“昔日”
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バルドゥークは連邦に所属する“三塞都市トライディア”の中の一角、“歓楽都市フラウィウス”で生まれた。
“三塞都市トライディア”は、それぞれ“闘技都市エルバ”、“歓楽都市フラウィウス”、“鋼船都市ガーデグリン”の密集する三つの都市国家の総称で、連邦にはこの三つの都市国家が合同名義で加盟している。
それぞれ一つの都市として見ると規模は比較的小さめとなるのだが、三つの都市を束ねると連邦でもかなりの規模の都市国家となり、相応に栄えていた。
バルドゥークの母はそんな都市で性奴として娼館に飼われており、バルドゥークは不慮の妊娠で生まれたのだった。
娼館での暮らしは楽とは言えなかった。
フラウィウスは華やかな街だったが、どんな場所であれ娼館は所詮苦界。娼婦に向けられる目は消耗品に対するそれでしかなく、そしてそんな娼婦から生まれたバルドゥークは金にもならない厄介者でしか無い。当然、その扱いは過酷を極め、バルドゥークは生傷が絶える事は無かった。
だが、バルドゥークはそれに対して怒りは抱いても、疑問は抱いてはいなかった。
彼にとって生きる事は地獄で、少しでもその地獄を他者に押し付けようとするのは当たり前の事だと思っていたからだ。
そして、それが“不幸”なのだと理解する機会すらバルドゥークには無かった。
転機が訪れたのはバルドゥークが十四歳になった時だった。
その頃、バルドゥークは自分と同じ様な境遇の少年達を纏め上げ、愚連隊の様なものを作っていた。
当時から恵まれた体躯を持っていたバルドゥークは、既にその界隈でも一目置かれる様になっており、それなりに良い暮らしを送れる様になっていた。
しかしそれでも奴隷の身分に変わりは無く、バルドゥークにはそれが不満だった。
自分は強い。少なくとも、この街で偉ぶっているゴミ共よりも遥かに強い。にも関わらず何故奴隷などという立場でなければならないのか。そんな不満は日に日に高まって行く。
とは言え、行動を起こす事も出来ない。
奴隷商を取り纏める組織は、連邦の表と裏で強い影響力を持つ。
そんな化け物を相手に、多少腕に覚えが有る程度の若造に何か出来る訳が無い。
結局バルドゥークは“奴隷にしては”恵まれた生活で妥協せざるを得なかったのだ。
しかしそんな時、隣接する“闘技都市エルバ”で大規模な暴動が起きる。
エルバは二つ名の通り、闘技場での興行を主たる産業とした都市国家だ。そしてその性質上、死んでも替えの効く奴隷を多く抱えており、その中の一匹のゴブリンが奴隷達を率いて反乱を起こしたのだ。
反乱は約一週間程で鎮圧されたのだが、奴隷達を管理していた組織の本部は徹底した襲撃と放火を受け、奴隷に関する証書や履歴の大半が失われた。
そして、その混乱に乗じて多くの奴隷達が逃亡し、バルドゥークもそれに乗って逃走したのだ。
バルドゥークは嬉しかった。
初めての自由が、どうしようもなく嬉しかった。
これで、思う存分地獄を押し付けれる。
歪んだ欲望だが、それこそがバルドゥークの本心だった。
自由を手にしたバルドゥークは先ず冒険者になる事を決めた。
元々荒事に慣れているバルドゥークにとって、冒険者は正に天職だと思ったのだ。
地頭も悪くなかったバルドゥークは、順調にランクを上げて行った。
流石に最速とまでは言えないが、それでも上から数えた方が早いくらいの速さでAランクまで登って来た。
やっと、自分の人生が始まった。
バルドゥークはそう思っていた。
しかし──
「ゴホッ!!……ふぅ。貴方がバルドゥークさんですか?少し手駒が欲しくてね。……どうです、私の部下になりませんか?」
──それも、長くは続かなかった。
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結局バルドゥークは思う様に生きられなかった。
