死人
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「どうだった?何か吐いたか?」
「……いえ。何を聞いても笑っているだけでした。此方を完全に舐めきっています」
「……そうか。だろうとは思っていたがな……」
「ゴホッ!……何か余程の手が有ると言う事でしょうね。でなければ奴が無抵抗に現状を受け入れるなど考えられない。寧ろこの状況自体が奴の奸計と考えた方が良いでしょうね」
「うむ……」
ザグレフの言葉に頷くアバゴーラ。
アバゴーラ自身、こうして黒鉄を拘束出来ている事はそれ自体が黒鉄の思惑なのだと確信していた。
アバゴーラの目から見ても、黒鉄は極めて優秀な冒険者だ。
依頼達成率は100%で、かつ依頼主からの苦情等も一切無い。
戦闘能力も極めて高く、CランクながらSランク冒険者であるバルドゥークを一撃で沈め、そして政治的な立ち回りにも長けている。
依頼に恵まれれば即座にSランクになっていてもおかしくない程の逸材だ。
時間さえあれば“龍狩り”。いや、かの“獄茸”にすら並ぶかも知れない。
しかし、だからこそ確信出来る。
アレは只の冒険者では無い。間違い無く国家レベルの背景を持つ密偵なのだと。
黒鉄自身はそれを利用しているつもりなのだろうが、国家の持つ力とはそう侮れるものでは無い。
今はまだ黒鉄以外には動かしてはいないだろうが、奴を押さえた事で更に別の戦力が投入される可能性がある。
アバゴーラは早急に次の手に出る必要性を感じていた。
ザグレフは頭を悩ませるアバゴーラに向き直ると、口角を上げてこう言った。
「……しかしアバゴーラ様も人が悪い。私達と黒鉄が繋がっているとお考えだったとはね?」
それは先程の酒場でのやり取りだ。
黒鉄とザグレフとの繋がりを疑っていたアバゴーラは、意図的に鉢合わせさせる事でその反応を見ていた。
最悪の場合、これまでのやり取りが全てマッチポンプで有る可能性を考慮したのだが、酒場での反応はそれを否定するものだった。
「……可能性は低くなかった。余りにもタイミングが良すぎたからな。オルドーフが追い詰めた神託者を横取りされた事もそういう段取りだったと考えれば説明が出来るし、バルドゥークとの騒動もそうして意図的に敵対関係を周知させる目的があったなら違和感は無い」
「ゴホッ!……それで、実際のところどうでした?先程の私と黒鉄との遭遇は予期出来ていた様に見えましたか?」
「……いや」
アバゴーラはそう言うと立ち上がり、ザグレフに深く頭を下げた。
「儂の間違いだった。職務に忠実なお前達を疑ってしまった。失礼で無ければ報酬を倍額にさせて貰う。どうかこの愚かな年寄りを許してくれ」
「あ、アバゴーラ様!」
配下であるアーケオスはそう言ってアバゴーラを止めようとするが、アバゴーラは頑として頭を上げない。
暫くその様子を見ていたザグレフは、満足そうな顔で頷いた。
「ゴホッ!……頭を上げて下さいアバゴーラ様。アバゴーラ様の立場なら、私を疑うのも無理は有りません。お話は良く分かりました。私も胸に収めましょう」
「すまない……恩に切る……」
そう言って頭を上げるアバゴーラ。
アバゴーラは安堵の表情を作って見せるが、内心は違う。
アバゴーラは完全に黒豹戦士団を見限っていた。
バルドゥークの暴走、そして黒鉄を捕らえる為の大立ち回りとその失敗。
確かに黒鉄がナーロを引き出すのは想定外だったが、黒鉄が黒豹戦士団よりも上を行っているのは明らかだった。
そして何よりザグレフ自身、何らかの含みを持って行動している。
事態が事態だけに多少の事は大目に見て来たが、これ以上側に置くにはデメリットの方が大きくなり過ぎていた。
アバゴーラはザグレフを始末する事を決め、そして取り逃がさない為に頭を下げたのだ。
「ゴホッ!……それで、これからどうなさるおつもりですか?私達への依頼は“黒鉄と神託者を捕らえる事”。しかし神託者に強制系スキルを仕掛けているであろう黒鉄を抑えた以上、依頼は終了したと言えるのでは?」
「……余り意地の悪い事を言わんでくれ。黒鉄の背後関係が不明な以上、どんな事態になるか分からん。まだまだ黒豹には働いて貰わねばならんのだ」
「ゴホッ!ゴホッ!!……フフフ。そうですね。……それで、具体的にはどうなさるおつもりですか?このまま黒鉄が弱るのを待ちますか?個人的にそれは愚策だと思いますが……」
