“二つ目の道”
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「ふぅ……」
私は息を一つ吐いて倒木の横に腰を下ろす。
この木は拓けた高台の上に有り、夜空が良く見える。
晴れていて時間がある時はよく此処に妹達と来るのだ。
当然今も妹達と共に来ているのだが──
『……スゥ……スゥ……』
『……クゥ……クゥ……』
「ふふ……」
二人は寝息を立てて眠っている。久しぶりの再会で少しはしゃぎ過ぎた様だ。
本当に。
本当に愛らしい寝顔だ。何時間でもずっと見ていられる。実際何度か一晩中妹達の顔を見て過ごした事もある。
「……」
しかし、そんな二人の寝顔を見ていても、私の心には燻るものがある。
思い出されるのは今日の会議の事。
アッシュは弱者の立場からジャスティスを非難した。
この森でオーク達に襲われた事が有るアッシュにとって。
そしてフィウーメでスロヴェーン兵達の掠奪を目の当たりにしたアッシュにとって。
自分達が掠奪者となるジャスティスの意見は許せるものでは無かったのだろう。
実にアイツらしい真っ直ぐな主張だ。初めて会った時から変わらない。フィウーメに連れて行って本当に良かったと思う。
そしてジャスティスは現実的な観点から不動の縄張りへの侵攻を主張した。
私達の群れは黒竜の森の勢力争いで遅れをとっており、他の“二つ名持ちユニーク”に比べて森での影響力が低い。
今のままでは森の中枢で争乱が起きても、私達が行動する頃には手遅れになっている可能性の方が高いのだ。
そうすれば私達の群れは遠からず賢猿の群れに飲み込まれる。
そしてその時には奇しくもアッシュが主張した“虐げられる側の魔物“に私達がなるのだ。
それを防ぐ為にはジャスティスの言う通り不動の縄張りを奪うのは効果的な手だと私も思う。
感情に流されない冷静な判断だ。
ジャスティスに留守を任せて良かった。やはりアイツは安心して群れを任せられる男だ。
「……」
しかし二人の主張を理解しても、その上で私は結論を出せない。
無論、既に何通りかの方策は頭に在る。しかし決断が出来ないのだ。
自分がしようとしている事が正しいのかどうか……いや、これは違うな。“正しい事”なんてどの世界にも存在しない。“自分のしようとしている事に私が納得出来るのか”。それが分からないのだ。
以前の私ならこんな事に悩みすらしなかった。分かりやすく、そして合理的に決断が出来た。
しかし、今は違う。
馬鹿げているし認めたくないが、今の私は“犠牲”を嫌っている。
自分が苦労したり、辛い思いをするのは平気だが、必要以上に誰かの命を奪う事は避けたいと思ってしまうのだ。
……それが、どれだけ合理的でも決断出来ない。……本当に馬鹿げている。
「……隣良いかしら?」
「!」
そう言って話し掛けて来たのはヤスデ姉さんだ。
考え事に集中するあまり接近に気付いていなかった。……いや、もしかしたら姉さんが私にバレない様に近付いたのかも知れないな。姉さんはそういうのが好きだから。
私は少しだけ右にずれる。
「……綺麗ね……」
姉さんはそう言って星空を眺める。
確かに綺麗だ。日本と違ってここには無駄な光も煙も無い。本当に澄んだ星空が広がっている。
「まるで洞窟の天井を埋め尽くす、無数のヤスデの蠢きの様だわ……」
それは綺麗なのか?
