“黒南風”
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森の中を歩く、一匹の獣が見える。
身の丈は3m程で、その盛り上がった肉体は精強の一言。
頭部は豚の様で、その牙は大きく天に向かい伸びている。
“マーカスオーク”
そう呼ばれる魔物である。
マーカスとは、そのままずばり“公爵”を意味し、オーク達の中でも類い稀な力を持つとされる種族だ。
しかし、そんな強者たる彼は、恐怖の余り足取りが重くなるのを感じていた。
全てはあの忌々しいトカゲ達のせいだ。余計な横槍さえ入らなければ、ゴブリン達の巣を奪う事等容易い筈だった。
しかし、彼はこうして敗れ、敗走を続けている。
『ウッ……』
余りの恐怖に、彼は思わずえずく。
偉大なる主君は、聡明にして慈悲深い。彼の敗走を優しく許してくれるだろう。
しかし、それは何一つ咎められないと言う意味では無い。
彼は何度か、今の自分と同じく失態を起こした同胞を見た事がある。
その度に主君は許し、そして罰した。
『オゲェェァッッ!!』
彼は思わず胃の中身を全て吐き出してしまった。
思い出されてしまったのだ。
主君が与える、苛烈なる“罰”を。
『うぐ……ッ!!はぁ……はぁ……』
しかし、彼は行かねばならない。例え自分の未来を、理解していようとも。
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「いや、本当に申し訳ない。トカゲ殿。儂とした事が礼を失しておりました。どうか許して下され」
そう言って再度頭を深く下げる村長。
あれから私達はあの場で起きた経緯を、当事者であるスーヤ達を交えて確認し合った。
それによりおおよそのゴブリン側の事情は分かったのだが、しかし分からない事も幾つか残っていた。
“何故支配種であるマーカスオークが配下を連れていなかったのか”、“マーカスオークを配下に置く存在とはどんなものなのか”、等だ。
まぁ、これらはこの場で協議して結論が出る内容では無いし、配下からの連絡を待つのが賢明だろう。
『グワッガ』
「“気になさらないで下さい。我々とて感情的になってしまい申し訳ありませんでした。どうぞ顔を上げて下さい”」
「ホッホッホ、それは有り難い」
そう言って顔を上げる村長。その表情は最初の時に比べると、随分と穏やかになっていた。
初めのやり取りの後、彼の態度は目に見えて改善された。
此方への配慮は怠らず、また、言葉尻を取られる様な愚は犯さない。
これが本来の彼なのだと、見ていれば良く分かる。
ーしかし、そんな彼からは、初めて会った時よりも明らかに憔悴した様子が伺えた。
「……しかし、参りましたな。村そのものを狙われるとは……」
そう言って深く溜め息を吐く村長。本来の自分が出せた事で、メッキが剥がれてしまったのだろう。
そう、あのオークを支配する存在は、間違いなくこの村を。正確には、この村を覆う“確率分離結界”を狙っている。
今回私達が追い払う事には成功しているが、間違いなく再び現れる。
恐らくは、今回よりも更に戦力を強化して。
そして、その時に彼等しか居なければ、今度は間違いなく蹂躙される事になるだろう。
それが分かっているからこそ、彼は私達に対してあんな小芝居を打って来たのだ。
“初めから助けられたのに、傍観者のフリをしていた”、“殺せる筈のオークを見逃した”。その事実から、少しでもこの後の交渉を有利にする為に。
村長は、少し呼吸を整えると、私達に向かいこう切り出した。
「……率直に申し上げる。儂は、貴方方を傭兵として、この村で雇いたく思っております」
その言葉を聞いた少年が、身を乗り出して来た。
「村長!!この村には自警団が……」
「その自警団が敗れたからこそ、この方達が助けて下さったのじゃろう?」
「……!!」
悔しそうな顔で黙り込む少年。そう言われては、黙るしかないのだろう。
……しかし傭兵か。
確かに彼等の戦力では、村をこの窮地から救う事は叶わない。
ならば間違いなく自分達よりも強者で、そして会話が通じる私達にそういった交渉を持ち掛ける可能性はある程度予想出来ていた。
しかし、分からない事もある。
『グワッガ』
「えっと、“お言葉ですが村長殿。この村とて、何れかの国家に帰属する村落なのでしょう?ならば、我々の様な第三者にそのような事を申されずとも、然るべき方達に、例えば騎士団等の様な国軍に依頼さらるべきなのでは?」
