事実と事実
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「……“白銀”……!」
アズールは思わずその二つ名を口にする。
黒鉄の群れの中でも武闘派として知られ、オークの戦士達からは黒鉄以上に畏敬の念を向けられる魔物。
恐らくアズールが今最も会いたくなかった黒鉄の群れの幹部。
それが目の前に現れたのだ。
「……さて、挨拶でもしとくか」
白銀はそう言ってアズールを一瞥すると、その指先から雷撃を放つ。
──バリッ!!──
「!!」
アズールは紙一重でそれを躱すが、直後予想外の悲鳴が聞こえる。
「ぎゃっ!?」
「!?」
──ゴブリンの子供だ。
咄嗟の事でアズールは背負った子供の事を失念していたのだ。
アズールは慌ててゴブリンの子供を見る。気を失っているが息はしている。どうやら無事の様だ。
「いきなり何をするだ!!子供に当たったでねぇか!!」
「チッ!!テメェが動かなきゃ誰にも当たらなかったんだよ!!威嚇射撃だったからなッッ!!……まぁ良い。テメェら、やってくれたな。どうやって俺様達の縄張りに忍び込んだ?」
「「!?」」
白銀の言葉に驚く二人。
無論、アズールと姫君は黒鉄の縄張りになど忍び込んでいない。
自陣営付近の緩衝地帯で狩りをしていた子供を捕らえただけなのだ。
姫君は白銀に問いかける。
「……どういう意味じゃ?何故妾達がお主達の縄張りに忍び込む必要がある」
「ハッ!!白々しくて反吐が出るな。そこのデカブツが抱えてんのはウチのガキだろうが。それを無理矢理連れて行こうとしてんのに、どういう意味もクソもねぇだろ」
「……どうやら誤解しておる様じゃな。この小僧は妾達の縄張り近くの緩衝地帯で狩りをしておったのじゃ。如何に貴様らが礼儀知らずとは言え、それが何を意味するかは分かるじゃろう。妾達はこやつを連れ帰り兄上の指示を仰がねばならん。丁重に扱うが故、返して欲しければ正式に使者を立てられよ」
緩衝地帯での狩りは森の勢力に属する魔物にとってタブーに近い。それは互いの縄張りの境界を曖昧にし、争乱の火種となり得るからだ。
如何に子供のした事とは言え、それを無条件で見逃す事は有り得ない。身柄を返して欲しいのであれば真っ当な手順を踏むのが道理だろう。
しかしそれを聞いた白銀は鼻で笑う。
「ハッ!!オイオイ冗談だろう?俺様がそれを真に受ける様な間抜けだと思ってんのか?証人は容疑者であるテメェらだけ。そして背中にゃあウチのガキ。状況証拠だけでテメェらを黒と判断すんのに何の抵抗もねぇぞ?」
「……貴様が何を言おうと事実は揺るがん。小僧を返して欲しいなら正式に使者を立てよ。話はこれまでじゃ」
姫君はそう言って踵を返そうとしたが、白銀は強力な雷撃をその足下に放ってそれを止めた。
「何をする!?」
「警告だ。そのガキを置いて行け。じゃなきゃ殺す」
「だから言っているであろう!!正式に使者を立てよと!!貴様の行いは無礼に過ぎるぞ!!」
「黙れ。ウチの幹部の身内が拐われかけてんだ。それをむざむざ見逃す訳がねぇだろうが」
「「!?」」
アズールと姫君はその言葉に目を見開く。
二人はこのゴブリンの子供はただの村人だと認識していた。村人の子供が、何も分からずに森の奥で狩りをしてしまっただけなのだと。
しかし白銀の言っている事が事実だとしたら、この状況は極めて厄介な状況だ。
「……テメェら二匹も並の蜥蜴人じゃねぇ事は分かる。多分だが、不動の幹部だろう?そんな二匹が黒鉄の群れの幹部の身内を拐おうとしてる。……どういうつもりかは分からねぇが、何の意図も無くお前らが動いてるとは思えないよな?」
「ち、違う!!この小僧は本当に緩衝地帯で狩りをしておったのだ!!だからこそ──きゃあっ!?」
必死に否定した姫君の足下に再び雷撃が放たれた。
そして白銀は静かに告げる。