「……………………」
私達は暫く無言で星空を眺めていた。
周囲を包む静寂。
しかしそれは不快なものでは無く、心地良い静寂だった。
──だが、それも終わりを告げる。
「……珍しいわよね。坊やとジャスティスの坊やが喧嘩をするなんて……」
「……そうでもないさ。初めて会った時は殺し合いだったし、それからも結構やり合ってる」
「でも、今回みたいに本気で怒ったのは初めてでしょ?ジャスティスの坊や、拗ねてたわよ?」
「フッ。それは大変だ。アイツの朝飯に下剤を仕込んでやらなきゃ駄目だな」
「あら、面白そうね?私に任せて。最近強い毒が作れる様になったの」
「ここは“なんの関係が?”って突っ込みを入れる所では?」
「私は面白そうな方に乗っかるの。知ってるでしょ?」
「ははは」
「フフフ」
私達はそう言って暫く笑った。
そして、ひとしきり笑い終わると姉さんが再び声を掛けて来る。
「……それで坊やは何を悩んでいるの?」
「……私達の“これから”についてだ」
「それも珍しいわね?坊やなら大概の事は簡単に決めちゃうのに」
「私一人では決められない事も有るさ。色々な不確定要素も絡む話だしな」
「でも、それで悩んでるんじゃないでしょう?」
「……ああ」
「なら、話して?」
そう言って小首を傾げる姉さん。顔は柔和な笑顔だが、有無を言わせぬ圧力を感じる。
私は考えをまとめてから口を開く。
「……これは、誰にも言った事の無い話なんだ。だから秘密にしてくれるか?」
「ええ」
「……私達が生まれた時。実は私は……妹達を殺そうと思ったんだ」
「──!?」
ヤスデ姉さんが死ぬ程驚いた顔をしている。姉さんのこんな顔初めて見た。
「ははは、姉さんでもそんな顔をするんだな」
「……当たり前じゃない。今まで生きて来た中で一番衝撃的な発言だったもの……。こうして聞かされた今でも信じられないわ。……でも、どうして?」
「……私はユニークモンスターとして生まれ、相応の知識と経験が予め備わっていた。そして“継承”と言うスキルに関しても相応に理解出来ていて、少しでもステータスを上げる為に妹達を糧にしようとしたんだ」
「成る程ね。生まれて直ぐなら結構なアドバンテージになってたかも知れないものね。じゃあ、どうして止めたの?」
「単純さ。殺そうと近付いた時に見えた二人の寝顔に一目惚れしたんだよ。こんな可愛らしい二人を殺せる訳がないだろう?」
「ふふふ。分かりやすくて良いわね」
「ああ。あの時の衝撃は忘れられない。この世界に生まれて……。いや、予め備わっていた知識と経験の中にもあんな衝撃は無かった。これ程迄に誰かを愛おしく思った事は無かった。……それからだ。“他の誰か”を大切に思える様になったのは」
「……」
「初めは勿論妹達。その次に姉さん。そしてジャスティスやネズミ達。一人、また一人とどんどん“大切な誰か”が増えていった。自分一人だった私の世界に、厄介な同居人が増えていったんだ。馬鹿げてるが…………………嫌じゃなかった。そして、私が妹達や皆に向ける愛情。私とは無関係な“他の誰か”も、そんな愛情を誰かから向けられる存在なのかも知れない。……そう思うと、少しだけ誰かを傷付けるのが嫌になった。……本当に、少しだけだがな……」
「……坊や。ジャスティスの坊やが貴方に黙ってあんな事を言い出したのは──」
「分かってる。私の為だろう?群れの為とは言え、私は数ヶ月も森を留守にした。姉さん達や数匹の配下には目的を告げていたが、他の大多数の配下達からすれば私は森が不安定な状況下で何もぜずに逃げたに等しい。そりゃあ随分と悪評も立っていただろうな」
「……ええ」
「……だからアイツはそれを払拭しようとした。私の手柄を公表し、仇敵を相手とする事で配下の大多数であるオーク達からの支持を集めようとしたんだ。……ビーバーの癖にツンデレが過ぎるな」
「坊やも大概ツンデレよ?」
「……自覚は有る。認めたくはないがな……」
「フフフ。……じゃあ、そろそろ本題を話してくれる?面白い話だったけど、今日は誤魔化されてあげない」
「残念だ。とっておきの話だったんだがなぁ……」
私は軽く頭を掻くと、ゆっくりと話し始めた。
「……悩んでいるのは“二つの方法”のどちらを取るかだ。一つは“多少の犠牲を払い森を一つにする方法”」
「もう一つは?」
