敗北者。
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「やっぱり不思議ねぇ……。こうしてハッキリと結界の外が見えてるのに、全く気配を感じないわ。まるで紙に描かれた絵を眺めている様に、現実感を感じない……」
そう言って私達を背にして周囲を見回す黒南風。
彼の視線の先では、外に居るジャスティス達が攻防を繰り広げていた。
何度かククが間違って少年ゴブリン目掛けて魔法を放ったりしてるが、これは少し予想外だった。しっかりした子だと思っていたが、どうやらククはドジっ子属性らしい。
「……どうしたの?自分で言うのもなんだけど、割と隙だらけだと思うんだけど?」
挑発的にそう言った奴が、ゆっくりとこちらに振り返る。
しかしその口ぶりとは裏腹に、容易く飛び掛かれる様な隙は無い。
見上げる様な巨躯に、丸太の様に太い腕。
下顎を縁取る6本の牙は天を貫き、その相貌を更に凶悪なものにしていた。
そしてその全身を包むのは、黒いビロードのフォーマルドレス。
“黒南風のマダム・アペティ”。
オークを統べる王が、私達の前に現れたのだ。
「あら?思ったより少ないわね。もう少し居ると思ってたけど」
そう言って私と自警団長を交互に見つめる黒南風。どうやらこちらの伏兵の存在にも気付いていそうだが、隠れている場所迄は把握出来ていない様だ。
私は気圧されない様に、一歩前に出て答える。
「……ええ。貴方を相手するのに、足手まといは要りませんからね」
「あら、ツンデレってヤツかしら?本当は死人を出したくないんでしょ?」
そう言って笑みを浮かべる黒南風。こちらの意図を看破している様だ。
私が黙っていると、そのまま奴は結界の外を指差して続ける。
「フフフ、図星みたいね?だとしても仲間たちを外に出したのは失敗だったんじゃない?あのゴブリンの坊やを助ける為だってのは分かるけど、あなたの群れ全体が不必要なリスクを負う羽目になったのよ?」
「……不要では有りませんよ。あの少年には見所がある。リスクは有りますが、必要なリスクだと思ってこうしたまでです。……まぁもっとも、我々を使って仲間を間引く様な貴方には理解出来ない事でしょうがね」
「……」
私がそう言うと、黒南風から笑みが消える。
黒南風は右手で軽く顎を撫でると、無表情のまま再び口を開いた。
「……参考までに聞かせて貰いたいんだけど、どうして分かったのかしら?その事は副官にも伝えて無かった私の胸の内よ?」
「……否定しないのか?」
「ええ。事実だし、必要な事だと判断しているもの」
「……大した“王”だな。“悪政は政の花”とでも言うつもりか?」
「あらやだ!随分と気の効いた事言うじゃない。なら、その花の花言葉は、“政治の本質”ってとこかしら?」
そう言って肩をすくめる黒南風。
奴は悪びれる事も無かった。
“仲間を殺している”
そう宣言しているにも関わらず。
「……気付けたのは部下のお陰だ。私の部下に情報収集と分析に長けた者達が居る。彼等はココの村にはかなり高水準の包囲網が敷いてあり、軍事の知識が伺えると言っていた。しかし、侵攻の為に送って来るのは我々でも容易に対処出来る様な兵力ばかり。……だからこそ気付けたんだ。貴様がわざと配下を死なせているとな」
初めは意味が分からなかった。
最初の戦闘でオーク達が戻らなかった以上、奴も此方のおおよその戦力は予測出来た筈。
なのに送られて来るオーク達は我々にくらべ格段に弱く、無駄死にさせている様にしか思えなかった。
しかし、無駄死にさせる事が目的だったなら?
