“流石に”
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「……師匠、上手くやってっかなぁ……」
そう言うとアッシュは心配そうに窓の外を見る。
しかし見えるのはフィウーメを覆う三層目の壁だけだ。
実際に景観を見ようとした訳では無く、手持ちぶたさがそうさせるのだろう。
確かにトカゲがしようとしている事は不確定要素も多いし、危険度も高い。
しかし、レナから言わせればそれは余計な心配だ。
「……大丈夫じゃない?トカゲはそれなり程度には強いみたいだし、なにより頭が相当切れるんだから」
「……アレでそれなり程度なのか……」
そう言ってアッシュはげんなりした表情を見せる。
レナから見てもトカゲは相当な切れ者だった。
単純な戦闘で言えば、例え同等の実力者が一万人来ようとも本来の力なら間違いなく殲滅出来る。神託者とはそれだけの存在だ。
しかし、搦め手を使われたなら例え一人でも殺し切れる確信は無い。
元々、神託者として高名な知識人と触れ合う機会も有ったレナだが、トカゲはそんな彼等と比べても遜色のない知性を感じさせた。
それに、状況の変化に対する対応速度。そしてそれに伴う判断力はレナが知る全ての人間よりも抜きん出ている。
まるで、それが当たり前の世界から来た様に。
そんな奴を相手に心配なんて必要無いと思ったのだ。
しかしアッシュは首を振った。
「……いやまぁ、確かに師匠は頭は良いけどよ。結構アホな所有るんだぜ?余裕ぶっこいて痛い目見るとかよくあるし、失敗だってしない訳じゃない」
「でも、肝心なところで失敗る様な奴じゃないでしょ?それに、そんな事態になっても対応出来るだけの能力が有る。違う?」
「まぁ、な。……でもお人好し過ぎて変な面倒を抱え込んだりもするし、悪運も幸運も両方とも引きが強いから安心して見るってのは難しいんだよ」
「……“お人好し”ね……その割には私の扱いが随分と雑じゃない?」
「……それに関しては俺も引っかかってんだよな。こないだの話の時の悪ふざけもそうだけど、なんつーか無理して突き放してるっつーか」
「ただの悪ふざけでしょ」
「それも十分あり得る」
「あんたね……」
「姉さん、アッシュ。王様から連絡が入ったぞ」
「「!?」」
そう言ってアッシュが開けた窓から入って来たのは黒い体毛に包まれたフェレットだ。
トカゲの私設部隊の一人らしく、諜報活動や情報収集、そして奇襲攻撃に特化した能力を持っているらしい。
実際にレナの目から見てもその腕は中々のもので、窓に近付くまで気付かなかった。
とは言え、それだけの距離が有ればレナにとって十分過ぎるのだが。
「……毎度思うけどよ。何でジャスティスや師匠には敬語なのに、俺にはタメ口なんだよ」
「は?俺らの群れは実績主義なんだよ。なんの働きもしてねぇテメェにタメ口許してやってる時点で相当譲歩してやってる事にいい加減気付けボケが。それもテメェに対しての配慮じゃなくて“王様の弟子”って事への配慮だ。それとも何か?テメェは俺らよりも仕事してるとか本気で思ってんのか?あ?」
「……ごめんなさい……」
アッシュはフェレットの言葉に肩を落とす。
トカゲの群れは“生まれ”や“実力”よりも“実績”に重きを置いている。
無論、その二つを軽視する訳では無いそうだが、それでも群れに対してどれだけ貢献したかを指標として評価するのはレナから見ても合理的に思えた。
無論、それを強いるだけの力をトカゲが持っているから成立しているのだろうが、それでも魔物がこんな論理的に群れを作ると言うのは大陸に居た頃は思いも寄らなかった。
アッシュが顔を上げたのを見計らい、フェレットが口を開く。
「……じゃあ行くぞ?……レナ、アッシュ。無事で良かった』
