巨星堕つ。
ーーーーーー
「……取り引きだと?」
「……ええ」
黒南風はそれだけ言うと再び咳き込んだ。血が飛び散り、地面を染めて行く。
「……命乞いでもするつもり?」
姉さんがそう言って黒南風を威嚇するが、奴は薄く笑って返すのみ。
その様子を見て姉さんも黙る。彼女も本当は黒南風がそんな要求をする様な奴ではないと理解しているのだ。
少しの間だけ沈黙が続いたが、黒南風が再び口を開いた。
「……そうね……命乞いと言えば命乞いかしらね……?だけど、私の命を乞うつもりは無い。私の配下達の命乞いよ……条件付きのね」
「……条件だと?そんな事を言える立場だと思っているのか?」
「勿論思っているわ。貴方が条件を飲まないなら、私はこのまま死ぬだけよ。そうすれば2000を超えるオーク達と貴方達は泥沼の戦争に突入する。その時、貴方は生き残る事は出来るでしょうけど、ゴブリン達はどうなると思う?それに、貴方達の群れの仲間だって全員が無事に済むかしら?今回貴方達が結界を使った奇襲を仕掛けたのは、それを避ける為でしょう?」
──全く図星である。
私が何も言えずにいると、黒南風が続けた。
「……聞くつもりが無いならこれで終わりよ。どうする?」
「……言ってみろ。……それから判断する」
私がそう言うと、黒南風は咳き込みながら口角を上げた。
「ゲホッ……ゲホ……ふふ……。そんな顔しなくても良いわ。別に無理をさせるつもりはないし、貴方達にとっても必要な事よ……」
「必要な事?」
「ええ……。元は私がする筈だった事を引き継いで欲しいだけ。……ココの村とノートの村の間にある、“ローム川”を辿って70キロ程下流に行くと、蜥蜴人達が管理している“ダンジョン”の一つがある。そこを奴等から奪って欲しい」
“ダンジョン”
神々がこの地上に作り出した恩恵の一つだ。
内部は複雑に絡み合った異次元空間の様になっており、数多の魔物達が自然発生している。そして、一定の階層を進むと、各ダンジョンと階層に応じた報酬を受け取る事が出来るそうだ。
報酬の中には食料等も含まれており、黒竜の森に住む有力な魔物達は、生活の安定の為にこぞって確保に乗り出しているらしい。
確かに2000匹を超えるオーク達を配下に置く以上、食料の調達方法を確立するのは最重要課題だ。しかし、奴の狙いはそこでは無いだろう。
「……つまり、蜥蜴人達を使ってオークを間引けと言う事か」
「……そうよ。必要な事でしょう?」
黒南風は再び咳き込んだ。
──そう、奴は言ったのだ。“蜥蜴人達が管理しているダンジョンだ”と。
複雑に考えなくてもそれは侵略行為であり、当然反撃も予想出来る。そして、それこそが本当の狙いなのだ。ダンジョンの確保と言う餌でオーク達を釣り、蜥蜴人達に殺させる。自らの手を汚さずにオーク達を間引けるし、上手く行けばダンジョンの確保も可能となる。確かに悪くない手だ。私も黒南風の立場ならそうしただろう。
「ゲホッ……貴方達の群れに間引かせたのは、言ってみればその為の前哨戦よ……。私の命令に背いたり、意図を読まずに勝手な行動をとる扱い辛いオーク達を先に選んで殺させた。後は仕上げが必要なの……」
「……仮に私がそれを承諾したとして、どうやってそれを確認するつもりだ?その頃にはお前は死んでいるだろう?」
「……大丈夫よ」
奴がそう言うと、その指先が淡く光る。
「……これは“支配”の派生効果で、“契約支配”と呼ばれるものよ。契約した内容を、対象に遵守させるもの。後は貴方が承諾すればそれで良い。……さぁ、答を聞かせて」
「……」
私は思わず黙り込んだ。
何故黒南風はこんなしょうもない嘘をついた?
