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取り引き(前編)

ーーーーーー

 

 

 まだ、朝日も登りきらない暁の森を、一匹の魔物が歩く。


 この黒竜の森の魔物達の大半は昼行性であり、数少ない夜行性の魔物達も、今は巣へと戻り始める為、この時間帯は最も森が安全な時間だった。

 そして、その事はこの魔物も理解しており、だからこそこの時間を選んだのだ。


 僅かばかりの日差しから、ローブの下の顔が覗く。


 鷲鼻と、緑色の皮膚、そして尖った耳が特徴の亜人型の魔物。


 “ゴブリン”と呼ばれる魔物で、森の外周部にある、ノートの村に住む少年だ。


 彼は決意を持って歩いていた。

 例え自分が死ぬ事になったとしても、自分が好意を寄せているあの少女の事だけは守りたかったのだ。


 幼い頃から一緒に育った薬師の少女は、他の雌達とは少し違っていた。


 子供の頃は男勝りで、雄の子供達に混じって野山を駆け回る様な雌だった。

 最初はそれが気に入らなくて、何度もちょっかいを出した。殴り合いの喧嘩だってした事もある。


 しかし、年頃になり女性らしさが伴って来ると、気づけば彼女を目で追う様になり、それが恋だと自覚するのに時間はかからなかった。


 つぶらな瞳──


 芽吹きたての若葉を思わせる新緑の肌──


 ふっくらとした鷲鼻──


 丸みを帯びた背中──


 そのどれもが魅力的だが、時折り見せる事のあるはにかんだ笑顔は、まるで女神の様だった。

 いや、違う。彼にとって彼女は、スーヤ・スーヤと言う一人の少女は、正に女神なのだ。


 どんな事をしてでも、彼女の笑顔を守りたい。彼は、心の底からそう思っていた。


 しかし、最近はそんな女神に近付く不逞の輩が現れた。

 その不逞の輩は、人獣(ワイルドハーフ)であるにもかかわらず、あろう事かスーヤの手を握り色目を使ったのだ。


 確かに、共に“人”の因子を持つ亜人と人獣は、交配は可能だと言われている。そして、マーカスオークと言う非常に強力な魔物を撃退するだけの力量もあるあの白銀のユニークネームドは、雌にとっては魅力的な雄なのかも知れない。


 しかし、だからと言って、あんなけだものに想い人を譲るつもりなど、彼には微塵も無い。

 例え力で敵わなくても、彼女を想う気持ちだけは、誰にも負けないのだから。


「……止まれ、小僧」


 不意に少年を呼び止める声が聞こえた。


 少年が其方に視線を向けると、粗雑な武器を構えた魔物達が立っていた。


 豚頭人身の亜人。“オーク”だ。


 彼等は武器を突き付けたまま少年に質問する。


「ここより先は我等が王の大本営だ。何の用向きでここに来た」


「……俺はノートの村から来た」


「!?」


 オーク達の顔に驚愕が浮かぶ。オーク達の群れは、正にノートの村を拠点とする魔物達と交戦状態にあるからだ。


「……貴様ァッ!!よくもヌケヌケとッ!!」


「よせッ!!」


 今にも掴みかかろうとするオークを抑え、隊長らしきオークが少年に再び問い掛ける。


「……もう一度聞く。何をしにここに来た?正確な場所は分からなくても、この周辺は我等が抑えている事くらい知っていただろう?」


「……だから来たんだ。あんたらの王に会わせてくれ。……()()()()()()()


 隊長のオークは暫く考えると、ゆっくりと頷いた。



ーーーーーー



「そこでひざまずけ。王がいらっしゃる」


 そう言うと、ここまで案内をしたオークは、天幕の入り口に向かいその場に立った。


 ここは、ココの村の入り口付近に建てられた天幕だ。

 周囲に望む平原には、似たような作りの天幕が並び、ここが彼等の本拠地なのだと良く分かる。


 オークに言われた様に跪いて暫く待つと、天幕の奥から二人のオークが現れた。


 先ず目に入ったのは、線の細い雌のオーク。

 近縁種であるオークの雌は、ゴブリンである彼にも理解出来る程の美貌だった。


 ──無論、彼にとってスーヤ以上の雌は居ないが。


 彼女は玉座の横に立つと、此方をじっと見つめている。


 そして、次いで視線を向けた先に居たそのオークに、少年は思わず息を飲む。


 見上げる様な巨躯。

 天を貫く六本の牙。

 大樹を思わせる四肢。


 そして、其れ等を包む仕立ての良い()()()


 黒竜の森が擁する、二つ名持ち(ダブルネームド)ユニークの一人。

 “黒南風(くろはえ)のマダム・アペティ”が現れたのだ。


 がゆっくりと玉座に座ると、隣に立つ雌のオークが口を開けた。


「アペティ様。ノートの村がゴブリン、御目通りをしたいとの事です」


 それを聞いた黒南風が、少しだけ煩わしそうに顔を歪めて続ける。


「良く来たわね、坊や。私がオーク達の王。“マダム・アペティ”よ。……ねぇ、この面倒くさいやり取りって、本当に必要なワケ?ここに来る時点で知ってるに決まってじゃない」