「……“無事”ってどう言う意味?何か有ったの?」
レナがそう言うと、トカゲは静かにこう言った。
『……立地が幸いしたな。確かにナーロの屋敷からだと状況の把握は難しかったかも知れない。……結論から言う。現在フィウーメはスロヴェーンからの攻撃を受けている』
「「!?」」
レナは思わず自分の耳を疑う。
スロヴェーンとは魔界の北端にある国家で、主に亜人達が暮らしている国家だ。
そして、レナがアテライードを助け出す為に赴いた最初の国でもある。
「どう言う事だよ師匠!?なんでそんな事になったんだ!?」
声を荒げるアッシュ。フェレットはその声に顔を顰めて耳を押さえる。
『説明するから大きな声を出すな。……ナーロが言っていたアバゴーラの軍隊。その一部がスロヴェーン軍と入れ替わっていたんだ。手引きをしたのはアバゴーラの側近であるアーケオスと言う男で、奴はアバゴーラの失墜を望んでこんな真似をした』
「なっ!?そいつは──」
『死んだ。ザグレフに殺されてな』
「……!」
『……まだまだ伝えたい情報は有るが、不要な混乱と情報の漏洩を避ける為に割愛させてもらう。ここからは要点と今後の動きについて説明する。そのザグレフだが、実はフィウーメから動いていない。レナ、オルドーフの覚醒解放を覚えているか?』
「……ええ。相当しつこかったもの。自分と寸分違わぬ分身を作る力でしょう?」
実際レナも何度もオルドーフを殺している。しかし暫くすればまた現れる為、能力には早い段階で気付いていた。
『そうだ。だが実はその覚醒解放は自分以外も対象とする事が出来たらしくザグレフはそれを利用して私達を欺いた。本体はフィウーメに残って城壁結界の制御を奪い取り、結界内にスロヴェーン軍を呼び込んだんだ』
「結界内!?じゃあ街の人達はどうなったんだよ!?」
『安心しろ。今はまだ常駐戦力で対応出来ている。最外壁付近の避難は終わっているそうだ。……とは言え、交易路からフィウーメに向かっていた連中は多分……』
「……ッ!!」
アッシュは立ち上がり、武器を身に付ける。
『待てアッシュ』
「待ってられるかよ!!早くしなきゃ街の人達が死んじまうかも知れないんだぞ!?」
『だからと言って無策でお前が出て何とかなる状況じゃない。言っただろう?今後の動きを説明すると。お前は少し冷静になれ』
「……ッ!!」
アッシュはトカゲの言葉に乱暴に椅子に座る。
「……それで?」
『現状のフィウーメはかなり危険だが、悪い状況だけでは無い。当初の目的だったアバゴーラの確保は完了している。既に奴は私の配下だ。私はアバゴーラと共にザグレフから結界の制御を奪う為に行動している。時間はかかるが、少なくともフィウーメが陥落する様な事態にはならない筈だ。私はそれが終わり次第、ザグレフを八つ裂きにする』
「俺達は何をしたら良い!?」
『その事だが……ナーロが居ないな……』
「……そう言えば見ないわね……」
『……流石と言うか何と言うか……。大方状況に気付いて一人で隠れているんだろう。お前達に伝えれば飛び出して行き兼ねないし、私が帰って来るまでダンマリを決め込むつもりだったんだろう。お前達はナーロを連れて憲兵達の住民達の誘導を手伝って欲しい。黒豹との一件があってからナーロのフィウーメでの評判はかなり良い。住民達も安心するだろうし、ナーロの評価も更に上がる』
「よっしゃ任せろ!!」
『レナ、すまないがナーロを呼んできて貰えるか?強引に連れて来る必要は無いから、なるべく穏便に。多少時間が掛かっても構わないから』
「……?え、ええ。分かったわ」
『……すまない』
「……」
──この時レナは、トカゲの言葉に少しだけ引っ掛かりを覚えた。
状況的にも急ぐ筈だし、いつものトカゲなら強引にでも連れて来いと言う筈。
普段なら気にしなかったかも知れないが、この時のレナは直感に従い魔術を使用した。