前半に関しては本当だろう。思い当たる節もあるし、ダンジョンを手にする事にもメリットがある。
しかし、“契約支配”とやらは明らかに嘘だ。
“支配”とは明確な上下関係で結ばれるもので、それに対して“契約”とは対等な関係の下に成り立つもの。
確かに不平等な契約もあるにはあるが、効果の内容は“支配”からはかけ離れており、その効果なら“契約”という別のスキルでしかない。
奴の指先が光ったのは、恐らく“支配”を発動させたからだ。
しかし、“支配する”と宣言していない為、もし仮に私が承諾しても効果は発動しない。
私を騙して支配しようとしてる訳でも無いのに、何故こんな真似をする?
何か見落としているのか?
私は考えがまとまらず、周囲をキョロキョロと見渡した。
そして、視界にジャスティスとステラが話し込む様子が映った。
ステラ……黒南風の副官だったか。
黒南風は彼女に“間引き”の事は言っていないのだったな。きっとその手の事を受け入れられない性格なのだろう。
………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………あ゛っ。
──ドゴォッ!──
私は思わず苛立って、尻尾を地面へと打ちつけた。
キューと姉さんが驚いてこちらの様子を見ているが、私は黒南風を相手に声を荒げた。
「クッ、クソ狸親父がッ!!テメェはそれでもブタか!?ブタのプライドもねぇのかッッ!!狸に寄せてんじゃねぇ!!大人しくブタをやってろよ!!」
「……ふふふ、そんなブタだなんて褒めなくても良いわよ?」
「褒めてねぇよ!!分かったよクソッタレが!!答えは“ノー”だ!!断る!!」
私がそう言った瞬間、再び脳内に音声が流れた。
【第二、第三条件のクリアを確認。個体ダークメタルレイザーテイルドタガーラプターに“支配”が継承されました】
「な、なんだとっ!?いや、意図は理解出来たが何故継承された!?」
「……それが条件だったみたいよ?私が継承を承諾したら、今の流れを言う様に“天の声”に言われたわ。“承諾”が第二条件。“正解”が第三条件だったと言う事よ」
「……そういう事か……!!」
私が納得していると、おずおずと姉さんが話し掛けて来た。
「……悪いんだけど、二人だけで納得してないで説明してくれない?事態が飲み込めないんだけど……」
言われてみたらそうだ。客観的に見てたら何が起きたのか全く分からないだろう。
私は姉さんとキューに説明する。
「……黒南風はとっくに継承を承諾してたんだが、その後にさっきの流れを言う様に指示されていたんだ。そこで“正しい答え”を出す事が継承の最期の条件だった」
「“正しい答え”って、さっき黒南風との取り引きを断った事?でも、あの提案自体はかなりまともな内容だったわよ?」
そう言って首を傾げる姉さん。
「ああ……。内容は確かにまともだった。黒南風自身、間違いなくそうするつもりだったんだろう。だが、前提が違う。私達ではダンジョンを攻める事は不可能だ」
「……どう言う事?」
「“私は黒南風では無い”。……それだけの事だ」
「……なる程……そういう事ね……」
ヤスデ姉さんはそう言って頷いた。
もし仮に私が黒南風と同じように、オーク達を率いてダンジョンを攻めたとすると、結果として大きな問題を抱える事になる。
まず単純に蜥蜴人達との関係悪化だ。
黒南風が間引きの相手に選んだ以上、オーク達と蜥蜴人達には相当な軋轢があったのだろう。
しかし、新参の魔物であり、まだ彼等と接触していない私達の群れは、敵対関係には無い。
黒南風達を倒した“賢猿のスグリーヴァ”の動向も分からないのに、彼等と敵対するのは悪手極まりない。
下手をしたら逆に賢猿と手を組まれる可能性だってある。
