代替え品
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「これはこれは姫さま、この様な場所にどうしてまた?」
「……お前達の顔を見にな。息災か?」
「おぉ、その様な事の為にわざわざ来られたとは。ありがとうございます。陛下のお陰で皆も元気です!」
「……そうか。無理はしない様にな」
「はい!」
ステラはそう言うと、その場を後にした。
黒南風が死んでから既に1ヶ月が過ぎようとしている。
ステラはその間、トカゲの言動をずっと注視し、こうしてオーク達を見守って来た。
“器を見極めよ”と、最後に黒南風はそう言ったが、トカゲはそもそも敵対者であり、そんな簡単に信用出来る訳が無い。
正直に言えば、理由を見付けて黒南風の仇を討とうと狙っていたのだ。
彼女にとって黒南風は、その生涯に於いて最も尊敬している人物。そんな彼を殺したトカゲに対して、殺意を抱くのは無理からぬ事だろう。
──しかし、そんな思いも今は次第に薄れていっていた。
ステラ達兄弟は、オークの王とその妃の間に生まれた。
通常、殆どのオーク達は交尾権を得た雄と雌で繁殖する為、父親の概念が薄い。
しかし王であるステラの父は妻を娶る事が認められていた為、彼女達はオークにしては珍しく父母の下で育てられ、そして幼い頃からしっかりとした教育を受けた彼女達兄弟は、同族の中でも極めて優秀な個体へと成長していったのだ。
──まぁ、雌であるステラまでもが戦士になると言い出したのは両親にとって想定外だった様だが。
そして、群れの中核として幾度と無く戦闘を経験して来たステラだったが、そんな中で彼女には納得出来ない事があった。
それが地働き達に対する扱いだ。
地働き達の大半は戦場で負傷した元戦士だ。彼等は群れの為に必死で戦い、そして傷ついた者達。
それは自己を犠牲にした献身にも等しい筈なのに、それを粗雑に扱うのが全く理解出来なかったのだ。
だからこそステラは地働き達に対して等しく接し、そして戦士達の冷遇を諌めて来た。
一度、父にその扱いを正す様に進言した事があるが、“……お前は純粋過ぎて心配になる……”と言われるだけだった。
黒南風が王となった時も同じ事を進言した。
しかし今度は、オークが多産である事、そして戦えない雄が群れを圧迫する事を語られた。
ステラも馬鹿ではない。黒南風が言っている事は理解出来る。父が言った事もそうだ。群れの維持の為に必要な事だと判断したのだろう。
そして、その事をステラが理解していないと思われたのだ。
しかし違う。分かっていないのは自分ではなく、二人の方だ。
“例えそうでも、彼等を粗雑に扱って良い理由にはならない”
真っ直ぐと瞳を見つめてそう言ったステラの事を、黒南風は優しく撫でるだけだった。
──結局それ以降も地働きの待遇は変わらなかった。
むしろ賢猿との闘争が激化する中で、その扱いは更に酷くなったと言える。
彼等はオーク達を殺す事より、負傷させる事に重点を置いており、地働きの数が加速度的に増えてしまったのだ。
戦う事が出来ない地働きの増加は、ステラが思うよりも大きな負担だった。
移動、戦闘、食料。その全てで彼等は群れを圧迫し、次々と拠点が奪われていった。
今にして思えば、それこそが賢猿の策略だったのだろうが、それでも戦士達の不満は地働きに向いた。
そして地働き達には、“死を恐れて戦いから逃げた”と言う不名誉なレッテルまで貼られる様になってしまっていたのだ。
ここに来て黒南風も戦士達を嗜める様になっていたが、最早根深い蔑視は取り除く事が出来なくなっていた。
だが、今は違う。
トカゲが王となって以降、そんな不条理は解消されつつあるのだ。
手持ち無沙汰であぶれていた地働きにも仕事が与えられ、そしてそれに応じた報酬を得る事が出来る様になっていた。
トカゲ自身もまた勤勉だった。
彼はジャスティスと共に川を塞き止めて貯水池を作り、そして時間があれば地働き達と共に汗を流している。
そして氏族間の不平等にも介入し、どんな立場の者でも、働けば働くだけ厚遇されるという統治を敷いたのだ。
それは奇しくも、ステラが黒南風に望んでいた統治に近しいものだった。
しかし黒南風では恐らくこの様な統治は出来なかっただろう。
尊敬すべきステラの王は、その身をドレスで包もうとも誇り高き戦士であった。
戦い、踏みしだき、蹂躙する。そのあり様は戦士たるオークの理想そのものであり、トカゲの様に地働きと共に手を取り合う姿は浮かばない。
もし仮に黒南風が同じ事をしても、オーク達は受け入れる事は出来なかっただろう。
“黒南風とはかくあるべき”
──その理想が、それの邪魔をして。
「……ままならないものなのですね、陛下……」
ステラは思わずそう口にする。
ステラが黒南風に望んだ統治は、黒南風には出来ず、そしてそんな黒南風を殺したトカゲが黒南風に望んだ統治を行う。
そんな状況下でも虐げられて来た多くの者達にとってトカゲの統治は喜ぶべきものであり、それを間近で見てきたステラはトカゲを殺そうとは思えなくなってしまっていたのだ。