「……“上手く行けば犠牲も無く森を一つに出来る方法”だ。……だが此方は難易度が死ぬ程高い上に不確定要素が多過ぎる。そしてしくじった時の犠牲は前者の比では無い。森の規模を考えれば数万の犠牲が出る事になる」
「なら決まってるじゃない。二つ目よ」
「……簡単に言ってくれるな。姉さん。失敗したら数万の魔物が死ぬんだぞ?それこそ不動の縄張りを潰した方が余程犠牲が少ない」
「あら、じゃあやっぱり一つ目はジャスティスの坊やの発案通りだったのね?」
「……ああ。やり方は工夫するが方向性に間違いは無い。その方が確実だし犠牲者も少なく済む」
「……それでも決断出来なかったのは二つ目の方法が頭にあったから。可能な限り誰にも傷付いて欲しくない。だから合理的に考える事が出来ても決断出来なかった。そういう事?」
「……ああ。褒められた事じゃ無いのは分かってる。感情に振り回されて、冷静さを失っているんだからな」
「ふぅん……」
ヤスデ姉さんはそう言うと、少しだけ何かを考える素振りを見せる。
そして、何かを思い付いた様に再び口を開いた。
「分かった!なら、私が褒めてあげる!」
「はぁ!?」
「坊やのその考えを、私が褒めてあげる!」
「いや、それはその……“言葉の綾”と言うか……そもそもそれで何か解決するのか?」
「する訳無いじゃない。そもそも解決しない事だからこそ坊やが悩んでいるんでしょう?」
「……まぁ……」
「じゃあ黙って聞きなさい。……坊や。貴方のその考えは、誰かを思い遣れる強い心から来るものよ。理不尽を誰かに押し付けるのでは無く、その理不尽を取り除こうとする。それは誰にでも出来る事じゃないわ。胸を張って良い事よ。……でも──」
姉さんはそこで区切ると、真っ直ぐに私の目を見て続けた。
「貴方も妹達のお兄ちゃんなら、そのくらいの事は笑って成し遂げてみせなさい。……ダサい男は嫌われるわよ?」
「──!」
姉さんの言葉に、思わず背筋が伸びる。燻っていた何かが、少しだけ。ほんの少しだけ晴れた様な、そんな気がしたのだ。
「フフフ。……じゃあ、私はそろそろ寝るわね」
そう言って立ち上がるヤスデ姉さん。私は姉さんを呼び止める。
「……待ってくれ姉さん。すまないが、妹達を連れて帰って貰えないか?私にはやらなければならない事があるんだ」
それを聞いた姉さんは笑う。
「ええ。この子達は任せて。だから坊やは安心して無理しなさい」
「そこは“無理しないで”じゃないのか?」
「あら、まだまだね。一つ良い事を教えてあげる。女はね、ひたむきな男に弱いものなのよ?」
「……そうか。じゃあ頑張るしかないな」
「……ええ。おやすみ」
そう言って姉さんは妹達を連れて帰って行った。
私はそれを見届けた後、夜警の配下に連絡を入れる。
「……今すぐギュスターブとステラを起こせ。そして二人に黒南風が撤退した時に近くに居たであろうオーク達を聞き出し、二人と共にその全員を私の所に連れて来い」
『え!?今からですか!?』
「ああ。あとゴリも呼んでくれ。それと私が森を出る前に頼んだ“奴”の報告書も持って来る様に伝えろ。アイツは取り立てて変わった様子は無いと言っていたが、一応目を通したい」
『わ、分かりました!』
配下は慌てた様子で動き始めた。
……帰って来たばかりなのに、忙しくなって来た。
ジャスティスの言う通り、私達の群れは黒竜の森の争乱に於いて影響力が低く半ば蚊帳の外だ。
どれだけ私達の個々が優れていても、このまま森の外周で燻っているなら負け以外の未来は無い。
──だから、負ける。
“勝てない”のなら、“負ければ”良いのだ。
他者を攻める訳でもなく、ただ敗北を受け入れる訳でもなく、私達にとって“優位な敗北”を目指す。それが“二つ目”だ。
正直言って死ぬ程キツい。ジャスティスは絶対に味方になってくれないし、使える配下も限られる。そして敗北後、つまり黒竜の森統一後の魔界統一と、人間達との戦争まで視野に入れて行動せねばならない。その上不確定要素が盛り沢山だ。
しかしそれでもこれが最も犠牲が少ない手段。
「……次善の勝利では無く、最良の敗北を。か……」
私はそう呟くと、配下達が来るまで必死に思考を巡らせた。
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てな訳でトカゲは“上手く負ける”事を目指します。




