元カノ。
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『……ここは……』
私はそう言って周囲を見回す。そこには、白く何も無い空間が広がっていた。
あの後、私達は黒南風を葬い、オーク達の本営地へと向かった。
そこでこれまでの経緯と、今後私が王となる事を説明したのだが、当然ながらオーク達はそれに納得せず、一触即発の状況になった。
最悪、私が“支配”の命令権を行使する必要があるかと考えたのだが、その前にステラが場を抑えてくれた。
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「……皆落ち着いてくれ。陛下は最後に仰られたのだ。“この男の器を見極めよ”、と。……この件、今は私に預けてくれ。もし仮にこの男が……もとい、黒鉄王殿の器が陛下の見込み違いだったのなら…………私がその喉に槍を突き立てる……!」
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──と、オーク達にそう言ったのだ。
それを聞いたオーク達は、不満はあるのだろうが表面的には納得した様子を見せ、私は喉をそっと隠した。
そうして諸々の問題は残るものの、事態は一応の収束をみせ、私は漸く眠る事が出来たのだった。
そして気がつくとこの真っ白な空間に立っていた訳だが──
『……さっさと出て来たらどうだ?』
流石に二回目だ。ここが何処かは分かる。
私がそう言うと、目の前に光が生まれ、一ヶ所に集まっていく。
軈てそれは一匹のトカゲの姿へと変わっていった。
エメラルドを思わせる光沢のあるウロコ。スラリと伸び、美しい起伏を描く尻尾。その表情は何処か艶めかしく、大人の色香を醸している。
およそ、“美”と呼ばれる概念の全てがそこに──
『お久しブリーフ!!来てみてトランクス!!出会う私はボクサーパンツ!!貴方の天使ちゃんです!!こんばんみ!!』
一瞬前までは在った。
『にゃぁぁはぁぁぁぁっ!?失礼しちゃう!!失礼しちゃう!!!天使ちゃんは怒るよ!!人口の半分を女にしちゃうんだから!!』
『少し静かにしてくれる?』
『にゃは?良いけどなんで?』
『いいから、お願い。』
『……』
──およそ、“美”と呼ばれる概念の全てがそこには在った。
『にゃぁぁはぁぁぁぁっ!?』
そう言って彼女はのたうちまわっている。どうやら間違い無い。喜びの天使本人の様だ。
『プンプン!!失礼しちゃう!失礼しちゃう!!!天使ちゃんは美人で有名な喜びの天使ちゃんなのに、怒りの天使ちゃんになっちゃいそう!!プンプン!!』
彼女はそう言うと、後ろ足で立ち上がり腰に手を当てた。わざわざそのポーズをとる為に中々の労力を使っていた。
しかし気になるのは──
『……お前……トカゲだったのか?』
そこである。以前姿を見せた時は人間の姿をしていた彼女だったが、今はトカゲの姿をしている。
まぁ、何故か受ける印象に変化は無く、声も変わっていないので彼女だと分かったのだが、随分とエラい変化だった。
それを聞いた彼女は、軽く笑みを浮かべながら腕を組んで、私に質問を返す。
『トカゲちゃん、人間のメスに劣情するの?』
『何を言ってる。私は──』
そこまで言って口が止まる。意識して考えた事が無かったが、もし仮に今の私に人間のメスが関係を迫って来ても、絶対に後尾したいとは思えないからだ。
『フフ、そう言う事よ。そもそも私達みたいな上位構造体は、トカゲちゃん達の居る世界に存在出来る様な単純な造りをしてないの。こうして姿を見せる時はアバターを作って顕現する訳なんだけど、その時は対象の種族に合わせてアバターを作るのよ。今はトカゲちゃんに合わせてトカゲのアバターって訳』
『……実感としては納得出来たが、理解が出来ない。私は元は人間だぞ?何故トカゲ主体になった?』