『“音送り”』
“音送り”は設定した音を再現する魔術だ。
レナは部屋から出ると、ドアを閉めて歩行音を再現する。
そして、そのまま足音をナーロの部屋に向かって放ち、静かに聞き耳を立てた。
『……レナは行ったか?』
「え?あ、ああ……。足音聞こえなくなったし、行ったと思うけど……」
それを聞いたトカゲは、声を潜めて続けた。
『……そうか。……アッシュ。お前にはレナに秘密で頼みたい事が有る』
「秘密?」
『ああ。前回、お前との話し合いを怠ったせいで失敗ったからな。事前にお前には話しておこうと思ったんだ』
「……良いけど、何をすりゃ良いんだ?」
『……私がアテライード・ドルレアンを確保するまで、絶対にレナを動かせるな』
「「!?」」
トカゲの言葉に思わず声が出そうになるレナ。
しかしレナが声を出すより先にアッシュが声を出した。
「……どう言う事だよ師匠」
『……さっき伝えなかったが、実は今街を襲っているのとは別のルートからフィウーメに向かって来ている軍隊が有る。恐らく今居る連中は先発隊の様なモノで、そちらが本隊なのだろう。城壁結界を取り戻せても、その本隊をどうにか出来なければフィウーメは長期間物流から分断される事になる。私達が対処しても良いが、それでもそう簡単に奴等は引いたりしないだろう。それを避ける為にレナを使う』
「……使う?」
『そうだ。レナをその本隊にぶつける。なに、レナはガキだが神託者だ。相応の数は居るが、容易く蹴散らしてくれるだろう。とは言え、断られる可能性も無い訳じゃない。その為に私達が先にアテライード・ドルレアンを押さえるんだ。分かったか?』
「ざっっけンなッッッ!!」
アッシュは机を叩き付けてフェレットを睨みつける。
いや、その視界を共有しているであろうトカゲの事を睨んでいるのだろう。
「なんでそんな人質を取る様な真似をすんだよッッッ!!そりゃ知り合ってからの時間は短いけど、レナは仲間じゃねぇか!そんなクソったれな真似出来るかッッ!」
感情を露わにして怒るアッシュ。しかしトカゲは冷淡に返す。
『仲間では無い。レナと我々は所詮は“人間”と“魔物”だ。互いに信頼できる様な関係では無い。事実レナも私達に“魔導兵装”とか言う人間側の兵器を秘密にしていた。私が人間達が再び攻めて来る可能性を尋ねた時、アイツは平然と嘘を付いたんだ。情勢が変わる程の嘘をな』
「……ッ!!」
それはレナにとっても晴天の霹靂だった。
“魔導兵装”は劣悪の勇者が考案した神託者を擬似的に再現する事を目的に作られた魔術道具だ。
使用すれば確かに常人を遥かに超える事が出来る魔術道具では有るが、様々な欠陥から計画自体が凍結されたもので、実戦に使われるなんて事は聞いた事も無かった。
『……まぁ隠していた事、それ自体を責めるつもりは欠片ほども無い。レナにはレナの事情があるだろうし、先程も言ったが私達の関係は所詮その程度のものだ。……しかし、それならそれで私も対応を考える必要がある。それが私がアテライードを押さえる理由だ。納得したか?』
「……」
アッシュに向けられた言葉だが、レナはその言葉に納得出来ていた。
トカゲは確かに優しく、そして聡明な魔物だ。周囲を思いやる事も欠かさないし、それに対しての行動も伴う。
しかし、その優しさは自分には向いていなかった。
どれだけ仲良くなれたと思っても、所詮人間と魔物。元より相入れる存在では無かった。それだけの事だったのだ。
──それなら、私は私の為に動く。
そう思いドアから離れようとしたレナだったが、その時アッシュの疑問が耳に入った。
「……流石になんかおかしくねぇか?」
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