次に上がるのが、“オーク達との不和”だ。
“支配”を継承したとは言え、オーク達にとって私達は“王を殺した敵”なのだ。
支配階級の連中は支配で抑えられるだろうが、下の階級の連中はそうもいかない。
支配階級の連中に抑えさせても、命令回数に制限がある以上、関係を改善しなければいずれは破綻してしまう。
そんな状況下で大量の死者を出す様な愚策を打てば、私達への好感度はマイナスどころか地面をブチ破ってマントルまで到達するだろう。
そうすれば、再びオーク達との戦争まっしぐらだ。
つまり私達は──
「……オーク達を庇護し、対等に扱う必要がある。……そして、王として認められなければならない……」
そう、オークの抱える問題を全て押し付けられたのだ、この狸親父に……。
「そ。正解よ。後は任せたわよ。黒鉄王陛下?」
……クソッタレが……。
ーーーーーーー
「取り敢えずこんなものか……」
私はそう言って黒南風を見る。
あれから私達は黒南風から幾つかのスキルを継承した。
“どうせ死ぬのだから”と、奴自身が言い出した事だった。
ステータスに関しては元々オーク達から限界まで継承していた為、継承出来なかったが、それでもかなりの戦力強化になった。
「……終わったぞ」
そう言って黒南風に声をかける。
「……ええ……。……悪いんだけど……肩を貸してくれない?村の出口まで歩けないから……」
「……ああ」
私は奴の体に尻尾を巻き付けてゆっくりと立たせた。
その体は力無く、私の尻尾にされるがままだった
。
「……最後にもう一度だけ聞いておく。私の配下になるつもりはないか?」
黒南風の主要スキルは既に継承済みであり、ジャスティスも進化している。その脅威は去ったと言っても過言では無く、そして奴が生き延びる事には多くのメリットがあった。
しかし奴は首を振る。
「ふふ、ふ。私の王は“陛下”ただお一人のみ。それこそ死んでもごめんよ……」
「……そうか」
……これ以上は無駄だろう。
私達はゆっくりと歩き始めた。
「……陛下と私は幼馴染だった。二人とも中規模のダンジョンを有し、数百年に渡り群れを統治して来た氏族の末裔だったの」
奴の体が軽い。あの巌の様な姿は最早見えない。
「……小さな頃から無茶ばかりしてたわ……。あの頃は陛下が無茶をして、私が止める役だった。……まぁ、陛下が王となってからは、逆に戦士長として前線に出まくる私が窘められる様になってたけどね……」
不意に奴が転けそうになる。私は足を踏みしめ、それを支えた。
「あの頃から……ううん。多分、出会った時から私は陛下の事が好きだった。……だから陛下が結婚した時は辛かったわ。子供達が生まれた時も、ずっと辛かった。“私が女だったら”って、どれだけ思った事か……。これが“歴代三番目”ね……」
「……結局私は四番手止まりって事か……」
「ふふ、ヤキモチかしら?」
「やめてくれ。吐き気がする」
「つれないわねぇ……」
黒南風が咳き込む。しかしその咳さえも力無い。
「……ハァ……ハァ……。二番目に気分が悪かったのは、そんな陛下が死んだ時よ。蜥蜴人達との戦で、流れ矢に当たって死んでしまった。呆気ない最後だった……」
「……だから蜥蜴人のダンジョンを狙ってたのか」
「ええ。正直、蜥蜴人達の事は今でもムカついてるわ。まぁ、その戦で当時の蜥蜴人の王と側近3人を殺し返してやったけどね。……そしたら何故か私が“王”になってた。既に“オークプリンス”まで進化していたあの子も居たのにね……」
「あの子?」
「ええ。“影剣のフランシス”。陛下の長子にして、オーク達の真なる王となる存在だった。私が黒竜の塔を目指したのは、あの子を魔王へと導く為。残り少ない寿命を使ってでも、成し遂げる価値があった」