『ん〜、こればかりは個体差があるんだけど、進化に伴って魂の在り様も変化してるの。ほら、トカゲちゃんの友達のジャスティスちゃんも、最初の頃は“チューッチュッチュ!!”とか言ってたけど、最近は全然言わないでしょ?あれも進化した事でボルトラットだった頃の影響が薄れて行ってるからなの。まぁ、生来の種族の影響はかなり強いから、それでも結構残ってるとは思うけどね。トカゲちゃんもそれと同じ。進化する事で、人間だった頃の残滓がどんどん消えていってるの。普通はもっと残っててもおかしくないんだけど、トカゲちゃんはそもそも“人間”への未練が殆ど無かったから、早い段階でトカゲになったの』
『……私は人間だった頃に未練があるぞ?』
『それは、“出世”に関してでしょ?努力の対価を受け取る前に死んだ事が気に入らないだけで、“人間だった事”に関しての未練じゃない。ほら、トカゲちゃん。人間だった頃から、人間の事が大嫌いだったじゃない?自分も含めて』
『……』
私は思わず口籠る。否定をしようと思ったが、それを口にする事が出来なかったのだ。
──天使の言う通りだったから。
『まぁ、トカゲちゃんみたいなタイプは結構珍しいけどね。普通は、“努力もしない、考えもしない、自分に都合が悪い事は全部他人のせい”みたいな連中がそんな考えに陥るものだけど、トカゲちゃんは努力もするし、考えもするし、自分の責任も理解出来るもんねぇ』
そう言って天使が笑みを浮かべる。しかし、次の私の言葉でその笑顔は消えた。
『……お前の言った条件を全て満たしても、自分の事が大好きなクズも居るだろう?例えば、“橘楓”とかな』
『……』
返された沈黙。しかし、それが全てを物語っていた。
『……どうして黙ってる。その話をする為に現れたんだろう?』
天使は尻尾で軽く頬を撫でると、ため息を吐いた。
『……ハァ……。まぁ、流石に気付くよね。“タチバナカエデ”なんてモロ日本名だし。……そうよ、その通り。貴方の考えてる“橘楓”で間違い無いよ』
『そうか……』
私はそう言って軽く首を振る。
“橘楓”は、良く知った人物だ。彼女とは共に暮らし、そして一度は結婚の約束もしていた。
……そう、彼女は私の出張中に同居していた部屋に男を連れ込んだ、二番目の元彼女だった。
しかしよりによって楓とはな……。
私が無言で険しい顔をしてると、天使が話し掛けて来た。
『にゃはぁ……。流石のトカゲちゃんでも、自分が死に追いやった女の事は気になっちゃう?』
そう言った天使は、私を気遣う様に顔を覗く。
『……アイツが死んだのは自業自得だ。私の責任では無い』
『……まぁ、それ自体は否定しないけど……』
そう言うと天使は視線を逸らして黙った。
この反応を見るに、彼女は知っているのだろう。
しかし私もそれに関して何か言うつもりは無かった。
『……私達の家族を皆殺しにしたあの蜘蛛。あれが楓だったのか?』
『そうよ。トカゲちゃん達と蜘蛛ちゃんはほぼ同時に生まれてるの。……勿論、偶然じゃなくて必然にね……』
『……だろうな。この世界は神々のオモチャ箱なんだ。面白おかしくするのは当然だろう……』
私がそう言うと、天使は申し訳無さそうな顔を浮かべた。
『……ゴメンね、トカゲちゃん。私達天使も、そこには干渉出来ない。与えられた役割からは逃げられないの。……例え気分が乗らなくてもね』
そう言って項垂れる天使。
彼女が言っている事は真実なのだろう。確かに古傷を抉られる様で気分が悪いが、それを責めるつもりは無い。
彼女も好きでやっている事では無いのだから。
『……別に良いさ。ニートの天使なんて様にもならないだろ?』
そう言って返した私に、少しだけ安心したのか、天使は笑顔で答えた。
『……そうね!だよね!にゃは!!じゃあ仕事をするよ!えっ〜と、ゴホン!
“転生者よ……。これより先に来たるは、汝にとっての試練の一つとなろう 。備え、そして抗え。その可能性の一端を示すのだ……”
以上どぇす!これ言いに来たの!』
──へ?