トカゲを殺したところで黒南風が蘇る訳では無く、オーク達に安寧が訪れる事は無い。
ならば少しでも安心して暮らせる様にするのが残された私の役目なのだ。
後は戦士達の不満を上手く晴らす事が出来ればきっとこの群れは“良い国”になれる。
ステラはそう思っていた。
この話を聞くまでは。
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「良く来てくれたステラ」
「……いえ……」
ステラはトカゲの言葉にそう答えると、周囲に視線を送る。
そこに居るのはトカゲとその直属の配下達だ。当然ジャスティスも居るが、何故かステラと視線を合わせようとはしない。普段ならそんな事はないのだが、難しい表情を浮かべながら視線を逸らしているのだ。
その態度に違和感を持ちつつも、ステラはトカゲの言葉を待つ。
「ステラ。この一カ月のお前の働きは見事なものだった。黒南風と入れ替わる形で為政者となった私が、こうして統治者として受け入れられたのは、ひとえにお前がオーク達を諌め、そして不安を取り除いてくれたからに他ならない。先ずはそれに対して深い感謝を述べたい」
「……勿体ないお言葉です」
そう言って深く頭を下げるステラ。表向きは正に臣下然としているが、内心は違う。彼女がやって来た事は、オーク達に必要だからそうしただけでトカゲの為にした訳では無い。
そう、殺すつもりは無くなっていても、ステラはトカゲの事が大嫌いだった。それこそ、殺したいくらいには。
トカゲはそんなステラの内心を読んでいるのか、困った様な顔を浮かべた。
「面を上げよ。……まぁ、思う事は多々あるだろうがそれでも感謝は変わらない。そこでお前に褒美を与える事にした」
「褒美……ですか?」
ステラはそう言って内心首を傾げた。
確かにこの一カ月は馬車馬のよう働いたと思う。不安がるオーク達を慰め、猛る戦士達を諌め、ステラは縄張りの中を駆けずり回った。ここまで働いたのは黒南風の副官であった頃に於いてもそう無かったと言える。
しかしそれでもまだまだ問題は多い。
未だにトカゲに怯えるオークも居るし、食料問題もある。賢猿達の動向も不明瞭だし、このタイミングで褒美を言い出す意図がイマイチ掴めなかったのだ。
「お前の希望を聞いておこう。全てを叶えられる訳では無いが、可能な限りそれに応えたいと思う。何か望みはあるか?」
「……望みなどありません。お言葉だけで充分です」
そう言って再び頭を下げるステラ。無論、内心は全く違う。トカゲからの褒美など願い下げも良いとこだった。
しかしトカゲは続けた。
「……そう言う訳にも行かない。私は働きに応じて報酬を与えると確約している。例えお前がそれを望まぬとも、何一つ褒美を与えられないお前が働き続けるのを黙って見ていられない者達も多い」
「……!」
確かにそうだった。自惚れでは無いが、ステラは身分や階級に限らずオーク達に慕われている自信がある。
そんな彼等を心配して見回って来たが、彼等からも同じ様に心配されていたのだ。
「それ故にお前に褒美を与えるのは確定事項だ。……まぁ、お前に望む物が無いのならば私が幾つか見繕う事にしよう。取り敢えず分かりやすい所で、ココの村に屋敷を与える」
この褒美は対外的な見世物の様な物だろう。しかし群れの安定の為には受け取るべきだと思えた。
「……感謝します」
「そしてそうだな……交尾権でも要るか?好きな雄を選ばせてやるが」
「な、なななななな何を仰るのですか!!」
「坊や……。流石に失礼過ぎるわよ」
「……そうか?……いや、確かにセクハラか……。すまない。今のは忘れてくれ」
「……いえ」
ジャスティスの顔が目に入り、少しだけ残念に思うステラだったが、トカゲはそのまま続けた。
「……まぁ、屋敷に関してはお前の思う通りに対外的な見世物に過ぎない。正直に言えば、次に与える物こそが本当の意味でお前への褒美となるだろう」
「ハッ……」
そう言って再び頭を下げるステラ。しかし次にトカゲから出た言葉は、褒美とは思えない内容だった。
「……これより一週間の後、私は供回り十数匹と共に“五壁都市フィウーメ”へと向かう。そこで資金を調達し、食料や備品等の必要物資と、可能ならば知識階級の人材を集めて来る。内容が内容だけに、相応の時間留守にする事になるだろう」
「なっ!?何を考えておいでですか!!陛下とて現状は御理解していらっしゃるでしょう!?」
ステラは思わず声を荒げた。
確かに幾つかの氏族や地働き達の扱いは改善され、トカゲ達と良好な関係を築いて来ている。
しかしそれとは逆にこれまで優遇されて来た戦士達やリャンスー氏族達とは溝が出来ていたのだ。
もし仮にこの状況でトカゲ達の群れに付け入る隙を見出せば、彼等がどう動くのかは分からない。
そして、トカゲはそれが分からない様な愚か者では決してない。
「分かっている。彼等の戦力も、その動向もな。既に内部にも手は回している。撒き餌は随分と役に立ってくれた。後は漁をするだけだ」
──何を言ってる?