「……間違ってるかどうかは後で判断する。それでこっちに非が有るなら相応の事はするさ。……だが、今この場からソイツを連れ帰るつもりなら殺す。テメェらの選択肢はガキを置いて消えるか、死ぬかだ。好きな方を選べ」
「……ッ!」
屈辱に顔を歪める姫君。
それに対してアズールは極めて冷静だった。
──この提案は受け入れるべきだ。
もし仮に白銀の言う通りこの子供が幹部の身内なのだとしたら、事実がどうあれ疑われて当然の状況だ。
敵対する相手が自分達の群れの重要人物を連れ帰ろうとしている。この状況で見逃す方がおかしい。
それに白銀は極めて強力な魔物だ。二人掛りでも正面からやり合って勝てる保証は無い。下手に刺激するくらいならゴブリンの子供を返した方が余程賢いと言えるだろう。
しかしアズールはそんな自分の考えとは裏腹にゴブリンの子供を下ろして腰に縛り付けた鉄棍を握る。
アズールには姫君が何と答えるか分かっているからだ。そして、自分が何を言っても止まらない事も。
「断る」
「……あ?」
「“断る”と言ったのじゃ痴れ者が。此奴は妾達の縄張りを汚した。だからこそ連れ帰り、兄上の指示を仰ぐ。それ以外に無い」
「……状況と話を理解した上で言ってんのか?テメェらは俺様達の群れの幹部の──」
「その話が真実だとどう証明するつもりじゃ?」
「……!」
「……妾達の言葉に嘘は無い。貴様が信じようと信じまいとそれは妾達が一番理解している。じゃが貴様の言葉はどうじゃ?この小僧が群れの幹部の身内じゃと?そんな重要人物が護衛も無しにこの状況下で縄張りの境界で狩りをするとでも言うのか?」
「……ッ!」
姫君の言葉に目を見開く白銀。
アズールはその顔を見て笑う。
流石我等が姫さまだ。実に気高く、そして気持ちが良い。
アズールの考えはあくまでも白銀の言葉が事実である事を前提としている。
しかし白銀の言葉が嘘で、自分達を蔑める為に幹部の身内だと嘯いたのならば話は変わって来る。
それ程の侮辱を姫君が許す訳が無い。そして、自分が許して良い訳も無い。だからこそアズールは鉄棍を握ったのだ。
数瞬の間の後、白銀はゆっくりと口を開く。
「……成る程、そう来るか……。テメェらの主張が正しいなら確かに俺様がハメようとしてる様に見える状況だな。……だが、どう受け取ろうが事実は変わらねぇよ。ソイツはウチの幹部の身内だ」
「それを主張しているのは貴様だけじゃ。妾達がそれを信じる様な間抜けに見えるか?もし仮に事実だとしたらそれなりの待遇は約束しよう。……どの道連れ帰った後での事だがのう?」
「ハッ!……意趣返しのつもりか。良い度胸だぜ。……おい!ステラ!!」
「はい」
「「!」」
白銀の呼び掛けに、背後から一匹の雌のオークが現れる。
黒南風の副官で、氏族の姫君であるステラだ。
白銀はステラに問いかける。
「監視役として話は聞いていたな?コイツらはどうあってもガキを返さないらしい。お前はどうすれば良いと思う?」
「……そうですね。互いの主張に食い違いは有りますが、状況は変わりません。このまま見過ごしてしまえば我々の陣営が被る不利益は大きい。黒鉄王陛下も見逃せとは仰らないでしょう」
「つまり?」
「……戦闘やむなし、と言った所だと思います」
「……よし!」
そう言うと白銀は右腕をブンブンと振り回し、アズール達に向き直る。
「……最後にもう一回だけ聞いてやる。ガキを返すつもりはねぇんだな?」
「くどい。返して欲しいのなら正式に使者を立てよ」
「オラは姫様の言う通りさするだけだべ。死体は黒鉄に返してやるから安心するだ」
「ハッ!そうこなくっちゃな!!じゃあ──」
白銀はそこで区切ると、凶悪な笑みで続ける。
「楽しもうぜ?」
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