刻まれしその名は。
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「……終わったな」
私はそう独り言ちる。
眼前には、無数の血溜まりと死体が横たわっている。
死屍累々とは正にこの事だろう。
今回は、今までで一番の危機だった。いや、危機と言うのもおこがましい。“敗戦”と呼ぶべきものだった。
仲間は死に、群れの全員が追い詰められ、私自身もほぼ死んでいた。
私が脇腹を刺された時、冷静になって対処すれば、切り抜ける方法もあったかも知れない。
……しかし、奴が彼の死を侮辱した時、私は自分を見失う程に激昂してしまった。
今まで“怒り”と言う感情は、私の中では冷たく凍てついた物だと思っていた。
自分に害がある敵を、冷徹に処分する為の感情なのだと。
事実、生前の私はそうやって生きて来た。
自分に悪意を向けた連中を、徹底的に潰して来た。
漫画やアニメで語られる様な、熱く燃え滾る様な感情では無いと思っていた。
しかし違う。私は知らなかっただけなのだ。
“誰かの為に怒る”、という事が一体どんなものなのかを。
「……人間だった頃よりも、随分と人間らしくなったものだ……」
私は誰に言うでも無くそう呟くと、洞窟の中を歩き始めた。
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「……お前、トカゲか?」
そう言って驚いた顔で私を見下ろすジャスティス。
あの後、私は強化嗅覚で妹達を探し出し、異次元胃袋に収容して洞窟を出た。
初めは極端に容姿が変わった私の事を警戒していた配下達だったが、キューとククが匂いに気付き、なんとか誤解を解く事が出来たのだった。
その後、洞窟を出たのだが、本来ならその場から離れている予定だったジャスティスが、何故かその場に居たのだ。
……まぁ、理由は一目瞭然だが。
「ああ、中でオーク達を相手してたら進化した。……にしても、随分とデカい猪だな。どっから出て来た?」
そう、ジャスティスは横たわる巨大な猪の上に座っていたのだ。
その体長は約8メートル程にもなるだろうか。
私達がかつて倒したボアファングよりも一回り以上は大きかった。
「外に居た連中の中に、“召喚師”が居たんだ。そいつ自身は並みのオークと変わらない強さだったんだが、召喚したのがこのギガファングだった。危うく死に掛けたぜ……」
そう言って肩を竦めるジャスティス。彼をそこまで追い詰めるとは、かなりの強敵だった様だ。
「しかし、“召喚師”とはそこまで強い魔物を使役出来る存在なのか?」
私はそう言って疑問を投げ掛ける。
ジャスティスの言う通りと考えると、かなり位階差がある存在を使役していた事になる。
そんな格上を支配出来る能力なら、是非とも欲しい。
しかしジャスティスは首を振りながら続けた。
「いや、召喚師自体はそこまで強いクラスじゃない。使役する対象を力で従えて、その上で契約を結んでやっと召喚が可能になる。基本的には自分よりも弱い相手にしか使えない筈だ。あの召喚師はコイツを召喚した時に、“これこそがこの任に際し!我等が王より拝領されし究極の召喚獣!”とか言ってたからな。多分、その“王”とやらに使役の為に必要な条件を整えて貰ったんだろうぜ」
……成る程、それなら納得が行く。
「しかし、それならその“王”とやらは……」
「ああ、このデカい猪を傷付けないで確保出来るだけの力量があるって事だろうな。余程力量差が無けりゃそんな真似は出来ないだろう。思った以上にヤバそうな相手だな」
そう、召喚の条件を整えるにしても、対象が行動不能なら召喚する意味が無い。
つまり、このギガファングを傷付けないで圧倒する必要があるのだ。
「……正直、コイツにはかなり苦戦させられたぜ。すんでのところで進化しなけりゃ殺されてたな」
「……ちょっとまて、ジャスティス。お前進化したのか?」
「はぁ?見りゃわかんだろ。サイズはデカくなってるし、ほれ、この尻尾が分からないのか?」
そう言って立ち上がるジャスティス。
確かにそのサイズは大きくなっていた。体長は約185㎝程にもなろうか。
そして彼が指差すその先には、白く艶めく尻尾がある。しかも、三本。
「今までで一番大きな進化だったな。能力の向上も今までで最高だろう……。俺様はもう、“ケットシー・ビーバー”じゃねぇ。これからは“サン・ビーバー”だ……!」
そう言ってポーズを決めるジャスティス。かなり良い顔をしてるが、しかし、そのネーミングは完全にネタとしか思えない。多分、“三尾ーバー”と言うネタなのだろう。
そんなこんな一頻り互いの進化について話した後、私はジャスティスに向き直った。
「……すまない」
「……なんの話だ?」
「仲間を死なせた事だ」
私がそう言うと、ジャスティスは黙って空を見上げた。
あの時、確かに指示を出したのはジャスティスだ。
そして、彼に直接手を下したのはオーク達の王。
──だが、それでも彼を死なせたのは間違いなく私だ。
ジャスティスは、私が出そうとしていた指示を先に出しただけに過ぎない。
仮にジャスティスがあの時指示を出していなかったとしても、間違いなく私は同じ指示を出していただろう。
きっと、したり顏でジャスティスに教えを説く様に。
ジャスティスは猪の上から飛び降りると、ゆっくりと近づいて来る。
そして、私に軽く触れると、真っ直ぐに私の目を見てこう言った。
「 お 前 が 100 % 悪 い 」
そう言って頷くと、ジャスティスは私から視線を逸らした。
……私は再び彼に向かって話し掛ける。
「……本当に済まなかった。例え指示を出したのがお前でも……」
「ああ……。悪かった……全部お前が悪かった……」
「……」
「……」
見つめ合う二匹。
──ほう?