「儂もそう思う。奴にとって現状は予定通りの筈だ。その状況をわざわざ維持すれば奴の思惑に嵌る事になるやも知れん。だからこそ先んじて動く」
「動く?」
アバゴーラはそう言うとテーブルの上に地図を広げた。
そして地図上の道を指差す。
「今、グインベリ周辺から国軍が移動して来ておる。本来なら奴等がフィウーメに着いてから引き渡すつもりだったが、儂らも黒鉄を連れて移動し合流する。軍隊と違い少数での移動ならばかなり早く動けるし、相当な時間短縮になる筈だ」
「成る程……。確かにそれは黒鉄にとっても想定外でしょうね。ですがそれは不可能なのでは?ゴホッ!……もし仮に黒鉄を移動させるとなると相応の拘束手段が必要となります。それこそアバゴーラ様の魔力の檻クラスの術が。私も一応結界術は使えますが流石にそこまでの術は使えませんし、それに何より──」
「儂が行く」
「え……?」
アバゴーラの言葉に、ザグレフが間の抜けた顔でそう呟く。
アバゴーラは再度伝わる様に言った。
「“儂が行く”と、そう言ったのだ。確かにフィウーメから離れれば術の強度は下がるが、しかしそれを補うくらいの技量と道具は有る。お前達黒豹にはその間の警護を頼みたい」
ザグレフは暫く呆然としていたが、気を取直して口を開いた。
「……良いのですか?……先程の続きですが、フィウーメから出ようとすれば流石に黒鉄も神託者を動かす事になるでしょう。ゴホッ!……まぁ、それを見越しての提案でしょうが、相当危険な事に変わりはありませんよ?」
「分かっておる。だが上手く行けば神託者も手に入り、そして我が軍との合流も出来る手だ。リスクはあるが、その価値も有る。……受けて貰えるか?」
アバゴーラの言葉に少し考え込むザグレフ。そして結論が出たのか再びアバゴーラに向き直った。
「ゴホッ!……勿論ですよ。アバゴーラ様たっての御依頼ですからね。ただ、報酬にはもう少し色を付けて頂きたい。……我々にもかなりの危険が伴いますから」
「勿論だ。納得の行くものを用意しよう」
アバゴーラはそう言って笑みを見せる。
“これでザグレフを始末出来る”
そう考えて。
アバゴーラは“リスクが有る”と言ったが、その実、アバゴーラが抱える直接的なリスクは低い。
アバゴーラの結界術は、ダンジョンから魔力を引き込む事でその精度と効果の高さを発揮している。
そして魔力を引き込む為には、幾つかの魔鋼(※素材そのものにステータス補正やスキル効果が宿る金属類)を用いた“魔力導線”と呼ばれる魔力の伝送設備が必要で、アバゴーラがザグレフを自身の屋敷に留めていたり、トカゲを捕獲するのに城壁内部の酒場を利用したのもそれが理由だった。
その為、本来ならアバゴーラが魔力導線を離れて術を行使する場合、アバゴーラ本人が語った通りに相応のリスクとコストが発生するのだが、アバゴーラが指し示した道ではその心配は無い。
そこは、既に魔力導線が轢かれている道なのだ。
フィウーメは現在、人口増加に伴って第六壁の建設事業に取り掛かっている。
第六壁はこれまでで最大規模の建設計画であり、その範囲も極めて広大だ。
そして、その為の資材の運搬や実際の施工の際にも結界術は極めて有用であり、先んじて幾つかの道に魔力導線を敷いていたのだ。
これは極めて機密性の高い内容の為、実際の作業従事者には別件として伝えられており、全容を知る者はアバゴーラと腹心であるアーケオスのみとなる。
つまり、アバゴーラは十全に結界術を使用出来る状況下で移動するつもりであり、ザグレフにそれを伝えなかったのは一重に黒豹戦士団を確実に始末する為だった。
黒豹戦士団は確かに強い。
人間性は畜生にも劣るが、実力だけなら冒険者としては指折りだろう。
だが、それでも自分の結界術で囲い、国軍による集中放火を浴びせれば生き残る事など不可能だ。
アバゴーラにはそれだけの自信と経験が有った。
ザグレフはアバゴーラに問いかける。
「ゴホッ!……それで、いつ動くおつもりですか?」
「明後日の早朝からだ」
驚いた顔を見せるザグレフ。
「……思ったよりも急ですね……」
「本来なら今からでも動きたいくらいだ。だが、儂も相応に仕事を抱える身だからな。動けるか?」
アバゴーラの問いかけに暫く考える様子を見せるザグレフ。そしておもむろに口を開く。
