“もぐもぐ”
ーーーーーーー
──ドゴォッ!!──
「グッ!?」
地面に転がる私。
私はどうにか起き上がりザグレフの方に視線を向ける。
すると、奴の姿が陽炎の様に歪んでいるのが見えた。
そして、徐々にその姿が変わって行く。
欠けた頬は張りが出て、枯れ木の枝の様な腕は丸太の様に変わる。
長身痩躯だった筈のその身体は、筋肉の鎧を纏った巨漢へと変わっていた。
最早ザグレフに病弱な印象はかけら程も無い。
そこに立っているのは、圧倒的な身体能力を持つ魔物だった。
「……フフフ。どうやら驚いてくれたみたいですね。先程までの姿は、“幻影の天幕”と言う魔法で偽装した姿だったのですよ。効果時間の長い魔法なんですが、呪文教書を破られた事で消えてしまった。……今頃中枢に残して来た結界も消えているでしょうね」
「……どう言う事だ」
「それが呪文教書が破られた時のデメリットなんですよ。全魔力と、発動中の全魔法効果の消滅。そして2、3日は魔法が使えなくなる。ハハ!少し困りましたね」
「そうじゃない。お前のその姿についてだ。お前は最初からそんな姿だったのか?」
私の言葉にザグレフは口角を上げる。
そして鷹揚に続けた。
「フフ、違いますよ?この姿は“魔王降誕”に成功したからです」
「“魔王降誕”だと?」
「ええ」
ザグレフはそう言うと、身体を包んでいたローブを脱ぎ取る。
すると奴の屈強な胸部に、濃紺の宝石が埋まっていた。
ザグレフはその宝石に触れつつ続ける。
「……これは“魅魔の宝玉”。至宝たる“知恵持つ祭器”の一つです。その効果は、“万を超える命を捧げる事で魔王へと至る”と言うもの。私はそれで魔王のクラスを獲得し、この特殊位界……豹魔王へと進化したのです」
「……理屈は分かった。だが“万を超える命を捧げる”だと?お前がいつそんな真似をしたんだ?」
「ずっと昔から続けてましたよ。それに直接自分の手に掛ける必要は無いのですよ。その状況を整え、そして導くだけでも良い」
「……まさか!?」
「ええ。今まさに万を超える命が互いの命を奪いあっている。スロヴェーンとフィウーメ、その両方がね?」
「……!」
ザグレフの言葉を聞いて、私はライラから聞かされた話を思い出す。
ザグレフ達が加入した後の黒豹戦士団は、依頼にかこつけて積極的な虐殺を行なっていた。
そしてその依頼自体も何らかの戦役に絡む内容ばかりだった筈だ。
当然、大量の命が失われている。
「……黒豹戦士団のこれまでの行動も、全てこの為か?」
「ええ。流石に私一人で一万の命を捧げるなんてのは随分と時間がかかってしまいますし、罪状が重なれば面倒も増えます。依頼では敵を。“祭り”では無辜の民を。壊滅させられましたが、役には立ちましたよ。あの黒豹戦士団もね」
「……龍王国はこの事態を想定していたのか?」
「まさか。そんな訳が無いでしょう?龍王国は可能な限り無傷のフィウーメを欲していましたよ。ここまでスロヴェーンが侵攻して来たのは貴方達のせいです。……そう言う“段取り”にさせていただきました」
「……清々しい程の糞野郎だな。ここまで来ると逆に好感を覚えるぞ」
「フフフ。それは良かった」
ザグレフは気持ち良さそうに笑う。心の底から嬉しそうに。
「……さて、私としてもこの位界に来るのは初めてですからね……。我が肉体の性能!!貴方で試させていただきますよッッ!!」
──ゴウッッ!!──
「!?」
ザグレフはそう言って私へと駆け寄る。
その速度は凄まじく、これまでの奴からは考えられない程だ。
私は敏捷性の強化魔法を使用し、ザグレフから距離を取る。だが、奴は即座に距離を詰め、私に向かって振りかぶる。
「“金剛硬皮”!!」
──ガキィンッッ!!──
硬質な音と共に凄まじい衝撃が私に走る。
ダメージ自体はそれ程でも無いが、しかしそれはスキルを使った上での話だ。