「本当に済まなかった。ジャスティスの命令を止めるべきだった」
「全くその通りだ。全てお前が悪い。俺様に非は無い」
「……私が悪いのは勿論だが、お前も責任があるんじゃないか?命令を出したのはお前だろ?」
「違うんだなぁ。確かに実際に命令したのは俺様だけど、あくまでもお前が出すであろう指示を先に出しただけで、責任の所在は全てお前なんだよなぁ」
「いや、お前が命令出さなきゃ私が違う指示を出したかも知れないよね?」
「無いな。そんなにお前は間抜けじゃない。自分の思惑から外れてたら、必ず修正して来た筈だ。だから全部お前が悪い」
「あぁん!?さっきからいい加減にしろよ!?だったら言わせて貰うけど、あの場に居たお前なら私を止める事も出来た筈だろ!?」
「ああ。なのに俺様は止めなかった。お前の出す指示が、一番効率が良いと思ったからな」
「だったら……!」
そこまで言って、私は我に返る。
「そうだ。端からテメェだけが悪いなんて誰も思ってねぇよ」
「……!」
ジャスティスはそれだけ言うと、再び空を見上げた。
そしてそのまま続ける。
「ネズミ達にしたってそうだ。俺様はアイツらに命令を出す時、“危険は犯すな”と厳命していた。それなのにオーク達の王が居る場所まで追跡を続けやがった。……そこに行くまでに他のオークを見なかったと思うのか?」
「……だがそれは……」
「そうだ。アイツらが俺達の期待に応えたいと、自分で決めた事だ」
「……」
「お前だって分かってんだろ?ネズミが泣きながら頭を下げたのは、そういうこった。アイツらは命令を超えて、無理をした結果捕まった。それが申し訳無くて、悲しくて、それで必死に頭を下げたんだ。……いいか、トカゲ。お前は頭が良い。度胸も、度量もある。だけどな、何でもかんでも自分一人で背負い込もうとする悪い癖がある」
そこで区切るとジャスティスは再び私を真っ直ぐに見つめた。
「……少しは仲間を頼れ」
「……ああ」
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「──これが今回の事件の全てだ。尊い犠牲が出てしまった事、本当に申し訳無く思っている」
『うぅ……!』『ヒック……ヒック』『うぇぇん!』『ウッ!ウッ!』『うわぁぁん!』『……!』
みんな、悲痛な面持ちで涙を流している。
あの後、我々はネズミ達と合流し、ノートの村へと向かった。
そして、姉さんや傷付いた者達の回復がひと段落着いた所で、皆に今日起こった事について説明したのだ。
『王様は悪くないですゴリ!ボク達が先走ってしまったから……!』
「……ああ。だが、お陰で奴等の一団を殲滅することが出来た。一命をとして群を救ってくれた。……過程はどうであれ、その功績は変わらない」
『……王様……!!』
そう言って大粒の涙を流すネズミ。
ここで私が彼等を責めれば、彼の心は多少でも楽になった事だろう。
だが、私はそれを良しとしない。
自分で自分を責め、その過ちと向き合って欲しい。
……今の私と同じ様に。
そして私は群の皆へと向き直る。
「……さて、ここから先の事だが、選択肢は二つある。“逃げる”か“戦う”かだ。群の事を考えるなら、逃げるべきだと思うが、お前達はどうしたい?」
『『『戦います!!』』』
「……命の危険は、これまでで最大になるぞ?下手したら全滅するかも知れない。それでも戦う事を選ぶか?」
『『『戦います!!』』』
そう言って私を見つめる仲間達。ジャスティスも姉さんも妹達も、何も言わずに私を見つめている。
私は、息を吸い込み叫んだ。
「ならば着いて来いッッ!!私達の群の強さを!!あの醜い豚共に見せつけてやるぞ!!」
『『『オオォォッッッッッ!!』』』
割れんばかりの声が、周囲に木霊した。
こうして、我々の群は、全員の意思で戦う事を決めたのだ。
そして私は、尊い犠牲となった彼の名前を暮石へと刻む。
……彼の事は良く覚えている。巣穴に居たビーバー達のまとめ役だったオスだ。
彼は王である私にも、忌憚の無い意見を口にしていた。
きっと、生きていれば、群の中核を担う人材へと成長した事だろう。
私は、彼との思い出を辿り、相応しい名前を刻んだ。
「全員ッッ!!彼の名を心に刻め!!彼の名は、“サイコパス”だ!!」
『『『ウォォ!!サイコパスゥゥゥッッ!!』』』
サイコパス……安心して眠ってくれ……。
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誰も居なくなった暮石の前に、何かが佇む。
その何かは、実体と呼べるものではなく、現世を彷徨うまつろわぬ者。
彼はそっと、暮石に刻まれた名前へと手を伸ばすと、こう呟いた。
『いや、眠れるかこれ』
【個体:ダークメタル・レイザーテイルドタガーラプターに、状態異常:“憑依”が付与されました】
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