奴隷として生まれ、束の間の自由はザグレフに壊された。
その怒りを無関係の他者にぶつけて誤魔化して来たが、それでもバルドゥークの気が晴れる事は無く、酒と暴力に溺れて来た。
そして、最後はよりによってこんな若造に殺されて終わる。
そんな事、納得出来る訳が無い。
「……」
バルドゥークは苦痛に堪えながら鉄槌を握り締める。
忌々しいゴブリンの魔剣は、バルドゥークの肺と背骨の一部を切り裂いた。
確実に死ぬ。命が抜け出るのを感じる。
しかし、それと同じくらいにバルドゥークは力の奔流を感じていた。
バルドゥークの覚醒解放、“狂獣闊歩”は、被ダメージと与ダメージによって補正値が決まる。
そして、致命の一撃は正しくこれ以上無い程の被ダメージであり、その補正値は最大値に達していた。
無論、致死の一撃を受けた身でまともに動ける訳が無い。
しかし、一度だけ。
この一度だけなら、鉄槌を振り切れる。
ゴブリンはゆっくりと倒れ伏したバルドゥークへと近付いて来る。確実にトドメを刺すつもりなのだろう。
バルドゥークは待った。ゴブリンが鉄槌の間合いに入るのを。
たかだか数メートルの距離だが、今のバルドゥークにとってそれは数百キロの距離にも思えた。
早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く。
バルドゥークはそれだけを思い、苦痛に堪えた。
しかし──
「……!?」
後数歩で鉄槌の間合いに入る距離に来た時、ゴブリンが足を止めたのだ。
そこでバルドゥークは思い出す。このゴブリンが魔法を使える事を。
不味い。奴は魔法で確実なトドメを刺す気だ。
確かに万が一のリスクを考えればそれが確実だし、態々近付く必要も無い。
鉄槌の間合いには届かない。これでは、奴を殺せない。
そう思い焦るバルドゥークだが、次にゴブリンがとった行動に思わず呆然とした。
「……!」
──ゴブリンは、此方に向かい片膝を突き、自身の魔剣を前に掲げ、その刀身に額を当てたのだ。
その動きは流麗で、その所作を正式に学んでいる事が読み取れる。
そしてそれは、トライディアに住んでいたバルドゥークにとって幾度も見た所作だった。
「……グッ……クックック……。その所作の意味……分かってんの……か?」
「お、お前まだ生きてんのか!?」
「……ハッ……。……もう……死ぬ……がな……」
バルドゥークがそう言うと、ステータス補正が消えるのを感じた。覚醒解放が切れたのだ。
もうバルドゥークに鉄槌を振るうだけの力は残っていない。しかし、不思議と痛みは感じなくなっていた。
「……それは……闘技都市の……戦奴達に伝わる……ものだ……。……お前……トライディアの……出か?」
バルドゥークの言葉に暫く様子を伺うゴブリン。やがて、覚悟が決まったのかゆっくりと言葉を返した。
「……違う。だけど、親父はそうだって言ってた」
「……そう……か……」
あの騒動の時、大量の奴隷達が脱走している。このゴブリンの父親も自分と同じなのだろう。
「……まさか……最後の最後で……そんなもんに……邪魔されるとは……な……。テメェが……そこで止まらなきゃ……ブチ殺せてたのに……」
「ここまで来てまだやる気だったのかよ……」
「当たり前だ……ゴホッ!ゴホッ!!」
バルドゥークは血を吐きながらも、どうにか鉄槌を持ち上げる。
ゴブリンは警戒して距離を取るが、バルドゥークはそれを見て口角を上げ、そして鉄槌の柄をゴブリンへと差し出した。
「……くれてやる……」
「はぁ!?」
「俺が……自分以外で……唯一信じた鉄槌だ……。名を……“竜骨砕き”。血を喰らい、命を喰らえば……それだけ強くなる……。業物だ……」
「……どうして俺に……?」
「……気紛れだ……。……ソイツで……ザグレフの頭を……かち割って……やれ……」
「……それは俺の仕事じゃねぇ。師匠の仕事だ」
