切り札。
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「レイジングテイル!!」
私は再び拳を構えた黒南風へと尻尾を振る。
鞭の様にしなりながら奴へと向かう尻尾だったが、黒南風はそれを難無く躱すと、拳を開き掴み上げた。
「あら?思ったよりも大分遅いわね?スキルを使ったのにこの程度なの?」
「いや?口で言っただけで、使うのはこれから」
「!?」
次の瞬間、奴の掴んでいた尻尾から無数の棘が伸びる。
上手く行けば奴の手の平を貫く事が出来ると思っていたのだが、奴は直前で私の尻尾を放しており、棘は空中を貫くだけだった。
奴は再び私と距離をとって向き直る。
「“無詠唱スキル”とはね……。最初に見て無かったらやられてたかも。随分と練習したんでしょう?」
「……その単語を初めて聞いた。確かに言った方が使いやすいが、普通は言わなくても出来るものじゃないのか?」
「……普通じゃないわよ。周りの連中見て気付かなかったわけ?」
「ふむ……。外に居る仲間も普通に出来るし、あまり特別なものだとは思って無かったな。……ところで、貴様も周りを見てるのか?」
「“重破斬”ッッ!!」
その声と共に、黒南風の背中へと放たれる自警団長の戦斧。
彼は私と黒南風が話をしている間に奴の背後へと回り込み、斬りかかったのだ。
しかし──
「見ては無いわね。でも、視線は感じるの」
後頭部に手を回す形で彼の斧を受けた黒南風。
斧を受けた筈の右手は全くの無傷で、ダメージは見受けられない。恐らく自警団長が言っていた“鋼鉄の腕”と言うスキルだろう。
そのまま振り返り拳を振るう黒南風だったが、既にそこには自警団長は居らず、拳は空を切る。
私は駆け寄って来た自警団長に声をかけた。
「……どうだった?」
「想像以上に硬く、そして強い。鋼鉄の腕を使っているとは言え、重破斬で身動ぎ一つしないとは……」
そう言って顔を顰める自警団長。
黒南風はゆっくりとこちらに振り返る。
「フフフ。内緒話は終わった?ビックリしたわよ?そのゴブリン、あの子から聞いてたよりもずっと強いじゃない。手が少し痺れたわ」
「それは良かった。ついでにその両腕を包むスキルを解除してくれると助かるのだが?」
そう皮肉を返した私だったが、黒南風は予想外の答えを返した。
「……スキル?何を言ってるの?私はただ腕で防いだだけよ?生憎と私は生産職なの。そこまで武闘派のスキルは持って無いわ」
「……!?そ、そんな訳あるかッッッ!!」
思わずそう叫ぶ自警団長。正直私も全く同じ気持ちだったが、しかし黒南風の表情はブレない。にわかには信じ難いが、嘘ではなさそうだ。
「まぁ、確かに魔力と力を込めてるし、他の部位よりは余程硬いとは思うけどね。……知ってる?ステータスってね、種族毎に上限が決まってるけど、個体による加算分があるの。私の場合もそう。極めて高いSTR値が加算されているわ」
そのまま自分の体を軽く叩く黒南風。その全身は筋肉で覆われており、奴の言葉を裏付けている。激しい起伏を持つその様相は、まるで筋肉の──
「……醜いでしょう?まるで筋肉の化け物よ。生まれた時からこうだったわ……」
そう言って空を見上げる黒南風。隙が有れば尻尾の一つでも叩き込みたい所だが、先程の攻防から察するに不用意に攻めるのは得策とは言えない。視線を感じると言っていたが、そうしたスキルがあるのかも知れない。
「私はね、小さな頃から自分で体が嫌で嫌で仕方なかったの。だってそうじゃない?私は女の子の筈なのに、男の体で、しかも何もしなくてもムキムキになっちゃうんだもの。周りの連中も私に武器を持たせて戦わせてばかり。みんなみんな大嫌いだったわ。……だけど、陛下だけは違った。こんな化け物みたいな私に、仕立て屋の仕事をくれたのよ……」
何もしなくてもムキムキ……?確かそんな体質の人間が居るという話を聞いた事が有るな(※1)。
「幸せだったわ。女の体にはなれなくても、自分の好きな事を仕事に出来たんだもの。でもね、この森ではそれも続かなかった。何度も何度も繰り広げられる戦いの中で、私も武器を持って戦ったわ。本当は嫌だったけど、陛下の為なら我慢出来た」
自分語りを続ける黒南風を他所に、私は深く呼吸を整え魔力を練る。何度も練習したが、こうすると威力が跳ね上がるのだ。
「……そんな陛下も亡くなられ、私に残されたのは、陛下の三人の子供達だけ……。あの子達の為なら、私は何だってする……ううん、する筈だった」
「そうか。“竜の息吹”」
次の瞬間、私の前面に魔法陣が展開される。
なんかシリアスな雰囲気があったけど、私には全然関係ない。
「“剛腕干渉”」
しかし、黒い金属片が発生するよりも先に奴が先程ジャスティスの雷撃を防いだスキルを発動する。
どうやら奴は私の“竜の息吹”が非実体のものだと判断した様だ。
だが、残念ながら違う。私の“竜の息吹”は黒い金属片を高速で飛ばすという、物理的な攻撃である。
奴のあのスキルは非実体に対する干渉力を手にするものであり、私の竜の息吹には無意味な筈だ。
しかし奴はそのまま私に向かい、何かを掴む素振りを見せ、そして思い切り引き抜く。
疑問符を浮かべながらその様子を見ていた私だったが、次の瞬間──
ゴオッッッ!!