しかもザグレフはスキルを使ってはいない。
私は反動で大きく飛ばされるが、即座に距離を詰めたザグレフに掴み上げられる。
私は全力で奴の顔を蹴り抜いたが──
「……!!」
「……何かしましたか?」
──ゴッッッ!!──
「ぐはッッッ!?」
ザグレフは意に介さず、そのまま私の腹部に拳を埋めた。
そして私を地面に叩き付けると、マウントをとって口角を上げた。
「……何をするか……分かりますよね?」
「……!!」
ザグレフはそのまま拳を振り上げ、そして私を殴る。
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。
そしてその度に喜悦に表情を歪め、狂った様に笑う。
「ヒャハハハハ!!ヒャハ!?ヒャハハハハ!!苦しくない!!全然苦しくない!!こんなに!!こんなに動いてるのに!!全然苦しくならない!!ヒャハハハハハハハ!!息が!!息が詰まらないッッッ!!ああ!!ああッッ!!世界は……世界は苦痛では無く幸福で満ちているッッッ!!ヒャハハハハハハハハハハ!!私はこのままこの世界で登り詰める!!他の魔王達を降し!!史上唯一“黒鉄の竜王”だけが成し遂げた“大魔王”へと至る!!そして!!生きとし生けるもの全てに私が味わって来た苦痛を味合わせてやる!!ヒャハハハハハハハッッッ!!」
「……コンプレックス丸出しだな」
「……あ?」
──ゴスッッ!!──
ザグレフは私の顔を殴る。
そしてそのまま私の顔に唾を吐き掛けて続けた。
「……身動き一つ取れない羽虫が、この私に随分な口を聞くな。お前がまだ生きているのは私が加減をしてやっているからだ。ほら?命乞いの一つでもして見せろ。私が楽しめれば命を拾えるかも知れないぞ?」
「……バルドゥークの真似事か。……成る程な。お前、アイツに憧れてたのか」
「私が?あの馬鹿に?ハハハッ!!冗談を言うな!!アイツは私に利用される為だけに生まれて来たゴミだ!!何処に憧れる必要がある!!」
「……哀れだな」
「あぁ!?」
「……自覚が無いのか?我々魔物の“進化”は、本人がどんな姿を望んでいるかで大きく変わる。お前は幼い頃からずっと病弱で、健康な身体を欲していた。だから元気に外で遊び回る弟に苛立って殺したし、圧倒的な暴力性を持ったバルドゥークを力で支配する事で自分を慰めていたんだ。……その証拠にお前のその筋肉達磨みたいな姿、バルドゥークの面影が有るぞ?」
「……!!」
「……挙げ句の果てに“僕が大魔王になったら皆にも同じ苦しみを与えるんでちゅう〜”とはな……。下らない復讐物語を読んで自分を慰めてる連中よりも更に哀れだ」
「黙れッッ!!」
ザグレフはそう言うと再び私を殴る。何度も何度も何度も。
だが殺そうとはしない。意地でも私を屈伏させたいのだろう。
暫く私を殴った後、再びザグレフが話しかけて来た。
「さぁどうした!?無抵抗で嬲られるだけか!?恐怖で身動きも取れないのか!?」
「……“恐怖”か。……この世界に生まれて最も恐怖を感じたのは、あの蜘蛛の時だな。妹達の安否が分からなくて、心の底から怖かった。生きてると分かった時は膝から崩れて泣いたよ。本当に……本当に怖かった」
「妹!?妹が居るのか!!ならその妹も殺してやるよ!!ぐちゃぐちゃに潰して豚の餌にしてやる!!」
「次に怖かったのは妹達にノミがついた時だ。痒くてムズムズしてる妹達が可哀想で、もし仮に引っ掻いて傷でも残ったらどうしようかと思った。その次は妹達が木から落ちた時。その次は妹達が食べ物を喉に詰まらせた時だな」
「……貴様さっきから何を言っている?」
「恐怖の話だ。私の恐怖の大半は妹達に関しての事だ。だがそれを除いて、私個人が感じた恐怖の中で最大だったもの……それがなんだか分かるか?」
「あぁ!?」
