“第三章、序章”
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──カタンカタン、カタンカタン──
「……」
朝の満員電車に一人の男性が乗り込む。
やや太り気味で、猫背。
目が悪いのか分厚いメガネをしており、まるで濡れた様に重い髪をしている。
制汗剤は一応付けてはいるが、その様子からは清潔感を感じられない。少なくとも、第一印象が良い方向に向く事は無いタイプに見える。
──そう、有り体に言えば“キモい陰キャ”だ。
「うわ……」
男性を見た一人の女性が小さくそんな声を上げる。
ちらりと其方を一瞥した男性は、それが誰だか知っていた。
男性と同じ会社のOLだ。
おおかたキモい自分と同じ電車に乗った事が嫌だったのだろう。
そう考えた男性は何も言わずに項垂れる。
男性はいつもそうだった。学生の頃から疎まれ、社会に出てもまともに相手にされない。
嫌な事ばかり押し付けられ、恋人はおろか友人すら居ない。
しかし男性はそれでも腐らずに真面目に生きて来た。
いつか報われる。そう自分を騙しながら、俯いて。
──プシュー──
しばらくすると、何かが抜ける様な音と共に電車のドアが開く。
項垂れていた男性は気付かなかったが、電車は駅で停車していたのだ。
そして、開いたドアから入って来た制服を着た少女を見た時、思わず男性は息を呑んだ。
──黒く、艶のあるストレートの髪。
──つぶらな瞳と、愛らしい顔立ち。
──小さく、そして庇護欲を駆り立てられる立ち姿。
男性は、たった一目でその少女に心を奪われた。
「……ッ!」
だが、男性は直ぐに下を向く。
自分みたいなキモい奴が相手にされる訳が無い。
男性はこれまでの人生でそれを誰よりも理解していたのだ。
少女はそのまま男性の前に来ると、吊り革に手を伸ばして掴まる。
男性はなるべく視線を上げない様にして少しだけ下がる。
せめて、この少女に不快な思いをさせない為に。
そして、電車は動き出した。
暫くは何事もなく順調に進んだが、カーブに差し掛かった時にそれが起きた。
「……あっ」
少女がバランスを崩して転びそうになったのだ。
掴んでいた筈の吊り革は何故か彼女の手から離れており、このままではこけてしまう。
男性は思わず手を伸ばしてそれを支えた。
別に感謝されようと思った訳では無い。気付けば思わず手が伸びていたのだ。
本当に無意識で、それ故の純粋な善意だった。
バランスを取り戻して立ち止まる少女。彼女は男性を一瞥すると、何も言わずに正面に向き直る。
これで良かった。
別に何かを期待した訳では無い。彼女が転ばなくて良かった。
男性はそう思い、自分が降りる駅を待った。
そして、駅に着いて男性が降りようとした時、不意に少女がその手を掴んだ。
“まさかお礼?こんな自分に?”
そう思った男性だが、少女の口から出た言葉はそれとは真逆のものだった。
「この人痴漢です」
「……ぇ」
──意味が分からない。
彼女は何を言っている?
僕は、ただ支えようとしただけだ。本当にただそれだけだった。
男性が少女の言葉を飲み込む前に、少女の言葉を聞いた周囲が騒めきだす。
「痴漢?」
「マジ?」
男性は慌てて否定しようとした。
「ち、ちが!!ぼ、ぼくは、さ、さ、支えただけで──」
「いい加減にして下さい!!」
しかし男性の言葉を遮る様に少女が叫ぶ。
そして、その両目から涙を零しながら続けた。
「ま、毎日毎日毎日毎日!!ずっと……ずっと私の身体を触って来るじゃないですか!!私……怖くて……言い出せなくて……!!」
「〜〜〜ッッッ!!」
少女の言葉を聞いた周囲の人達が一斉に男性を取り押さえる。
そして口々に男性の事を罵り出した。
「……最低」
「ゴミだな」
「痴漢かよ。マジで死ね」
「駅員呼べよ。社会的に殺そうぜ」
「キモ……」
頭が真っ白になり、息が止まりそうになる。
不味い。誤解されている。
男性は、取り押さえられた体勢から何とか顔を上げる。そして、少女の誤解を解く為に話しかけようとした。
「!?」
──しかし、それは無意味なのだと直ぐに男性は気付いた。
少女は顔を両手で覆い、俯いている。
その素振りは、周囲から見れば泣いている様にしか見えないだろう。
しかし、男性の角度から見えるそれは、全く違う印象を与える。
──笑っているのだ。
これ以上無い程醜悪に。男性が経験した事が無い程の悪意を込めて。
状況を理解した男性は、何とか声を張り上げる。
「ぼ、僕は痴漢なんてしてない!!こ、コイツが僕を嵌めようとしてるんだ!!」
「いい加減にしろよ痴漢野郎!!キメェんだよ!!」
「……もし仮に誤解なら、調べて貰えば良いだろう?確か“繊維照合”だったか。触ったかどうかはそれで証明出来る。君が違うと言うのなら、それを素直に受ければ良い」
「!?そ、そ、それは──」
反論しようとして思い出す。男性は間違いなく、少女の身体に触れていた。
「あ、……うわぁぁぁぁッッッ!!」
「暴れんなよキモオタがッッ!!──ってテメェ何手を拭こうとしてんだよ!!誰かコイツの手も抑えてくれ!!証拠を消そうとしてやがるッッッ!!」
「や、やめてくれぇぇッッ!!」
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──結局、男性の手からは少女の制服の繊維が見つかり、逮捕される事になった。
その様子を見ていた同僚のOLは会社にその事を伝え、男性は処分された。
そして、人一人の人生を潰した少女は、引き摺られて行く男性を見て、誰にも聞こえない様に笑う。
「あはは。マジでウケる。……あんな“衛生害虫”生きてる価値もねぇんだよ」
──これが、当時16歳の橘楓の趣味だった。
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久しぶりにエッセイを書きました!
異世界チートスレイヤーについての考察です。
https://ncode.syosetu.com/n4014hd/
気が向いたら読んでみて下さい。




