“涙”
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「……流石になんかおかしくねぇか?」
不意にアッシュがそう口にした。
その言葉は先程までの激昂した声と違い、冷静さを感じるものだった。
『おかしい?おかしいのはお前だ。何故人間なんぞにそこまで肩入れする。多少の同情は出来るかも知れないが、利用出来るものなら利用すれば良いだろう』
そう言ってトカゲが返すが、アッシュはブレない。
「……やっぱりおかしい。師匠はそんな奴じゃねぇもん。俺の知ってる師匠はアホだし馬鹿な事するけど、賢いし根っこが糞甘いんだ。んな突き放した事する奴じゃない。なに企んでんだ?」
『……何も企んでなどいない。いいからお前はレナを動かせるな。分かったか?』
「それは取り敢えず分かったけどよ、何を企んでるかは教えてくれよ」
『……何も企んでないと言ってるだろ』
アッシュの言葉にトカゲの若干の狼狽が見える。
「……」
レナもそこで違和感に気付く。
アッシュの言う通り、トカゲは時々馬鹿な事をするが基本的に抜け目の無い魔物だ。
そんなトカゲが、何故わざわざあんな違和感の有る言い回しをしたのか。
それに、この話の内容は自分に聞かれれば相当に面倒な事になるのは分かりきっている。
普通ならもっと警戒して良い筈だ。少なくとも、ドアの外を見させるくらいはする筈だろう。
これではまるで、この話を聞かせようとしている様に──
「……!!」
レナは“看破”の魔術を発動させる。
これは認識改変を無効化する魔術で、“隠密”や“支配”といった広範囲の魔法に対しても有効な魔術だ。
すると魔法の効果が消え、レナの視線の端に小さなネズミの姿が映った。
『チュ!?チュウ!?』
「……ッ!!」
レナは速攻でそのネズミを捕まえる。
『げっ!?』
その声はドアの向こうから聞こえた。
……間違い無い。
レナはそのネズミを掴んだまま、ドアを開けて中に入った。
「れ、レナ!?は、話を聞いていたのか!?」
状況を把握していないアッシュは慌てた様子を見せる。
レナも詳細は把握出来ていないが、しかしこれがトカゲの仕込みなのだと理解出来た。
「……どういう事?」
『……聞いていたのか。ならば仕方ない。私はお前を利用して──』
「“聞かせた”の間違いでしょう?白々しい。もし無関係とか言うならこの子の角とヒゲをぶった切るわよ」
『ちゅ!?チュウ〜〜ッッッ!!』
ネズミが泣きそうな顔でアッシュ達を見る。
するとフェレットが顔を押さえてトカゲに話し掛けた。
「……王様。もう無理ですぜ。何言ってもリカバリー出来そうも有りやせん。はい……はい……分かりやした」
フェレットはそう何かをトカゲと話すと、深く息を吸った。
そして──
『こん……の馬鹿弟子がぁぁぁぁぁッッッ!!普段から使えない頭をしくさってる癖にこんな時にだけ並みの知能を見せるんじゃねぇぇぇッッッ!!せっっかく上手く行きそうだったのにしくじっただろうがボケェェェェッッッ!!」
「!?」
至近距離で怒声を浴びせられ、目を白黒させるアッシュ。
レナは再びフェレット越しにトカゲに話し掛けた。
「やっぱり貴方の仕込みだった訳ね……。……それで?何で私にこんな話を聞かせたの?」
少々の沈黙。そして、おもむろにトカゲは言葉を返した。
『……お前を気兼ねなく殺す為だ』
「それも冗談?」
『……違う。これは本当だ』
そう言ってフェレットは真剣な表情でレナを見る。トカゲがそう指示したのだろう。
「……“殺す”ってどうして?」
『……“今すぐ”、と言う話では無い。だがそう遠くない未来にそうなると確信している』
「……続けて」
『……聞いていたと思うが、人間達は先のスロヴェーンとの戦争で“魔導兵装”とか言う兵器を使用していたそうだ。レナが知っているかは分からないが、なんでも常人を超える力を雑兵に与える物なのだとか』
「“知ってて黙ってた”んじゃないの?」