「“初めて巣穴から出る時”だ。自分がこの生態系に於いて、どんな立ち位置なのか理解出来ていなかった。私よりも強い捕食者がどのくらい居るのか分からない。そんな中で巣穴から出るのは相応に怖かった。……今回、フィウーメに来る時にも似たような恐怖を抱いていたよ。ある程度事前知識は入れていたが、私よりも強い奴が居たらどうしようかと思っていた。だからお前が居てくれて本当に良かった。お前は私がこの大陸に於いてどのくらい強いのかを測る丁度良い物差しになってくれた」
「何をゴチャゴチャ訳の分からない事を言っている!?」
「そんなに難しい話では無い。……私は……」
私はそこで区切ると、スキルを解除する。
「“私が想定していたよりも強かった”と言う話だ」
「何を言って──」
──ビキッ──
「!?」
ザグレフが異変を感じて大きく飛び退く。
私が倒れていた地面にヒビが入ったのだ。
勘が良い。だが手遅れだ。
私の肉体は徐々に人の形を無くし、そして膨らんで行く。
「そんな……そんな馬鹿なッッッ!?」
ザグレフは私を見上げ、そして恐怖に顔を歪める。
巨木と見間違う程の足。
太く、長く、そして剣の様な先端を持つ尻尾。
そして、無数の牙に縁取られた強靭な顎。
『……グルルアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッッッ!!』
──そう、そこには本来の姿に戻った私が居た。
「ひぃぃぃッッッ!?」
私の威嚇に腰を抜かすザグレフ。
私も本来の姿に戻ったのは久しぶりだし、少しステータスでも見ておくか。
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ステータス
種族:ダークメタル・ブレイドテイルド・ティタンレックス
種族概要:鋼龍の因子を強く宿す亜龍の一種。全身を覆う金属の鱗と、強靭な四肢、剣の様な尾先。そして圧倒的な咬合力の顎を持つ極めて強力な種族。そのステータスの大半を物理方面に特化した種族で、本種族は唯一種でもある。尻尾は切れてるとダサいから治してあげたよ。どうせ結果変わらないし。
スキル:ユニークスキル:“継承LV32”、“支配LV22”
:オリジンスキル:“真実の絆LV25”
:EXスキル:“コカトリスの魔眼LV31”、“異次元胃袋LV22”、“王の器LV38”、“鋼龍の因子LV68”、“魔眼殺しLV48”
:ノーマルスキル:“暗視LV45”、“しっぽ切りSPLV59”、“強化嗅覚LV45”、“金剛硬皮LV74”、“超毒耐性LV48”、“高位再生能力LV28”、“強化魔法適正LV18”、“雷撃魔法適正LV22”、“尾技適正SP LV58”、“脚技適正SP LV61”、“視線察知LV128”、“擬人化LV20”
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なんか本当に久しぶりに見た気がするな。もう、一年半ぶりくらいに見た気がする。何か変な文章入ってたけど。
外見としてはヴェロキラプトルとティラノザウルスの中間の様な見た目だ。そこに黒光りする鱗と剣みたいな尻尾付けたら私の完成。
……さて、ザグレフでも食うか。
「!?」
私が視線を向けた事に気付いたザグレフ。
奴は這いずりながらも逃げ出そうとするが、私はその進路を遮る様に尻尾を地面に突き立てる。
私の尻尾はかなり伸縮性が有り、最大で約30メートル程まで伸びるのだ。
『……何処に行く?まだ戦いは終わっていないだろう?』
「な、な、なんだその姿はッッッ!!覚醒解放か!?いや、解号も硬直も無かった!!げ、幻覚!?そうか!!幻覚か!?」
『……残念ながらそれは違う。言っただろう?“私は手を抜いている”と。これは私の本来の姿だ。すまなかったな。今まで手を抜いてて。……少なくとも、お前は仮の姿で勝てる相手では無かった』
