火蓋
「ハァ……ハァ……」
スーヤは走る。背後から迫る、恐怖から逃げる為に。
後ろには幼馴染。更にその後ろには幼馴染の父である自警団長が着いて来ており、時折後ろを振り返っている。
「大丈夫だ!奴との距離は離れて来てる!安心しろ!!」
「そう……ですか……!よかった……!」
ー嘘だ。スーヤはそう思った。
背後に感じる纏わりつく様な視線は、ずっと離れずにスーヤに注がれている。
彼女には分かっているのだ。あの醜いオークが、その獣欲を自分に向けている事を。
しかし、自分を気遣ってくれている彼に、そんな事は言えなかった。
「親父……どうすんだ?」
少年は父にそう問い掛ける。前方を走るスーヤとは少しだけ距離を開けており、彼女の耳にこの会話は入らないだろう。
「……倒すしかない。奴は俺達が村に逃げ込むのを誘ってやがる。だから逃げられる速さで追って来てるんだ」
そう、あのオークは態と彼等に見つかったのだ。
彼等を追い詰め、村へと案内させる。その為に。
確かに結界の有る村に逃げ込めば助かるかも知れない。しかし、しくじれば村は蹂躙され、仮に奴を通さずに済んでも一つしか無い出入り口を抑えられればいずれは飢えて死ぬ事になってしまう。
つまり彼等に残された選択肢は二つ。“死ぬ”か“殺す”かだけだ。
「でも、どうやって倒すんだよ!親父でもあのオークには勝てないんだろ?だったら無理じゃねぇか!!」
少年はそう言って父に不安をぶつける。彼の父は自警団長であり、村で最強の戦士だ。彼に倒せない相手ならば、村の誰であろうと倒す事等出来ない。
彼の初めて直面する死への恐怖が、怒声となって現れたのだ。
しかし、彼の父は落ち着いてこう言った。
「ああ。俺一人ならな」
「何を言って……」
息子の言葉を遮り、彼は手にした笛を強く吹く。
『ピィィーーーーーーッッッ!!』
次の瞬間、
──ガガッ!!ガガッッッ!ガッッ!!──
『グゥ!?』
マーカスオークが苦痛に顔を歪める。
森の周囲から狩人達が現れ、次々と矢を射かけたのだ。
「みんなぁ!!」
少年の顔から不安が消え去る。此処に居る面々は、父と同じく自警団に所属している戦士達で、父程ではないにせよ凄腕と言っていい。
そんな彼等が揃った事で、彼の心に希望が湧いたのだ。
「ありがとうみんな………。助かった」
「へへ、良いって事よ。まぁ、段取り通りって奴だな」
自警団長の礼にそう言って答える射手の一人。
彼等も同時に森に狩りに入った狩人達で、万が一大型の魔物に襲われたら、この場で待ち構える様に事前に決まっていたのだ。
「まぁ、流石にマーカスオークなんて化け物に襲われてるとは思わなかったがな。だが、これで大丈夫だ。あの矢には猛毒が……」
そこまで言った射手は驚愕する。毒矢を受けた筈のオークが、倒れる事無くそこに佇んでいたからだ。
『……フン、してやられた訳か。我が貴様等を泳がせていると踏んで、罠に嵌めたのだな……』
そう言うと、オークは体中に刺さった毒矢を引き抜く。多少はフラついている様子だが、まだまだ健在と言えるだろう。
「嘘だろ……!?ありゃあ、ギガントミラピードの猛毒だぞ!?何で平気で立ってやがる!!」
そう言って声を上げる射手。
ギガントミラピードは、本来黒竜の森の中腹に居る大型のヤスデの魔物だ。しかし、彼等は狩りの途中に偶然にも森の浅い場所でギガントミラピードを見つけ、それを追跡。その時に残された毒液を回収し、矢へと仕込んでいたのだ。
その毒性は極めて高く、普通のオークならばとっくに死んでいてもおかしくない量だった。
『フン、買い被りだな。平気とまでは言えん。しかし、我は“高位毒耐性”を持っている。少なくとも、我が貴様等を蹂躙するまでには、この毒から回復するであろうな』
「なっ……!?」
二の句が出ない。“高位毒耐性”は、文字通り高位の毒耐性スキルだ。
一定時間は毒によるダメージを受けるが、その後は逆にその毒に対する耐性を獲得出来る。
しかしギガントミラピードの猛毒による定数ダメージを受け切るには、並大抵のタフネスでは不可能な筈。
奴はそれを事も無げに“可能だ”と言ってのけたのだ。
「ひっ……」
思わず後ずさる。毒が通用しないなら、自分達はこのオークと正面からやり合わなければならない。
しかし分かるのだ。魔物としての本能で、目の前のオークが自分達の上の領域に居る事が。
勝てるわけが──
「怯むなッッッ!!」
「!?」
自警団長が声を上げる。
この場に於いて、二番目の強者である彼の声は、狩人達の耳に良く響いた。
「奴は毒が効かないと言った訳では無い!!平気なフリをしているが、間違いなくダメージを受けているッッッ!!畳み掛けるなら今しかない!!みんなッッッ!!やるぞッッッ!!」
彼等の目に火が灯る。
こうして、オーク対ゴブリンの戦いの火蓋は切って落とされた。
ーーーーーー
な、なんとかいけた……!!