そう考えた時、即座に私は納得出来た。
黒竜の森の外周部は中心付近に比べて森の恵みも少なく、そして農耕するにも魔物達の影響が大きい為に安定しない。
確かにあれだけの数のオークが居れば開拓も可能だろうが、即座に農産物が出来る訳でも無い。
だから奴は減らす事にしたのだ。
私達とは違うベクトルで。そして私達と同じ理由で邪魔なオーク達を──
「……そして貴様は“魔王”になる事を諦めている。もし仮に再び中心部を目指すなら、兵を減らす事にメリットは無い。しかし確率分離結界を手に入れる事も、口減らしをする事も、“外周部で安定した生活を送る”ことを目的としているのなら十二分に理解出来る内容だ。そして、そうせざるを得ない理由はただ一つ……」
私はそこで区切ると真っ直ぐに奴の目を見つめる。
「──負けたんだろう。“黒南風のマダム・アペティ”」
そう、奴は敗北者なのだ。我々と戦うまでも無く、既にして。
周囲の空気が張り詰めるのが分かる。
私の言葉を聞いた黒南風は、瞳を閉じて右手で顔を覆う。
そして、深いため息を吐いた後、指の間からゆっくりと再び目を開き──
「「!?」」
次の瞬間、私と自警団長は咄嗟に後方に飛び退いていた。
何かをされた訳でも無い。何か考えがあった訳でも無い。
ただ、背骨に氷柱を突き立てられる様な恐怖から遠ざかる為に私達は飛んだのだ。
黒南風はそんな私達の様子を見ると、薄く笑みを浮かべる。
先程迄とはまるで違う。凶悪な獣の笑みを。
「フフ。まだ何もしてないのに、可愛いわねぇ……。でも正解よ素晴らしいわ。そう、その通り。私達は負けたのよ。黒竜の森でも最大の兵力を有する“賢猿のスグリーヴァ”にね……。あの坊やの口から聞いた時はまさかとは思ったけど、なかなか賢いじゃない」
黒南風の肉体が張り上がる。まるで巨大な岩山が現れた様だ。
「貴方の言う通り、私はもう“黒竜の塔”を目指していないわ。まぁ、そもそも私が黒竜の塔を目指してたのは自分の為じゃ無いんだけどね。とにかく今の私の目的は、“平和”と“安定”。その為には貴方達の協力が必要なのよ。だから……
死 ね 」
そう言うと黒南風は大きく右腕を後方に伸ばし、そのまま野球のアンダースローの様に構えた。
そして私が何か考えるよりも早く、黒南風の腕が掬い上げられる。
──地面を抉りながら。
「!?」
凄まじい速度で黒南風の足下にあった地面が、土塊となって私へと当たる。
咄嗟の事で躱す事は出来なかったが、しかし所詮は土塊に過ぎない。私のDF値(物理防御力)を上回る事は無く、体が軽く浮く程度だった。
……体が、浮く……?
そう考えた私の背筋に再び恐怖が走る。視界の先には掬い上げた拳をそのまま振りかぶり、私へと迫る黒南風の姿が映った。
──不味い!
迫る黒南風の速度は確かに早い。あの巨躯からは考えられない程の速さだ。だが私の方が確実に早い自信がある。
しかし、それでも躱せない。
空中に浮いた状態では、如何に早さに恵まれようとも無意味なのだから。
黒南風が空中に浮いた私へと迫る中、自警団長の声が響いた。
「尻尾を使えッッ!!」
「!?」
それを聞いた私は即座に行動に移す。
私の種族である“ダークメタル・レイザーテイルドタガーラプター”の尻尾は、高い伸縮性を持っている。
私は尻尾を少し離れた地面に突き立て、ニードルテイルを発動。そしてそのまま体を引き寄せてなんとか回避に成功した。
次の瞬間──
ドゴォォォッッッ!!
大気を震わせる様な轟音と共に、黒南風の拳が地面に叩きつけられる。
着弾点を中心に、数メートル程地面がめくれ上がり、飛び跳ねた泥が頰に当たる。
「……!」
冗談じゃない。確かにステータスの補正がかからない地面は、我々にとっても脆いものでしかない。しかし、だからと言ってなんのスキルも用いずにクレーターを作れるなんて考えられない筈だった。
しかし奴は平然とそれをやってのけた。単純な威力で見ても、あの時のオークのそれ以上かも知れない。
茫然としている私達に、黒南風が声をかける。
「……じゃあ、そろそろ始めるわね?」
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