「!?」
突如として強風が、いや、剛風とでも呼ぶべき風が私の背面から巻き起こる。
その圧力に私はバランスを崩してしまい、魔法陣が搔き消えた。
「チッ!!」
思わず舌打ちが漏れる。私の竜の息吹には“発動までその場に留まる”という条件が存在しており、バランスを崩した事でその条件を満たせなかったのだ。
何故あんな風が吹いたのかは分からないが、奴がやったのは間違いない。恐らく竜の息吹の発動条件を知っていたのだろう。
私は再び視線を黒南風に向ける。今度は奴は空に向かって手を振り上げ、何かを掴む素振りをしている。しかし当然ながらそこには何も無い。
そしてそのまま奴は私に向かって何かを振り下ろした。
ゴウッッッ!!
「!!」
その瞬間、私の体は強烈な風圧に抑え込まれた。
奴は一体何をしている!?魔法か!?
度重なる奴の奇行と強風に対して疑問符が浮かぶが、幸いにして圧力自体はそう大したものではない。しかしこの隙に奴はこちらへと接近しており、迎撃する必要があった。
「……ッ!!レイジングテイル!!」
私は再び尻尾を放つ。しかし、今度は先程と違い本当にスキルを発動させている。
奴としてはこの尻尾がスキルによる補正があるものなのか、それとも無いものなのかは咄嗟には判断出来ない。
それ故に先程と同じく手で止めるという選択肢は取り辛く、回避する為に距離を取る筈。
もし上手く当てる事が出来ればダメージも通る筈だ。
と、そう思っていたのだが、奴は腕を下に構えて立ち止まる。
そして、何かを掴む素振りを見せて、再び大きく振り上げた。
「くっ!?」
私の足下から突風が吹き上げ、バランスが崩れた尻尾の狙いは黒南風から逸れてしまう。
ッッッの野郎……!!
その時、私はようやく奴が何をしていたのか理解出来た。
「……ッテメェッッッ!!大気を掴んでやがったのか!!」
「正解よオォッッッ!!」
そのまま私に近付き、左腕を脇腹に打ち込もうとする黒南風。しかし私は奴からそれた尻尾をそのまま地面へと叩き付け、反動で側面へと飛んで回避した。
奴は、あの“非実体に干渉する”というスキルで大気を掴み取り、それを振り回す事であの風を生み出していたのだ。
ジャスティスの雷撃を受け止めた時も、その両腕の範囲を大きく上回る形で受けていた。恐らく、ある程度干渉可能な範囲に遊びがあり、それを応用しているのだろう。
「フフフ、驚いてくれたみたいね!!私は“季風神アルソローノ”様より真名を授かったの。だから“風”に対する干渉には補正がかかる。……そして、ここからが本領よオォォッッッ!!」
そう叫び一気に距離を詰める黒南風。
その両の手の平は薄く開き、風を掴んだまま振るわれる。
「クソッ……!!」
何度も何度も私に繰り出される拳撃。辛うじて躱す事が出来ているが、しかし反撃に転じる隙が無い。
……いや、違う。隙自体は間違いなくある。しかし、私がそこを突く事が出来ないでいるのだ。
奴が振るう拳と共に、私の周囲の大気が揺らぐ。その圧力はさしたるものでも無いのだが、迫り来る拳撃を躱す度に足下が揺らぎ、態勢を立て直すので手一杯になるのだ。
「ハハハッッッ!!どうしたの?逃げるだけ!?これじゃあトカゲじゃなくてネズミねぇ!!」
好き勝手言いやがって!!正直どっちもあんま変わらん評価じゃボケ!!
