“生き方”
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降り頻る雨の中、路地裏を一人の亀人の少年が逃げ惑う。
少年を追うのは屈強なオーガだが、その体躯が邪魔となり土地勘のある少年から距離を離される。
少年はそのまま彼を撒こうとし、十字路を曲がった。しかしその時──
──ガッ!!──
「グッ!?」
「ようやく捕まえたぞクソガキッッ!!」
先回りしていたオーガの仲間に殴り飛ばされ、少年は地面に倒れ伏した。
追い付いたオーガに少年は踏み付けられ、身動きが取れない。そして、その背後からゆっくりと一人の魔物が現れる。
仕立ての良いタルマと、口に咥えた葉巻が印象に残る年嵩の亀人。
少年が鞄を盗もうとした相手だ。
「……フン。頭の悪い小僧だ。少しは相手を見て盗もうと思わなんだのか?どう見ても手を出して良い相手ではなかろうて」
そう言って年嵩の亀人は葉巻を吹かす。
年嵩の亀人は、此処に居る二人以外にももう二人護衛を連れていた。
その二人は別の道を塞ぐ為に先行していてこの場には居ないが、確かに一人で盗みを働ける様な相手では無い。
少年も、少し前ならこんな馬鹿な真似はしなかっただろう。だが──
「分かってて盗もうとした」
「!?」
少年の言葉に驚く年嵩の亀人。少年は続ける。
「……生きてたって意味が無い。だから、どうせならアンタみたいなスカした野郎に一泡吹かせてから死んでやろうと思ったんだ。……しくじったけどな。さあ殺せよ。最後にその面に唾吐いてやる」
それを聞いた年嵩の亀人は暫く茫然とし、そして高笑いを上げた。
「ハッハッハッ!!この儂に!唾を吐き掛けるか!!ハッハッハッ!!」
「……ッ!!」
少年は年嵩の亀人を睨み付けるが、年嵩の亀人は尚も笑い続ける。
暫くそうして笑った後、年嵩の亀人はオーガに向き直った。
「……おい、その小僧を離してやれ」
「しかし──」
「良いから離せ」
「……はっ」
オーガの足から解放される少年。
年嵩の亀人は少年に近付き、身を屈めてその目を見る。
すると少年は、自分の言葉に従った。
──ブッッッ!!──
「貴様ッッ!!」
「ハッハッハ!ざまぁ見ろッッ──グッ!?」
宣言通り年嵩の亀人に唾を吐き掛けた少年は、オーガによって再び取り押さえられた。
しかし年嵩の亀人自身はそれを気にした様子を見せず、少年に話し掛ける。
「死にたいのか?」
「え?」
「“死にたいのか”と、そう聞いておる」
「……」
それは有無を言わさぬ圧力を感じる言葉だった。
もう一度唾を吐き掛けようかとも思ったが、少年はそれが出来ず、少し考えてからおずおずと頷いた。
「……そうだ。どうせ生きてたって意味が無い。だから死んだって構わない」
少年は一人だった。
唯一の肉親だった母は死に、野良犬の様に暮らして来た。
その生活は出口の無い地獄で、そして先を見る事など出来ない。
それならばいっその事死んでしまおうと思いこんな無茶をしたのだ。
しかし、それを聞いた年嵩の亀人は首を振った。
「嘘だな」
「!?」
困惑する少年。年嵩の亀人は少年の肩に手を置き、その目を見つめて続けた。
「……お前は死にたい訳じゃない。“生きていたくない”だけだ。本当に死にたいなら自分で自分を殺せばそれで済む。それをせんかったのは自分が死ぬ言い訳が欲しかったからじゃろう?“殺されたから仕方ない”と、自分にそう言い聞かせる為にな」
「……ッ!」
図星だった。
年嵩の亀人の様に上手く言葉に出来なかったが、彼の言葉は少年の心に深く突き刺さったのだ。
少年はなけなしの意地で吠えた。
「だったらなんだ!!さっさと殺せよ!!それともそんな事も出来ない臆病者なのか!?」
「そうじゃ」
「!?」
更に困惑する少年。
年嵩の亀人はそれを見て高笑いしながら続けた。
「ハッハッハ!!臆病者とは少し違うが、出来ないのは確かだ。儂は誰かの思い通りに動かされるのが大嫌いでの。例えお前みたいな小僧の思惑でもそれに乗るのは癪に触る。まぁ、それが金になるなら考えん事も無いが、お前にはそんな価値すら無いしの」
「ば、馬鹿にすんなッッ!!」
「馬鹿になどしておらん。只の事実だ。路地裏のゴミを潰してなんの意味が有る?お前は自分の価値を過大評価しておる様じゃな」
「……ッッ!!」
少年は年嵩の亀人の言葉に黙り込む。
彼の言葉を否定する事は出来ず、そして何を口にしても手の平で転がされると理解したからだ。
黙って年嵩の亀人を睨み付ける少年。
それを見た年嵩の亀人は面白そうに頷く。
「……ふむ。黙して語らず。ゴミにしては頭は有るか……。小僧、名前は?」
「……無い。母さんが“神様から授かりなさい”って言ってた。ここらの連中には“亀”って呼ばれてる」
「そうか。ならば“アーケオス”と名乗れ」
「はぁ!?なんでお前が俺に名前付けてんだよッ!!」
「フン。どうせ死ぬつもりだったんじゃろ?この名も死人に送るつもりだった名前だし、丁度良いじゃろう。それにその命は一度捨てられておる。拾ってやった儂はお前にとって神みたいなもんじゃ。名付けする権利は在ろうて」
「何を言って──」
少年はそこで口籠る。年嵩の亀人の言葉を理解した為だ。
「……儂に付いて来いアーケオス。お前に生き方を教えてやろう」
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そうして少年は“アーケオス”になった。
路地裏に打ち捨てられたゴミが、一人の魔物になったのだ。
これは不器用な親子がどうしようもなくすれ違う前の、出会ったばかりの頃の話。
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