『……茶化すな。少なくとも戦役に使用された事は知らなかったと思っている。そうだろう?』
「……ええ。その通りよ。魔導兵装自体は知ってるわ。ただアレは欠陥品よ。計画自体凍結された筈の。……何かの間違いじゃないの?」
『知っていたのか……。どんな欠陥があるかは知らないが、運用されていたのは事実だそうだ。スロヴェーンの今回の侵攻も、表向きにはアテライード・ドラレアンの死体の奪還を謳っているそうだが、実の所次回の侵攻に備えた退路の確保が目的らしい』
「……!」
レナは強く手を握りしめた。
魔導兵装はトーマの暴挙の産物だ。
“知ってるか?魔力を使い切ると超回復で魔力量が増えるんだ。その原理とこの魔術兵装を使えば理論的には神託者を作れるかも知れない”とか訳の分からない事を言い出し、年端も行かない少女達を犠牲にして作り出した失敗作。
確かに改竄干渉に於けるヒューム値の上昇には目を見張るものが有ったが、術者自身がそれに対する修正干渉に耐え切れず自壊してしまう。
決して使わないと、約束させた筈の物だった。
『本格的に導入された訳では無く、少数の実験的な使用だった為に勝利出来たそうだが、それでも次回の侵攻で本格的に導入されればどうなるかは分からない。……そして、その時が来ればレナ。お前も人間側として魔界に攻め入る事になる』
「……勝手に決め付けないで。私は自分の意思で戦うべきか判断出来る」
『家族を盾にされてもか?』
「!?」
『……短い付き合いだが、お前の人となりはある程度分かったつもりだ。お前は優しく、そして強い理想を持っている。“強きを挫き、弱きを助ける”。そんな物語の主人公の様なな。……だが、現実はそれを許してはくれない。お前は神託者と言う圧倒的な力を持つと同時に、極めて扱い易いコマでもあるんだ。お前の父親は新興貴族としてそれなりの地位に有る。それは支配者に回れる程では無いが、捨てるには大き過ぎる。……お前は父親とその地位を人質にされた時、戦役への参加を断れるのか?……そして、その時に私達を前にしたとして、私達を殺せるのか?』
「……ッ!!」
──答えられなかった。
レナの父は紡績業で財を成し、子爵家の令嬢を娶る事で貴族位を手にした新興貴族だ。
血を重んじる貴族社会では“成り上がり”や、“穢れた血”などと揶揄されるが、レナにとっては家族想いで優しい父だった。
こうして魔界に来る時も、どれだけ迷惑を掛けたか分からない。そんな父を見捨てる事など絶対に出来ない。
そしてトカゲ達はレナが持っていた魔物に対するイメージを払拭する程に思慮深く、そして優しい魔物だった。
確かに腹が立つ時も有るが、それでも殺せと言われて殺せるとは思えなかった。
『……お前がアテライードを助けに来たと言った時から。……いや、それよりも前からある程度予見出来ていた。お前は余りにも抱え込み過ぎる。友人も、家族も、見ず知らずの他人も、そして敵である筈の魔物達さえも。そんな全てが全てに手が届く訳が無い。そんな事も分からないガキを殺すのは容易いが、しかし一方的な殺しは気分が悪い。だから一芝居打ったんだ。……馬鹿のせいで台無しだがな。……良い機会だ。アテライードが奪還出来たらすぐに引き渡す。渡航手段も手配してある。もう馴れ合いは必要無いだろう。アテライードが戻ったらさっさと失せろ』
そう言ったトカゲの言葉は、何処か他人行儀で冷たくレナを突き放そうとして聞こえた。
しかし──
「……そっか。……心配してくれてたんだ」
『はぁ!?何を聞いたらそうなる!?』
「いや、どう聞いてもそうだろ師匠。“抱え込むな”、“自分達は気にするな”ってどう考えても心配してんじゃん」
『お、お前は黙れ!』
──しかし、トカゲの言葉には優しさが込められていた。
言い方はともかく、それは間違いなくレナを想って出た言葉だったのだ。
下手な芝居も、悪態も、全てレナの為だった。
アッシュもそうだ。