そう、どう考えてもこれが普通の対処方法だ。何故そうしないのか、今一分からない。
「はい。最初はそれも考えました。しかし、それでは間に合いませんし、そもそも国軍を動かすだけの資金はこの村には在りません」
『グワッガ?』
「“資金とは?国家に帰属してる以上、貴方方を保護する義務が国家にはあるのでは?”」
「……ふむ、トカゲ殿、我々が帰属している国家はー」
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ここからは長くなったので、少し私が話を纏めさせて貰う。
“フィウーメ・バトゥミ自由都市国家連邦”
それがこのノートの村が帰属している国家の名前だ。
その名の通り、“フィウーメ”と“バトゥミ”と言う都市国家が中心となり作られた枠組みで、所属する国家・都市・村落には一定の協定に同意する義務が存在するが、基本的な納税の義務が存在していない。
“共催金”と呼ばれる初期費用を払えば、それ以降は基本的にほぼ非課税であり、その上で協定内での様々な恩恵が得られると言う。
──しかし当然ながら、全てが都合良く出来ている訳では無い。
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「……高い自治権を認める代わりに、その維持管理は基本的に各々の都市・村落が行わなければなりません。無論、国家である以上、国軍に類する軍隊は存在しておりますが、それを動かして貰う為には、協定に基づく協議と、それに必要な費用を自治体が支払わなければならないのです。そして我々、黒竜の森周辺に居を構える魔物達は、連名で自由都市国家連邦に所属しております。ノートの村単体では、国軍への要請すらままならないのです」
『グワッガ』
「“ならば何故そのような枠組みに?この村の経済的な規模を考えると、防衛義務が無い国家なら所属しなくても良い様に聞こえたのですが”」
「いえ、協定の内容には、他国からの侵略に関する条項も存在しているのです。これの有無だけでも所属する価値は充分に有ります。それに少しですが、交易も行なっておりますので……」
なるほど。これで納得がいった。
彼等が国軍に防衛を依頼する為には、“依頼する為の協議”と“依頼出来るだけの資金”が必要となるのだ。
しかし、それを行うだけの時間も資金も無い。だからこそ私達を頼りたいのだ。
「……正直なところ、もう我々は貴方方を頼る他に術は有りません。だからこそ、“念話”のスキルで得た情報で、少しでも有利にこの交渉を行いたかったのです。しかし、トカゲ殿はその事も看破されておいでだ」
「「「!?」」」
スーヤを除く全員が驚愕の表情を浮かべる。いや、ジャスティス。お前は気付けよ。明らかに村長は私達が傍観してた事知ってただろうが。少年が騒いだ時平然としてたじゃねぇか。
「……最早儂にはこうする事しか出来ません。どうか……どうかお願いします。ノートの村を救って下され。お願いします……!」
村長は、そう言って頭を床へと擦り付けた。
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「“一晩考えさせて下さい”か、またらしくない回答だったな。トカゲ」
『……仕方ないだろう。メリット・デメリット、両方に熟考が必要な内容だった。安直に結論は出せない』
「ふぅん?俺様にはメリットの方が明らかに少ない様に思えたけどな。情にほだされ過ぎじゃねぇか?」
『グワッガ!!』
「ひひひ!そんな怒んなよ」
ジャスティスはそう言って笑う。
あの後、村長から具体的な報酬の話があった。内容的には、一般的な金銭と食料。そして村への居住権等だ。
金銭に関しては貨幣価値が分からない為魅力は感じないが、食料と居住権に関しては魅力的な提案だった。
しかし──
「“餌”と“巣”をくれるってのは良いけど、どっちもオーク共に狙われてんじゃねぇか。それを“報酬に”だなんて言われて悩む程、うちの王様は馬鹿じゃ無いだろ?」
『……』
……そう。ジャスティスの言う通りだ。どう考えても切り捨てるべき取り引きなのだ。
しかし、そう結論を出そうとする度に、村で遊んでいた子供のゴブリン達が。そして、無残にも殺されていった私達の家族の事が思い出されていた。
