酒の恐怖
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私は目の前の老亀を睨む。
先程までの好々爺然とした雰囲気は完全に消え去り、今ではまるで独裁者の様だ。
“ドン・アバゴーラ”
“五壁都市フィウーメ都市長”、並びに“フィウーメ・バトゥミ自由都市国家連邦連邦議長”の重責に有る、連邦最高権力者。
そして、私達にとっての最終目標が突如として目の前に現れたのだ。
私はザグレフの動向に意識を払いつつ立ち上がり、店主に向かって悪態を吐いた。
「……この店は気に入ってたんだがな。裏切られた気分だ……」
「すいません。トカゲさん。ただ、私は裏切ったりしていませんよ?トカゲさんがこの店に来られたのは偶然ですし、私は最初からアバゴーラ様の密偵ですから」
「フン。成る程な。確かに裏切ってはいない。最初から敵だった訳だからな」
「ええ。そういう事です」
この糞エルフめ……。
私は苛立ちを抑えてアバゴーラに向き直る。
「……まさか本人が直接出張って来るとはな……」
正直言ってこの状況は私も予想外だった。
奴が動くであろう事は予想出来ていたが、強制系スキルを持つと推測出来る私の前に現れるのは相応のリスクが伴う。
対面するにしても代理を使うと思っていたのだ。
アバゴーラは葉巻の灰を落とすと私に向き直る。
「……儂は重要な取り引きをする時は絶対に相手と直接会う様にしている。その相手が馬鹿ならば上手く騙し、賢ければ優位に交渉を進める為にな。長い事生きとると顔を見ただけで相手がどちらか分かる」
「“亀の甲より年の功”か。それで私はどう見える?」
「後者だ。しかしその評価もこの交渉の返答次第で変わる」
「……交渉?」
アバゴーラは葉巻を軽く吸うと、煙りと共に言葉を吐いた。
「神託者を寄越せ。正確に言えば、神託者を使役しているであろう貴様にも来てもらうがな」
そう言ってアバゴーラは私の顔をジッと見る。奴の言葉通り、私を値踏みする様に。
随分とストレートな要求だが、確かにそれが最善手だろう。
アバゴーラが何を企んでいるかはまだ分からないが、レナが必須なのは確定している。しかし私達の戦力は高く、しかもどんなバックボーンが有るのかもアバゴーラ達からは分からない。
不必要に敵対するより交渉した方が遥かにリスクは少なく済む。
……とは言え馬鹿正直に答えてやるつもりも無い。
「……神託者?何か勘違いしてるんじゃないか?心当たりが無いが……」
私はそう言って戯けて見せたが、アバゴーラは間髪いれずに言葉を挟んだ。
「貴様等が連れてる猫の獣人の事だ。アレは“疾風のシルフェ”と呼ばれるSランク冒険者の姿をしておる。だが、シルフェはリンドゥーン近隣の森で死体で見つかっている。そもそもシルフェを雇っていたのもこの儂だ。何も分からんと本気で思っているのか?」
……成る程。そこも繋がってた訳か。じゃあ惚けるのは無理があるな。
私が軽く肩を竦めると、アバゴーラは葉巻をくゆらせながら続けた。
「……今更腹の探り合いに興味は無い。だから単刀直入に言っておる。貴様等の雇い主が誰かは知らんが、儂が貴様にその報酬以上のものをくれてやる。だから神託者を連れて儂に付け」
「色気の無い事だな。まぁ、私も腹の探り合いを断った事は有るし気持ちは分かる。……しかし貴様程の男が何故そこまでして神託者を欲しがる?確かに凄い力を秘めてはいるが、所詮は小娘だぞ?」
「その“力”にこそ用が有るのだ。だからこそこうして交渉している。……これ以上聞きたいなら儂に付け。それで返答は?」
「断る」
「「「!?」」」
驚愕の表情を浮かべる三人。
流石に即答で断るとは思っていなかった様だ。
アバゴーラは私を睨んでいる。視線察知では驚異を感じないが、しかし凄味を感じさせる目だ。
「……大した度胸だな。もしやナーロの護衛を理由に儂が貴様を殺さんとでも思っているのか?フィウーメは魔界でも指折りの大都市だ。行方不明者なぞ幾らでも出る。状況を考えてからものを言え」
「ハハ!貴様が腹の探り合いに興味は無いと言ったんだろう?望んだ答えが出なければ脅しとは随分と余裕の無い事だな。……ところで考えてみても分からないんだが、どうやって私を始末するつもりだ?まさかとは思うが黒豹如きにそれが可能だとでも思っているのか?」
「ゴホッ!出来ないとでも思っているのなら、多少心外ですがね……」
「なら試すか?」
私はそう言ってザグレフに近付く。
ザグレフは無言で再びロッドに手を回し、私に向き直った。
「……止せザグレフ。話は終わっとらん」
アバゴーラはそう言ってザグレフを止める。
「……ゴホッ!」
ザグレフは軽く咳を払うと、ロッドを下げてその場から離れた。
「……何故断る?まさか忠誠心から来る言葉とでも言うつもりか?」
「違うな。そんな下らない理由では無い。私が断ったのは、貴様が私を雇うなど思い上がりも甚だしいからだ」
「……“思い上がり”か……。見くびられたものだな。断言出来るが、この魔界で儂より金が動かせる者は他に居ない。お前が雇い主にどんな報酬を要求しているか知らんが、儂以上の報酬は払えん筈だ。……地位も名誉もそれに見合うだけの働きをするならくれてやる。望みを言ってみろ」
「そうか……ならば教えてやろう」
私はそう言うとアバゴーラの前に近付く。
そして椅子に座る奴を見下ろしてこう言った。
「アバゴーラ、私の部下になれ」
