ウィスキーとケンネッジ
ーーーーーー
「……いらっしゃい」
私が店に入ると、店主のエルフが言葉少なく迎えてくれた。
一見すると無愛想にも見えるかも知れないが、その実不快感は感じない。
寧ろ、店の雰囲気を崩さない為の配慮だろう。
ここは私の行き着けの酒場の一つだ。
フィウーメの城壁は五層構造をしているが、それぞれの城壁を繋ぐ様に陸橋が伸びている箇所があり、ここはその支柱の一部をくり抜いて作られている。
初めて入った時はその店構えから好奇心で入ったのだが、内装のセンスと品揃えの良さで直ぐに気に入り、時間と財布に余裕が有る時はこうして顔を出す様になっていた。
私はカウンターの奥から数えて四番目の椅子に座る。特に意味は無いが、ここが私の定位置だった。
「……おっ」
視線を正面に向けた私は思わず声を出してしまう。
蒸留酒の樽を置いている一角に、見た事が無い銘柄が並んでいる事に気付いたのだ。
私の声に気付いた店主が、穏やかな声で話し掛けて来た。
「この間フィウーメに来たキャラバンから買い取ったものです。珍しい物や、幾つか※島物(※大陸南西部に有る幾つかの半島で作られた蒸留酒の一群を指す俗語)も入ってますよ」
「それは楽しみだ。取り敢えず若い物から幾つか見繕って貰えるか?」
「畏まりました」
店主はそう言って頷くと、少し考える素振りをしてから手前の酒樽のコックを開けた。
グラスに注がれる琥珀。
私はカウンターに置かれたそれを手に取り、匂いを軽く確かめる。
そして一気に煽った。
「……ッ」
美味い。
飲みやすく、そして透明感と甘みのある味と香り。
私は鼻腔からゆっくりと息を吐き、呼吸を整えて再び口を開く。
「……※グレーン(※ウィスキーの一種。トウモロコシ、小麦、麦芽等を発酵させ、連続式蒸留器を用いて作られる物を指す)か。この世界で飲むのは初めてだな」
それを聞いた店主は驚いた顔を見せる。
「……良くご存知ですね。驚きました。この製法のウィスキーはまだ余り世に出回っていないのですが……。おっしゃる通り“シングルグレーンウィスキー”です。私もこの樽で初めて飲みました」
「私は元の世界で飲んだ事が有る。それに雑学は冒険者の飯の種だからな。次を入れて貰えるか?」
私はそう言うと、空になったグラスをそっとテーブルの上に置いた。
ーーーーーー
その後も私は勧められるまま色々な酒を飲んだ。
若い物から徐々に年数を増やして行き、時に産地を変えてその差を楽しんだ。
やはりこの店は良い。飲ませ方が良く分かっている。
そんな事を考えつつ新たに注がれたウィスキーを飲み干すと、視界の端に変わった樽が入る。
樽の周りを緑色の皮の様な物で包んでおり、他の樽と比べると一回りは小さい。
気になった私は店主に尋ねた。
「……あれは?」
「……あれは“ケンネッジ”の8年物です。天葉樹の新芽を蒸したものを絞り、その絞り汁を発酵・蒸留させて作る酒です。……逸品ですよ」
「ほう……」
聞いた事が無い。
どうやらテキーラや焼酎と似た製法で作られる蒸留酒の様だが、そもそも“天葉樹”とやらは地球には存在しない。
つまり、正真正銘の“異世界の酒”と言う事になる。
「……一杯貰えるか?」
私はそう言って空のグラスを置く。
本来なら店主のお勧めに任せる方が酒を楽しめるのだが、どうにも好奇心が抑えられなかったのだ。
しかし店主は軽く首を振って続けた。
「……申し訳ありません。あれはもう樽ごと他のお客様が買われた物です。ここに置いているのは私が管理を任されたからでして……」
「……そうか」
……残念だ。かなり興味があったのに。
私が気を取直して次の一杯を頼もうとした時、奥の席から声が聞こえた。
「……構わないよ。一杯お出しして差し上げなさい」
「!」
私は驚いてそちらを見る。
そこに居たのはまさに巨大な“亀”。
これで仕立ての良いタルマをしておらず、二足で椅子に座ってなければ魔獣が紛れ込んだと思うだろう。
顔からは年齢を読み取れないが、声色は嗄れており、相応の年齢なのだと分かる。
どうやら“買われたお客様”とは彼の事の様だ。
私はその老亀に話しかけた。
「……良いのですか?」
「ほっほ。ええ、構いませんよ。新進気鋭の“黒鉄”のトカゲ殿にお近付きの一杯を御馳走させて下さい」
……成る程。私の事を知っているのか。
私達のやり取りを見た店主が、ケンネッジの樽を開ける。
そして注がれた琥珀を私の前に置いた。
まぁ、ここまで来た以上断るのも勿体ないだろう。
「……では、遠慮なく」
私は老亀にそう言うと、一気に琥珀を煽った。
特有の香り。
桜のチップで燻製にしたサーモンの様に、柔らかな薫香が口の中に広がる。
味は驚くほど滑らかで、高いアルコール度数が有るとは思えない。
確かに逸品だ。
「……美味しいですね。しかし変わった香りだ」