「ひっ!?く、来るなッッ!!う、うわぁぁぁぁッッッ!?」
私は腰を抜かしたザグレフを咥える。
そして弄ぶ様に顔を振るった。
「は、離せッッッ!!離せぇぇぇぇッッッ!!」
そう叫んで必死に拳を振るザグレフ。しかし腰の入らない拳撃ではただ痒いだけだ。
私は軽く噛む力を強める。
「ぐぎゃぁぁァァァッッッ!?い、いだい!!痛い!!うわぁぁぁぁッッッ!!痛いよぉォォォッッッ!!」
口の中に血が滴る。
……あぁ。久しぶりだ。文化的な食事も良いが、やはり今の私にはこれが一番だ。
このまま一気に食いたい。だがまだ殺す訳にはいかない。アバゴーラとの約束もあるし、もう少し嬲らないと。
『……随分と情け無い声を出すな。仮にも冒険者を名乗っていたんだろう?多少の怪我で喚くな』
「これが!!これが多少の怪我だと!?私は今までこんな怪我をした事は無い!!私は常に無傷で勝って来た!!こんな!!こんな──ぐぎゃぁぁッッッ!?」
『……煩い。これでも貴様が今まで嬲り殺しにして来た連中よりはマシな扱いだろう?』
「ふざけるなッッッ!!私と他のゴミ共を一緒にするな!!私は!!私は魔王だ!!魔物を統べる王たるもの!!そんな私にこんな真似を──ぐぎゃぁぁ!?」
『……貴様如きが“王”を気取るな。私の知っている王は慈悲深く、思慮深く、そして不器用だった。……私が言うべきでは無いだろうが、尊敬出来る程の王だった。だが貴様は違う。自分以外の事は一切考えず、自分の為ならば平然と他者を切り捨てる。自分が切り捨てた他者にも、大切な誰かが居るかも知れない事をかけら程も理解していない。貴様は我儘なガキと何一つ変わらない。……身の程を弁えろッッ!!』
「ぎゃぁぁッッッ!?」
私は更に顎の力を入れる。
ザグレフは悲鳴を上げながら必死に拳を振るが、しかし何の意味も無い。
「ま、待って!!待ってくれェェェェェェッッッ!!ち、忠誠を誓う!!貴方様に忠誠を誓う!!私は優秀だ!!必ず役に立つ!!バルドゥークの様な馬鹿では無い!!慈悲を!!慈悲をぉぉぉッッッ!」
『……確かにそれはそうだな。貴様は優秀だ。龍王国、連邦、スロヴェーンと三つの国家を手玉に取り、自分の目的を達成した。それだけでは無い。私達と言う不測の事態を利用する事で保身も図った。恐らくだが、魔導書に記憶させた城壁結界に関する知識も交渉材料にするつもりだったんだろう?実に見事な手腕だと私も思う。貴様を飼えればメリットは大きい』
「そ、そうです!!私は優秀です!!この力!!どうかお役立てを!!」
『……だが一つ問題がある』
「……も、問題!?」
『……ああ。最も重要で、そして致命的な問題だ』
私はそこで区切ると、戯けた調子で続けた。
『私はお前が嫌いだ』
「……へ……?……ぐ、ぐ、ぐぎゃぁぁァァァッッッ!!や、辞めて!!助けて!!嫌だ嫌だ嫌だ!!死にたくない死にたくない死にたく無い!シニタクナイ死にたくない」
私の口の中で喚きながら必死にもがくザグレフ。
私は徐々に力を込めて行く。
「痛い痛いよぉッッッ!!助けて!!助けて!!助けて!!助けてェ!!嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だぁぁぁぁぁぁァァァッッッ!!」
『……さよならだ。“呪文教書のザグレフ”。……な?私の言った通り、お前は私に命乞いをしながら死んだろ?』
「ま、待って──」
──ブチュ!──
鈍い音と共に、私の口の中にザグレフの味が広がる。
もぐもぐ。美味しい。ザグレフ、嫌いなんて言ってごめんね。味は好きだったよ。……あれ?舌に何か刺さった?
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