「「「なッ!?」」」
私の言葉に愕然とする三人。
私は鷹揚に続ける。
「……私はいずれこの大陸を統べ、王道楽土を築く。その為に貴様の能力は有用だ。喜べ。貴様には宰相の座を用意してやろう」
「……!」
数瞬の静寂。
そして、それは笑い声で破られた。
「プッハハハハハハハハハハハハッ!!ゴホッ!ゴホッ!!……いや、まさかこの状況でそんな冗談が出るとはね!!貴方を見くびっていた様だ!!」
「ハハハッ!いや、冗談の通じる方だとは思っていましたがまさかこの手の冗談まで言われるとは思いませんでした」
そう言ってザグレフとエルフの店主は笑い続ける。
しかしアバゴーラだけは真っ直ぐに私の目を見ていた。
そして葉巻の火を灰皿に押し付け、ゆっくりと口を開く。
「……貴様、本気で言っておるな」
「「!?」」
その言葉に驚きを見せる二人。
アバゴーラは更に続けた。
「……“亀の甲より年の功”だな。長く生きておれば相手が嘘を言っとるか本気で言っとるかある程度分かる様になる。貴様が本気なのは分かった。確かに“部下に雇われる”、なぞ納得出来る事では無いだろうからな。……それでもう一つ聞きたいんだが、貴様正気か?この儂を。“ドン・アバゴーラ”を部下にしようとする事に何の疑問も抱かないのか?」
「何一つ抱かない。使えそうな人材がそこに居るのだから使おうとするのは当然ではないか?報酬は今は払えんが、十分なモノを出世払いでくれてやろう。……貴様の野望は大体分かっている。だが、それは貴様一人で手に負えるものでは無い」
「……儂の野望だと?」
「そうだ。私なら貴様の望みを叶えてやる事が出来る。……いや、違うな。私以外には不可能だと言い換えた方が良い。……私の手を取れアバゴーラ。そうすれば世界の半分を貴様にやろう」
私はそう言って右手を差し出す。
アバゴーラは黙ってその手と私の目を交互に見る。
そして右手で自分の目頭を押さえ、深く息を吐いた。
「はぁ……全て本気で言っておるな……。そして本気だからこそ頭が痛い。貴様は真剣に狂っている」
「私は狂ってなどいない。それが出来ると確信が有るだけだ。……さて、貴様の答えを聞かせろアバゴーラ」
「……」
アバゴーラは私に向き直り、右手を伸ばす。
そして──
「断る」
──バチッ!──
「!?」
アバゴーラが右手の指を弾くと同時に、私の周囲を囲う様に光の壁が現れる。
私は即座にそこから抜け出そうとするが、その頑強さは私の力ですら破る事が出来なかった。
「……!」
「……“どうやって始末するつもりか?”と聞いたな。答えは“コレ”だ。儂は“結界師”のクラスを極めておる。対象こそ限定されるが、ダンジョンより魔力を引き出し形成するこの“魔力の檻”は城壁と変わらぬ程のステータス補正を誇る。仮に貴様が魔王クラスのステータスを誇ろうとも力技で破る事など不可能に近い。貴様は確かに強いが、しかし攻撃をせずともこのまま放置すればその内死ぬだろうな」
「成る程な……。黒豹を自分の屋敷に置いているのもこの術が理由か。確かにこの術が使えるなら拘束も容易い」
「フン。その余裕もその内消えるだろう。アーケオスッ!!」
「……はい」
アバゴーラがそう叫ぶと、店の裏手からアバゴーラと同種の亀人が現れた。
額には傷が有るが、正直それ以外で見た目の違いは分からない。
「コイツを展望室に連れて行け。……どんな奸計が有るかは知らんが、儂の檻を破れる訳が無い。気が変わればいつでも言え。儂の部下にしてやろう。さぁ行け。アーケオス」
「……畏まりました」
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私はそうして展望室とやらに連れて来られた。
アバゴーラの魔力の檻は私の移動に合わせて位置を変え、拘束を維持した。
アーケオスと呼ばれた年若い亀人は、仕切りに私の事を探ろうとしていたが、私が余裕の笑みでそれを無視し続けると悪態を吐いて居なくなった。
展望室に一人残された私は周囲を見渡す。
天井と壁面は一部がガラス張りになっており、日の光を良く通す構造になっている。
今は夜だから影響はないが、日中ともなれば容赦なく陽射しが私を責める事だろう。
「……フフフ」
私は軽く笑う。
眼下に広がるフィウーメの景観は美しい。夜を照らす光の一つ一つが魔物達の息遣いなのだ。これがいずれ私の手に入るのだと考えると、全能感すら感じる。
状況は客観的に見たら最悪だろう。
事実として私は拘束され、アッシュ達と分断されてしまったのだから。
「ハハハッ!」
だが、奴等は知らない。私が何故ここに居るのかを。
「ハハハハハハッ!!」
奴等は怯えている筈だ。私がなんの抵抗も見せず拘束された事に。
「ハハハハハハハハハハハハッ!!ハァーッハッハッハッ!!」
奴等は知らない。
いや、私以外の誰も知らない。
私以外の全ての者達が思い違いをしているのだ。
「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!」
私は高らかに笑う。
いや、笑うしかなかった。
何故なら──
「……お酒の飲み過ぎで気が大きくなって調子に乗り過ぎてしまった……。作戦とか無いよ。助けてジャスティス……」
そう、私は絶対絶命のピンチなのだ。
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