──撒き餌?
──漁?
様々な疑問がステラの中で浮かぶ。しかしトカゲの言葉を飲み込み理解すると、自分でも抑えきれない程の激情がステラを包んだ。
「ッッッ!!貴様ァァァァァッッッ!!」
ステラは槍を手にし、トカゲへと飛び掛かった。
そう、このトカゲは戦士達が動く事を理解した上でそうすると言っているのだ。
──刃向かって来た戦士達を、皆殺しにする為に。
そんな事、許せる訳が無かった。
確かにトカゲの統治はステラが望んでいたものに近かった。
戦士達の横暴も目に余る事があった。
しかし、だからと言って戦士達を殺して欲しい等とは欠片ほども思わない。
彼等もまた、守るべき大切な仲間なのだから。
ステラは激情に任せ、渾身の力でその槍をトカゲへと突き立て様とする。
しかし──
「“私への敵対を禁ず”」
トカゲがそう言った瞬間、ステラは槍を手放し、跪いた。
「なっ!?」
──そして、彼女はこの反応を知っていた。
「これは……“支配”……!?何故貴様が使える!?」
そう、それは彼女の王である黒南風のユニークスキルだった。
幾つかの制限があるが、発動させれば対象を絶対服従させれる極めて強力なユニークスキル。
確かに略奪系のユニークスキルを持つトカゲならば黒南風からスキルを奪う事も出来ただろう。
しかしステラはそれを警戒して支配の発動条件は満たせない様に立ち回って来ていた。
にも関わらずステラはこうしてトカゲに跪いている。ステラは意味が分からなかった。
「……私のユニークスキル“継承”は、スキルだけでなく効果範囲も奪う事が出来る。まぁ、習熟度が低いから、黒南風程上手くは使えないがな」
「……ッ!?」
ステラは思わず言葉を失う。
トカゲが言っている事は事実だろう。
そして、それは彼女にとって最悪の事実だった。
「……ここまで言えば分かるだろう。例え戦士達が行動を起こそうとも、私は即座に事態を収束させることができる。ただ一言、“自決せよ”と言うだけで構わないのだからな」
「貴様ッ!!それでも戦士か!?命を賭して戦いを決意した者に、その機会すら与えないつもりか!!」
そう言って噛み付くステラだったが、トカゲは首を振る。
「……私は“戦士”では無い。……ステラよ。貴様、何か勘違いしていないか?私は“黒南風のマダム・アペティ”の代替え品では無い。私は自分で考え、自分の意思で行動する。私の留守中に、私の背に剣を向ける者になど、慈悲を与えるつもりは無い。……そして、ここからがお前に与える真の“褒美”だ」
「褒美だと……!?」
「そうだ。私はここを発つ時にジャスティスにオーク達の支配権を譲渡してから行く。故にもし仮に私の留守中に戦士達が行動を起こしても、確実に失敗する」
「……ッ!」
──そこでステラは理解した。トカゲが何をもって褒美とするつもりなのかを。
「……ここで見聞きした事の口外は禁じるが、お前の行動は制限しない。もう分かったな?お前の働きへの褒美は、他ならぬ“戦士達を救う機会”だ。彼等を死なせたく無いのなら、彼等を掌握してみせよ」
トカゲはそう言うと、配下達を引き連れてその場を後にした。
「……陛下……私は……どうしたら……」
一人となった天幕の中で、ステラは呆然と呟く。
しかし、その言葉に答える者は誰も居なかった。
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