉さん、鍛治師のモーガンと言う魔物を知りませんか?この街に居ると聞いて来たのですが……」
「鍛治師のモーガンって……あんたこの街にどれだけ魔物が居ると思ってるんだい?その条件なら山程いるさね」
……そう言えばそうだった。自警団長も“街の魔物は便宜上の名前を持つのが一般的”と言ってたな。
私は再度言い直す。
「すいません。確かにそうですね。隻腕のサイクロプスで、“ユニークネームド”のモーガンです。ご存知ありませんか?」
「……あぁ、アンタも“神剣の匠”の噂を聞いて来たクチだったのね。その人なら、8番街に工房を構えてるよ。この先を行った広場に街の地図が貼り出されてるから、そこで確認して行くと良い」
「ありがとうございます。ええと……」
「ベラだよ!蜥蜴人のベラさ。あんたは?」
「すいませんが、私には名前が無くて……。ですが今は一応“トカゲ”と名乗っています」
「また随分と思い切った名前にしてるね!まぁ、そういう連中も結構居るけど。また寄っとくれよ!」
「はい。ありがとうございました」
私はそう言って会釈すると、その場を離れた。
なかなか気持ちのいい人物だった。どんな世界でも、ああいう世話焼きのおばちゃんは居るものだな。
そんな事を考えていると、私に気付いたアッシュが駆け寄って来た。
「思い出したぜ師匠!!6番街だ!!6番街に工房を構えてるって言ってた!間違いない!命を賭けたって良いぜ!」
どうやら死にたいらしいな。
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