「……私は問題有りませんが……バルドゥークさんは微妙ですね。ポーションは使いましたが、黒鉄とやり合った時の傷からまだ回復し切っていなくて……ゴホッ!」
「ならば別途ポーションを用意する。安いものでは無いが、必要経費だろう」
「……いえ、それは必要有りません」
「?何故だ?」
「それがその……治ってないのは“心の傷”でして。どうにも黒鉄にやられた事を酷く根に持っている様で、もし仮に拘束された黒鉄を見たら何をするか分かりません。正直言って連れて行くと邪魔にしかならないかと……」
「……分かった。バルドゥークは置いて行く」
「助かります。その分私が頑張らせて頂きますよ」
そう言って笑みを浮かべるザグレフ。
アバゴーラはその笑みに含みを読み取ったが、それに気付かないフリをする。
ザグレフは足元に置いたロッドを手に取ると、立ち上がった。
「……では、私は黒鉄の所に行かせて貰います」
「……吐かせる気か?アレにそんな事が通用しないのはお前も分かるだろう?」
「ハハハ!ゴホッ!……。それは勿論です。ですから、運び易くするだけですよ」
「……殺すな。それと、治癒出来ない様な負傷も認めん。場合によっては取引も必要だからな」
「分かってますよ。ゴホッ!それでは……」
そう言うとザグレフは部屋から出て行った。
アバゴーラはそれを確認すると、アーケオスに向かって指示を出す。
「軍団長に移動を急がせろ。流砂の谷で黒豹戦士団を始末する。それに間に合う様にな。儂らはそのまま向かうぞ」
「はい。……ですが、よろしいのですか?」
「構わん。黒豹戦士団は知らなくて良い事を知り過ぎている。それに奴等では神託者をどうにかする事は出来ん。儂らに残された手は、黒鉄を懐柔するか取り引きするかだけだ。……黒鉄はイカれてるが、話は通じる。骨は折れるが、どうにか取り込んでみせる。さぁ行け」
「……はっ」
アーケオスの返事を聞いたアバゴーラは再び葉巻に手を伸ばす。
しかしアーケオスの視線がまだ自分に向いている事に気付き、振り向いた。
「……どうした?早く行かんか」
「……アバゴーラ……様……」
「なんだ?」
「……いえ、なんでもありません」
「ならば早く行け。時間は有限なのだからな」
「……はっ」
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自室に帰ったアバゴーラは何をするでもなくただ椅子に座っている。
力無く崩れたその姿勢は、まるで死に際の年寄りの様だ。
彼の普段の姿を知る者が見れば目を疑う事だろう。
「……フッ」
テーブルに置かれたグラスに映る自分の姿を見て、アバゴーラは力無く笑う。
──見窄らしい。
行き当たりバッタリで動き、虚勢とハッタリで自分を飾る。
その実なんの未来も描けず、ただただ我武者羅に走り続ける。
“愚か者”だ。
普段の自分ならば蔑視と嘲笑を向ける相手だろう。
しかし、それこそが今の自分に相応しい評価だとアバゴーラは理解していた。
だが、それでも──
「……だが、それでもまだ死んでは無い……」
アバゴーラはそう言って立ち上がると、部屋の一角にあるシーツで隠された調度品へと近付く。
そしてシーツへと手を伸ばし、一気に引き下ろした。
──バッ!──
そこに有ったのは調度品では無く、一人の少女。
しかし彼女は一切微動だにせず、何かに驚いた表情のまま固まっている。
まるで剥製の様にも見えるが、生きているのだ。
止まった時間の中で。
「……」
アバゴーラは少女のその表情を見て、少しだけ落ち着きを取り戻す。
少女の姿はアーケオスがこの屋敷に彼女を運んで来てから一切変わっていない。その事実が彼を安心させたのだ。
この力さえあれば、崩壊が迫る連邦を救う事が出来る。
他の誰に出来ずとも、自分ならば。
“ドン・アバゴーラ”ならばそれが出来る筈だ。
アバゴーラは手を伸ばし、そっと少女の頬に触れる。
その感触はまるで金属を触れた時の様に硬質で、そして恐ろしい程に冷たい。
「……絶対に死なさんぞ、レグナート殿。貴方がそれを望まなくとも儂はこの力で絶対に貴方を生かす。全ては儂の野望と、そして連邦の為に……」
そう言ったアバゴーラの顔は、連邦の支配者に相応しい表情へと戻っていた。
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