怒り
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ー私の中で最も強い感情は、間違いなく“怒り”だと思う。
初めて激情にかられたのは、児童養護施設に入ってすぐだった。
両親を亡くし、親戚から受け入れを拒否された私は、隣の県に在った児童養護施設へと入る事になった。
そこは比較的小規模の施設で、私を含めて23人の子供達が暮らしていた。
児童養護施設は、イメージしていたよりもずっと綺麗で、職員の人達も優しい人ばかりだった。
少なくとも、両親の遺産の話ばかり繰り返していた親戚達よりは遥かに。
初めは不安だった私だが、ここなら上手くやっていけるかも知れない。そんな風に思えていた。
だがー
「お前のお父さんとお母さん、殺されたんだってな?」
「……」
そう言って来たのは、当時の私よりも二つ年上の少年だった。
児童養護施設に来る子供達は、実は両親を亡くした子の方が少ない。
預けられる理由の大半は、両親からの虐待だったり、離婚に伴う失踪だったりがメインなのだ。
少年も、そういった理由で預けられた一人だった。
「俺のママは今は忙しくて迎えに来れないけど、もうすぐ一緒に暮らせる様になるんだ。羨ましいだろ?」
「うん……」
それは、少年が良く口にする話で、いつも誰かにその話をしていた。
そして、今回はたまたまその相手が私だっただけに過ぎない。
今にして思えば、それは少年が寂しさを紛らわす為に必死だったのだと分かるのだが、当時の私にはそれが分からなかった。
ただ、母親だけでも生きていると言う少年が、羨ましくて仕方がなかったのを覚えている。
ーそして、彼が次に言い放った言葉も、私は良く覚えている。
「お前のお父さんとお母さん、悪い奴だから殺されたんじゃない?」
「……」
少年から言わせれば、大して深い意味があって言った事ではない。ただ、新しく入って来た年下に“世間の厳しさ”を教えてくれただけなのだろう。
しかし、その時全身に駆け巡った激情は、とても幼い私には抑えられるものでは無かった。
「……後悔する事になると思うよ?」
「はぁ?馬鹿じゃねぇの!!やっぱ親無しは頭も悪いんだな!」
そう言って彼は、私を残して駆けて行った。
それから私は、彼をよく観察した。
彼は私よりも年上なだけあり、少なくとも喧嘩した所で勝ち目はない。
それに、施設内で騒動が起きれば、直ぐに職員が駆け付ける。
事を行うには、最短かつ最効率で行う必要があり、殴り合いでは話しにならなかった。
転機が訪れたのは、その日から一週間後だった。
その日の晩、私は夕食の配膳を行なっていた。
自分から配膳の手伝いを申し出て、施設の子供達に夕食を配っていたのだ。
その日のメインはクリームシチュー。
子供達は大喜びし、次々と笑顔で受け取って行った。
そして、彼も私の前に来た。
「その一番多いのを寄越せよ、親無し」
そう言って彼が指差したのは、明らかに他よりも量の多い器。
他にも配膳を行なっている職員は居たが、私が入れたそれはその場で一番多かったのだ。
そして私は、笑顔で頷いてこう答えた。
「……最初からそのつもりだよ」
ーそして私は、彼の顔を目掛けてお椀に入ったシチューをかけた。
一番熱く、一番量の多かったシチューを。
彼は痛みに悶え、職員は慌てて駆け寄り介抱する。
職員の一人が私を激しく叱責したが、私の心が騒つく事は無かった。
ただ、自分の中に在った冷たい感情が、ゆっくりと溶けていくのを感じていた。
そして私は悟ったのだ。
私にとっての怒りとは、煮えたぎる熱湯の様なものでは無く、他者を飲み込む、凍てつく氷河の様な感情なのだとー
「おいトカゲ!!何ボケっとしてやがる!!50匹近いオークが居るんだってよ!!どうすんだよ!!」
私が昔の事を思い出していると、ジャスティスが声を掛けて来た。
私達は今、森の中を全速で巣に向かっている。
初めてスーヤ達を目撃した時と比べ、その速さは段違いと言っていいが、しかしそれでも仲間達が襲われているこの状況では、全く余裕等無かった。
『……ネズミ達は逃がせたんだよな?』
「ああ!奴等はネズミ達を眷属だと思って無いみたいで、普通に狙われなかったらしい。だけど、姉さんとククとキュー、それにビーバー達はまだ逃がせてねぇ!今は姉さんの“猛毒の天幕”で距離をとって逃げてるらしいが、効果時間が終わったら追い付かれちまう!ヤバ過ぎるぜクソったれ!!」
そう言って悪態を吐くジャスティス。どうも彼はこういった事態の時に冷静な判断を下すのが苦手らしい。