「陛下!何度も言っているではありませんか!!国家には体裁と言うものが……」


「あ〜、もう分かった分かった。じゃあ、今回だけ無礼講って事にさせて貰うわね」


「陛下!それは分かったとは……!」


 懸命に嗜める彼女の言葉を遮る様に、黒南風は続けた。


「……それで坊や。何をしにここに来たの?ここが正に敵の本拠地だとは理解した上で来たのよね……?」


 そう言って此方を見つめる黒南風。

 その口調は穏やかだが、向けられる視線は冷淡そのもの。

 少年の命など、塵芥程のものだと思っているのがはっきりと伝わって来る。


「……取り引きがしたい」


 震える体を叱り付け、絞り出す様に声を出した。

 ここから先のやり取りで、スーヤ達の命運が決まるのだと思うと、冷たい汗が溢れて来る。


「……“取り引き”……ねぇ……。具体的な内容を教えて貰えるかしら?」


「……あんた達に村を差し出す。だから、スーヤ達の家族……合計で三人のゴブリンを見逃して欲しい」


 少年がそう告げると、黒南風は右手で軽く顎を撫でて目を瞑る。

 そして、少し経ってから目を開けると、少年に疑問をぶつける。


「……どうしてまたそんな事を言い出したの?貴方達ゴブリンが迎え入れた魔物達は、もう200人に届くオーク達を殺しているのよ?そんな連中を私が生かしておくと思っているの?」


 そう、黒南風の言う通り、新しくノートの村に住み着いたあの魔物達は、既に夥しい数のオークを狩っている。

 そんな連中と彼等オーク達が和解する事など考えられないだろう。


 しかし──


「……村の全員がアイツらを受け入れている訳じゃない。それに、一昨日の夜に話し合いの場が持たれたけど、それから村はあんたらに降伏するべきだと主張する連中と、徹底交戦を主張する連中とで真向から対立しているんだ。一緒くたに考えないで欲しい」


「だから?私達から言わせれば何も変わらないわ。降伏を主張しようが、交戦を主張しようが、ノートの村があの魔物達を受け入れている現状には変わりない。そうである以上、皆殺しは決定事項だわ」


「……分かってる。だから取り引きに来たんだ。スーヤ達だけでも見逃して欲しいと」


「……」


 再び目を閉じる黒南風。そして、ゆっくりと目を開けると、少年に問い掛ける。


「……貴方の取り引き……()()()()()()()()()()()()理解出来ているわよね?貴方にとって、そのスーヤって子はどんな存在なの?恋人なのかしら?」


 その顔は先程とは打って変わって穏やかなものだった。


 少年は、黒南風の目を見てはっきりと言った。


「恋人じゃない……。それでも、これ以上無いくらいに惚れた女だ」


 沈黙が周囲を包む。そして──


「ああん!!なんていじらしさ!!何て“愛”なの!想いを寄せる少女の為に命を投げ出す少年!なんて素敵なの!!ああ、ダメね私、こういうのキュンキュンしちゃうわ!!良いわ!!取り引き成立よ!!その愛に免じて貴方も見逃してあげるわ!!」


「ちょっと陛下!?こんなガキの言う事信じるんですか!?」


「いいじゃない!どの道、連中の確率分離結界を抜ける為にはノートの村のゴブリンが必要なわけだし、このままじゃラチが明かないもの。たかだかゴブリンの四人くらい見逃してあげても良いでしょう?」


「ですが……!」


「ああ、もうハイハイ!決定ったら決定よ!!私が王なんだから、私が決めたらそれでお終いなの!!」


「〜ッッッ!!」


 黒南風がそう告げると、雌のオークは頭を抱えて悶え出した。


 茫然とする少年に、黒南風が声を掛けた。


「さて!取り引きは成立で良いわ。取り敢えず貴方には、一時的に私の指揮下に入って貰うけど、村の件が片付いたら、貴方達は“フィウーメ”まで送ってあげるわ。あの都市なら、平和に暮らせるでしょう」


 そう言われて、ハッと我に返る少年。

 そんな少年に、黒南風は手を差し伸べた。


「じゃあ、今の所は私の配下って事で良いわね?」


「あ、ああ。分かった……」


 少年は、戸惑いながらも、おずおずとその手を取った。

 その様子を見た黒南風は、穏やかな表情でこう呟いた。







「“支配ドミネイト”」






「──え?」



 次の瞬間、彼の右手から()()少年の体を駆け巡った。


 少年は訳が分からずに黒南風達へと視線を向ける。

 先程まで頭を抱えていた雌のオークも、じっと少年を見つめている。


「……本気で取り引き出来ると思っていたの?」


 そこにあったのは、始めに少年を見た時と同じく、冷たく暗い視線だった──




ーーーーーー


 

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