“黒豹”
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混乱を極めるフィウーメを、高台から眺める一匹の魔物が居る。
長身痩躯。
その身を黒地に金糸のローブで包んだ、欠けた頬の黒豹の獣人。
冒険者ギルド最高位、“Sランク”に位する二つ名持ちの冒険者。
“呪文教書のザグレフ”だ。
ザグレフは逃げ惑う住民達を見て、心の底から笑みを浮かべる。
「ゴホッッ!!……ふふふ……ハハハハハ!!実に良い……。“怒り”。“悲しみ”。“恐怖”。そして、断末魔の“絶望”。戦争とはなんと甘美な宴なのでしょうか……」
芝居がかった仕草でそう言ったザグレフだが、それを聴く者は誰も居ない。
しかし彼にとってそれはどうでも良い事だった。
ようやく。
ようやく長かった理不尽から解放されるのだから。
「──ッッ!?ゴホッッ!ゴホ!!ゴホッッ!!ゴホッ!!グブッッ……!!」
不意にザグレフが激しく咳き込む。
ここ最近は夜間良く冷えるし、この騒動でフィウーメの空気はかなり悪い。
ザグレフの肺には余り良いとは言えなかった。
「ゴホッ!!ゴホッッ!!……ふぅ……!」
なんとか呼吸を整えるザグレフ。
この苦しみはいつになっても慣れない。
幼い頃よりはずっとマシにはなったが、しかし本当に腹立たしい。
何故自分の様な優れた存在がこんな苦しみを味あわされるのか。
ただただ健全な肉体に生まれただけのゴミ供がどうして安寧に生きる事が許されるのか。
ザグレフはそれがどうしても許せなかった。
しかし、その不条理も今日で終わる。
この苦しみも、今日までなのだ。
そう思ったザグレフは、再び仕事に取り掛かる。
「……ん?」
不意にザグレフが動きを止める。
解除しようとした城壁結界の一部が解除出来なかった為だ。
確かに結界の構造の全容を把握している訳では無いし、この争乱の中機能不全が起きた可能性もある。だが、それよりも高い可能性があった。
「ゴホッ!!……戻って来たのですね……」
ザグレフはそう一人言ちる。
オルドーフの解放極技で伝わって来た情報で、神託者の様子がかなり変化していたとあった。
これまでの追跡では対象が一人だった為に把握出来ていなかったが、神託者の変身能力が自分以外も対象とする事が出来るのなら偽者を仕込ませる事は可能な筈だ。
そして、それならばその変化も頷ける。
つまり、あの忌々しいトカゲは神託者を保持した状態でフィウーメに居る可能性が極めて高いと言えた。
「……チッ……」
思わず舌打ちが出るザグレフ。
オルドーフの覚醒解放で先手は打てたが、向こうも自分と同様の手で此方を出し抜いていた。
無論、向こうの前提は崩している為に完全に思惑に乗った形では無いのだが、それでもあの二人を組ませたままで対処するのは難しい。
「……仕方ありませんねぇ?」
しかし、ザグレフはそう言って口角を上げた。
こうなる可能性はある程度考慮しており、それに対処する手を用意していた為だ。
そして、それは龍王国にとって都合が悪くとも、自分にとっては都合が良い。
「……“念話”」
ザグレフは魔法を使い外部へと連絡を取る。
対象は黒豹戦士団の名ばかりの団長であるアスガードだ。
頭も能力も低いゴミだが、伝書鳩くらいの役には立つ。
『ど、どうかしましたか?』
「ゴホッ!!……バルドゥークさんに代わって下さい」
『分かりました!!』
アスガードはそう言って即座にバルドゥークと念話を繋げた。
『どうした……リーダー……?』
バルドゥークは不機嫌そうにそう答える。
今回の作戦で黒鉄の討伐から外されていた為だ。
とは言え、この後の話を聞けば機嫌は良くなるだろう。
「ゴホッ!!……少し早まりましたが、約束を守ろうと思いましてね。ライラでしたか?黒鉄の女を好きになさって下さい」
『……ヒュ〜♪』
バルドゥークは機嫌良さげに口笛を吹く。そして、ザグレフに問い掛けた。
『……だが……それだけじゃねぇんだろ……?』
「ゴホッ!……話が早くて助かります。実は、オルドーフさんがしくじりましてね。黒鉄、アバゴーラ、神託者の三人がフィウーメに戻って来ているのですよ。流石に全員纏めてと言うのは少々厳しい。どうにかして分断する必要があるのです」
『……つまり……“派手に動け”って事だな……?だが……流石に神託者は無理だぜ……?』
「分かっていますよ。それに関しては別の手を使います。ですからバルドゥークさんに頼みたいのは、黒鉄の始末……。ゴホッ!……出来ますか?」
それを聞いたバルドゥークは、喜色ばんだ声で応えた。
『任せてくれ!!……俺は……進化した!!もう……あのゴミには……遅れを取らねぇ!!』
「ゴホッ!!……それは頼もしい。流石はバルドゥークさんです。では、楽しんで下さい」
『ああ!!』
ザグレフはその返事を聞くと、念話を切った。
そしてそのままバルドゥークが居るアジトの方向に視線を向け、一人言ちる。
「ゴホッ!!……間抜けな筋肉達磨が……。貴様程度に勝てる相手では無い……」
確かに進化したバルドゥークは強い。
その精強さと暴虐性は以前よりも遥かに増し、そして覚醒解放にも目覚めた。
確かに単純な戦闘能力だけなら十分に勝機もあるだろう。
しかし、黒鉄の最たるものは“力”では無く“知”。
暴力に頼るだけのバルドゥークに、勝ち目など有る訳が無いのだ。
しかしそれでも──
「ゴホッ!……時間稼ぎくらいは出来る」
ザグレフは一人、笑みを浮かべる。
龍王国も連邦もスロヴェーンも冒険者ギルドも黒豹戦士団もフィウーメも、ザグレフにとっては自分の目的を叶える為の道具でしかない。
黒豹は笑う。
「フフフ……黒豹は誰にも飼えない……!」
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