『……姉さんの故郷の洞窟に向かわせろ。あそこなら姉さんの毒系統スキルが効果的に作用する。ビーバー達には、スキル共有枠で“猛毒耐性”を選択させろ。そうすれば、“毒霧”や“猛毒霧”も遠慮なく使えて、距離を取れる筈だ』
「成る程……!!分かった!!」
そう言って早速指示を出すジャスティス。
姉さんの故郷の洞窟は、私とジャスティスが戦った河原から程近い場所にある。
最初は巣の候補地の一つだったが、出入り口が多すぎる為外敵の侵入を許し易く、また、姉さんの手前口に出せなかったが、姉さんの近縁種が山盛り居る為、巣の候補から外れた場所だった。
“毒霧”と“猛毒霧”は、共に霧状の毒を周囲に撒き散らすスキルで、これの発動中には迂闊に近寄る事は出来ない。
これで一旦は時間稼ぎが出来るだろう。
しかしー
『ビーバー達は、“オーク達は明確に自分達を狙って来ていた”と言っていたよな……。だとしたら、情報の出所は限られる。あのオークを追わせたビーバー達からは連絡は有ったか?』
「いや……まさか!?」
目を見開いて私を見つめるジャスティス。残念だが、恐らく間違い無い。
『……やられたな。……“後悔するぞ”、か。思った以上に優秀な奴だったらしい』
「クソッタレが!!!」
話を続ける私達だったが、ようやくその視界に洞窟が見えて来た。
「……クソっ!!」
思わず舌打ちをするジャスティス。
目の前には、洞窟の入り口を塞ぐ様にオークの群れが集まっていた。
「どうする!?やっちまうか!?」
ジャスティスが色めき立ってそう口にする。
確かに能力値が限界近くまで上がっている今の我々ならば、あの数を相手にしても遅れを取る事は無いだろう。しかし、洞窟内の状況も分からない状態では、無駄な時間の浪費は避けるべきだ。
『……駄目だ。無策で挑める様な状況ではない。奴等を皆殺しにするには時間がかかり過ぎるし、足止めされるのも不味い』
「別の入り口から入って追うか!?」
『……それも下策だな。今の時点で姉さん達と直接連絡がつかない以上、ここから500メートルは離れている事になる。その状況で別の入り口から入って姉さん達を探すのは、かなり困難だ』
「じゃあ手詰まりじゃねぇか!!」
そう言って頭を掻き毟るジャスティス。
確かにヤバイ状況だ。
しかし、こういった状況の時こそ冷静に考えなければならない。
パニックになれば間違いなく仲間達が死ぬ事になる。
『親分!!王様ッッッ!!』
「!」
私が思案を続けていると、一匹のビーバーが二匹のネズミを乗せてやって来た。
その内の一匹。一番疲弊した様子のネズミがビーバーの体から降りると、私の前で跪いた。
『ッ……!申し訳ありません……ゴリ!!親分!王様!!僕の相棒のビーバーが見つかって、捕らえられました!!』
泣きながらそう言ったネズミ。彼の話によると、追跡をして暫くすると、あのオークは森の中にあった大きな岩陰へと入って行ったらしい。
そして、直ぐに奴と一緒に巨大なオークが出て来て、真っ直ぐにビーバー達を見たと言うのだ。
『……咄嗟に相棒が立ち上がって、僕は隠れる事が出来ましたゴリ!でも、それで相棒は隠密が完全に破れてしまい、その巨大なオークに捕まってしまったのです!この状況は、恐らく相棒から漏れた情報の為です!!本当に申し訳ありません!!』
そう言って必死に頭を地面に擦り付けるネズミ。
しかし、彼は責められるべきでは無い。
恐らく、その巨大オークが隠密を看破出来るスキルを持っていたのだろう。
『……お前達は何も悪くない。寧ろ、良くやってくれた。お前の相棒が囮になってくれたおかげで、こうしてお前達が無事に帰って来れたし、情報も手に入った。本当に良くやってくれた。礼を言うぞ』
『王様ッッッ……!!』
そう言ってボロボロと泣き崩れるネズミ。
このまま休ませてやりたいが、彼にはやって欲しい事が出来た。
『……すまない。このまま休ませてやりたい所なのだが、お前にどうしてもやって欲しい事がある。そして、それにはかなりの危険が伴うのだが、任せても構わないか?』
『……勿論です!!』
そう言って、涙いっぱいの目で私を見つめるネズミ。その目には強い覚悟が浮かんでいた。
私は尻尾を軽く彼に触れさせる。
『“継承”』
【継承発動成功。対象に何を継承させますか?】
『私の全能力値を可能な限り継承させる。先ずはHPからだ』
【継承完了。個体ボルテクスラットのHPが種族上限値最大になりました】
「おい!どうするつもりだよトカゲ!?」
ジャスティスが慌てて私に駆け寄る。
私は、能力値の継承を続けながら、彼に作戦を説明した。
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