なんとかその顔面に一発ぶち込んでやりたいのだが、私の体にまとわり付くこの重たい風がそれを許さない。
“黒南風”
確か、梅雨の初めの雨雲の下に吹く、水分を多く含んだ重たい風を指す言葉だ。
何故このオークにそんな二つ名がついてるのか分からなかったが、これで納得がいった。
奴が、……いや、奴こそが“黒南風のマダム・アペティ”なのだと──
「“重破斬”ッッ!!」
繰り広げられる私と黒南風との攻防の最中、再び自警団長のスキルが奴に向かって放たれた。
巻き起こる暴風の中、ようやく斬りかかれるだけの隙が出来たのだろう。しかし、奴はそれを当然の様に読んでいた。
「甘いのよッッッ!!」
その言葉と共に振り抜かれた拳が、自警団長の斧とぶつかる。
肉と金属の衝突の筈なのだが、金属同士が激しく衝突した様な音が響き、次いで自警団長の斧が肢の部分だけを残し上空へと弾け跳んだ。
「ッッッ!!」
「自分の身の程は理解出来た!?貴方は退場してなさいッッッ!!」
そう言って再び拳を自警団長へと向ける黒南風。
私は即座に尻尾を振るい、奴を牽制しようとする。
しかし吹き荒れる暴風に、狙いが少しだけ逸れてしまった。
「ッ!“ニードルテイル”!!」
私は逸れた範囲をカバーする為に、ニードルテイルを発動させ、そのまま振り抜いた。
轟音と共に棘が生えた尻尾が大地へと突き刺さる。
黒南風には避けられたが、自警団長も回避する事が出来た様だ。これで──
「良かったわ。これで邪魔な尻尾が切れる」
「!?」
そう言うが早いか、黒南風が私の尻尾を拾い上げる。そしてそのまま力を込めて──
──ブツンッ!!──
「ギィヤァァァァァァッッッ!?」
私は全力でそう叫ぶ。奴は私の尻尾の棘が消えると同時に、その膂力でもって引きちぎったのだ。
奴の手の中で、私から千切れた尻尾がビタビタとのたうっている。
「ク……ソッッッ……!!」
私は何とか立ち上がると、奴から距離をとって向き直った。
「フフフ。今のは悪手だったわね?実はずっと狙ってたのよ。貴方がさっきのスキルを使うのをね」
そう言いながら私の尻尾を放り投げる黒南風。
「正直、貴方の尻尾はとても厄介だったのよね。上手く、早く、そして強い。直撃すれば私でもダメージがあるもの。でも、迂闊に掴んでも、あのトゲのスキルで手が潰されてしまう。だから結構困ってたわ」
私は更に後退りするが、奴は気にした様子も無い。
「だけど貴方は彼を守るためにあのスキルを使ってしまった。私はスキルのインターバル時間が終わるまでなら安全に貴方の尻尾を握る事が出来るわ。……優しいのは良いけど、あんな格下を助けてドツボに嵌るなんて、貴方らしく無い最後だったわね?」
そう言って肩をすくめる黒南風。その表情には憐憫が浮かんでおり、勝利を確信している様子だった。
「……でも、中々見事な戦いぶりだったわ。どう?私に忠誠を誓うなら、貴方も、そして貴方の群れも私の麾下に加えてあげるわ」
そう言って私に向かい手を差し伸べる黒南風。その表情は穏やかであり、そこに嘘が無い事は十分に見て取れた。
あの時の将軍とは違う。本心からの言葉なのだろう。
私は、ゆっくりと彼に向き直り、こう言った。
「“レイジングテイル”」
「!?」
次の瞬間、自警団長の手に握られた私の尻尾が黒南風を打ち抜く。
「グギャァアッッ!?」
叫び声を上げながら此方へと跳ね飛ばされる黒南風。
その表情は先程と打って変わって驚愕と苦痛に歪んでいた。どうやら全く状況が掴めていない様だ。
……全く、随分と時間が掛かったが、概ね予定通りに行った。
奴が尻尾を千切る事も、自警団長を軽んじて注意を失う事も、全て事前の段取り通りだった。
そして、奴はまだ勘違いしている。奴は私の尻尾こそ脅威だと捉えていたが、私の最大威力の攻撃は、尻尾でも息吹でも無い。
金属で覆われたこの鎧の様な体を支え、そしてその上で機敏な動きを可能としているこの両足こそが、私の切り札。
私は迫り来る奴に向かって飛び跳ねる。
それと同時に両足が強い光を放ち、スキル待機状態へと移行する。
「アクシズッッッ……!!バレットォォォォォォッッッ!!」
その言葉と共に放たれた両足が、黒南風の胴体へと吸い込まれた。
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(※1ミオスタチン関連筋肥大。MSTNと言う遺伝子の突然変異で、筋肉の異常発達が起きる。作中では明言されないが、黒南風もこの体質)