平和の価値
『グワッガ……』
私は目の前の光景に愕然としていた。
突如として平原が村へと変貌したのだ。それも無理からぬ事だろう。
「スゲー!!スゲー!!見ろよトカゲ!!あれ、家ってヤツだろ!?スゲー!!」
ジャスティスは私の尻尾を引っ張り、凄いテンションでスゲーを連発している。
田舎者丸出しである。
確かに初体験の演出には目を見張ったが、しかし目の前の村というのは、私の目から見ると些か寂しいものに映る。
石造りの土台に、粘土と木で作られた壁。
ドアや窓枠には申し訳程度の装飾はされているものの、窓にはガラスも無く、ただ枠があるのみ。
“ゴブリンの村”と聞いてイメージ出来る村よりは綺麗と言えるが、現代日本の知識がある私から言わせると何ともまぁ粗末な村に見える。
「すいません。余り入り口を開き放しには出来ないので、閉じさせていただきたいのですが……」
そう言って私達を村の中へと誘導するスーヤ。私達が村へ入るとスーヤは再び聞き取れない言葉を唱え、最後にこう言った。
「“閉門”」
次の瞬間、何かが閉じる様な音が聞こえた。
しかし、先程と違い何かが変わった様子は見られない。
「なんだ?何にも変わらないじゃねえか」
そう、本当に変化が無い。確かに村は現れたのだが、スーヤが“閉門”と唱えた前後では全く差異は見られなかった。
「私も詳しい事は分からないのですが、この結界はゴブリンの大魔導師“バーバ・ヤーガ”様が我々の六代前の先祖の為に張って下さった物で、“確率分離結界”と呼ばれています。何でも、一定の範囲だけを切り離して“村がある可能性”と“村が無い可能性”を混在させているらしく、呪文でそのどちらかを選択する事で出入りするのだとか」
「へー!!成る程なぁ!!やっぱ村ってスゲェ!!」
そう言ってしきりに頷くジャスティス。
いや、そんな村は普通は無い。それとお前よくわかって無いだろ。私も分からないが。
スーヤはそんな我々の様子を見ながら続ける。
「村に入る時は、私達が“村がある可能性”を選択して入るのですが、閉門すると外部からは“村が無い可能性”が選択されて入る事が出来なくなります。しかし、村の有無に関わらず周囲の様子には変動は無いので、村の範囲を除いた景色には変化が無いのです。御理解頂けましたか?」
「勿論サッパリだぜ。でも、なんかニュアンスだけは分かった」
「ふふ、私もです」
そう言って笑う二人。
しかし、なんともとんでもない結界である。私もニュアンスしか分からなかったが、先程の話が本当なら尋常じゃない能力だ。
私はジャスティスに通訳を頼み、スーヤに質問した。
『この結界を他の場所に貼る事は可能か?出来るのなら、我々の巣にも張って貰いたいのだが』
そう、この結界さえ有れば私達の安全はほぼ保証されると言える。もし張れるならば、是が非でも欲しい。
しかしスーヤは首を振った。
「すいません。この結界はバーバヤーガ様のユニークスキルを用いて作られた結界なので、我々には張る事は出来ません。そのバーバヤーガ様自身も、150年以上昔に亡くなられた人物でして……」
『グワッガァ……』
私は思わず深いため息を吐く。本当に残念だ。
仕方ない。まぁ、此処にあるだけ良しとしよう。
私の中でこのゴブリンの村への優先度はかなり高まった。
欲しい。この村が。
この地にある結界は、他のどんなものよりも魅力的だ。
ゴブリン達を皆殺しにしてでも手に入れる価値がある。
そして、あのオークが何を狙っていたのかもハッキリした。間違い無く“この村の全て”を狙っていたのだ。
ここを手に入れれば、これ以上の安全な巣は他に無い。
だからこそ、容易く殺せる筈のゴブリン達を生かしていた。
この村の出入りが出来る彼等を、その方法を聞き出す前に殺す事を避けていたのだ。
『グワッガァ……』
私は思わずニヤけてしまう。食料問題は追い追い解決するとして、巣の確保に関してはお陰で目処が立った。
どうにかゴブリン達を支配するか、村の出入りの方法を聞き出すかして、この村を手に入れる。
そうすれば、群の仲間達の安全を確保出来るし、安定した生活が出来る。
しかし、その為にはやはりオーク達は邪魔だな?
あのオークから奪ったこの能力値があれば、先ず負けは無い。取り敢えずオーク達を皆殺しにして、そしてこの村のゴブリン達から出入りの方法を聞き出す。
もし仮に情報を吐かなくても、これだけの数が居るのだ。
何匹か目の前で殺してやれば素直になるだろう。
そして、それが済めばゴブリン達を追い出して、我々の村とする。
もし従わないなら、仕方ないがゴブリン達を皆殺しにして──
──ゲシッ!!──
『グワッガ!?』
私は脇腹を貫く痛みに思わず声を上げる。そちらに目をやると、ジャスティスが私の脇腹を蹴っていた。
「駄目だ」
『……』
それだけ言ってジャスティスは前を見る。
スーヤは村の住民と話をしており、私達の様子には気付かなかった様だ。
ジャスティスの言いたい事は分かる。私がこの村の乗っ取りを画策している事を読み取り、それを窘めたのだろう。
確かにスーヤは悪いゴブリンでは無い。それにこの村の住民達に恨みがある訳でも無い。
しかし、それを差し置いても、この村には乗っ取るだけの価値がある。
この黒竜の森に於いて、“安全”とは最上の奇貨なのだ。
私がまだスモールリトルアガマだった頃、目の前に在った筈の幸せは、その奇貨が失われた事で溢れて行った。
ジャスティスだってそれは分かっている筈だ。
それなのに何故──
私がそんな事を考えていると、ジャスティスは黙って前方を指差す。
『……?』
私はそれを追う様に視線を動かすと、そこでは小さなゴブリン達が遊んでいた。
恐らくは子供達なのだろうが、互いに追いかけ合い、じゃれ合っている。
大人達はそんな様子を微笑ましそうに見ながら、畑仕事に精を出し、年嵩なゴブリンは、日の光を浴びて寝息を立てている。
慎ましくも、“幸せな暮らし”がそこには在った。
「……まだ皆殺しにするだけの価値があると思うか?」
『……フン』
私はそう一鳴きして顔を背ける。
ジャスティスはその様子を見ると、小さな声で笑い始めた。
……まだ私は何も言って無いのに。
そんなやり取りをしていると、スーヤがこちらに向き直りこう告げた。
「村長が話を伺いたいそうです。ご一緒して頂けますか?」
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