「なら……トカゲ野郎の……頭をかち割れ……」
「ははっ!なんでだよ!」
そう言ってゴブリンは笑う。
バルドゥークは言葉を返そうと思ったが、声が出ない。
「……バルドゥーク?おい──どう──」
「……」
ゴブリンが何かを自分に言ってる。だが、何を言っているかは分からない。
バルドゥークはそんなゴブリンの顔を見ながら、ぼんやりと昔の事を思い出す。
あれは、まだ母親が生きてた頃だ。
娼館を抜け出し、初めて忍び込んだ闘技場。
そこで目にしたのは、小さなゴブリンが仲間達と共に巨大な狼に立ち向かう姿だった。
次々と仲間達が殺される中、そのゴブリンは決して諦める事無く狼に立ち向かい、そして遂にはその狼を討ち倒したのだ。
大番狂わせに湧き上がる闘技場。
しかしゴブリンはその声援には応えず、そのまま狼に近付き、戦斧を前に掲げて片膝を突いてその刃に額を当てた。
その所作は流麗で、熱気に満ちた会場すら徐々に静けさを取り戻す。
その光景に幼いながらも胸を昂らせた事を、バルドゥークは思い出した。
──所作の意味は、“気高き闘士への敬礼”。
誇りある闘士に送る、戦奴達の最大限の賛辞。
そう言えば、このゴブリンはあの時のゴブリンに似ているような気がする。
そんな事を思いながら、バルドゥークはゆっくりと目を閉じた。
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私が漸くアッシュの下にたどり着くと、アッシュはバルドゥークの死体の前で魔剣を掲げて跪いていた。
どうやら倒す事が出来た様だ。
しかしこの所作は……。
「……“気高き闘士への敬礼”だったか。バルドゥークにそんな価値が有ったのか?」
私の言葉に立ち上がって振り向き、首を振るアッシュ。
「……無ぇよ。コイツは糞野郎だ。どうしようもないな」
「ならどうして?」
「……俺もよくわかんねぇや。だけど、コイツが死ぬってなった時、自然にやってた」
「……そうか」
自分の言葉には出来ずとも、思う事が有ったのだろう。
アッシュはそのまま此方に向かって歩いて来る。
が──
「うわッ」
アッシュは転びそうになり、私はそれを支えた。
「……大丈夫か?」
「悪りぃ……。なんか、身体が上手く動かせねぇや。……俺……死ぬのかな……」
「馬鹿言え。恐らく進化の兆しだろう。ある程度位界が高い状態で生まれた魔物は、大きな進化を遂げる時には時間がかかるらしい。“自分”と言う存在に対する固定観念が強いからとかなんとか……まぁ、真偽の程は知らないが、その間は上手く動けなくなるそうだ」
「そっか……」
私はそう言って安堵した様子を見せたアッシュを座らせる。
そして、アッシュの肩に手を置いてこう言った。
「……良くやった」
「──へ?」
私の言葉に惚けるアッシュ。
そして内容を飲み込めたのか、慌てて首を振った。
「な、何言ってんだよ師匠!元はと言えば俺が師匠の邪魔をしたからこんな事になったんだ!!それなのに──」
「説教はもう終わってる。自分の失敗を自覚しているお前に、再度自分の失敗を自覚させる様な無駄な事はしない。後残っているのは、強敵を撃ち破り、そして友人二人を助けてくれた弟子を褒めてやる事だ。……良くやったアッシュ。流石私の弟子だ」
「……ッ!」
アッシュは私の言葉に何も言わずにそっぽを向く。
本人はバレていないつもりらしいが、時折り嗚咽が漏れている。
まぁ、顔を覗き込む様な無粋な真似はしない。
私は手の空いたフェレット達にアッシュの事を頼むと、その場を後にしようとする。
すると、アッシュが後ろから声を掛けて来た。
「……師匠!」
「なんだ?」
「……勝てよ」
私はその言葉に、軽く右手を上げるとこう応えた。
「……“ 俺tueee”を見せてやる」
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