「!?」
「……心臓をやられてるの。医者の見立てだと、この体を支える為に随分と心臓に無理させてるみたい。一年も持たないそうよ……今回の事が無くてもね……」
「……ッ!!進化すれば良い筈だ!私もかつて毒で死に掛けた事があるが、進化する事で適応し、生き延びる事が出来た!きっとお前も進化したらその肉体に適応して──」
「言ったでしょう?“私が女だったら”ってね?。これ以上の化け物になれと言うの?王にだってなりたくなかった。私は一人の女になりたかっただけ。幼馴染と添い遂げられる、小さくてか弱い女の子にね……」
「……ッ!」
黒南風はそう言うと、そっと顔を上げて空を見上げる。その様子は何かを懐かしむ様でもあり、そして悲しみを堪えている様にも見えた。
「……フランシスは素晴らしい子だったわ。剣も魔法も知恵も器も。その全てが抜きん出ていた。確かにまだ未熟だったけど、いずれは“魔王”へと至れるだけの若者だった。安心して逝ける筈だった。……そんな……そんな彼が殺された事が、私の生涯で最も辛く、そして忌々しい記憶よ……」
「殺された?」
「ええ……。賢猿のスグリーヴァ率いる“五本の指”の一人。“禍蜘蛛のタチバナカエデ”に、ね……」
「……ッッ!?」
「……どうしたの?」
「……何でもない……」
「……そう」
黒南風はそう言うと立ち止まる。村の出入り口に着いたのだ。
「ヤスデと白トカゲはさっきのスキルで姿を隠しなさい。黒鉄は私の横に立って。最期の仕事に付き合って貰うわよ……」
「……ああ」
そう頷いて横に立った私を見て、黒南風が笑みを浮かべた。
「……ふふ、なんて顔してるのよ。私達は敵同士でしょ……?」
ーーーーーーーー
「そんな……陛下ッッ!!」
ステラが黒南風の姿を見て駆け寄って来た。そして、その様子を確認して直ぐ、私に向かって槍を構えた。
「貴様ァァァァッッ!!殺すッッ!!殺してやるッッ!!」
そう言って飛び掛かろうとするステラだったが、それを黒南風が止めた。
「やめてステラ。彼は私が見込んだ男よ……。殺すなら、その器を見極めてからになさい……」
「そんな……陛下……!!」
ステラがぼろぼろと泣き始める。彼女にも分かったのだろう。黒南風の命が終わろうとしている事が。
黒南風は彼女の頬を優しくなで、その涙を拭ってやる。
「ステラ……ステラ……。私達の可愛い娘……。仲間達を任せたわよ……」
「ッッ!!ックッ!!ひどいです……陛下ッッ!!なんで、なんでこんな時に娘だなんて……!!」
「……ずっと言えなかったんだもの。あの子にも伝えてくれる?“我が子のように思っていた”と……」
「うっ、うわぁぁぁぁッッ!!」
ステラが黒南風に抱きついて泣き崩れた。黒南風はそっと抱き返すと、オーク達を見回す。
彼等も黒南風の様子を固唾を飲んで見守っており、必死に嗚咽を堪えているのが伺えた。
やがて、深く息を吸った黒南風が叫んだ。
「誇り高き黒南風の戦士達よッッ!!今、ここに我は敗北を宣言するッ!!降したのは、新たなる汝らの王!!かの王は一対一の決闘で、正々堂々と我を降したッッ!!その名を胸に刻むが良い!!
“黒鉄王”トカゲ!!
それが汝らの王の名だッッ!!」
「「「「ウォォォォォッッ!!」」」」
オーク達から割れんばかりの咆哮が木霊する。
「……黒南風……」
「……ふふ、これで……少しはマシになったでしょう。この借りは私の子供達に……返してくれるかしら……?」
「……ああ……」
「……陛下……フランシス……今……行くから……」
黒南風はそう言うと、ゆっくりとその目を閉じた。
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