……我ながら、随分とらしくない。
『……じゃあ、どうするべきだと思う?』
私はそう言ってジャスティスに問い掛ける。
するとジャスティスは笑いながらこう答えた。
「簡単じゃねぇか。いつも通りゴブリン達を助けて、オークをぶち殺す。それがお前だろ、トカゲ。冷静で冷徹だけど、根っこが糞甘なのがお前なんだ。どうせほっとけなくて助ける事になるんだから、最初から助けてやれよ」
そう言って再び笑うジャスティス。
……コイツ、私の事をそんな風に見ていたのか。
なんと言うか、色々と考えるのが馬鹿らしくなってしまう。
生前の私なら、絶対にこんな事を言われる事は無かった。弱者を平気で切り捨て、冷酷だの悪魔だのと散々言われて来た。
そんな私がゴブリンを助けようと考えるなんて、笑い話にもならない筈だった。
……しかしまぁ、コイツの言う通りかも知れない。
私がそんな事を考えていると、配下から遠距離会話で連絡が入った。
『親分!!王様!!一体どこですか!?お願いします!!応えて下さい!!親分!!王様!!』
『……どうした?連絡網は急用以外には使うなと言ってあっただろう?』
『王様!?良かった!!お願いします!!早く巣の方に帰って来て下さい!!』
私は、その次の言葉に背筋が凍った。
『群が……オークの群れに襲われています!!』
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『成る程ねぇ。経緯は分かったわ。つまり余計な横槍のせいで失敗してしまったのね?』
『……ハッ!申し訳ございません!この失態は、一命に変えても次の戦場にて必ず雪ぎます!!』
そう言って彼は地面に頭を擦り付ける。
これは、紛れもなく彼の本心だった。
彼は聡明にして偉大なる主君の事を崇拝していた。主君の為ならばどのような命令でも忠実にこなして来た。
だからこそ、恥を晒す事を理解していても、口先に乗ったフリをして逃げて来たのだ。態と後を着けさせる為に。
今、聡明なる主君の手には、一匹の小さなビーバーが握られている。
主君からの責め苦にあい、血塗れで息絶えているそれは、あのユニークネームドの眷族だ。
そして、奴等の言っていた上位者等は居ない。
様はブラフだったのだ。
『まぁ、仕方ないわん。こうして情報を持ち帰って来た訳だし、手勢を失った訳でもない。許してあげるわん』
そう言って賢明なる主君は、握っていたビーバーを口に放り込むと、咀嚼しながら彼へと振り返る。
その威容に、何度も睥睨している筈の彼でさえ息を飲む。
巨躯の自分を、更に上回る巨躯。
樹齢千年を超える巨木の様な腕。
下顎から突き出る牙は、空を貫く山脈の様。
そして、それらを包み込むのは、明らかに女性物の衣類。
『でもね、罪には罰が必要なの。さぁ、いらっしゃい?大丈夫。死にはしないから』
そう言って優しく彼を誘う主君。
『お、お待ち下さい!!どうか!どうかそれだけは!!今、私が罰を受ければ、次の戦いで汚名を雪ぐ事が叶いません!!どうかご一考を!!』
彼は必死に懇願する。主君の為ならば例え命すらも投げ出す覚悟だが、そんな彼でさえ、あの罰は耐えがたい。
『それもそうねぇ……。確かに汚名を雪ぐ機会はあげたい所だわ……』
その言葉に、彼の表情に希望が宿る。
『有り難き幸せ!!この御恩、必ずや戦場にてお返しします!!』
『一週間後にしましょう。そのゴブリンの村を奪うのは。他にも村はあるし、一週間もあれば動ける様になるわん』
『はっ……えっ……!?』
『……さぁ、いらっしゃい。私もね、我慢の限界なの。貴方は優秀だから、今まで罰する必要が無かったけど、正直一番タイプだったのよん?』
『ひっ……!!』
彼は思わず後退る。彼の主君の表情には、明らかな獣欲が浮かんでいた。
それは宛ら、彼がスーヤへと向けていた表情の様だった。
彼の主君こそ、今現在、黒竜の森に於いても六体のみとされる、“二つ名持ちユニーク”の一人。
恐ろしい迄の豪腕と、比類無き悪癖でその名を轟かせる絶対強者。
“黒南風のマダム・アペティ”。
……おカマのオークキングである。
『お許しを!何とぞお許しをォォッ!!あっ……!!あっ……!!アッー!!』
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