「ほっほ。それは蒸らしの時に入る香りなのですよ。ケンネッジは天葉樹の葉で包んだ新芽を灰の中に埋め、その上で火を炊く事で蒸らすのです。その時に葉の香りと薪に使った天葉樹の香りが僅かに新芽に移り、元々新芽が持ってる香りと交わる事でこの特有の香りを生み出しています」
「成る程……」
「とは言え、最近だとこの製法で作るよりも高温の炉で蒸らす手法が主流になりつつあります。その方が効率がずっと良いですからね。なのでここでこの樽を見かけた時、思わず買い占めてしまったのですよ。いや、申し訳ない。強欲な年寄りで」
「いえ、お掛けでこうしてご相伴にあずかれたのです。……それに、強欲でない魔物なんてこの世に居ないでしょう?」
「ほっほ!確かに確かに」
そう言って老亀は笑う。その好々爺然とした振る舞いに、私も好感を抱いた。
ーーーーーー
──その後暫く私はこの老亀との会話を楽しんだ。
この老亀も私と同じく蒸留酒が好きらしく、酒の話で大いに盛り上がった。
そしてそんな会話もある程度落ち着いた頃、不意に老亀がこんな話を切り出した。
「……時にトカゲ殿は連邦の事をどう思われますか?」
「“どう”とは?」
「トカゲ殿は冒険者として様々な街へ赴かれた事もおありでしょう?生憎と私は余りこの街を離れる機会が無くて見識が狭いのですよ。ですから、そういった経験豊富な方から見て連邦がどの様に見えるのかが気になりましてな。……もう少しすれば迎えが来るのですが、それまでお付き合い下さいませんか?」
「構いませんよ。ケンネッジのお礼も出来てませんし」
「ほっほ!それは有り難い。ならばもう一杯いかがですか?」
「ええ。是非」
再び注がれる琥珀。私はグラスを持ち、少し考えてから口を開く。
「……そうですね。中々言葉にするのは難しいですが、一言で言うならば“驚愕”としか言い様が有りませんね」
「驚愕……ですか?」
「ええ。街は整然として衛生的。そして住民達の民度が高い。識字率も極めて高く、倫理観もしっかりしている。他の都市国家では先ず考えられません」
「……成る程」
「そして次に驚いたのは“貨幣価値”です。普通、物流の都合上物品の価値は極めて変動しやすい。小麦が少なくなれば小麦は高騰しますし、逆に多くなれば多くなるだけ価格は下落する。しかし連邦は多少の増減があるにせよ、安定した価格帯でほぼ全ての物品が取引されている。確かにダンジョンから手に入る物品である程度の補填は効きますが、これは商販路の確保と物流の制御が極めて高水準である事を示しています。これも他の都市国家では考えられない事でしょう」
私の言葉に感心した様子を見せる老亀。
「……中々良く見ておいでですね。流石は黒鉄のトカゲ殿」
「いえ、浅薄な見解で申し訳ない。……ただ、連邦が他の都市国家と比べて明らかに異質なのは間違いありません。無論、良い意味で。治安が安定しているのも龍王国の庇護国家と言う理由だけで無く、物流を通して周辺国家にも大きな利益を与えているからでしょう。誰しも利権は手放したく無いものですから、周辺国家で甘い蜜を吸ってる連中程連邦との衝突は避けたくなる。そして恐らくアバゴーラ様はそうした考え方の連中を選んで積極的に利益を与えている。そうする事で敵対を避けたい勢力を肥えさせ、情勢を連邦の優位な状態で安定させている様に見えます。実に見事な手腕です」
「……アバゴーラ様を随分と高く買っていらっしゃるのですね」
「それはそうでしょう。これ程の国家を作り、数百年維持するというのは正に傑物の類いです。……しかし、それだけに惜しい」
「……“惜しい”……とは?」
「それは──」
──カランッ──
私が老亀の言葉に答えを返す前に酒場の扉が開く。
なんの気も無くそちらを見た私は、その来客と共に驚愕の表情を浮かべる事になった。
「……なッ!?」
「貴方は……!?」
そう、そこに居たのは長身痩躯。
全身を黒地に金糸の刺繍を編み込んだローブで包んだ忌々しい黒豹の獣人。
“呪文教書のザグレフ”だった。
意味が分からず困惑する私。
「……!」
しかしどうやらザグレフもそれは同じらしく、魔法の媒介らしきロッドを掴んで立ち尽くしている。
その様子を見た老亀は小さく呟いた。
「……良い所だったんだがな。アレが儂の迎えだ」
「……ッ!!」
私は即座に老亀を抑えるべく動く。
しかし手を伸ばしたその直後、見えない障壁に弾かれて店の壁にぶち当たる。
老亀は葉巻を取り出し、店主はそれに火をつけた。
奴は葉巻をひと吸いすると、煙と一緒に言葉を吐いた。
「……ふぅ……。貴様等のその様子、どうやらザグレフと貴様は繋がっていない様だな。久々に読みを外したわい」
「ゴホッ!……状況が分かりませんが、何となく分かりましたよ。……全く人が悪い。ゴホッ!ゴホッ!」
「そうか……貴様が──」
「そう。儂が“ドン・アバゴーラ”だ。宜しくな、黒鉄のトカゲ殿?」
ーーーーーー