最初はあれだけ自分の事を警戒し、“人間なんて”と差別的に見ていたのに、今ではこうして自分の為に真剣に怒ってくれている。
レナは魔界に来てずっと一人だった。
人外魔境の大陸をたった一人で彷徨い、襲い来る魔物達を相手にし、親友を救う為に一人戦い続けていた。
──一人だと、思っていた。
「……げっ!?ほら!師匠のせいだぞ!?俺は何にもしてないからな!!」
『なっ!?私のせいでは無い!!……い、いや、私のせいか!?』
「……?」
不意に二人が自分の方を見て慌て出す。
「何を急に慌ててんのよ?」
「いや、だって──」
──ツーッ……──
「……?」
不意にレナの頬に伝うものが有る。
それは、一雫の涙。
レナがそれに気付くと、次から次に涙が溢れ、そして止まらなくなる。
「あれ?……どうして……?」
『わ、分かった!!私が悪かった!!すまない!!このまま仲良しこよしでお別れしたらレナが再び魔界に来た時に危ないと思ったんだ!!ほら、私は嫌いだけどトロールとかオーガとかは人肉大好きで人間牧場とかやってるくらいだし、“魔物とも仲良くなれるかも”なんて勘違いさせてたら危ないだろう!?このタイミングを選んだのも芝居を疑われる可能性が一番低いと思ったからで、別にレナを追い詰めようだとか意地悪しようだとか思った訳じゃない!!許してくれ!!』
「別に……怒ってないわ……」
「ほらな師匠!やっぱり師匠のせいじゃんか!ちゃんと俺にも説明しないからこんな事になるんだぞ?」
『黙れ!!全部!全部お前が悪い!そもそも事前に知らせてたら確実に失敗してただろ!?お前みたいな単細胞が演技なんぞ出来るか!!!』
「……うっ……うっくっっ!うわぁぁぁぁっっん!」
「『!?』」
レナはそのまま関を切った様に泣いた。
トカゲ達が慌てて宥めるが、それでも止まる事は無く、レナは暫く泣き続けた。
ただその涙は決して冷たいものでは無い。暖かく、そして心地の良いものだった──
ーーーーーーー
「……ごめんなさい。迷惑を掛けたわね」
『……いや、私こそごめんなさい……』
「そうだぞ師匠」
『殺すぞ』
一頻り泣き終えたレナは、そう言って頭を下げた。
「……それで、私達は何をしたら良いの?」
『……良いのか?』
「どの道アティは取り戻せて無いんでしょ?なら協力続行よ」
『……すまない。……なら、さっきの指示通りだ。ナーロを連れて街に出て、状況を見ながら住民達を助けてやってくれ。私はアバゴーラと共に結界の制御を取り戻さないといけない。これは最重要事項だし、其方には手が回らないんだ』
「分かったわ。……じゃあ、“本隊”って言うのは嘘だったの?」
『いや、残念ながら事実だ。私達がフィウーメに戻る際、グリフォンの背中から見た。しかしそのまま放置はしていない。道すがらオルカルード達をけしかけておいた。殲滅する事は不可能かも知れないが相当時間は稼げるだろうし、もし仮にオルカルードが死んでも損は無い。正に一石二鳥』
「まぁアイツは死んでも良いや。糞強姦魔だし、足折られたし、寧ろぶっ殺してぇくらいだし」
「オルカルードって随分嫌われてるのね……」
「『元々敵だからな』」
三人がそんな風に話していると、廊下の外から誰かが此方に走って来る様な足音が聞こえた。
三人は目を合わせると、フェレットは窓の外へ離脱し、レナは獣人へとその姿を変える。
この流れも今まで何度か有り、手慣れたものだった。
ドアが激しくノックされ、アッシュはそれを開ける。
すると中に入って来たのはエルフの受付嬢であるラズベリルだった。
彼女は手を膝に付き、肩で息をして呼吸を整える。
「ラズベリル?どうしたんだよ、そんな慌てて」
「んト、トカゲさんは!?」
「師匠ならとっくに街に出てる。結界の機能を戻す手立てがあるって言って──」
「……拐われましたッッ!!」
「……は?」
「ライラが、バルドゥークに拐われました!!」
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