ノートの村
“ノートの村”
大陸中西部に広がる大森海。“黒竜の森”の外れに位置する村だ。
人口は凡そ80人。これはノートの村と同じく森の外輪に居を構える村々と比べても比較的大規模と言える数で、この規模の集落は森林外輪には数える程しか無い。
村の住民達は主に森林の恵みと、村で作っているタロと呼ばれる芋の近縁種を主食とし、平和で穏やかな生活を送っている。
スーヤ・スーヤも、そんな村の一員だ。
彼女は朝、起きてすぐに甕に水を溜める。
これは本来ならば川まで足を伸ばさなければならない重労働。生活に必要な水の量は多く、比較的近くに川はあるのだが、甕を満たす為に何度も往復するのは相当な労力が掛かる。
しかし、彼女が生まれてから村人達はその重労働から解放されていた。
彼女は甕の前に立つと、ゆっくりと呼吸を整える。そして、
「“水よ、流れろ”」
彼女がそう呟くと、途端に甕いっぱいに水が溢れ出した。
そう、彼女は“メイジ”と呼ばれるクラスを持ち、魔法適正を有しているのだ。
そのまま彼女は二人の弟達を起こすと、今度は外に出て家々を回る。
行く先々で同じ様に甕に水を満たすと、村人達は御礼にと少しずつ食材や生活に必要な物を彼女に渡す。
中には干し肉などその労働以上の対価を渡す者も居るが、それは単純な御礼と言う訳では無く、幼くして両親を無くした彼女達兄弟への憐憫の意味合いが強い。
家に戻る頃には弟達が食事の用意を済ませて待っており、兄弟達で食卓を囲む。
朝食はタロを濾して作った団子の様なものと、村を回った時に貰えた野菜や干し肉等。
野生種の芋に近いタロは繊維質が強く、そのまま食べるには手間がかかる。その為、濾して作るこの団子は、この村では一般的な朝食だ。
「「いっただっきまーす!!」」
そう言って兄弟達は一斉に食事へと手を伸ばす。大皿に並べられた食材は瞬く間に数を減らして行くが、やはり最初に無くなるのは干し肉だ。
「あっ!!兄ちゃんズルい!!干し肉2つ目じゃんか!!」
「へっへーんだ!!タロ団子作ったのは俺なんだぞ!だから、余った干し肉は俺の分だ!!」
「酷い!!俺だって手伝っただろ!?」
そう言って兄に詰め寄る弟。
兄は干し肉を持って走り出し、弟もそれを追って走り出す。
「いい加減にしなさい!!キチンとご飯食べないなら、全部私が食べるわよッッッ!?」
「「ご、ごめんなさいッ!!」」
スーヤが一括すると、弟達は食卓に戻って大人しく食事を再開する。
兄は干し肉を半分ちぎり弟に渡し、弟はそれを嬉しそうに食べる。
“最初からそうしてれば良いのに”とは彼女は言わない。
この騒ぎは、両親を目の前で殺された彼女に対する弟達の気遣いなのだと、スーヤは理解しているからだ。
彼女達の両親はこの村で唯一の薬師だった。森に入り、野草や木の実を集める傍ら薬草も集め、村の住民達に還元していた。
辺境で暮らす彼等は、その繋がりが強く、各々がその長所を出し合って協力しなければ生きては行けないからだ。
その日スーヤと両親は森の深くまで入って薬草を集めていた。本来ならそこまで深く入ったりはしないのだが、村の中で病が流行り出し、手近な所に生えていた薬草では必要な量が集まらなかった為だ。
一頻り必要な量を集め終わり、家路に着いていた彼女達だったが、その時に予想外の事態に襲われた。
“オーク”。
豚頭人身の異形が、彼女達の行手を阻んだのだ。
本来なら、いかに深いとは言え、こんな外輪に近い位置に現れる様な魔物では無い。
彼等は黒竜の森でも、中腹に生息している魔物だった。
しかし、目の前に現れた事実は変わらず、両親は彼女を逃す為オークに立ち向かい、そして彼女は必死に走った。
村に戻り、直ぐさま助けを連れて森へと戻った彼女だったが、そこに両親は居なかった。
──そこにあったのは、血溜まりと肉塊。
父は食われ、母はあの醜い化け物の獣欲に晒され、こと切れていたのだった。
結局、彼女の両親を殺したオークは、村の住民達の手で討伐された。
だが、それで両親が生き返る訳でも無く、彼女はめっきり塞ぎ込んでしまう。
しかし、それでも彼女が立ち直る事が出来たのは、この幼い弟達と、村の住民達の支えがあったから。
スーヤは、深い感謝を彼等に抱いていた。
「そうだ。お姉ちゃんは今日、森に入るから、畑仕事は二人に任せても良い?」
彼女は二人の弟にそう言って話を切り出す。両親が亡くなってから暫くが経ち、村にある薬の備蓄が足りなくなって来たのだ。
両親から調薬を教わっていたスーヤは、材料さえあれば薬を作る事が出来る。
その為、彼女は森に入る事を決めたのだ。
「だ、駄目だよ姉ちゃん!!またオークが出たらどうするのさ!?俺、ヤダよ!!姉ちゃんまで居なくなるなんて!!」
そう言って泣き出す弟達。スーヤはそれを嗜める様に続けて言った。
「何を泣いてるのよ!男でしょ?大丈夫。今日行くのは直ぐ近場の浅い森よ。それに、今日は狩に行くみんなと一緒なの。だから安心して?」
「駄目だよ!!駄目ったら駄目!!」
「やだったらやだよ!!」
そう言ってかぶりを振る弟達を抱き寄せ、スーヤは諭す。
「良い?この村でポーションを作れるのは私だけなの。ポーションが無かったら、村の誰かが大怪我をした時、助ける事が出来なくなってしまうわ。……私はね、この村の人達全員が、大きな家族だと思ってる。お父さんとお母さんは居なくなっちゃったけど、それでもみんな大切な家族なの。貴方達もそれは分かってるでしょ?」
これは偽らざる本心だ。村の人達は本当に彼女達兄弟に良くしてくれている。幼くして両親を無くした彼女達が生きていられるのは、間違いなく村人たちの協力が有るからこそだ。
彼女は少しでも、その恩を返したかった。
しかし、弟達はそれでも必死に食い下がる。
「やだよ!行かないで!!」
「……」
スーヤの心が温かくなる。自分の事を思い、必死に食い下がる弟達を見ると、行くのをやめてしまおうかと思ってしまう。
しかし、それでも彼女は行かなければならない。
「……お父さんとお母さんなら、この状況で何もしなかったと思う?」
「……!」
そう。彼女達の両親は、この状況ならば間違いなく村人達の為に動いていた。そして彼女達はそんな両親の事を心から尊敬していたのだ。
やがて、二人はゆっくりとスーヤから離れ、じっと顔を見つめる。
「……ズルイや、姉ちゃん。父ちゃんと母ちゃんの事言うなんて……」
「ふふふ。“女の子は強かで居なさい”って、お母さんに教わったのよ」
「絶対、絶対に無事で帰って来てよ?」
「当たり前でしょ!畑仕事サボってたら承知しないんだからね!」
スーヤはそう言って弟達に笑顔を向ける。
しかし、この時彼女はまだ知らなかった。
この先に待ち受けている、更なる恐怖を──
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