『……』
『……』
続く沈黙。
『……それだけ?』
『それだけ!』
『……』
『……』
『……前回みたいにスキルとかくれないの?』
『無い!!本当にこれだけ!!』
天使はそう言うと、再び中々の労力を使って両手を腰に当てた。
どうやら本当にこれだけの為に来たようだ。
『肩透かしくらったみたいだ……』
私は思わずそう口にする。前回現れた時はスキルを貰えたし、今回も楓の事だけでなく何かあるのかと思っていたのだが……。
しかし天使はそんな私を嗜める。
『トカゲちゃん。神々から与えられる“神託”を軽んじては駄目だよ?本当に必要な事を伝えてくれるし、これを授かるのはそれだけ注目されてるって事。それに、今回の神託の内容を冷静になって考えてみて?』
そう言われた私は、少しだけ冷静になって考え始める。
『……私と楓で随分と差があるって事か……』
私がそう言うと、天使は黙って頷いた。
“試練”、“備え”、“抗え”と言う単語が並ぶ以上、それは間違いなく私の方が弱者なのだと示している。
天使の様子を見るに、それもかなり差がありそうだ。
『……まだ接触までは結構な時間があるわ。それにトカゲちゃん自身もかなり強くなってる。だけど、このままじゃ絶対に勝てない。それだけ蜘蛛ちゃんのユニークスキルと、その利己的な人格は噛み合ってるからね……』
『天使に“利己的”と言われるなんて、楓は死んでも変わってないんだな……』
思い出されるのは、生前のアイツのワガママぶり。良家の子女とは言え、甘やかされ過ぎたアイツは、自分以外の全てが自分の為にあると信じて疑わなかった。
無論、実際にそれを口にする程馬鹿では無いが、直ぐ近くに居た私にはそれが誰よりも分かっていた。
天使は私が理解したのを見て、徐に口を開いた。
『……特別に許されてるから、教えてあげる。本来なら言ったら駄目なんだけど、蜘蛛ちゃんのユニークスキルは既に結構な数の魔物達にも知られてるから、許可がおりたの』
『楓のユニークスキル?』
『ええ……』
そう言い貯めて、天使は私の目を真っ直ぐに見た。
『……彼女のユニークスキルは、“捕食”。対象のスキルとステータスを、その肉体を喰らったパーセンテージに応じて獲得する、“略奪系”の中でも最上位に位置するユニークスキルよ……』
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『……この空間……久しぶりね』
そう言って彼女は周囲を見回す。そこは全てが白く、空と地面の境界さえ不確かだった。
彼女はそっと自分の左頬を触る。現実では深く傷が残っているそこには、傷も無く綺麗な肌が有った。
『うぅ……悲しいねぇ、蜘蛛ちゃん……。本当はちゃあんと傷があるのに、ここではそれが見えないなんて……』
そう言って話しかけて来たのは、青い髪を肩口で切り揃えた一人の少女。まだあどけなさを残すが、その容姿は見る者を惹き付ける。
彼女は少女に向き直る。
『……それのどこが悲しいのよ。それに私の事は“橘楓”って呼んでと言ったでしょう?』
『分かったよぉ……。蜘蛛ちゃん』
『……チッ』
彼女は思わず舌打ちをする。しかしこれ以上何を言っても、目の前の少女が改める事は無いと彼女は知っていた。
『……それで、なんの用?くだらない用件なら殺すわよ』
気持ちを切り替えてそう言う彼女。
殺す事が出来ないのは知っていたが、悪態の一つでもつきたかった。
この少女……哀しみの天使はいつもこうだった。初めて会った時から悲しい悲しいと連呼するが、その内容がその言葉と合致した事は無い。
ただ自分をおちょくる為だけに悲しいと口にするだけなのだ。
いけ好かない奴だが、しかし役に立つ情報をくれる事も多く、今回もそれに期待していた。
そして、その期待は当たっていた。
『うぅ……悲しいねぇ……。蜘蛛ちゃんの顔に傷を付けたトカゲちゃんに、会える時が近付いてるみたい……』
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